書棚の整理をしていると買ったままの高見順著「敗戦日記」(中公文庫)が出て来た。ふと読み始めたら途中で止めることが出来なかった。『鎌倉文士』の一人、高見順が日本が戦争に負けた昭和二十年の元旦から大晦日に至る一年間の出来事を実に克明に記録しているのである。臨場感が強烈で今一歩家の外に出たらその世界に入り込んでいくかのような気になった。
高見順の世間を見る目がとてもまともなことに深い感銘を受けた。自分の目でものごとを見て自分の頭で考える、それが出来にくいご時世にもかかわらず、それを当たり前の如くにやり遂げた精神の強靱さに感動した。まさにここに日本男児あり、である。
日本人であるということはどういうことなのか。高見順の知性と感性に触れればいい。私はそれを特に成人前の高校生に体験させたく思った。出来る限り多くの高校生にこの「敗戦日記」を読んで貰って、世の中には見習うべき人間がちゃんと居ることの素晴らしさを味わって欲しいと思った。
引用が多くなりすぎたが、ほんとうは全部を書き写したいぐらいである。高見順が記録として書き記した資料がまた貴重である。私の主観による選択ではあるが以下の限られた引用からこの文庫本を読んでみようとする方が一人でも多くおられたらと思う。
蛇足とも言うべき■で始まる私のコメントは最小限に差し控えた。
二月十九日
敵の対日処理案が新聞に発表された。一月中旬に開催された太平洋問題調査会第九回大会で反枢軸十二カ国の民間代表が意見一致したという決議の内容
一、日本の全面的占領
一、国体の変革
一、戦争責任者の処罰
一、米政府の企図する政府の樹立
一、全面的武装解除並びに民間航空の廃止
一、軍需工場の完全破壊と経済的武装解除
一、黒龍会の如き結社の廃止
一、日本国民の再教育
一、カイロ宣言に基く日本帝国の分割
一、商品による賠償
■このような内容を新聞が報じたこと自体、政府の意向が働いているのか。
二月二十七日
三壺堂の客の噂話を聞いていると、二十五日の猛爆で罹災者が十万人出たという。(はじめ一万人の間違いではないかと思った)
日比谷から大塚行きの電車に乗った。神田橋へ出て驚いた。あたり一体、惨憺たる焼け野原でまだ煙のあがっているところもある。
焼跡で何かしている罹災民たちは、恐らくそれしかないのであろう、汚れた着物を着て、いずれも青い顔をしていた。だが、男も女も、老いも若きも、何かけなげに立ち働いている。打ちのめされた感じではない。そうした日本庶民の姿は、手を合わせたいほどのけなげさ、立派さだった。しかし私は大急ぎで逃げるように焼跡をはなれた。
家に帰ると新聞が来ている。東京の悲劇に関して沈黙を守っている新聞に対して、言いようのない憤りを覚えた。何のための新聞か、そして、その沈黙は、そのことに関してのみではない。
防諜関係や何かで、発表できないのであろうことはわかるが、―国民を欺かなくてもよろしい。
国民を信用しないで、いいのだろうか。あの、焼け跡で涙ひつつ見せず雄々しくけなげに立ち働いている国民を。
■日本庶民のけだかさ、立派さ。今も失われていない。
三月十二日(三月十日の大空襲の後初めての上京)
○罹災民は二百万人に達しているだろうという街の噂だ。罹災家屋ぬ十五万という。
三月十九日
国民学校初等科を除き学校の授業が全部停止となった。
■私は国民学校五年生。勉強させて貰っていたのだ。
六月二十五日
ラジオの大本営発表で沖縄の玉砕を知る。玉砕―もはやこの言葉は使わないのである。(注=「玉砕」のかわりに「最後の攻撃を実施せり」)
牛島最高指揮官の決別の辞、心をえぐる。
七月二十二日
新聞が二日分一度に来た。
二十二日の投書欄に次のような言葉がある。
歯の浮く文字
▽報道陣や指導者にお願ひがある。「神機来る」「待望の決戦」「鉄壁の要塞」「敵の補給線」等々、何たる我田引水の言であろう。かかる負け惜しみは止めてもらいたい。もうこんな表現は見るのも聞くのも嫌だ。俺たちはどんな最悪の場合でも動ぜぬ決意をもって日々やってゐる。も早俺たちを安心させるやうな(その実反対の効果を生む)言葉は止めてくれ。
(中略)
政治家達も闘へ
▽日本が勝つために我々は永い間困苦に耐へてきた。これから先もどこまでも耐へていく決意をきめてゐる。それにつけても情けないのは日本の政治家が日本人らしくないことだ。食糧事情において兵器事情において誰一人として出来なかったことの責任に日本人らしく腹を切った政治家がゐないではないか。「私はかく思ふ」「切望する」「考慮している」等々、後難除けの言葉は決まってゐる。政治家も日本人らしく闘ってくれ。
■投書を装う新聞社の主張であって欲しい。政治家の責任という発想が存在したこと自体注目に値する。
八月二日
一日の大本営発表が新聞に載っているが、発表の最初に「戦備は着々強化せられあり」とある。それについて毎日が「軍に毅然・大方針あり」と提灯記事を書いている。昨日は読売が同種の記事を掲げていたが。―ところが毎日は提灯記事の隣に社説を掲げている。「民意を伸張せしめよ」「知る者は騒がぬ」ひかえ目ながらここで注文をだしている。国民はもはや、提灯記事、気休め記事は読まぬのである。
心、物量に勝てり 敵は狙ふ我精神
大出血に畏怖、謀略に躍起
崩すな国内団結力(読売新聞八月一日、記事の見出し)
■十一月十三日の読売新聞と見比べるといい。
八月十一日
それにしては、陸相の布告は何事か。
全軍将兵に告ぐ
ソ聯遂に鋒を執って皇国に冠す
名分如何に粉飾すと雖も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり
事ここに至る又何をか言はん、断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ
仮令草を喰み土を囓り野に伏するとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず
是即ち七生報国、「我れ一人生きてありせば」てふ楠公救国の精神なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜敵を撃滅せる闘魂なり
全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし
昭和二十年八月十日 陸 軍 大 臣
「―何をか言はん」とは、全く何かを言わんやだ。国民の方で指導側に言いたい言葉であって、指導側でいうべき言葉ではないだろう。かかる状態に至ったのは、何も敵のせいのみではない。指導側の無策無能からもきているのだ。しかるにその自らの無策無能を棚に挙げて「何をか言はん」とは。嗚呼かかる軍部が国をこの破滅に陥れたのである。
■日本人の多くが心の底にこの思いを抱き続けて日本人自身が『国家破壊者』を告発し責任者の断罪を下すべきであった。まだ行われていない。
八月十六日
家に帰ると新聞が来ていた。阿南陸相自刃。読売記事中に「支那事変勃発以来八年間に国務大臣として責任を感じて自刃した唯一の人である」と書いてある。背後に皮肉が感じられる。
八月十八日
今までの恐るべき軍万能は、ほんとうの健全なデモクラシーが将来、日本に生かされるようになった暁は、現実にあったものとしては想像もされないようなものにちがいない。かかる圧政の下に私等は生きてきたのである。
作家が恋愛を書くことを禁じられた、そういう時代があったのである。
八月十九日
新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。
敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥。
■朝日、毎日、読売など、その同じ新聞が今も数百万分の発行部数を誇っている摩訶不思議をいつも念頭に置いておこう。
八月二十九日
東京新聞にこんな広告(注=特殊慰安施設協会の名で「職員事務員募集」の広告)が出ている。占領軍相手の「特殊慰安施設」なのだろう。今君の話では、接客婦千名を募ったところ四千名の応募者があって係員を「憤慨」させたという。今に路上で「ヘイ」とか「コム・オン」とかいう日本男女が出てくるだろう。
九月十二日
(読売新聞)
東条大将自決
聯合軍側からの抑留命令直後
昨午後自邸で拳銃で危篤
期するところがあって今まで自決しなかったのならば、なぜ忍び難きを忍んで連行されなかったのだろう。なぜ今になって慌てて取り乱して自殺したりするのだろう。そのくらいなら、御詔勅のあった日に自決すべきだ。生きていたくらいなら裁判に立って所信を述べるべきだ。
醜態この上なし。しかも取り乱して死にそこなっている。恥の上塗り。
大本営発表が明日限り廃止される。
■全く同感。後知恵でなくその場でこう言えた高見順はやはり凄い。
九月十四日
杉山元帥自決。夫人も殉死。
九月十五日
小泉元厚相と橋田元文相とが自殺した。橋田氏の自決はいたましい。
■それぞれの遺書にどのような心情が記されているのか・・・
九月十六日
太平洋米軍司令部の発表になる「比島に於ける日本兵の残虐行為」が新聞に出ている。一読まことに慄然たるものがある。
ところで、残虐ということをいったら焼夷弾による都市住民の大量虐殺も残虐極まりないものである。原子爆弾の残虐はいうをまたない。しかし、戦勝国の残虐は問題にされないで、戦敗国の残虐のみ指弾される。
■そして日本人はますます去勢されてしまった。
九月十九日
外相更迭。田中静壱大将自決。
九月二十九日
天皇陛下がマッカーサー元帥と並んで立っておられる写真が新聞に載っている。かかる写真はまことに古今未曾有のことである。将来は、何でもない普通のことになるかもしれないが、今は、―今までの「常識」からすると大変なことである。日本国民は挙げて驚いているであろう。後世になると、かかる驚きというものは不可解とせられるに至るであろうが、そうして古今未曾有と驚いたということを小渡ろぅで有ろうが、それ故かえって今日の驚きは特筆に値する。
■さて、この記述にあなたの反応は?
十月五日
西川光君と同社。『ライフ』のムッソリーニの死体写真を見せてくれた。情婦と共に逆さにつるされている。見るに忍びない残虐さだ。(中略)
日本国民の東条首相にへの憤激は、イタリア国民のムッソリーニへのそれに決して劣るものではないと思われる。しかし日本国民は東条首相を私邸からひきずり出してこうした私刑を加えようとはしない。
日本人はある点、去勢されているのだ。恐怖政治ですっかり小羊の如くおとなしい。怒りを言葉や行動に積極的に現し得ない、無気力、無力の人間にさせられているところもあるのだ。
■それでも昔の日本人は政治家の私邸を焼き討ちするぐらいの元気はまだ持ち合わせていた。
十月十九日
「武蔵」「大和」の写真がはじめて公表された。消失してから初めてその正体が国民に知らされたわけである。
■そして今日五月七日で映画で使われた戦艦大和のロケ・セットの公開終了とか。
十一月七日
○新聞が国民に向かって、戦時中の新聞の犯した罪に対してあやまるところがなくねはならぬと感じたのは、終戦直後のことであったが、忘れた頃になって、謝罪してくれる。(朝日新聞社説)
■今も昔も同じ。だって同じ新聞社だもの。
十一月十三日
昨日、読売の社説にローマ字採用論が出ていた。「漢字を廃止するとき、われわれの脳中に存在する封建意識の掃討が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである。文化国家の建設も民主政治の確立も漢字の廃止と簡単な音標文字(ローマ字)の採用に基づく国民知的水準の昂揚によって促進されねがならぬ。」(中略)
「民主主義」の名の下に、バカがいろいろ踊り出る。
■新聞社は変わり身のすばしこさこそ生き残る術。
十一月十四日
松坂屋の横にOasis of Ginzaと書いた派手な大看板が出ている。下にR.A.A.とある。Recreation & Amusement Associationの略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。(中略)
世界に一体このような例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を作るというような例が―。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされる支那人も、自ら支那女性を駆り立てて、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥ずかしい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなしうることではないか。
■このような鋭い指摘をした人が他にいるのだろうか。『慰安婦問題』は国内問題でもある。
十二月三日
「大変だ、大変だ」と号外売りが言っている。読売報知の号外であった。
梨本宮、平沼、広田元首相ら
五十九名に逮捕令下る
戦争犯罪容疑者として
十二月七日
近衛公、木戸侯ほか九氏に逮捕命令下る。
十二月十七日
近衛公、荻外荘で自殺。
■国民に謝罪するとの意志を明瞭に示して自決した政治家・軍人が全体で何人ぐらいいたのだろう。意志はいざ知らず、この日記に記された自決者を青文字で示したが余りにも少なすぎるのではないか。
この時代に日本全国でも一握りの存在でしかなかった『小説家』のさらにその一部に過ぎない『鎌倉文士』、そのなかでも高見順は希有の存在であったのかもしれない。「敗戦日記」を通して選り抜かれた日本人の『知性と感性』に接することができる感動を若い人々と共にしたいものである。