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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「最先端研究助成」2700億円の使い道に科学者の反応は?

2009-06-14 18:43:25 | 学問・教育・研究

昨日(6月13日)朝日朝刊の記事には驚いた。「最先端研究助成」2700億円の使い道に国民の智慧を拝借、というのである。開いた口がふさがらなかった。問題にするのは次の部分である。

 「世界トップ」の研究者30人(30課題)に総額2700億円を支援する「世界最先端研究支援強化プログラム」で、内閣府は12日、「科学技術で実現してほしいこと」の意見募集を始めた。研究費の支給対象を決める「参考」にする。

支援プログラムは公募で課題を募り、最終的に首相や科学技術担当相、学会や産業界の関係者らでつくる会議で選定される。野田大臣は「30人に(巨額の)資金が行くので、前提として国民の意思を聞きたい。将来の夢やロマンも価値基準のひとつ」と語った。

私は「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有りで、この2700億円の使い方に異議を唱えた。一部の科学研究者を「金まみれ」にすることが、ひいては日本の科学研究基盤を崩壊させかねないと思ったからである。一人当たり(平均)90億円にもなる大金を上手に使いこなせる器量のある科学者が、はたして日本にいるだろうか、とこの2700億円のばらまき方に疑問を覚えたことがその根底にある。今回の内閣府の企てはまさに私の疑問を裏付けるもので、「どう考えてもお金の使い方が分からないので、国民の皆様のお知恵を拝借させてください」と言っているように聞こえてくる。こんな馬鹿げたことがなんの衒いもなくまかり通るのは、この政治主導の「世界最先端研究支援強化プログラム」が根本において間違っているからで、それは科学技術研究の本質にまったく疎い政治家という素人が口を出したからであろう。

なるほど科学技術研究に巨大な予算を注ぎ込むことが、世界の歴史を変えた事例に事欠かない。もっとも著名なのは原子爆弾開発・製造にあたった「マンハッタン計画」である。長距離ミサイル発射実験用総合試験基地であるケープカナベラル基地に始まり、月飛行計画実現に向けて拡張されたケネディ宇宙センターの建設などもよく知られているが、一方、ペニシリンの発見に伴う実用化計画も国家的規模で遂行されている。これらは「ビッグ・サイエンス」の好例であるが、ではこのような「ビッグ・サイエンス」がある日忽然と出現したのかと言えば、決してそうではない。いかなる「ビッグ・サイエンス」もその源流は個々の科学者の日々の営みであるささやかな、しかし萌芽的な研究の「リトル・サイエンス」にあると言える。そしてこれらの「リトル・サイエンス」から「ビッグ・サイエンス」の移行はきわめて漸進的なものである、とイェール大学科学史教授であったデレック・J・ド・ソラ・プライス博士は下記の本で説いている。


私がここで強調したいのは「ビッグ・サイエンス」の出現には必然性があり、「リトル・サイエンス」の成熟・増殖がその基盤になる。卑近な例は山中伸弥京大教授のヒトiPS細胞作成に発する「iPS細胞再生医療の実現化」計画などが挙げられる。上記のプライス博士に従えば「iPS細胞研究」は指数的成長の時期に入ったと言えようが、いずれはロジスティック曲線で示される飽和成長の時期が先に待ち構えているはずである。このように新しい「ビッグ・サイエンス」の出現そして成長が「リトル・サイエンス」からの漸進的な移行であることを見抜けるのは訓練された科学者・技術者のみと断言してよかろう。それを知ってか知らずか、2700億円の使い道にある種の思いつきしか期待できそうもない「国民の意思を問う」とは、税金の無駄遣いを隠蔽するための国民への阿りに過ぎない。

しかし政府の施策に疑念を覚える一方で、安保闘争世代でもある私には、今の現役科学者の「音無の構え」が歯がゆいし不気味ですらある。自分たちが研究費稼ぎにあくせくする一方で、2700億円もの巨大な資金が政治家主導のばらまきに使われようとしていることに、何一つ矛盾を感じないのだろうか。日本学術会議会員が今もわが国の科学者の代表であるなら、科学者としての自覚に目覚めてそれなりの意見表明があってもしかるべきであると思うが、何も聞こえてこないのが不思議でもありまた淋しく感じる。また何事であれ率先して声をあげるべき若い科学者がただただ大人しいのも、「草食世代」のなせる技なのだろうか。

同じ日の朝日朝刊「私の視点」に奨学金返済について「滞納招く制度の不備正せ」との意見が寄せられていた。

現在、(大学院)博士課程修了後に正規の職につけず、身分や収入がともに不安定な非常勤講師やフリーターとして生活をする「高学歴ワーキングプア」が、数万人いるとされる。この状況の最大の理由は、国が設定した「91年度から10年間で大学院生を倍増する計画」にある。国の政策として大学院生の定員を増やしているのに、専任職のような「受け皿」自体が狭いままなのである。
 増えた大学院生の多くは奨学金貸与の恩恵を受ける。ところが、修了後の就職が困難であれば、その多くが返済に行き詰まるのは当然だろう。明らかに、これが「延滞債権額」増加の一因である。

私も大学院時代は奨学金の貸与を受け、博士課程修了後、1年半の浪人期間はあったものの教育職に就くことが出来て、所定の期間その職に従事したことで返還を免除された。今やこの免責条件を満たせない大学院修了者が激増しているのである。定職はなし借金の返済は急かされる。こういう人たちを救済するために問題の2700億円を当てることが、将来の「ビッグ・サオイエンス」を育てる効果的な道にもならないのだろうか。


総務相はマッカーサーか

2009-06-11 00:46:21 | 放言
日本郵政株式会社の西川善文社長と鳩山邦夫総務相が辞めない、辞めさせるで真っ向から対立しているようである。私は今回の一連の騒動でマスメディアの報道すらほとんど注意を払っていないので、どちらがどうとか言える立場にはないが、一つだけ腑に落ちないことがある。それは総務相の「認可権」である。鳩山総務相はすでに5月の取締役会でその再任案が決定した西川社長の再任が6月29日の株主総会で認められたとしても、認可権限を行使して西川社長の続投を拒否する、と早々と花火を打ち上げている。私には一株式会社の人事になぜ総務相が認可権を持つのか、それが理解できないから困っている。

なるほど「日本郵政株式会社法」(平成十七年十月二十一日法律第九十八号)には次の条文がある。

(取締役等の選任等の決議)
第九条  会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。

それどころかまだまだ総務相の権限が記されている。

(監督)
第十四条  会社は、総務大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。
2  総務大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社に対し、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。

(報告及び検査)
第十五条  総務大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社からその業務に関し報告をさせ、又はその職員に、会社の営業所、事務所その他の事業場に立ち入り、帳簿、書類その他の物件を検査させることができる。

私は日本郵政株式会社は民営化された会社だと思っていた。とすると株主総会の決定が最終決定ではないのか。といっても私はどういう人たちが株主なのかも知らない。ひとつ確かなのは次のように株式の政府保有が認められてはいることである。

(株式の政府保有)
第二条  政府は、常時、会社の発行済株式(株主総会において決議をすることができる事項の全部につき議決権を行使することができない株式を除き、会社法(平成十七年法律第八十六号)第八百七十九条第三項の規定により議決権を有するものとみなされる株式を含む。以下この条において同じ。)の総数の三分の一を超える株式を保有していなければならない。

また附則には

(政府保有の株式の処分)
第三条  政府は、その保有する会社の株式(第二条に規定する発行済株式をいい、同条の規定により保有していなければならない発行済株式を除く。)については、できる限り早期に処分するよう努めるものとする。

とあるから、本来なら政府以外に株主が当然存在するし、また存在しなければならないことになる。となると政府の発言権および諸権限は、保有する株式に応じてのものになるのが普通なのではないのか。

ところが「日本郵政株式会社法」では株主総会の決定を覆しうる総務相の「天上天下唯我独尊的権限」をなぜか設けているのである。私は総務相にかかわる文言を見て、かっての日本を占領していた連合国軍最高司令官マッカーサー元帥を即連想してしまった。「天皇より偉いマッカーサー」である。どこでどうなって総務相の関与を明記するような会社法が作られたのかは知らないが、これは明らかに日本が米国に占領されていた頃の権力構造の残滓そのものである。いったい何をもって民営化と言えるのだろう。「法に則って」と総務相は仰るのだろうが、私に言わせるとおかしいのはこの「法」の方である。事態収拾もさることながら民営化徹底には国会はこの会社法の改正に早急に取り組むべきではないのか。



新モデル「iPhone 3G S」の通話機能はSoftBank 3G並み?

2009-06-10 10:08:20 | Weblog
「iPhone 3G S」が6月26日に日本で発売されるとのニュースが流れた。ほどほどのgadget freakを自認する私は早速その概要に目を通してみたところ、まさにVictorinoxスイスチャンプの電子版で、持ち歩きたくてうずうずしてきた。ところが一つ肝心な情報がはっきりしない。それは通話機能が現在私が使っている携帯、SoftBank 3G並みかどうかと言うことである。と言うのも初代のiPhone 3Gが発売開始された時に、次のようなことがあって、結局手を出さなかったからである。以前の記事梅田でぶらぶら その二、ヨドバシでミニノートパソコンとiPhone3Gをから少し長いがその箇所を引用する。

係員は受け答えのてきぱきした女性で打てば響くように私の知りたい情報が戻ってくる。ところが肝心の通話機能の話になって思いがけないことを云い始めた。ソフトバンク同士で無料の時間帯ならけっこう長話をすることもあると云ったら、「そうですか」と一息も二息も間を置く。
「電波が弱いんです」
「電波が弱いと云っても私の携帯、結構通じますよ」
「お客さまの携帯で電波の強さが三本柱でも、iPhoneでは圏外ということがよくあるのです」
「???」

彼女の説明を私はこのように理解した。iPhoneを作っているのはアップルで、だから現状ではソフトバンクの電波を効率よくキャッチできるようには出来上がっていない。ファームウエアの更新で受信性能が上がるようになるかもしれないが、今のところなんとも云えない。だからデータのやりとりもWi-Fi(無線LAN)を使ってなら問題はないが、3Gを使うのは実用的ではない、とのことなのである。だからとりあえず今の携帯はそのまま通話用に使って、iPhone3Gがそれでも欲しいのなら新しく別番号で登録してお使いになるのがよろしい、と仰る。

iPhone3Gの問題点をあまりにもはっきり云うので驚いたが、ソフトバンクモバイルのブース前で堂々と説明するので、ライバル会社の回し者ではなさそうである。それにiPhone3Gを新しいタイプの携帯パソコンと割り切ればそれで済む話でもある。通話機能なんて別に気にしないiPhoneフリークが今の売り行きを支えているのかも知れないと思った。

「iPhone 3G S」ではたとえば

新モデルでは従来比2倍の動作速度を実現したほか、バッテリ駆動時間が全体に向上している。また3G S特有の新機能として3メガピクセルのカメラを内蔵し、動画の撮影や編集が可能になっていることが挙げられる。

iPhone 3G Sでは外見の特徴は従来のiPhone 3Gそのままに、内部機能の向上が図られている点が特徴となる。今回用意されるのは内蔵フラッシュメモリが16GBと32GBで、筐体カラーはホワイトとブラックの2種類。内蔵カメラはオートフォーカスに対応しており、スクリーン上をタッピングすることでフォーカス対象を自動的に変更する。ネットワーク面ではHSDPAをサポートし、7.2Mbpsのダウンリンクに対応。

など、それなりに魅力的な機能向上は伝えているが、私にとって肝心の通話機能については何も触れていない。またヨドバシに出かける口実が出来たようである。。

NHKラジオ語学講座の効用

2009-06-09 11:28:04 | Weblog

6月1日からNHKラジオ第2放送の「まいにちハングル講座」を聞き始めた。月、火、水、木、金と毎朝7時15分から15分間ずつの放送を聞いて、ラジオ語学講座にいろいろな効用があることに気付いた。

毎朝の起床時間が規則正しくなる。7時15分に始まるからせめて7時には起きたい。そうすると前日の夜更かしを自己規制するようになる。その上ラジオ講座を聞かなくて済む週末には、朝寝の喜びを味わうことが出来る。

なぜラジオ講座を聞く気になったかというと、現在地元の市民教室で韓国・朝鮮語初級コースを入門コースの続きで聴講しているが、自分の勉強法があまり真面目でないので、何とかしなければと思ったからである。市民教室では毎週90分授業を受けるが、その日は30分ほど早めに教室について復習・予習を一生懸命にする。といえば格好がよいが、実はこれが教室外でする勉強のすべてなのである。これではハングルの読み方をなんとか維持するだけで精一杯で、新しい知識がほとんど頭に定着しない。それに90分授業で先生の話はとても丁寧かつ流暢なのであるが、後期高齢者入り目前の私にはその間集中力を保つのはなかなか難しい。そこで阿呆丸出しの質問をしては息を継ぐ始末である。でも先生の熱意にはなんとかして応えたいとの思いもあった。毎日少しずつでも朝鮮語に触れるのが語学勉強の要諦というわけでラジオ講座を始めた。

ラジオ講座では一回の時間が15分というのがよい。これなら完全に集中することができる。その上有難いことに午前7時15分に始まり、午後2時30分、午後11時15分と一日三回放送が繰り返される。朝会話編でもたもたしていても夜もう一度繰り返す時にはかなり流暢になる。さらに繰り返したければ土曜日には一週間分の再放送がまとまってあるし、インターネットでは一週間前の番組を繰り返して聞くことが出来る。まことに至れり尽くせりのサービスである。これならNHKに文句なしに放送受信料を払いたくなるが、ラジオ受信料を払っている覚えはない。いったいどうなっているのだろう(多謝脱線)。

ラジオ講座を聞き始めてすでに1週間は過ぎたので、もう三日坊主に終わる恐れは乗り越えた。あと数ヶ月で飛躍的に朝鮮語になじめそうな予感がして心が弾んでいる。

「議員世襲制度廃止」を再び!

2009-06-06 10:13:47 | Weblog
昨日は私の四年前のブログ記事日本の近代化は『世襲議員』の廃止からへのアクセスが増えたが、これはGoogle検索からのアクセスのようだと思う。


検索が増えたのは自民党が結局世襲制限を骨抜きにしたという次のようなニュースが流れたからであろう。

自民の世襲制限「骨抜き」 「厳正な選抜」経れば公認へ

 国会議員の世襲問題を議論していた自民党改革実行本部は5日の総会で、武部勤本部長が麻生首相への答申案を示し了承された。「世襲制限」の適用時期を明記しないだけでなく、「厳正な選抜」を経れば世襲議員も公認するとしている。同一選挙区からの世襲候補の出馬も可能となるため、「世襲制限」は骨抜きになった格好だ。 (後略)
(asahi.com 2009年6月5日21時49分)

私に言わせれば最初から分かっていたことで、「骨抜き案」をことさら言挙げする気もない。民主党もなにがしかの案を出しているが、以前にも腰砕けになった前歴があり、それに政権与党になったわけでもないので実現の可能性は限りなくゼロに近い。いずれにせよ政党側からの弥縫策は国民騙しと思った間違いなかろう。要は有権者の自覚一つにかかっている。次の総選挙で「世襲議員候補」と自分で判定した人物に投票しないことである。議員世襲制度廃止を公約に掲げる候補者に投票して、郵政改革国会の例しにならい「選挙制度改革国会」をまず立ち上げればよいではないか。

私は上記のブログ記事に先立ち高校野球と総選挙を較べてみたら ― 『地方選挙区廃止』こそ究極の小泉構造改革で、究極の選挙制度改革として地方選挙区を完全に廃止することを提案している。四年前の私の提言は今もそのままで変わっていない。再掲をお許し頂くとともに、有権者一人ひとりの「議員世襲制度廃止」に向けた行動を心から期待したい。

国政を『後援会』支配から解放するために『後援会』は一代限りにしなくてはいけない。その実効を挙げるためには、引退・死去した議員の血縁者(その範囲は適切に定めるとして)は同じ選挙区はもちろん同じブロックからの立候補を認めてはならない。

そもそも『地方選挙区』はどのような目的のために設けられているのだろうか。私には『世襲議員』擁護のためとしか思えない。国政は今や政党政治に依って動かされている。有権者が選ぶのは政党であって一個人ではない。高校野球と同じく『地方選挙区』を議員選出の便法として暫定的に利用するとしても、ゆくゆくは『地方選挙区』を完全に廃止して総選挙は政党別比例代表制一本槍にすればよい。そうすれば一票の格差は解消するし、衆議院の議員総数も大幅に削減して 200議席ぐらいにしてしまえばいい。

政党別比例代表制の最大の難点は候補者選びである。それは衆知に期待すればよい。

旧い自民党をぶっ壊した小泉首相の構造改革の総仕上げは地方選挙区の廃止がもっとも相応しいような気がしてきた。

私は『世襲議員』と後援会の不即不離の関係を完全に絶つことを焦眉の急と考える。

ここでお断りしないといけないが、私は『世襲議員』の立候補の自由を制限するような発想は採らない。子供は国会議員やその縁者を親として選んで生まれたのではない。自分に責任のないことで基本的人権の制約を受けることがあってはならない。それと同時に国会議員やその縁者を親として生まれたことを他の立候補者に対して不公正な利点として用いることがあってもならない。

では『世襲議員』と後援会の不即不離の関係を絶つにはどうすればよいか。
先日のブログでの提言をあらためて記す。

①後援会を一代限りとする。未処理の資産があればすべて国に納める。
②引退・死去した議員の血縁者(その範囲は適切に定めるとして)は同じ選挙区はもちろん同じブロックからの立候補を認めてはならない。


ワッフルメーカー

2009-06-05 21:14:01 | Weblog
昨日の朝はオートミール、今朝はワッフルである。ピンと来た。パンが切れてしまったのである。わが家では米びつが空になることも珍しくないし、パン切れもしょっちゅうである。しかし有難いことに戦後の食糧難の時代に舞い戻ったわけではないので恐怖感はない。パンがなくてもこのようなものが食膳に上がる。人様にお出しするものではないので、縁が出ていても気にならない。


もうとっくに消えてなくなったが、かって三宮センター街のちょっと外れに「コスモポリタン」という洋菓子屋があって、とても美味しいワッフルを喫茶で供していた。熱いワッフル2枚の上にバターの塊が乗っているので、まずそれを広げて溶かす。そして好みに応じて小型の容器にたっぷり入ったメイプルシロップ、蜂蜜、ブルーベリーシロップのなかからその時の好みをかけて頂いたものである。外側がシャリッとしていて中はふんわりと焼き加減も上々で、この店ではワッフルを注文することにしていた。ところがある日このワッフルの変貌に気付いた。シャキッとした腰がなくなり、口の中でもちゃもちゃする。シロップの種類も減った。もう一度出かけても同じようだったので、コックさんでも変わったのかなと思い行くのを止めた。その代わり自分で作ってやろうと思ったのである。そこで探し回って見つけたのが下のMade in USAのワッフルメーカーで1KWとなかなか強力である。



最初は生地を作るのに粉の選定をはじめいろいろ試してみたが、落ち着いたのは何のことはない「もりなが・ホットケーキミックス」である。溶いて焼くだけ、いかにも簡単に綺麗に出来上がる。こういう小さな道具ものに手を出すのが私のお遊びで、失敗も多いがワッフルメーカーは成功だった。今では妻が気楽に使って呉れるので私が出馬するまでもない。

今日は妻が外出したので明日からはまたパンに戻りそうである。

一弦琴「琴音」

2009-06-04 12:01:10 | 一弦琴
   琴音

     詞 不明
     曲 真鍋豊平

琴の音色に 月すみて
照らすねやの戸 人音も
たえし嵐の 身にしみて
うたへばうたふ 山彦の
ほかに音せぬ しずけさは
治まる御代の ためしかや

「治まる御代」とは大違いのご時勢であるが、新型(豚)インフルエンザ騒動一段落で地元神戸の治まりようは嬉しい。唄っているとそんなことをちらっと思った。

GMの倒産で思い出したこと思うこと

2009-06-02 15:49:52 | 海外旅行・海外生活
「米GM、破産法を正式申請-負債総額16兆円超」とのニュースが流れた。経済のことには疎いが、これはGMの倒産と言うことなのだろう。俗な言い方では「GMが潰れた」のである。アメリカにおける自動車産業のビッグ・スリーのうち、すでにクライスラーが潰れたので残るところはフォードのみ。あまりの呆気なさに私なんかはついていけない。かっての大日本帝国の崩壊を見る思いである。

私がまだ中学生か高校生の頃であるが、父が「Collier’s」というアメリカの週刊雑誌を購読していて、そこに出てくる衣食住すべての写真に圧倒されていた覚えがある。まさによその世界の話で自分にはまったく無関係に思っていたが、父はそのなかに日本の将来を夢見ていたのかも知れない。ページ全面に大きくカラー印刷された車でBuickとかPontiacという名前を覚えたのもこの時である。敗戦国民は言うに及ばず、アメリカ人にとってもこのような車で生活をエンジョイすることが「アメリカン・ドリーム」であったのだと思う。

BuickもPontiacもGMの車であったが、GMの作る最高級車であるCadillacは、当時の占領軍の最高司令官であるダグラス・マッカーサー元帥の乗用車として日本国民にもよく知られていた。このCadillacに一度だけ思いがけないことで乗ったことがある。1960年代の初頭、私は大阪大学の大学院生だったが、大学院入試の時の試験官であった赤堀四郎先生がまもなく大阪大学の総長になられて、その公用車がCadillacだった。丸みを帯びた車体で「ウィキペディア」の「キャデラック」で見ると、戦後型として写真の出ている「シリーズ59(1948年)」のようであった。ある日のこと、どういう成り行きでそうなったのか、またどこまで行ったのかまったく記憶に残っていないが、赤堀先生に「乗りなさい」と言われてそのCadillacでどこかに連れて行かれたのである。赤堀研にいた友人と一緒であったことだけははっきりと記憶している。ただそれだけのことであるが、それにしてもこのCadillacがどういう経緯で大阪大学に迷い込んできたのだろう。かなりの年代物であったように思う。

1966年に初めて渡米して中古車を買うことになった時に、ディーラーで一台のCadillacが目に留まった。かなり年代が古いがシートが総革製で窓の開閉が電動式なのである。予算は遙かにオーバーしていたが無理をすれば手の届く範囲なので一時は迷ったが、身の程知らずにそんなことを考える自分が滑稽になって止めた。その時に買った中古のFord・Futuraがトラブル続きで、Santa BarbaraからLos Angelesに出かけた帰り道に遂に動かなくなり、再生エンジンに取り替えることになった。その際に代替車として借りた大型車(多分フォード・ギャラクシー)の性能に感激したものである。ちょっとアクセルを踏み込むだけで、それまではよたよたと上っていた101のかなりの急坂を、他車をいとも易々と追い越しながら一気に駆け上がったからである。ガソリンをがぶ飲みしての頑張りであったのだろう。

1980年代の初め、デトロイトで一夏過ごしたことがある。週末になるとレンタカーであちらこちらを飛び回ったが、GM本社のあるルネッサンス・センターにもよく出かけた。映画館が何軒もありいつも長い行列が出来ているのが印象的だった。まだアメリカ映画が元気であったのだろう。どのビルだったか覚えていないが、その上にある回転レストランで食事をした覚えがある。昨夜、テレビニュースでこの一帯の夜景が写っていたが、ルネッサンス・センターとデトロイト川対岸のカナダ・ウィンザー市の灯火の輝きに、このレストランからの展望が重なってとても懐かしかった。デトロイト川をトンネルでくぐり抜け、カナダに入ってトロント辺りまでは何遍も足を伸ばしたものである。レンタカーはアメ車だった。日本の小型自動車の対米輸出が第一次石油ショック(1973年)、第二次石油ショック(1979年)を経て大幅に増加したことがいわゆる自動車摩擦を引き起こしていた。テレビでも日本車を米国人がハンマーでたたき壊すパフォーマンスが流されたこともあり、米国人が「デトロイト不況」と呼んでいた日米間の自動車摩擦が最高潮に達していたので、わざわざ日本車を乗り回して米国人を刺激することを避けたつもりであった。その後米国景気の回復につれて自動車需要が増大したものの、この間ビッグスリーのうち、何とか持ちこたえたGMがその体質改善に積極的でなかったと言われる。そういうことが今回の破局の淵源なのだろうか。

世界的に苦境にある自動車産業の行方に私は少々冷淡である。もうそろそろ次の新しい移動手段が現れてきてもいいのではないかと思うせいかもしれない。子供の頃何回も読み返した講談社の絵本に「魔法の杖」(?)と言うのがあった。目をつむってステッキをくるくると回しながら行き先を唱えると、次の瞬間にはもうそこに着いているのである。究極の移動手段ではなかろうか。私も呪文だけはよく唱えたものだ。せいぜい動き回るだけに車のような大げさな機械・装置を人間が作るのは、まだ知能が低いレベルに留まっているせいだろう。あの小さな身体で何千キロも移動する渡り鳥の飛翔能力ひとつを考えてみても、手つかずの研究領域があるように思う。

「同心草」をオーケストラで歌う

2009-06-01 10:44:22 | My Song
以前から歌っている韓国の歌동심초(同心草)をオーケストラ演奏しているサイトを見つけ、嬉しくなって一緒に歌ってしまった。気持ちよくオーケストラにのるにはまだまだ時間がかかりそうである。

      동심초

꽃잎은 하염없이 바람에 지고
만날 날은 아득타 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고

바람에 꽃이 지니 세월 덧없어
만날 길은 뜬구름 기약이 없네
무어라 맘과 맘은 맺지 못하고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고
한갖되이 풀잎만 맺으려는고