日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「君が代」は天ちゃんのうた・・・(改訂版)

2006-05-27 09:06:09 | 社会・政治
国民学校一年生で「日の丸の旗」の歌を習った。

♪白地に赤く 日の丸染めて
 ああうつくしい 日本の旗は

戦中の朝鮮である。四方拝、紀元節、天長節、明治節などの祝日に旗竿の先端に金珠を取り付け、日の丸を結びつけて門柱に掲げる、いわゆる国旗掲揚は、どこの家でもやっている決まり事であった。

学校では式典があった。現在のようにまるまるお休みというわけではない。そのかわり紅白のお饅頭を貰った記憶もある。式場では姿勢を正し、国歌「君が代」と四大節それぞれの祝典歌を斉唱した。

 ♪年の始めの 例(ためし)とて
  終わりなき世の めでたさを (一月一日)

 ♪雲に聳ゆる高千穂の
  高根おろしに草も木も (紀元節)

 ♪今日の吉き日は 大君の
  うまれたまいし 吉き日なり (天長節)

 ♪アジアの東 日いずるところ
  聖(ひじり)の君の 現れまして (明治節)

これらの歌の一番は、今でも歌えてしまうから不思議である。
式典につきものの国旗と国歌は、別にそうと教えられたわけはないが、当たり前のこととして受け取っていた。

日本は戦争に破れはしたが『革命』が起きたわけではない。フランス革命でブルボン王朝が倒れたように、ソヴィエト政権にロマノフ王朝が取って代わられたように、またハプスブルグ帝国が崩壊したように、日本の皇室が消滅したわけではなかった。立憲君主制か象徴天皇かはともかく、「万世一系」の天皇が今も『新憲法』と皇居にご存在である。細かい論議はさておいて、敗戦にもよらず『国体』が維持されたことの証である。国旗と国歌も同じく、である。

戦後の一時期、国旗の掲揚は連合軍司令部により禁止されたが、昭和26年9月8日のサンフランシスコに於ける講和条約の調印後には官公庁などでまずこの禁止が解かれた。このように国旗そして国歌は戦前から連綿と存続し続けているのである。ところがどうしたことか、戦後、それもつい最近になって、平成11(1999)年8月13日に、「国旗は、日章旗とする」、「国歌は、君が代とする」と定めた「国旗及び国歌に関する法律」が公布、即施行された。

『当たり前』と戦前戦中のほとんどの日本国民がそう思っていたから、国旗・国歌をことさら『法律』で制定する必要もなかったと言える。慣習法でよかったのだ。それが何故戦後半世紀以上も経って、この法律が出来たのだろう。『当たり前』が慣習法として通用しにくくなったからだと思う。

たとえば日本共産党の「しんぶん赤旗」にはこのような一文がある(2005年3月3日)。

《<問い> 私たちは卒業式に「君が代」をうたわないことにしたいと考えていますが、そうすると、東京では、教師が処分をされると知って、悩んでいます。こんな強制はゆるされるのですか?(東京・高三)

<答え> 現在、国旗・国歌は法律で決められていますが、それは政府が公的な場で国旗・国歌を「国と国民の象徴」として用いることを意味するものです。国旗・国歌にたいする一人ひとりの態度については、いっさい強制しない、というのが民主主義の原則です

 日本には「思想・良心の自由」(第19条)「信教の自由」(同20条)をかかげる憲法があります。この憲法のもとで、「君が代」の意味が信条とあわないから歌いたくないという人や、強制が価値観とあわないという人に強制することは、あってはならないことです。(後略)》

何故「君が代」を歌わないことにしたいのか、理由が書かれていないので分からないが、歌詞が気に入らないのとでも言いたいのであろう。それで思い出したことがある。もう40年も昔のことになるが、大学研究室で新入り歓迎のコンパの席上だったと思うが、新入生の一人が「君が代」を歌い出したのである。

 ♪君が代は

まではふつう、ところがここで笠置シズ子歌うところの「東京ブギウギ」の節に急転した。

 ♪千代に八千代に
  さざれ石の 巌となりて ブギウギ
  ・・・・・・・
  天ちゃんの歌 苔のむすまで アッソゥ

で終わる。・・・・・・・がどうであったかは覚えていない。

予期もしない『珍事』に私は度肝を抜かれた。『忠君愛国』の軍国主義的といわれる教育を受けてきた我が身が、自律的に防御姿勢をとったようだ。「予科練」世代の先輩も憮然とした表情だったと思う。「君が代」談義が涌き上がったのかどうか、これも忘却の彼方であるが、後味のよい出来事ではなかった。

私より10歳近く年少のこの新入生は、徹底した戦後民主主義の教育を受けた世代なのだろうと思う。といっても『民主主義』の洗礼を受けたことのない教師自身が、何をどう教えたのか知らないが、多分大日本帝国時代批判が飯の種でもあったのであろう。彼が『君が代変奏曲』を教師から習ったとは思えないし思いたくないが、教育の成果でもある「君が代」を小馬鹿にする風潮が、このような『戯れ歌』の流行を助けたのであろう。

私の世代は戦争中に『忠君愛国』を説いた教師が、占領軍の指示のままに生徒に教科書のあちらこちらを墨で黒く塗りつぶさせ、その上『新憲法』を教えなければならなかった。教師の忸怩たる思いが生徒にも伝わったものである。それだけに教師も過去の『全否定』に走らない節度があったと思う。その節度から解放された『新教師』の言動が、「日章旗」と「君が代」を忌諱すべき大日本帝国の象徴として生徒の頭に植え込んだのではなかろうか。

中国や韓国で高まっている排日感情は学校教育のせいとも云われるが、日本国内での反「日章旗」、反「君が代」も同じようにわが国の学校教育の産物であろう。

共産党の「答え」に《「君が代」の意味が信条とあわないから歌いたくない》との文言があるが、多分上の『戯れ歌』のように、「君が代」は国民ではなく天皇の長寿をたたえる歌だから嫌だというようなことだろう。

私も「君が代」の本当の意味は知らない。教えて貰った覚えもない(正確に言えば、教えて貰ったかどうかの記憶がない、というべきだろう)。しかし私は「意味」で歌うのではなく「国歌という形」で歌っているのだ。そのように身体に染みついているだけのことである。

屁理屈を言えば、「さざれ石が巌」となるには何百万年かかるのか何億年かかるのか知れないが、それよりも長生きする生物がこの世にいるはずがない。それよりなにより「巌」が「さざれ石」になることはあり得ても、逆に「さざれ石」が「巌」になること自体、一般人の感覚では超自然現象である。私は「君が代」の意味がこのような非科学的な内容を含んでいるから反対だ、という意見はかって耳にしたことがない。多分科学的に荒唐無稽であるだけ逆に「比喩」として素直に受け取られているからだろう。

「さざれ石」が先か「巌」が先か、そんなことはどうでもいいように、「君が代」を「大君の寿命」ととるか「あなたの寿命」ととるのか、どうでもいいことである。というより「君が代」とは何かの唯一の答えはもともと存在しない。《答えが成立するときだけ問いも成立》とは「エピソードで読む西洋哲学史」で学んだばかりであるが、「君が代」の意味なんてあるようでないのである。国歌とは元来そのようなものだ。形さえあればいいのである。

「日章旗」が国旗で「君が代」が国歌であること、これは子供の時に躾けてしまえばいいこと、学校で教えるとかそんなことでもあるまい。そして日本の国旗・国歌と同様、世界の国々の国旗・国歌に敬意を払うことをも小さいときに躾けてしまえばいい。

いよいよサッカーのワールド・カップが始まる。出場国に限られるが国旗・国歌のオンパレードである。世の中のお父さんお母さん、あのような場所で国旗が掲揚され国歌が奏でられるときは、その場にいたら起立するんだよ、と子供に教えましょう。