1981年の夏に4ヶ月間、Wayne State Universityの客員教授としてデトロイトに滞在した。デトロイトに到着した翌朝、ホテルの部屋から窓越しに見える巨大な建物がGeneral Motorsの本社であることを知って、自動車産業の世界の中心地に今いるのだと実感したことを覚えている。Fordの本社も郊外のDearbornにあり、Greenfield Villageと呼ばれる一郭にあるHenry Ford Museumを訪れて、米国における自動車産業の歴史を示す数々の展示品を観た時にその思いは一層深まった。しかしその一方、自動車産業の中心地にしてはハイウエイの傷み具合が目立って、これなら日本の道路の方が遙かましだなと思ったものであった。始めて米国に渡り映画の中さながらの豊かな暮らしに圧倒されてから15年経っていたのである。
それから四半世紀、昨日(12月3日)の日経夕刊トップに次のような見出しが踊った。
しかし支援策がとられたとしても先行きは暗い。自動車が売れないのである。次の見出しは前年同月比で11月の新車販売台数が36.7%も減少したとのことだが、GMでは41.2%、クライスラーに至っては47.1%とほぼ半減している。もちろん米国内での日本車の販売台数も減少して、トヨタ自動車で33.9%減となっている。そして今晩のテレビニュースでは「いすず」などで非正規雇用者の大量解雇の動きが報じられていた。自動車産業の大幅な凋落がいよいよ現実的なものになったのだろうか。
自動車の製造はまさに物づくりである。よりよい車を作り顧客に買って貰うまともな商売で、得体の知れない金融商品の売買とは比べもにならない健全な経済活動である、と経済音痴の私は信じてきた。いや、今でもそう信じたいのであるが、この期に及んでとてつもない疑問がわき起こったのである。米国相手に自動車を売りまくる、ひょっとしてこれは虚業ではなかったのか、と。
最初米国で暮らし始めて戸惑いを感じたのがスーパーなどで買い物した時に「Cash, or charge?」と聞かれることであった。現金で払うのか、付けにするのかを聞いているのである。付け買いは日本でもしたことがなかったので、私は現金払い一辺倒であった。と言っても小切手を切るのが普通であった。運転免許証のようなIDがあれば受け取って貰えたのである。付けで買おうと思ったら、その店であらかじめ手続きをしてクレジットカードを作らなければならなかった。今で言うVISAカードとかDinersカードなどがまだ私の生活の中には入っていなかった頃の話である。
一度だけ付けで買い物をしたことがある。毎日の暮らしに欠かせない自動車を中古で買った時のことである。代金の一部を現金で支払い残りを月賦にした。車のディーラーと提携している街の金融業者から借金したことになったのであろうが、勤務先と年収を聞かれたぐらいで面倒くさいやりとりは無かったように思う。ただこんな簡単な手続きで金を貸してもいいものか、と私がかえって不安に感じたぐらいであった。と言うのもその翌日か研究室の私に外部から電話がかかってきたのである。取り上げてみるとなんと私の身元調査のようなことで、実は私の教授のところにかかってきたものを、教授が出張かなにかで不在だったので交換手が教授室の隣室にいる私のところへ繋いだようなのである。どうしたことか先方は私が教授だと思い込んで、あなたのところに○○というポスドクが居るか、なんて聞く。私はことの成り行きで教授になりすます形になって、イエスと答える。すると先方は私が月賦手続きに書き込んだ内容をその通りかと確認してくるものだから、イエス、イエスと返事しているうにち身元調査が終わってしまった。もちろん月賦手続きが無事に済んだことは言うまでもない。これが私の信用調査の実態なのであった。
また勝手に借金させられそうになったことが一度ある。この車のオートマティック・トランズミッションの調子が悪くなって再生品に取り替えた時に、受け取りに行ったら業者がこの書類にサインをするようにと言う。よく見れば月賦支払いの手続き書なのである。私が貧乏人に見えたのか、私に確かめもせずに勝手にそういう書類を作ったのである。300ドルから400ドルの間だったと思うが、現金で支払えることを確かめて車を持ち込んだのであるから余計なお節介である。「I don't like this.」と言うと何故か聞き返す。そこで私は「I am not so rich to make you rich.」と答えた。相手に通じたかどうかは分からないが自分では名台詞のつもりだったのである。「How do you pay?」と聞き返すので「By cash」と答えて溜飲を下げた気分になったのであるが、先方には変わり者と映ったことだろう。
ことほど左様に米国人はローンで物を買うのが当たり前であるが、これはすべて借金なのである。それが生活に定着しているからこの国では借金することに後ろめたさを感じる人がいるとは思えない。それどころか、借金の額が高いほど社会的信用度があってのことと、ステータスを誇る感覚なのではなかろうか。そして借金させやすいようにいろんな仕組みを考え出すものだから、借金額は止めどもなく膨れあがる。しかし借金が嵩むと月々の返済額が増え、ある日、限られた稼ぎでは返せなくなる現実にぶつかる。
これに反して私が日本で車を買った時はいつも現金払いであった。というより現金で支払えるめどがついて新車を買ったのである。家も同じで、現金で払えるようになって隠居所を建てた。陋屋とは言え、風雨を忍べる親の家があったからこそのことではあるが、「I was not so rich to make banks rich.」なのであった。現金はまさにリアル・マネーであるから車や家を売る側からみて事故で代金の回収が出来なくなるなんて心配することはさらさらない。これに比べて、最終的にどこが被害を被ることになるのかはさておいて、ローン客相手に商品を売って手にするものは、いつ木の葉に化けてしまうかも知れない幻のお金である。トヨタ自動車が大きくなったのも考えてみれば私のようなガチガチの旧弊日本人だけを相手にするのが物足りなくて、ゆくゆくは破綻することが目に見えているはずなのにそれを知らぬ振りをしてか、稼げる間に稼げとばかりに借金まみれの米国人に車を次から次へと売りつけたからなのである。
米国が国家の総資産を堅実に増やしているのなら、いくら売りつけてもかまわない。国家全体で借金が膨れあがっているのを知りつつ、事業から撤退するどころか木の葉紛いの幻のお金欲しさに刹那主義的にますます売りつけるというのはもはや実業ではなくて虚業であろうと私は思うのである。素人談義ゆえにどこかが間違っているはずだと思いつつも、これが経済音痴の私がたどりついた結論なのである。売る相手を間違えて成長した虚業はいずれ衰退する。売る相手を見極めることが自動車産業の生き残りに欠かせないことなのではなかろうか。
これから数十年先、日本の総人口が6千500万人になった頃の車の使われ方を描いた物語が手元にあるある。『虚業』の行く末を暗示しているようでなかなか示唆に富んでいる。また折りがあれば紹介しようかと思う。
それから四半世紀、昨日(12月3日)の日経夕刊トップに次のような見出しが踊った。
しかし支援策がとられたとしても先行きは暗い。自動車が売れないのである。次の見出しは前年同月比で11月の新車販売台数が36.7%も減少したとのことだが、GMでは41.2%、クライスラーに至っては47.1%とほぼ半減している。もちろん米国内での日本車の販売台数も減少して、トヨタ自動車で33.9%減となっている。そして今晩のテレビニュースでは「いすず」などで非正規雇用者の大量解雇の動きが報じられていた。自動車産業の大幅な凋落がいよいよ現実的なものになったのだろうか。
自動車の製造はまさに物づくりである。よりよい車を作り顧客に買って貰うまともな商売で、得体の知れない金融商品の売買とは比べもにならない健全な経済活動である、と経済音痴の私は信じてきた。いや、今でもそう信じたいのであるが、この期に及んでとてつもない疑問がわき起こったのである。米国相手に自動車を売りまくる、ひょっとしてこれは虚業ではなかったのか、と。
最初米国で暮らし始めて戸惑いを感じたのがスーパーなどで買い物した時に「Cash, or charge?」と聞かれることであった。現金で払うのか、付けにするのかを聞いているのである。付け買いは日本でもしたことがなかったので、私は現金払い一辺倒であった。と言っても小切手を切るのが普通であった。運転免許証のようなIDがあれば受け取って貰えたのである。付けで買おうと思ったら、その店であらかじめ手続きをしてクレジットカードを作らなければならなかった。今で言うVISAカードとかDinersカードなどがまだ私の生活の中には入っていなかった頃の話である。
一度だけ付けで買い物をしたことがある。毎日の暮らしに欠かせない自動車を中古で買った時のことである。代金の一部を現金で支払い残りを月賦にした。車のディーラーと提携している街の金融業者から借金したことになったのであろうが、勤務先と年収を聞かれたぐらいで面倒くさいやりとりは無かったように思う。ただこんな簡単な手続きで金を貸してもいいものか、と私がかえって不安に感じたぐらいであった。と言うのもその翌日か研究室の私に外部から電話がかかってきたのである。取り上げてみるとなんと私の身元調査のようなことで、実は私の教授のところにかかってきたものを、教授が出張かなにかで不在だったので交換手が教授室の隣室にいる私のところへ繋いだようなのである。どうしたことか先方は私が教授だと思い込んで、あなたのところに○○というポスドクが居るか、なんて聞く。私はことの成り行きで教授になりすます形になって、イエスと答える。すると先方は私が月賦手続きに書き込んだ内容をその通りかと確認してくるものだから、イエス、イエスと返事しているうにち身元調査が終わってしまった。もちろん月賦手続きが無事に済んだことは言うまでもない。これが私の信用調査の実態なのであった。
また勝手に借金させられそうになったことが一度ある。この車のオートマティック・トランズミッションの調子が悪くなって再生品に取り替えた時に、受け取りに行ったら業者がこの書類にサインをするようにと言う。よく見れば月賦支払いの手続き書なのである。私が貧乏人に見えたのか、私に確かめもせずに勝手にそういう書類を作ったのである。300ドルから400ドルの間だったと思うが、現金で支払えることを確かめて車を持ち込んだのであるから余計なお節介である。「I don't like this.」と言うと何故か聞き返す。そこで私は「I am not so rich to make you rich.」と答えた。相手に通じたかどうかは分からないが自分では名台詞のつもりだったのである。「How do you pay?」と聞き返すので「By cash」と答えて溜飲を下げた気分になったのであるが、先方には変わり者と映ったことだろう。
ことほど左様に米国人はローンで物を買うのが当たり前であるが、これはすべて借金なのである。それが生活に定着しているからこの国では借金することに後ろめたさを感じる人がいるとは思えない。それどころか、借金の額が高いほど社会的信用度があってのことと、ステータスを誇る感覚なのではなかろうか。そして借金させやすいようにいろんな仕組みを考え出すものだから、借金額は止めどもなく膨れあがる。しかし借金が嵩むと月々の返済額が増え、ある日、限られた稼ぎでは返せなくなる現実にぶつかる。
これに反して私が日本で車を買った時はいつも現金払いであった。というより現金で支払えるめどがついて新車を買ったのである。家も同じで、現金で払えるようになって隠居所を建てた。陋屋とは言え、風雨を忍べる親の家があったからこそのことではあるが、「I was not so rich to make banks rich.」なのであった。現金はまさにリアル・マネーであるから車や家を売る側からみて事故で代金の回収が出来なくなるなんて心配することはさらさらない。これに比べて、最終的にどこが被害を被ることになるのかはさておいて、ローン客相手に商品を売って手にするものは、いつ木の葉に化けてしまうかも知れない幻のお金である。トヨタ自動車が大きくなったのも考えてみれば私のようなガチガチの旧弊日本人だけを相手にするのが物足りなくて、ゆくゆくは破綻することが目に見えているはずなのにそれを知らぬ振りをしてか、稼げる間に稼げとばかりに借金まみれの米国人に車を次から次へと売りつけたからなのである。
米国が国家の総資産を堅実に増やしているのなら、いくら売りつけてもかまわない。国家全体で借金が膨れあがっているのを知りつつ、事業から撤退するどころか木の葉紛いの幻のお金欲しさに刹那主義的にますます売りつけるというのはもはや実業ではなくて虚業であろうと私は思うのである。素人談義ゆえにどこかが間違っているはずだと思いつつも、これが経済音痴の私がたどりついた結論なのである。売る相手を間違えて成長した虚業はいずれ衰退する。売る相手を見極めることが自動車産業の生き残りに欠かせないことなのではなかろうか。
これから数十年先、日本の総人口が6千500万人になった頃の車の使われ方を描いた物語が手元にあるある。『虚業』の行く末を暗示しているようでなかなか示唆に富んでいる。また折りがあれば紹介しようかと思う。