日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「上海バンスキング」の原作者が・・・

2006-05-15 19:45:17 | 音楽・美術

テレビから流れるノスタルジックなジャズの歌声、けだるそうな歌唱が余計に現実には経験したこともない世界への郷愁を誘う。母の胎内で微睡んでいるかのような気分である。これが吉田日出子の歌の聴き始めであった。LPが出ているらしい。さっそくレコード店へ駆けつて「上海バンスキング★吉田日出子・ファースト」を手にした。もうかれこれ四半世紀前になる。

「上海バンスキング」は戦前、戦中にかけての上海を舞台にした日本から脱出したジャズメンたちの物語である。「オンシアター自由劇場」が舞台で上演し、その際に役者が劇中音楽を実際に演奏して歌いかつ踊る。ところが楽器を扱った役者のほとんどが正規の音楽教育をうけたことがなく楽譜も読めなかったのに、とにかく『銭』を取れる程まで腕を上げた、ということも大いに話題になっていたのである。劇中音楽のサウンドトラック版がこのLPであった。

自由劇場は1996年に解散したがそのホームページは残っている。
それによると「上海バンスキング」の初演は1979年1月25日である。評判が高まるにつれて、であろう、1994年のラスト公演まで九回も断続的に公演を行い、何回か日本全国を巡演して廻っている。

私が観たのは1983年6月4日(土)京都府立勤労会館の舞台である。1985年には機会があって中国を訪れた際に、そのモデルとか言われていた上海の和平飯店でジャズバンドのライブを同行者数人と楽しみ、「Side by side」をリクエストした覚えがある。

自由劇団の面々が1983年8月に船で上海へ航海し、上海では船上でコンサートを開いたとのことであるが、その時には和平飯店でも演奏したのかどうか、分からない。この上海行きを記念して帰国後すぐに録音したという二枚目のLPも私はちゃっかり買い込んだ。



今頃何故そのような古い話を持ち出したのか。既に二回取り上げた斉藤憐著「ジャズで踊ってリキュルで更けて」(岩波書店)に次のような行(くだり)を見付けたのである。

《オン・シアター自由劇場で上演した『上海バンスキング』が、文学報告会の会長の名を冠した岸田国士戯曲賞を頂いたときのパーティーで、乾杯の音頭を服部良一さんにお願いした。
 劇中、ダンスホールにやって来た軍人から「海ゆかば」のリクエストが来て、しぶしぶ演奏をはじめるが、途中からリズムが変わり、ジャズになるシーンがある。これは戦争末期の上海で服部良一が、滝廉太郎の「荒城の月」をジャズにアレンジして、「これは日本の歌です」とぬけぬけと演奏したというエピソードから発想した場面だった。》

なんと西条八十との関わりでその名前を知った斉藤憐氏が「上海バンスキング」の原作者だったのである。氏が女性なら、昔の恋人に出逢ったような、と表現するところだ。Amazon.comで調べてみると斉藤憐氏には著書も多く、劇作家で(も)あることが分かった。

 "ピンカートンの息子たち―昭和不良伝"
 "昭和不良伝―越境する女たち篇"
 "昭和のバンスキングたち―ジャズ・港・放蕩"
 "サロメの純情―浅草オペラ事始"
 "東京行進曲"
 "カナリア―西条八十物語"

などが面白そうなのでさっそく注文をした。

戦前の、それも1930年代から40年代にかけての日本人の生活を描くことで私のノスタルジアを満たしてくれていた久世光彦氏が逝き斉藤憐氏を知るの思いである。