韓国・朝鮮語(=韓国語)の勉強で週一回教室に通い始めてかれこれ三ヶ月になる。月曜日は振替休日によく引っかかるので休みが多く、まだ8回目かが昨日で終わったら、次は来年一月十九日までほぼ一ヶ月の間が空く。何もしなければその頃にはせっかく覚えたことをすっかり忘れてしまいそうである。そこで読みかけて中断していた蓮池薫さんの書いた「蓮池流韓国語入門」(文春新書)を再び取り出した。韓国語を習い始めて間もなくこの本が出たので直ぐに買ったのであるが、普通の教科書のような書き方ではなく、蓮池さんなりに構成を考えて話を進めているのだろうが、全くの初心者には話題の選び方が散漫に感じられて、その時は集中できなかった本なのである。

久しぶりにこの本をあらためて読み返すと、なんとなんと、教室で先生の話を聞いていてわかりにくかった内容がちゃんと要領よく書かれていて、今度はとても読みやすいのである。この年末年始、蓮池さんの本でしっかりと勉強することにした。
私の韓国語の先生は在日韓国人で、子供の頃からずーっと日本語で育ち、大学で朝鮮語を習い始めた方である。そういう意味では日本人が韓国語を習い始めるときに遭遇する難しさや、また逆に漢字文化で育った日本人ならではの特徴を生かした学び方をよくご存じだと言える。韓国語への入り方として蓮池さんとも共通のところがあって、だから話の進め方がお二人で似通っているのかも知れない。それはともかく、一回九十分授業が八回として七百二十分、せいぜい十二時間の勉強でハングル文字の全てにお目にかかって、一応は読めるようになったのだから大したものであると、まずは自信を持つことにした。
授業が終わるのが正午、それからいつも先生を交えて五、六人で近くの韓国家庭料理の店に出かける。テール、たら、いわし、すじ、もつなど何種類ものスープ定食があって、どれもこれもみな美味しい。昨日はたまたまアワビ粥定食が一人前だけ残っていて、皆さんが私に譲って下さった。かってソウルの街を歩き回っていた時に、たまたま見つけて入ったお店でのアワビ粥の美味しかったこと、それを思い出して注文したのである。スープの味が控えめだったのでキムチをほどほど入れたらなかなかの味になり、身体の芯から温まった。
このお店の名前が「すっからちょっから」で、最初の頃はなかなか覚えられなかった。意味がわからないので、ただの呪文のように覚えるしかなかったからである。ところが授業がすすんで「すっから」とはスプーンのこと、「ちょっから」とはお箸のことと文字も一緒に習ってからは、もう迷わずに「すっからちょっから」と言えるようになった。携帯なのでピンぼけ写真になったが、アワビ粥の右側に見えるのがステンレス製の「すっから」と「ちょっから」である。これが店の名前の起こりであった。年が明けてから一夜、懇親会で昼間にはない料理を楽しむことになっている。


久しぶりにこの本をあらためて読み返すと、なんとなんと、教室で先生の話を聞いていてわかりにくかった内容がちゃんと要領よく書かれていて、今度はとても読みやすいのである。この年末年始、蓮池さんの本でしっかりと勉強することにした。
私の韓国語の先生は在日韓国人で、子供の頃からずーっと日本語で育ち、大学で朝鮮語を習い始めた方である。そういう意味では日本人が韓国語を習い始めるときに遭遇する難しさや、また逆に漢字文化で育った日本人ならではの特徴を生かした学び方をよくご存じだと言える。韓国語への入り方として蓮池さんとも共通のところがあって、だから話の進め方がお二人で似通っているのかも知れない。それはともかく、一回九十分授業が八回として七百二十分、せいぜい十二時間の勉強でハングル文字の全てにお目にかかって、一応は読めるようになったのだから大したものであると、まずは自信を持つことにした。
授業が終わるのが正午、それからいつも先生を交えて五、六人で近くの韓国家庭料理の店に出かける。テール、たら、いわし、すじ、もつなど何種類ものスープ定食があって、どれもこれもみな美味しい。昨日はたまたまアワビ粥定食が一人前だけ残っていて、皆さんが私に譲って下さった。かってソウルの街を歩き回っていた時に、たまたま見つけて入ったお店でのアワビ粥の美味しかったこと、それを思い出して注文したのである。スープの味が控えめだったのでキムチをほどほど入れたらなかなかの味になり、身体の芯から温まった。
このお店の名前が「すっからちょっから」で、最初の頃はなかなか覚えられなかった。意味がわからないので、ただの呪文のように覚えるしかなかったからである。ところが授業がすすんで「すっから」とはスプーンのこと、「ちょっから」とはお箸のことと文字も一緒に習ってからは、もう迷わずに「すっからちょっから」と言えるようになった。携帯なのでピンぼけ写真になったが、アワビ粥の右側に見えるのがステンレス製の「すっから」と「ちょっから」である。これが店の名前の起こりであった。年が明けてから一夜、懇親会で昼間にはない料理を楽しむことになっている。
