今年の「遊」の演奏会は去年より遅く、昨21日、松方ホールで催された。クリスマスシーズンに合わせてか、「viva! X’mas 2008」というタイムリーな企画だった。一昨日は義母の一周忌の法要を仏教の寺院で執り行い、その翌日はクリスマスソングを楽しむ。日本人ならではの大らかさである。休憩を含めて1時間半あまりの「遊」の演奏を今年もたっぷりと楽しませて貰った。
21名の団員が舞台の両脇から登場、赤のロングドレスがよく映える。そして現れた指揮者の岡崎よしこさんは黒の服装で団員の赤をバックに存在感が一段と浮かび上がる。第一部では「ジングルベル」に始まるポピュラーなクリスマスソングを7曲。柔らかくのびのある歌声が美しい。ソプラノのソロがまたよい。ソロの歌い手が曲によって変わるのだから層の厚さがうかがわれるというもの。ハーモニーを生み出す歌声には人生経験が美しく結実したかのような深みがある。声の色つやにアラフォーの母性を感じてしまった。心にしみ入るにつれてほのぼのとした気分になる。Hallelujah!
第二部はロッシーニーの女声三部合唱曲で、La Fede(信仰)、La Speranza(希望)、La Carita(愛)と続いた。プログラムには「三つの聖歌」と記されていたが、これらの曲の演奏を聴いて、これはsacredと言うよりはsecularな歌そのものではないかと改めて思った。技巧の難しさを感じさせない明るさと軽快さに充ち満ちた演奏なのである。ロッシーニーがオペラ作曲のペンを折り、ことのほか好んで即興風にまたコミカルなものとして作曲したサロン演奏向きの数多くの合唱曲の流れとでも言えようか。合唱では出しにくい装飾的な旋律をピアノが一手に引き受けて、それがコーラスとからみ合うのが実に快い。言葉がわからないだけにまったくsecularな音楽として楽しんでしまった。帰ってからEnsemble Vocal Michel Piquemalの演奏で聴いてみたが、「遊」21名の織りなすアンサンブルの深みが私の好みであった。
第三部はチャイコフスキーの合唱組曲「くるみ割り人形」で、メンバーが小学生かと見まがう衣裳で登場。そのせいか寸劇仕立てでの振る舞いのなんとキュートなこと、やはり女は化け物?m(__)mオペラ集団ぐるっぽユーモアの主催者でもある岡崎よしこさんの演出なのであろうか、変化のある流れがスムースで、その世界の中に入っていきたいような郷愁がわき起こり、あっという間に30分あまりが過ぎてしまった。
歌っている皆さんの表情の素晴らしいこと、好きなことに情熱を注ぎ込めるなんて本当に幸せな人たちだなと思うと、私もお裾分けを頂いたような気分になった。viva「遊」!
21名の団員が舞台の両脇から登場、赤のロングドレスがよく映える。そして現れた指揮者の岡崎よしこさんは黒の服装で団員の赤をバックに存在感が一段と浮かび上がる。第一部では「ジングルベル」に始まるポピュラーなクリスマスソングを7曲。柔らかくのびのある歌声が美しい。ソプラノのソロがまたよい。ソロの歌い手が曲によって変わるのだから層の厚さがうかがわれるというもの。ハーモニーを生み出す歌声には人生経験が美しく結実したかのような深みがある。声の色つやにアラフォーの母性を感じてしまった。心にしみ入るにつれてほのぼのとした気分になる。Hallelujah!
第二部はロッシーニーの女声三部合唱曲で、La Fede(信仰)、La Speranza(希望)、La Carita(愛)と続いた。プログラムには「三つの聖歌」と記されていたが、これらの曲の演奏を聴いて、これはsacredと言うよりはsecularな歌そのものではないかと改めて思った。技巧の難しさを感じさせない明るさと軽快さに充ち満ちた演奏なのである。ロッシーニーがオペラ作曲のペンを折り、ことのほか好んで即興風にまたコミカルなものとして作曲したサロン演奏向きの数多くの合唱曲の流れとでも言えようか。合唱では出しにくい装飾的な旋律をピアノが一手に引き受けて、それがコーラスとからみ合うのが実に快い。言葉がわからないだけにまったくsecularな音楽として楽しんでしまった。帰ってからEnsemble Vocal Michel Piquemalの演奏で聴いてみたが、「遊」21名の織りなすアンサンブルの深みが私の好みであった。
第三部はチャイコフスキーの合唱組曲「くるみ割り人形」で、メンバーが小学生かと見まがう衣裳で登場。そのせいか寸劇仕立てでの振る舞いのなんとキュートなこと、やはり女は化け物?m(__)mオペラ集団ぐるっぽユーモアの主催者でもある岡崎よしこさんの演出なのであろうか、変化のある流れがスムースで、その世界の中に入っていきたいような郷愁がわき起こり、あっという間に30分あまりが過ぎてしまった。
歌っている皆さんの表情の素晴らしいこと、好きなことに情熱を注ぎ込めるなんて本当に幸せな人たちだなと思うと、私もお裾分けを頂いたような気分になった。viva「遊」!