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源氏物語千年紀と大塚ひかり全訳「源氏物語」

2008-12-25 22:49:48 | 読書
今年も残り一週間を切った。この一年、源氏物語が一千年を迎えたとかで京都を中心にいろんな行事が催されたようである。私が嗜んでいる一弦琴にも源氏物語にゆかりのある「明石」という曲があり、私の演奏を公開しているので、興味を持たれる方はお立ち寄りあれ。

真鍋豊平が箏曲から採譜して一弦琴の演奏に仕立てたのである。身辺に不穏な動きを感じて自ら須磨に身を逃れたものの、光源氏はわび住まいに落ち着くことも出来ず、母方の縁者である明石入道の誘いに従って移った明石で明石の君と契る。やがて懐妊した明石の君を残してひとり都に戻るが、その間の光源氏の心情をうたっている。

ところで源氏物語が一千年を迎えたと言われても、作品の成立時期すら分からないのにどのようにして年月を数えたのか疑問に思っていた。すると源氏物語千年紀委員会のホームページで《2008年(平成20年)は、源氏物語が記録のうえで確認されるときからちょうど一千年を迎えます。(紫式部日記の寛弘5年(1008年)11月1日の条には、「若紫」や「源氏」などの記述があり、この時点で源氏物語が読まれていたことが確認できます。)》と出ていたので、なるほど、とそれなりに納得した。

日本古典文学全集「和泉式部日記・紫式部日記・更級日記・讃岐典侍日記」(小学館刊)で調べてみると、確かに紫式部日記御五十日の祝い―十一月一日の項にその行がある。

   左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」
   と、うかがひたまふ。源氏にかかるべき人も見えたまはぬに、かのうへは、
   まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。(201ページ)

(訳)左衛門の督(かみ)が、「失礼ですが、このあたりに若紫はおいででしょうか」
   と、几帳の間からおのぞきになる。源氏物語にかかわりありそうなほどのお方も
   お見えにならないのに、ましてあの紫の上などがどうしてここにいらっしゃる
   ものですか、と思って、聞き流していた。

紫式部日記は寛弘5年(1008年)から三年間のことが記されており、初出の月日が七月十九日でその続きの十一月一日のことだから、この日(もちろん旧暦である)にすくなくとも源氏なる文言が出ていることは間違いなさそうである。それにしてもこのような記述を見つけて、それを源氏物語千年紀という発想につなげるなんて、知恵者はいるものである。

その千年紀にかこつけてであろうか源氏物語関連の出版物もよく目についた。書店によっては源氏物語コーナーを設けているところもある。そして最近私の目を引いたのが大塚ひかり全訳「源氏物語」(ちくま文庫)で、1桐壷~賢木、2花散里~少女の二冊がすでに刊行されていて、六冊で完結のようである。何が目を引いたかというとその帯の宣伝文句である。第一巻の帯は紛失してしまったが第二巻の帯の文言と似たようなものではなかったか。源氏物語は日本が世界に誇る文化遺産、古典文学であると奉っておけば波風は立たないが、一方ではエロ文学の極致との風評もあり、大塚ひかり訳はどうもこの路線にあるようなので好奇心がそそられたのである。



この文庫本では現代語訳が一区切りしたところで「ひかりナビ」と称する解説文の続くのが特徴になっている。たとえば桐壷の冒頭に続く「ひかりナビ」では、《女は、ミカドの「寵愛ゆえに」、他の女御・更衣ににらまれる。当然です。ミカドの子を生んでなんぼ、愛されてなんぼ、いわば「セックス政治」が行われていた当時、「性愛」のもつ意味はとてつもなく重いからです。》などの説明が出てくる。しかし現代訳はあからさまに表現しない原文の持ち味を生かしたものになっている。内容はエロいのかもしれないが、言葉に振り回されることはなかろう。

(原)源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、
   え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやにはある。
   とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげ
   にて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。

(訳)"源氏の君”は、ミカドのおそばを離れることはないので、ミカドがたまに
   お通いのお妃はもちろん、ましてしげしげとお通いになるお妃は、君に対し
   て恥じらってばかりもいられません。いずれのお方も、自分が人に劣ってい
   ようと思うはずはありません。それぞれにとてもお綺麗なのですが、いささか
   お年を召している中で、この藤壺はとても若くて愛らしく、一生懸命、
   源氏の君からかくれるものの、君はしぜんとお姿をかいま見てしまいます。

瀬戸内寂聴さんの現代訳をややくだいたような感じできわめて素直である。これなら「ひかりナビ」を楽しみながら一週間に一帖進めば、ほぼ一年間で全五十四帖を読み上げることが出来そうである。ちなみに大塚ひかりさんは女性である。

ところがクリスマスプレゼントではないが昨日届けられた源氏物語は一風変わっていた。上の部分を次のように訳しているのである。

   源氏の君が帝のまわりから離れないことを しょっ中 帝の寝所に通い
   Hしに行く女御・更衣はなおさら恥ずかしがってはいられない
   どの女御・更衣も 私は他の人に劣っているのでは などと思っている
   だろうか それはないだろう 女御・更衣それぞれに 大変すばらし
   かったが いい加減老けて大人になっているところに すごく若く
   かわいげで しきりと 素肌を見せないようにしているが 自然と
   漏れてくるものを見る(父と藤壺の性行為も自然と漏れてくるものを
   見る)

確かにその通りなのだろうが「Hしに行く」とまで書いては身も蓋もない。幼児が「うんこおしっこ」と大声をあげているようなものである。また源氏の君が桐壷帝から離れずに御簾のなかまで入っていくのだから、几帳のはずれや隙間からなにかが漏れ出ても不思議ではない。その気になれば「漏り見たてまつる」がああにもこうにも読み取れるのである。これはこれで面白いが、好みに合う人も合わない人もいるだろう。

実はこれはマンガ本で、必然的に絵が(私の感覚では)きわめて過激なのである。想像力の欠如した人間の増えている世相を反映してか、言葉がより直截かつ明確になる分、ますます想像力の出番を奪ってしまう、そういう作品である。あるマンガ作者が大塚ひかりさんと文庫本に付いてくる「源氏物語新聞」上で対談しており、それに触発されてこの作者のマンガ本を取り寄せたが、少々の想像力が残っておりそうな私にはそこまで描いていただかなくても、の代物であった。ふとこれを種本にした生徒に解釈のぜひを問われて立ち往生する国語の教師を想像してしまった。挑発の片棒を担ぎたくないので表紙の一部だけをお目にかけるが、ぜひにと仰る方は自力で見つけ出していただきたい。



お口直しには次の源氏物語絵詞がよい。



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