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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

政党のマニフェスト 「最先端研究開発支援プログラム」応募者の提案書 追記有り

2009-08-01 23:29:09 | 学問・教育・研究
民主党と自民党の来たる衆院選に向けてのマニフェストが出揃った。有権者に気に入られるよう一生懸命なんだな、との思いは伝わってくる。いずれがアヤメかカキツバタ?、なんなら大連合ですべてを実現すればよいのに、と思ったりする。目立った違いは財源をどうするかで、民主党が消費税をはじめ増税には口をつぐみ、節約や埋蔵金など目先のことを強調するが、赤字国債発行の可能性をわざわざ政調会長が口にしたことが怪しい。その点、自民党が消費税の増税(とは明記していないが、自明の理と私は受け取る)を予告しているところがある意味では潔い。次の選挙で政権与党の座を譲り渡しそうな趨勢に、最後っ屁なのかどうか、国民が一番聞きたくないことを公約にうたったところは腰が据わっていてよい。



公約と言えば問題の2700億円プロジェクト「最先端研究開発支援プログラム」が動きだし、7月24日現在、「所定様式提出」による応募が565件あったようである。「自由様式提出」の締め切りが7月31日だから応募件数はさらに増えるだろう。この研究提案書は応募者のいわば公約であって、「3~5年間で世界トップの研究成果を達成」を約束するのである。この公約を文字どおり受け取ると、政党のマニフェストよりも厳しいことが要求されている。それにもかかわらずかくも多数の応募者とは、日本にもまだまだ自信満々の方が大勢おられることと喜ばしい限りである。ちなみに中心研究者を年齢別で見ると59歳以下が329名に対して、企業なら定年年齢の60歳以上が236名と6:4の割合で、そのうち70歳以上が27名である。高齢者のパワーを喜ぶよりは私は59歳以下の消極性がかえって気になる。それともこのプログラムは定年研究者のものと遠慮でもしたのか、または逆に突き放したのか、少々気がかりである。

もう一つ引っかかるのが科学技術振興機構の出した「「最先端研究開発支援プログラム」への期待」と参考資料「最先端研究開発支援プログラムで取組むことが期待される重要課題」の公表された時期である。「所定様式提出」締め切り後の7月28日付けで公表されている。「「最先端研究開発支援プログラム」への期待」の目次で明らかなように、応募者にとってきわめて重要な情報が含まれており、とくに3番目は参考資料でさらに詳細に説明されている。世間に公開されたのは7月28日でも、応募者に対しては前もって同じ内容が伝えられていたのだろうか。さもなければこの文書は後出しじゃんけんのようなもので、最初から分かっておれば、とくに基礎研究の領域で、申請を断念する応募者も結構多かったかも知れないからである。もっともかねてから日本学術振興会による「重視すべき研究領域・研究課題」などが公表されているので、応募者はそれを参考にしたのだろうか。

1.最先端研究開発支援プログラムへの期待
2.重要課題の基本的考え方
3.最先端研究開発支援プログラムで取組むことが
   期待される重要課題
4.最先端研究開発支援プログラムの実施に当たって
   の希望

「3~5年間で世界トップの研究成果を達成」できるような研究と言えば、数値目標を立てやすい技術開発のような応用領域に集中せざるを得ないのではなかろうかと思う。私が現役時代に科学研究費の申請をよく「試験研究」のカテゴリーで行った。それはこのような性能の世界にまたと例を見ない測定装置をいついつまでに開発する、ときわめて具体的に書けばそれでよかったからである。達成目標がはっきりしているので、審査する側でもしやすかったのではなかろうか。おかげでもっぱら装置の開発で研究費を稼いだ。この測定装置はあくまでも私にとっては研究手段である。従ってそれで実験を行い得た新知見を材料にして「一般研究」で申請をしたものである。「最先端研究開発支援プログラム」では必然的にこのような開発研究に重点が移ることだろうと思う。評価を下しやすいからである。研究課題のカテゴリー別で「基礎科学研究」が98件に留まっているのに対して、「出口を見据えた研究開発」467件がそれを物語っている。以前にも述べたが私は基礎科学研究者がこのようなプロジェクトに巻き込まれるべきではないと考えている。同じような考え方の現役研究者が大勢おられたようでご同慶の至りである。

ところで応募565件のすべての研究課題が公表されている。「自由様式提出」でさらに応募件数が増えるだろうが、そのなかからほぼ30件に絞っていくのは至難の業であろう。書面審査から始まりヒアリングも含めてその審査日程も公表されている。565件にまず目を向けると研究課題のあまりの広がりには圧倒される。私なら不真面目にもまず研究課題の文字数の少ないものからピックアップしそうである。暇にまかせて数えてみると、一番文字数の少ないテーマは5文字で、15文字までが47件、16文字以上20文字までが49件、あわせて96件となるから、100件ほどに絞るのにはちょうど都合がよい。不真面目と言ったが、ダラダラと文字を並べるのは応募者自身が研究の本質を掴んでいない、と判断することも出来るのである。

最先端研究開発支援ワーキングチームの構成員は公表されているし、そのワーキングチームは「中心研究者・研究課題選定における透明性確保」を標榜している。さらに「採択課題について、応募者名、課題名、課題概要及び採択理由」が、また「ワーキングチームにより中心研究者候補及び研究課題候補に選定されたが、不採択となった課題について、課題名及び不採択理由」が公表されることになっている。これは画期的な試みと評価出来るので、それに加えて、ワーキングチーム各構成員のたとえば上に述べたような作業の進め方に始まり、採択課題についての見解を是非公開すべきであると思う。芥川賞・直木賞の選者による選評がよい例である。それは構成員が真摯に職務を遂行したことの証となると同時に、外部から構成員に対する影響や干渉のへの疑惑を払拭させることにもなる。

景気対策の一翼を担うべく始まったこのプログラムが走り始めた以上、それなりに目につく成果に繋がってほしいと思う。その意味では応用的な研究開発に特化されるべきで、基礎科学研究者は巻き込まれるべきではないと思う。蓋を開けたら中心研究者の年齢分布がどうなるのか、興味津々である。

追記(8月2日) 民主党の衆院選マニフェストを伝えた7月28日朝日新聞朝刊第三面に、「民主党が政権を握った場合、まずは、09年度補正予算の執行を見直し、(後の部分は多分ミスプリで意味が通じない)」との記事が出ていた。毎日新聞は

 民主党は30日、衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ独自政策を実施する財源について、09年度補正予算(総額14兆円)の未執行分の執行を停止して賄う方針を固めた。マニフェストでは、政権獲得後の初年度に当たる2010年度予算で、子ども手当の半額(月1万3000円)支給や暫定税率廃止など7・1兆円分の独自政策を実施するとしている。同党は既に執行停止が可能な未執行分の精査を財務省などと進めており、7・1兆円のうち数兆円分が補正の執行停止で賄えると見込んでいる。【田中成之】

 執行停止の対象とするのは、大半が新設で「補正の規模を大きくするための手段」と民主党が批判してきた46の基金に積み上げられた4・4兆円をはじめ、独立行政法人などの官僚天下りの受け入れ先へ支出された3兆円、官公庁の施設整備費2・9兆円など。同党の政調幹部が現在、財務省、厚生労働省、農水省などに対し、補正予算の執行状況を照会し、未執行分の洗い出しを進めている。
(2009年7月31日 東京朝刊)

と伝えている。民主党がもし政権を取った場合に「最先端研究開発支援プログラム」の運命やいかに、である。私は事ここに至れば上に述べたように、基礎科学研究者を巻き込まずに応用的な研究開発に特化したプログラムとしての性格をより鮮明にして前進して欲しいと思う。民主党の科学立国に向けてのスタンスが問われることでもある。総選挙までの一ヶ月間、関係者のまさに政治的な動きが気になる。



「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」

2009-07-28 22:55:28 | 学問・教育・研究
鳩山由紀夫民主党代表が最近の講演で「総理大臣終えた後は政界引退を」と語ったことが話題になっている。余計なお節介と仰る総理大臣経験者もいるだろう。細川護熙元首相のように還暦を機に政界を引退した先達もいることだから、鳩山代表がそう思っているのなら不言実行をすればよいのに、なぜ早々とこのような話を持ち出したのか、私にはもうひとつピンと来ない。しかしこの話の対比で、定年を迎えた大学教授の身の処し方が念頭に浮かんだ。

大学にも定年がある。私の所属していた大学では事務職の定年が60歳で教育職は63歳であった。まあ標準的と言えよう。ところが昨今の63歳はまだまだ元気で、研究者ならなんとかして研究を続けていきたいと思うようである。そのための理由付けに、一例として昨年(平成20年)理論化学の研究で学士院賞・恩賜賞を受賞された諸熊奎治博士の「定年研究者のための研究費制度を」と題された提言がある。「化学と工業」(2007年11月号)に論説として掲載されている。

 日本では定年の直前まで世界の第一線で活躍していた研究者も、多くの場合定年とともに研究が全面的に停止する、いや停止せざるを得ない。昨日まで学会で目の覚めるような講演をしていたA 先生も突然学会から消えてしまった。世界のトップの引用数で知られていたB 先生も突然論文が出なくなった。本当にもったいないなと思う一流の研究者が突然研究の世界から立ち去っていく姿を沢山見てきた。あの頭脳はどこへ行ってしまったのか? それまで築き上げた研究のノウハウはどこに消えてしまったのか? 世界に誇ったあの実験設備はどうなってしまったのか?

その通りである。口幅ったい言いぐさながら、世界で何人かは私をそう思って下さったのではなかろうか。「世界に誇ったあの実験設備」もちゃんと嫁ぎ先に送り出したきたのである。この出出しにはじまり、諸熊博士は次のような具体的な提言をなさっている。

 定年研究者に特定した研究費の制度を作ることを提案したい。研究テーマは自由とするが、研究のレベルを世界的に一流に保つために審査は厳しくていい。期限は3~5 年として継続性を維持する。中間評価も厳密に行い、成果が上がっているものについては再応募を認める。研究費の額は希望のレベルによっていろいろあっていいと思うが、ポストドクを何人か雇え(定年前には研究の主力だった人件費不要の大学院学生がいないので、ポストドクが重要な役割を果たす)、必要な機器を購入できるのに充分な額とする。この研究費で大学等は研究代表者を有期限職員などとして雇うこととし、独立した自主性のある研究を保証するとともに間接経費によって研究場所や施設等を提供する。
(強調は筆者、以下同じ)

他の研究者との競合についてはこのように考えておられる。

 私がCREST に応募したとき、“定年に達した研究者は研究費の申請はしないのが常識だ”とか、“あなたが採用されたおかげで若い研究者の誰かが採用されなかったのだ”というような声を耳にした。この批判は的を射ていない。3 次にわたる科学技術基本計画などのおかげで、日本の研究費は充分とは言えないまでもかなり世界的水準に近くなっており、定年研究者のうちの少数に配分する研究費がないとは思えない。本来なら誰でも自由に競争できることが理想であろうが、現実の日本の問題としては、いろいろ条件の違う研究者を競合させない方がいいのではないか。

私が現役の最も脂ののっていた頃なら、ほぼ諸手を挙げてこの提言に賛成したことだろう。しかし諸熊博士も指摘されているように、現役時代の延長で定年後の研究環境を確保するのが不可能と覚った私は、潔く研究生活を離れて人生の方向転換をしようと心を定め、その通りの途を歩んできた。そして定年後10年は過ぎた今になって、私の判断は実に正しかったと思うし、その体験を通して諸熊博士の提言を見ると、自立できない定年研究者が大勢を占める日本で、このような制度がかりに出来たとしても、結局年寄りが若者を食い散らすだけのことになるのではないか、と思うのである。

ここで言う自立できない定年研究者とは、これまで以下のブログで折に触れて取り上げてきた『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』のなれの果てを指す。

論文に名を連ねる資格のない教授とは
実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む
ノーベル医学生理学賞が日本に来ないのはなぜ?

『自分で実験をしない、その実、実験をもはや出来なくなった教授』が若い研究者を使って論文作りをすることは、せめて現役教授でいるうちに留めるべきである。諸熊博士は最初の引用に続いてこのようにも言われている。

 長年外国にいてこのような例を何回も見ていると、日本は大変大きな損失をしているように見える。学会などで世界の研究者が集まるといつもこれが話題になり、“Japan is crazy.”という意見で一致する。団塊の世代の大量定年が始まった今、これだけ沢山の研究能力を無駄にしていたのでは、国家としての大損失である。定年後の意欲のある世界一流の研究者が活発な研究を継続できるメカニズムを国として早急に作る必要があると思う。

そうかも知れない。しかしこうした世界に少し距離を置いて外から眺めると、これは官僚の天下りを正当化するのと似た理屈にも受け取れる。官僚の古手も教授の古手も長年の体験で蓄積したノウハウの価値は計り知れないものがあるかもしれない。しかし本当に価値のあるノウハウなら後に続く現役世代がほったらかしにするはずがない。必ずや三顧の礼をもって教えを乞うであろう。その時はまさに恩返し、惜しみなくボランティアとして協力をすればよいのであって、定年者がリーダーなんかになる必要はさらさらないのである。

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。不治の病で余命何ヶ月を宣告されてどう生きるかと言うようなドラマに人気があるようだが、このようなドラマに目を奪われるより前に、自分が定年までどのように全力投球するか真剣に考えて自らが人生ドラマの主人公になればよいのである。

上に述べたボランティアではないが、定年後の研究者の能力を社会に役立たせる途はほかにいくらでもある。諸熊博士も述べておられるように政府や学界のいろいろな委員会で活躍するのも選択肢の一つである。科学の発展のために必要な人材を養成を始めとして、科学立国を目指しての必要な施策の立案など、要求されるのは現役時代の論文作りとはまた違った能力ではあるが、これこそ知識と経験の豊富な定年者に期待されるところであろうと思う。

もちろん自立したシニア研究者として歩む道も残しておいた方がよいかもしれない。その自立したシニア研究者として私が挙げる一例が1997年ノーベル化学賞をJ.Walker博士、J.Skou博士と共に受賞したP.Boyer博士である。ATP合成酵素の働きの本質である結合変換機構(回転説)の提唱がその対象となったが、1918年生まれのBoyer博士が1993年、75歳で専門誌に単独名で発表した論文が決め手となったのである。なんと立派なこと!大学の諸々の雑用から解放されてまさに自分の知的好奇心の赴くところの研究に没頭できるシニア研究者に研究環境が整備されるのなら、それは私も歓迎する。その研究環境ではシニア研究者一人に、もし希望があれば二、三人の研究補助員(テクニシャンとして訓練を受けた技術者が元来は一つの職業として成り立たなければならないと私は考える)がつく程度でよい。

上の引用の強調部分で明らかなように、諸熊博士さえポストドクを人件費不要の大学院生代わりとの発想をお持ちのように見受けられる。自立した定年研究者にポストドクの手助けは不要であるが、一人で淋しいのなら百歩譲って二、三人のポストドクとグループを組むことも、現実問題としてはあり得るかと思う。しかし実験の多くをポストドクに依存するようではシニア研究者の資格は無しである。ましてや研究室を始終留守にして外で油の行商に精を出すようなシニアは論外である。

「総理大臣終えた後は政界引退を」から話が飛んでしまったが、「末は博士か大臣か」とかっては人の口にもあがったように、学者も政治家も「乃公出でずんば」と気負うところでは共通点があるのかも知れない。「教授終えた後は・・・」の結論も、自ずから出てきそうである。



「最先端研究助成」2700億円の使い道に科学者の反応は?

2009-06-14 18:43:25 | 学問・教育・研究

昨日(6月13日)朝日朝刊の記事には驚いた。「最先端研究助成」2700億円の使い道に国民の智慧を拝借、というのである。開いた口がふさがらなかった。問題にするのは次の部分である。

 「世界トップ」の研究者30人(30課題)に総額2700億円を支援する「世界最先端研究支援強化プログラム」で、内閣府は12日、「科学技術で実現してほしいこと」の意見募集を始めた。研究費の支給対象を決める「参考」にする。

支援プログラムは公募で課題を募り、最終的に首相や科学技術担当相、学会や産業界の関係者らでつくる会議で選定される。野田大臣は「30人に(巨額の)資金が行くので、前提として国民の意思を聞きたい。将来の夢やロマンも価値基準のひとつ」と語った。

私は「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有りで、この2700億円の使い方に異議を唱えた。一部の科学研究者を「金まみれ」にすることが、ひいては日本の科学研究基盤を崩壊させかねないと思ったからである。一人当たり(平均)90億円にもなる大金を上手に使いこなせる器量のある科学者が、はたして日本にいるだろうか、とこの2700億円のばらまき方に疑問を覚えたことがその根底にある。今回の内閣府の企てはまさに私の疑問を裏付けるもので、「どう考えてもお金の使い方が分からないので、国民の皆様のお知恵を拝借させてください」と言っているように聞こえてくる。こんな馬鹿げたことがなんの衒いもなくまかり通るのは、この政治主導の「世界最先端研究支援強化プログラム」が根本において間違っているからで、それは科学技術研究の本質にまったく疎い政治家という素人が口を出したからであろう。

なるほど科学技術研究に巨大な予算を注ぎ込むことが、世界の歴史を変えた事例に事欠かない。もっとも著名なのは原子爆弾開発・製造にあたった「マンハッタン計画」である。長距離ミサイル発射実験用総合試験基地であるケープカナベラル基地に始まり、月飛行計画実現に向けて拡張されたケネディ宇宙センターの建設などもよく知られているが、一方、ペニシリンの発見に伴う実用化計画も国家的規模で遂行されている。これらは「ビッグ・サイエンス」の好例であるが、ではこのような「ビッグ・サイエンス」がある日忽然と出現したのかと言えば、決してそうではない。いかなる「ビッグ・サイエンス」もその源流は個々の科学者の日々の営みであるささやかな、しかし萌芽的な研究の「リトル・サイエンス」にあると言える。そしてこれらの「リトル・サイエンス」から「ビッグ・サイエンス」の移行はきわめて漸進的なものである、とイェール大学科学史教授であったデレック・J・ド・ソラ・プライス博士は下記の本で説いている。


私がここで強調したいのは「ビッグ・サイエンス」の出現には必然性があり、「リトル・サイエンス」の成熟・増殖がその基盤になる。卑近な例は山中伸弥京大教授のヒトiPS細胞作成に発する「iPS細胞再生医療の実現化」計画などが挙げられる。上記のプライス博士に従えば「iPS細胞研究」は指数的成長の時期に入ったと言えようが、いずれはロジスティック曲線で示される飽和成長の時期が先に待ち構えているはずである。このように新しい「ビッグ・サイエンス」の出現そして成長が「リトル・サイエンス」からの漸進的な移行であることを見抜けるのは訓練された科学者・技術者のみと断言してよかろう。それを知ってか知らずか、2700億円の使い道にある種の思いつきしか期待できそうもない「国民の意思を問う」とは、税金の無駄遣いを隠蔽するための国民への阿りに過ぎない。

しかし政府の施策に疑念を覚える一方で、安保闘争世代でもある私には、今の現役科学者の「音無の構え」が歯がゆいし不気味ですらある。自分たちが研究費稼ぎにあくせくする一方で、2700億円もの巨大な資金が政治家主導のばらまきに使われようとしていることに、何一つ矛盾を感じないのだろうか。日本学術会議会員が今もわが国の科学者の代表であるなら、科学者としての自覚に目覚めてそれなりの意見表明があってもしかるべきであると思うが、何も聞こえてこないのが不思議でもありまた淋しく感じる。また何事であれ率先して声をあげるべき若い科学者がただただ大人しいのも、「草食世代」のなせる技なのだろうか。

同じ日の朝日朝刊「私の視点」に奨学金返済について「滞納招く制度の不備正せ」との意見が寄せられていた。

現在、(大学院)博士課程修了後に正規の職につけず、身分や収入がともに不安定な非常勤講師やフリーターとして生活をする「高学歴ワーキングプア」が、数万人いるとされる。この状況の最大の理由は、国が設定した「91年度から10年間で大学院生を倍増する計画」にある。国の政策として大学院生の定員を増やしているのに、専任職のような「受け皿」自体が狭いままなのである。
 増えた大学院生の多くは奨学金貸与の恩恵を受ける。ところが、修了後の就職が困難であれば、その多くが返済に行き詰まるのは当然だろう。明らかに、これが「延滞債権額」増加の一因である。

私も大学院時代は奨学金の貸与を受け、博士課程修了後、1年半の浪人期間はあったものの教育職に就くことが出来て、所定の期間その職に従事したことで返還を免除された。今やこの免責条件を満たせない大学院修了者が激増しているのである。定職はなし借金の返済は急かされる。こういう人たちを救済するために問題の2700億円を当てることが、将来の「ビッグ・サオイエンス」を育てる効果的な道にもならないのだろうか。


「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有り

2009-05-28 21:05:36 | 学問・教育・研究

これは5月27日朝日朝刊の記事である。科学技術研究に大型予算とはご同慶の至りと申し上げたいが、今回ばかりは素直にその気になれない。というのもこの2700億円の出所がいわゆる景気対策のための15兆円の補正予算で一過性のもの、いわば科学技術界への一時定額給付金のようなものであるからだ。日本の科学技術研究基盤をどのように築いていくのか、国家の大計に基づいての予算計上ならともかく、どうも場当たり的なばらまきに終わりそうな予感がする。それでも科学界が潤えばよいではないかとの意見もありそうだが、週刊誌の新聞広告での見出しのようではあるが、「2700億円の最先端研究助成は日本の科学研究基盤を崩壊させる」とまで私は考えてしまうのである。

上の新聞報道では

 政府は09年度補正予算案に、最先端研究向けの研究助成費として過去最大規模の2700億円を盛り込んだ。文部科学省系の独立行政法人、日本学術振興会に創設する基金を通じ、首相が決めた30前後の研究に3~5年かけて配分する。

とある。「政府は09年度補正予算案に、最先端研究向けの研究助成費として過去最大規模の2700億円を盛り込んだ」ことと、「首相が決めた30前後の研究に3~5年かけて配分する」の関係が明確でないので、2700億円を3~5年かけて配分するのかどうかが分からないが、一応今年度で2700億円規模とみることにする。

2700億円がどれほどのものかと言えば、次の科学研究費補助金の伸びのグラフを見れば分かるように、平成19年度の科研費1913億円を遙かに上回っている。これだけのものを一挙にぶちまけようというのだから大津波の襲来である。


この助成金の1件当たりの配分額は、最大30件(平成19年度の科研費の採択件数(新規+継続)56400件のかれこれ1900分の1)とすると90億円となり、私から見ると天文学的数字になる。このような大金を上手に使いこなせる器量のある科学者がはたして日本にいるのだろうか。何事も経験によって学ぶのが常で、お金の使い方も例外ではない。親の莫大な遺産を手にしたとか、事業で大もうけしたのなら自ずと学習の機会もあるだろうが、学者・科学者のなかにそれほどの金満家がいるとは私には思えない(おられたら失礼!)。金を使い慣れない人が大金を手にするとどうなるか。ついつい鷹揚になり無駄遣いを無駄遣いと思わない感覚が発達して金銭感覚が麻痺し、下手すると身を滅ぼしかねない。私がこのような口出しをす所以である。

大金を使いこなす度量が一人ひとりになくても、みんなで使えば怖くない、と群れを作る。いわゆる研究班である。ではどのような人が中心になるのだろう。この新聞記事にも「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」と出ているので、京都大学の山中伸弥さんのような方が浮かび上がってくる。すなわちそれぞれの研究分野で自他とも許す第一人者であり、世間にもそれと知られた名だたる方々ばかりであろう。隠れた逸材が下馬評に挙がり抜擢されるような柔軟性は残念ながら日本は持ち合わせていないと思うからである。となると当然このような第一人者は、これまでも比較的潤沢な研究費をあれやこれやの名目で獲得していることであろう。その人たちが屋上屋を重ねるような形でさらに突出した研究費を手に入れることになる。その限られた人々の周辺にお金がだぶつく状況が起きると、必ずや金銭的退廃が生じるだろうというのが私の懸念するところなのである。

このような「一時定額給付金」的科研費の氾濫が、科学研究者の金銭的モラルを大きく揺すり、ひいては科学研究基盤の崩壊をもたらすのではないかと恐れるあまりに、2700億円の別の使途を遅まきながら提案したい。学校耐震化費用に当てるのである。昨年末参議院予算委員会で民主党那谷屋正義議員が、定額給付金に使おうとしている2兆円があれば、学校耐震化の費用となる7000億円から8000億円が十分に賄え、おつりがくる、と主張している。それなら2700億とけちらずに7000億であれ8000億であれ予算に計上して、このさい思い切って学校の耐震化を一挙に推し進めるのである。このようなインフラ整備が、景気対策により直接的な効果を発揮することは疑いなかろう。このほかにも、たとえばポスドク活用策に振り向けるとか、「最先端研究助成」よりましな使途はいくらでも出てくると思う。たとえ一部の研究者であれ、金まみれ状況を作り出すことを許すのは愚の骨頂である。現行の「最先端研究助成」にそっぽを向くぐらいのやせ我慢の精神を現役の方々に期待したいが、酷というものだろうか。

追記(5月29日)
文部科学省による平成21年度補正予算(案)の概要を見つけた。学校耐震化の早期推進、太陽光パネルをはじめとしたエコ改修の拡大に2794億円の予算が計上されており、これで耐震化がかなり大幅に進められそうなので一応安堵した。一方、高度な専門的能力・知識をもつポスドクの産業界での積極的活用を含む成長力強化のための高度人材の活用に17億円が計上されているが、これではいかにも少ない。博士浪人問題を一挙に解消するために、たとえば企業への持参金を考えるとすると、1000億円もいらないのではないかと想像する。もちろんお金だけで片付く問題ではないが、問題解決の突破口になることは疑いなかろう。

東北大院生自殺 「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか?

2009-05-14 09:54:10 | 学問・教育・研究
東北大学の地元紙である河北新報はこの事件を次のように伝えている。

東北大、院生自殺「指導に過失」 准教授が論文差し戻す

 東北大は13日、大学院理学研究科の男性大学院生=当時(29)=が、指導教官の男性准教授(52)から論文を差し戻された後の昨年8月、自殺していたことを明らかにした。東北大は「教員の指導に過失があり、自殺の要因となった」とする調査報告書を取りまとめた。准教授は辞職したが、大学側は近く懲戒処分を決める。

 東北大によると、准教授は2006年、大学院生が博士号を取得するために執筆した論文について、データ収集が不十分だとして、提出を見送るよう指示。大学院生は07年12月に論文を再提出したが、准教授は十分に説明しないまま差し戻した。

 08年1月、大学院生の論文が科学雑誌の審査を通らなかった際も、具体的な指導をしなかった。

 大学院生の自殺後、父親から「教員の指導に問題があったのではないか」との訴えがあり、東北大が調査委員会を設置して内部調査を進めていた。(後略)
2009年05月13日水曜日

三件の事例を挙げているが、事の起こりは2006年、平成18年のことである。1年後の2007年、平成19年にも大学院生は指導教員に提出した論文を受け取って貰えなかった。ここで報じられた内容をみると、大学院生が指導教員からいわゆるアカデミック・ハラスメントを受けた可能性が考えられる。アカデミック・ハラスメントとはたとえばこのように定義されており、その強調部分(筆者)が当てはまると考えられるからである。

 当NPOでは、『研究教育の場における権力を利用した嫌がらせ』と定義しています。例えば、教員の場合では、上司にあたる講座教授からの研究妨害、昇任差別、退職勧奨。院生の場合では、指導教員からの退学・留年勧奨、指導拒否、学位論文の取得妨害など

東北大学では以前からハラスメント防止対策に取り組んでおり、東北大学大学院理学研究科・理学部のホームページから>在学生>ハラスメントへと、その取り組みを辿ることが出来る。さらに全学的な取り組みとして「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」を平成18年 1月25日 制定、平成18年 7月19日 改正、平成18年10月25日 改正という経過で公表している。この別紙2には「教育研究ハラスメントの事例」が詳しく挙げられており、一部を引用するが、そのいくつかが今回の事例にあてはまるように思われる。

(別紙2)教育研究ハラスメントの事例
(1)修学・教育上の権利の侵害
①教育的指導の不当な拒否及び放置
・求められた教育的指導を正当な理由なく拒否する。
・修学上必要な教育的関与を、修学に支障をきたす限度を超える期間にわたり一切行わない。
②修学上の不当な要求
・常識的に不可能な課題達成を強要する。
・長期にわたり休息不可能な、あるいは健康を害する可能性がある程度の努力の継続を強要する。
③学位取得論文の提出に研究科内での申し合わせ等による基準を著しく逸脱した条件の要求
・当該分野の学会誌等の査読付論文に関する基準を上回っていても学位論文の執筆をゆるさないと言う。
④自由な進路選択の侵害及びそのおびやかし
・学生に、他大学、他研究科、他研究室への進学や異動をゆるさないと発言する。あるいは、誓約を求める。
・個人の選択による就職先に対して不当な介入を行う。あるいは影響を与えるとおびやかしの発言をする。
⑤不当な評価及び発言
・成績の不当な評価を行う。あるいは評価に無関係なことがらを成績に結びつける発言をする。
・自分一人の権限の範囲外であるのにもかかわらず、自分が評価を左右するとのおびやかしの発言をする(“私が卒業させないぞ”など)。

ここで注目するのは、このガイドラインがまさに大学院生に対する「アカデミック・ハラスメント」とおぼしき行為がなされつつある時期に、やや先だって作成されていたことである。大学がこの取り決めをどのように構成員に周知徹底をはかったのかはわからないが、この「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」が大学院生、指導教員とその周辺にまったく伝わっていなかったとは考えにくい。さらに東北大学ハラスメント防止対策にも「あなたがハラスメントを受けたと思ったら」とか「自分の周りでハラスメントを受けている人がいたら」と構成員に呼びかけて、当事者がいかになすべきかきわめて適切な指示を与えている。

大学としてこれほどしっかりしたハラスメント防止対策を講じていたのに、なぜそれが役に立たなかったのだろうか。まずこの大学院生に自分が「アカデミック・ハラスメント」を受けているとの認識があったのかどうかである。上の新聞記事の報じている通りなら、当然本人にもその認識があってしかるべきである。では「部局相談窓口」なり「全学相談窓口」に本人から相談が寄せられたのだろうか。

大学院生にとっていわゆる博士論文の提出は大きな出来事である。本人はもちろん、まわりも固唾をのんで成り行きを見守っている(少なくとも私が大学院生であった頃はそうだった)。提出すべき時期になって指導教員からその指示がなかったら、これはおおごとである。本人はもちろん周りもその理由を知りたがるだろう。もし本人も周りも納得できなければ今は昔と大違い、ちゃんと苦情を申し立てる制度が完備しているのだから、そこに本人なり、また周りが相談をもちかければよいではないか、と思ってしまう。それなのに「窓口」に相談が寄せられなかったのだろうか。

上記河北新報によると

大学院生の自殺後、父親から「教員の指導に問題があったのではないか」との訴えがあり、東北大が調査委員会を設置して内部調査を進めていた。

ということで、もしこの通りだとすると、周りも無関心すぎると言える。これではいかによく考えられた「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」を作ったとしても、仏作って魂入れず、である。せっかくの「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか、東北大学の徹底した検証で問題の在りかを明らかにして、この対策が有効に働くよう努力すべきであろう。

最後に一言、この辺りの事情が明らかでない現状で、東北大学調査委員会の今回の結論を私は素直に受け取ることが出来ない。


不正科学論文摘発Gメンの出現?

2009-03-06 14:21:07 | 学問・教育・研究
政治の世界で「小沢一郎民主党代表公設第一秘書逮捕」という面白いニュースが飛び込んできたかと思うと、今度は科学の世界でも「疑惑の論文200本発見 米大が盗作探知プログラム開発」という不愉快(愉快?)なニュースが現れた。今日発行の科学誌「Science」からの記事らしい。

《チームは、米国立医学図書館が運営する医学・生命科学の論文データベースを対象に独自開発のプログラムを使って表現の相似性を調べ、著者が異なっていた約9千本を抽出。実際に論文を読んで212本を「盗作の可能性がある」と判断した。著者や掲載紙の編集者と連絡のとれた163本について電子メールでアンケートを行った。 》

《米テキサス大のチームが盗作が疑われる医学論文約200本を見つけ出し、著者や編集者に見解を問いただした。「盗作された側」は「露骨な盗作」とあきれかえるが、「盗作した側」は、「先に論文が出ていたとは知らなかった」と言い訳が目立った。こうした盗作の実態が明らかになるのは珍しい。》(asahi.com 2009年3月6日5時35分、前後順番をひっくり返して引用)

残念ながら私は原文にアクセス出来ないので内容について検討できないが、誰がどのような意図でこのような調査を行ったのだろう。新聞記事ではこの調査が引き金になってか46本の論文が取り下げられたとあるが、それだと不正科学論文摘発Gメンのような趣である。アメリカ人が大好きな「正義の騎士」気取りのような気もするが、それとももっともな大義名分があるのだろうか、知りたいものである。

このニュースで思うのだが、日本人の場合、分野によるが、まず日本語で論文を学会誌などに掲載し、さらにその英語版を別の学術誌に発表することが常態化していた。場合によればいくつかの邦文論文のデータを寄せ集めて一つの作品にすることもあったようだ。そして邦文論文も英語論文も業績としてカウントする。最近の事情は知らないが、日本独自の問題としてそれなりの合理的なルールがあってしかるべきだと思う。発表論文の言語が違うからと言って、データの融通、やりくりを繰り返すことに、何らかの歯止めがあってしかるべきだろう。

テキサス大のチームが論文での表現の相似性を調べたとのことであるが、私もかって経験した一例を費用効率ギネスブックものの研究で述べたことがある。論文のタイトルがきわめて似ていたのである。内容を検討すれば同じ概念にことなる手段で辿り着いたことは分かるが、邪推をしようと思えば出来ないわけでもない。

不正科学論文摘発Gメンがのさばることがないような研究環境の確立を現役の方は目指していただきたいものである。




元東大教授の懲戒解雇適法のニュースに思うこと

2009-01-30 15:22:16 | 学問・教育・研究
昨日(1月29日)、私の以前のブログ記事画期的な多比良和誠東大教授の懲戒解雇処分理由へのアクセスが急増した。もしやと思ったら、やはり裁判で争われていたこの問題に対して、東京地裁の判決が出たのであった。時事ドットコムは次のように伝えている。

《元東大教授の懲戒解雇適法=論文不正「信頼性に最終責任」-東京地裁

 リボ核酸(RNA)研究論文の不正疑惑で、東京大を懲戒解雇された多比良和誠元教授が、同大を相手取り、教授としての地位確認を求めた訴訟の判決で、東京地裁は29日、「不正が疑われる元助手の実験で確認を怠ったのは、研究者として考えられない態度だ」として請求を棄却した。
 中西茂裁判長は「責任著者は論文全体の信頼性について最終的な責任を負う」と指摘。多比良氏は実験や執筆を担当しておらず、解雇権の乱用だと訴えたが、「責任は著しく重く、懲戒解雇とした判断は相当」とした。》(2009/01/29-20:45)

東大が発表した懲戒解雇の理由は公開文書にあるが、次のように締めくくられている。

《責任著者としての同人の論文の作成・発表に関する行為と、研究室の最高責任者としての同人の助手等の指導監督や研究室の運営を巡る種々の怠慢は、直接・間接に本学における研究活動と科学の健全な発展をその本質において脅かす深刻な結果を招いた。》

私は上記のブログで次のように述べた。

《責任著者が、論文の科学的な信頼性について最も重い責任を負い、論文の発表に関する最大の権限を有する立場にある、との判断は実はまったく当たり前のことなのである。しかしこの正論が大学では通用してこなかった。》

そして

《このたびの東京大学の処分理由は、その正論を正義のよりどころとした点で画期的であると私は思う。ようやく当たり前のことが当たり前として通用するようになったのである。》と。

この当たり前のことが裁判所でも妥当と認められたことの意義はきわめて大きいと思う。大学の良識が世間の常識でもあったのである。しかしすべての大学でこの世間の常識が通用するかと言えば私はお寒い現状ではないかと推測する。たとえば大阪大学医学部論文捏造事件をご覧じろである。げすの勘ぐりをすれば、多比良氏が東大出身者ではなくいわばよそ者であることが東大の正論を勢いづかせたのに対して、阪大の場合は多比良氏と同じ立場の責任著者が阪大出身者であったことが、停職14日の軽い処分になったのではなかろうか。

東京地裁の請求棄却の判決に対して、朝日新聞は《多比良氏の弁護団は「科学研究の実態と大きく異なる判決で、到底納得できない。控訴を検討している」との談話を出した。》(asahi.com 2009年1月29日21時26分)と伝えている。「科学研究の実態と大きく異なる判決」が何を意味するのか確かめようがないが、これが私には「教授である以上、何をしようとしようまいと、研究室から出る論文に責任著者として名を連ねるのは誰でもやっていることではないか。そんな程度のことで責任だけを取らされてはたまったものではない」との居直りの弁のように聞こえてくる。もし居直ったのであれば、控訴審で弁護団が知り得た限りのこのような実例を明らかにするのも、「悪しき慣習」を一掃する切っ掛けになっていいかなと思ったりもする。

いずれにせよこの機会に「責任著者」の重みを研究者一同噛みしめていただきたいものである。


「研究室間格差」は大学が多すぎるから

2009-01-29 17:41:51 | 学問・教育・研究
夕べは久しぶりに研究室の後輩と出会って話をしているうちに、あれっ、なぜ仕事の話をしているんだろう、もう引退したはずだのに、と不思議に感じて、そうだこれは夢に違いない、と思った途端に夢から覚めた。昨夜寝る前に「5号館のつぶやき」さんの「研究室間格差」と、それに寄せられたコメントに目を通していて、なるほどなるほど、と頷いたりしていたものだから、それがどうも夢に繋がったらしい。何にどのように反応したのか、私はアカデミックな大学の数を大幅に減らせばよいとこれまでに述べてきているが、その考えと合いそうな箇所を取り上げてみる。前後のつながりをあえて無視してコメントの中身のみの引用であることをお断りする。

①《(ちゃんと研究室を選べるというのも実力のうちなのでしょうけれど)》(hanahiさん)

貧乏研究室で修士を2年、博士を5年も院生として苦労された方の体験談から出てきたコメントであるが、その通りだと思った。高校生の頃から大学の研究室で物理学を研究することに憧れて選んだ道を歩みたいのであれば、研究に支障を来すほどの貧乏研究室を選ぶべきではなかったのである。状況判断の誤りに気づくのが遅かったのが惜しまれる。

②《ラボが貧しく業績が出ないのはPIの能力不足でしょう。生き残れないPI,教授はこの世界から早々に御退散願い、かわりに若い人にチャンス(=独立支援と研究費援助)を与えた方がいいと思います。少なくとも国立理学あたりでは准教授、教授を全て任期制にして、一定の研究&教育業績を果たした者のみがlabを運営する資格を付与するのがいいでしょう。底辺層は一旦崩してしまい、能力と可能性のある若者に限られたパイを与えるのが科学の発展のために必要かと思います。》(yugo-yuzin-hanaさん)

このご意見に私は全面的に賛成である。

③《おっしゃることもわかりますが、競争的資金は応募者の20-30%しか当たりません。簡単な数字なのでおわかりいただけると思いますが、人を変えても事情は変わりません。》(stochinai管理人さん)

これもその通り。制度を変えないといけないのである。後ほどのコメントにも関連するが、私は真のアカデミズムを育むにしては今の大学が多すぎると思っている。最近では庭仕事から大学制度へ話が飛ぶでも述べたが、旧帝大を核にしてその倍ぐらいの大学をアカデミック大学として残し、そこでは以前は校費と言ったが基本経費を大幅に増額して、大型の装置でも買うのでなければそれだけで日常の研究活動を行えるようにするべきなのである。

④《私のところでは研究費は年間5万円の交通費のみです。その他はすべて私費です。科学研究費補助金などをとれればよいのですが,申請するにはある程度の研究成果が必要です。古株教員は景気の良い頃に購入した実験機器をもっていますが,私のような新参者は何から何まで私費なので限界があります。他大学に移るにしても実績を作ってからの話ですから,なかなか抜け出せません。格差の拡大を実感します。》(地方教員さん)

何をか言わんや、である。この方の頭の中にある「研究」がどういうものを指しているのか、私には見当がつかない。

⑤《それから、科研費についても、20?30%にしかでないというのは、20?30%のくらいしか、教育者として適任ではない、つまり、それ以外は若手を育ててほしくないので研究費はあげないという見方もできるのではないでしょうか。》(ななしさん)

「若手を育ててほしくない」のかどうかはともかく、この着眼点が秀逸。国としてはそれぐらいは出せるという現実はあるのだから、パイの取り分ではなく取り手を減らすのが研究の遂行に最も効果的であろう。

⑥《それから競争的研究費総額と想定採択率より、「研究者」総数が決まってくるはずなので、「合理的に」考えれば、現状維持であれば研究者数を減らす、あるいは総額を増やす・採択率を上げる(1件あたりの粒度が小さくなる)といった全体での整合性を保つ舵取りをおこなう必要があると思うのですが、現状はそのために文科省が市場原理っぽい仕組みを導入している最中なんでしょうか?》(個々の事例はともかくとしてさん)

「市場原理」が何を意味するのか少々分かりかねるが、この方の現実的な見方には賛成である。上にも述べたように、私は大学を淘汰して、すなわち研究者総数を大幅に減らして、その代わり全ての研究者が日常の研究活動を行える資金を恒常的に支給すればよいと考えている。研究者としての淘汰を早めに行って、三十歳ぐらいで第一関門を突破すれば毎年数百万円程度の研究費を支給し、10年ごとぐらいに適格審査を行えばよい。

⑦《研究者間の競争を活性化するという目的なのでしょうが、もともと一定の数の研究者は良い研究をすることにストイックなほど賭けているわけで、市場原理など持ち込まずとも切磋琢磨するんじゃないでしょうか。》(通行人さん)

まったくその通り。その一定数の研究者以外は要らない。

⑧《もう一つ、学生が教員の研究費獲得の影響を大きく受けるシステムはおかしいです。完全にはできないと思いますが、教育と研究の区別をもう少ししても良いのではと思います。》(かぴばらさん)

その通り。たとえば院生一人に年間経費として100万円がついて回るようにすればどうだろう。以前から研究室への予算配分に院生経費が頭数に応じて割り当てられていたと思うが、もう細かいことは覚えていない。これで自ずと院生と教師の関係もお互いをより認め合うことになることだろう。院生は教育を受ける権利があるのだ。そのために授業料を払い国がさらに後ろ盾になっていることを教員に悟らせることになってよい。

⑨《子どもの数が減ってるのに大学の数は大幅に増えたという背景がありますね。文科省も減らしたいと思ってることでしょう。合併するのがいいと思うんですけど、なかなか話が進まないので、じりじりとお金を減らす作戦をとって、つぶれるまで、我慢比べように待ってるんでしょうか。》(123さん)

その通り、兵糧攻めと積極的に受け取って、研究者は自分が生き残る術を身につけるべきなのである。しかし兵糧攻めで相手が潰れるのを待つのは為政者のすべきことではない。だからこそ大学制度の抜本的改革を急がねばならないのである。

⑩《科研費の総額や配分に問題が大有りなのは分かるのですが、予算が取れないPIにももう少し工夫してもらいたい気はします。特に研究室の代表ともなれば経営者でもありますから、研究室が機能するだけの予算を確保するのは責務だと思います。》(hanahiさん)
 《科研費を取るにも、採択傾向を調べたり審査者に伝わりやすい記述を心がけるなどの積極的な工夫が必要なのではないでしょうか。》(hanahiさん)

まったく同感。自分のやりたい研究を推し進めるのに、必要な経費を確保することが個人の努力にかかっているのが現実である。「天は自ら助くる者を助く」である。現状では研究費稼ぎの敗者が研究の敗者であるのに、その負けたことを認めたがらない人が多すぎるのではなかろうか。もちろん捲土重来を期するぐらいの覇気はなければならないが、ことの見極めも大切である。それにしてもコメントにあるように的確に物事を見ておられる方が多いことにある意味では安堵した。ぜひ生存競争を生き抜いて頂きたいものである。

岡目八目の気炎を上げていたら、その最中にかっての院生から教授就任の知らせが舞い込んできた。嬉しい限りである。夢に現れた後輩とは別の人物であるが、やはり夢には不思議な力があるような気がする。


伊藤ハム「シアン問題」 2号井戸原水からシアン検出の謎にせまる その2

2009-01-18 19:31:18 | 学問・教育・研究
前回の記事2号井戸原水からシアン検出の謎にせまる その1に引き続き、2号井戸原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された経緯の謎を取り上げる。と言ってもさほど難しいことではなく、2号井戸原水を分析した登録水質検査機関Bでの具体的な分析手順が調査で明らかにされればよいのである。その結果で問題の在りかがさらに絞られることが期待される。

試料水に含まれるシアン化物イオン及び塩化シアンの分析法は厚生労働省告示第261号(平成15年7月22日)別表第12の中で次のように記されている。

《3 試料の採取及び保存
試料は、精製水で洗浄したガラス瓶又はポリエチレン瓶に採取し、①試料100mlにつき次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌し、更に酒石酸緩衝液(1mol/L)1ml及び酒石酸ナトリウム緩衝液(1mol/L)1mlを加えた後、満水にして直ちに密栓し、冷蔵して速やかに試験する。
なお、試料に結合残留塩素が含まれていない場合には、次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌する操作は省略することができる。》

また水質基準に関する省令の規定一部改正(平成17年3月30日)では次のような改正がなされた。
《(8) 別表第12
検水に結合残留塩素が含まれるときは、試料採取時に次亜塩素酸ナトリウムを添加し、遊離残留塩素に変化させてから分析すること等とした。》ここで①、②、③強調は私が以下の説明のために付け加えてものである。

ところで厚生労働省の定めた分析法が現場でどのように使われているのか、和歌山市水道局工務部水質試験課がまとめた「シアン化物イオン及び塩化シアンの操作手順書」(文書番号:S-5.3-27)がインターネット上に公開されているので、試料水の取り扱いに関する部分を引用する。上記の文章と比較して頂きたい。



この操作手順書にはの部分の操作が定法として記されており、試料が井戸水の場合は原水であれ処理水であれ一様にの操作を行うことになっている。はある条件下ではの操作を省略することが出来ると規定しているだけなので、省略しなくてもよいことになり、和歌山市の操作手順書がの部分を記載していないからと言って間違いにはならない。さらにを定法としている限りによらずともすでに次亜塩素酸ナトリウムを添加しているのであるから、わざわざを考慮するには及ばないことになる。だからは手作業で原水の分析を行うような場合には次亜塩素酸ナトリウム添加の手間を省けるぐらいの便利さをもたらすが、多数の試料を連続的に分析機器で分析する際には井戸原水と処理水を区別せずにの操作を行う方がはるかに便利である。

さらに細かいことを言えば、厚生労働省の文書では「満水にして直ちに密栓し、冷蔵して速やかに試験する」との文言があって、速やかに試験するように指示しているが、和歌山市の操作手順書にはこの文言がない。アンモニア性窒素を含んだ試料水に次亜塩素酸ナトリウムと酒石酸緩衝液成分を加えて長時間放置すると塩化シアンの生成量の増加することが下にも述べる再現実験で確かめられていることからみると、和歌山市の操作手順書で速やかに試験するとの文言を省略したのは国の定めた手順から外れていると言わざるをえない。その意味でも登録水質検査機関Bが分析を行った具体的な手順が明らかにされるべきなのである。

伊藤ハム「シアン問題」の調査対策委員会報告書(平成20 年12 月25 日)は2号井戸原水にシアン化物イオンおよび塩化シアンが検出されたことに関して「(1)考えられる原因」の中で、《塩化シアンは、シアンが塩素処理によって生成する化合物であり、塩素処理を行っていない井戸水原水では検出されることはあり得ない。また、井戸水原水では、結合塩素が検出されなかった(当然のことではあるが)ため、分析時に次亜塩素酸ナトリウム(0.05%)も添加していない。》(45ページ、強調は引用者)と述べている。その論理に間違いはないが、登録水質検査機関Bでは次亜塩素酸ナトリウムの添加に先立って結合塩素の検出を実際に行ったのかどうかは疑問である。結合塩素を分析するより次亜塩素酸ナトリウムを定法に従って添加する方がはるかに楽であるからだ。それに2号井戸原水の分析を最初に行った際に分析時に次亜塩素酸ナトリウム(0.05%)も添加していないことが事実であることを確認したとはどこにも明言されていない。46ページに《塩素処理を行っていない井戸水原水であるにもかかわらず、シアン化物イオン及び塩化シアンが検出され、しかも、原水試料に塩素が混入する可能性が皆無と思われることからすれば、原水採水後から分析結果までに何らかの塩素混入があった可能性を疑わざるを得ない。》とあるが、この強調部分は登録水質検査機関Bで確かに前処理過程で次亜塩素酸ナトリウム(0.05%)を原水に加えていないことを確認してから始めて可能になる主張であろう。

報告書(35ページ)によると2号井戸原水にアンモニア性窒素が2.40mg-N/L含まれている。もしこれが100%塩化シアンに変化したとすればその濃度は4.46mg-CN/Lとなり、現実に検出された値0.037 mg-CN/Lはその百分の一以下になる。2号井戸原水に上記の分析手順に従い次亜塩素酸ナトリウムと酒石酸緩衝液を加えて、意地でも塩化シアンを作ってみせると条件探しに頑張れば0.037 mg-CN/Lの塩化シアンぐらいは出来てくるのではなかろうか。現に再現実験Aでは2号井戸原水(塩素添加量/塩素要求量=0.00)を定法に従い次亜塩素酸ナトリウムと酒石酸緩衝液を加えて22時間放置する(登録水質検査機関Cの前処理・分析条件7)ことで0.0017mg-CN/L程度のシアン化物イオンおよび塩化シアンが検出されているではないか(図4、報告書32ページ)。

(補足説明 前処理で試料水100mlに次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えたとして、この混合溶液中の有効塩素濃度はほぼ0.0005%となる。すなわち5mg-Cl/Lで上記塩化シアン濃度4.46mg-CN/Lの82%の当量比となる。言葉を変えれば計算上、井戸原水中のアンモニア性窒素の最大82%が塩化シアンに変化しうると言うことでこれは3.7mg-CN/Lに相当する。)

登録水質検査機関Bで原水に限り前処理で次亜塩素酸ナトリウムを加えていないことが確認されて始めて基準値の3倍以上のシアン化物イオン及び塩化シアンの出所がミステリーと化すのである。

私が現役時代に青酸と慣れ親しんでいた?ことが根底にあってついつい伊藤ハム「シアン問題」に深入りしてしまった。それというのも調査対策委員会報告書(平成20 年12 月25 日)が数々の問題を含んでいるにせよ、今後類似の事件が発生した時に企業がとるべき対応に対する有益な示唆があり、またそれだけに報告書のあるべき形として一科学者としての意見が触発されたからである。そこで私は出来上がった最終見解だけを提出するのではなく、思考過程そのものから公開することが科学的に考えることの一つの実例として受け取られることを期待しつつ順次見解を公開してきた。常識さえあれば誰にでも科学的にものごとを考えることが出来ることを示したかったのである。


伊藤ハム「シアン問題」の過去ログ

伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会の報告書は出たものの
伊藤ハム「シアン問題」の謎について
伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会報告書のあれこれ
謎は謎を生む伊藤ハム「シアン問題」
伊藤ハム「シアン問題」は幽霊事件?
伊藤ハム「シアン問題」 2号井戸原水からシアン検出の謎にせまる その1



伊藤ハム「シアン問題」 2号井戸原水からシアン検出の謎にせまる その1

2009-01-16 21:26:48 | 学問・教育・研究
伊藤ハム「シアン問題」では2号井戸にシアンが検出されたことが「つまずき」のきっかけとなったと私は思っている。そして調査対策委員会の報告書(平成20年12月25日)は次のように締めくくっている。

《原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された当時、速やかに再検査を実施することが、伊藤ハム及び登録水質検査機関Bの適切な対応であったが、両者ともに再検査を実施していないことが、今回の問題を分かりにくくした理由といえる。
 以上述べたことを総合的に考慮し、2 号井戸の原水の継続調査結果から考えると、原水がシアン化物イオン及び塩化シアンによって汚染されている可能性は極めて低いといえるだけである。当時の試料はすでになく、これ以上の検証は不可能である。》(46ページ)

私は伊藤ハム「シアン問題」は幽霊事件?の追記に《追記(1月13日) 平成20年10月7日に採水した2号井戸原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された事実には依然として謎が残る。》と述べたが、その謎にはシアンが検出された経緯に対するものもあれば報告書に含まれる謎もある。そこで私なりに現在把握している問題点を指摘して伊藤ハム「シアン問題」の締めくくりにしたいと思う。

まずは報告書に含まれる謎(あくまでも原水問題に限定する)である。

報告書の44ページから45ページにかけて次のような記載がある。画像は二つに分かれているが連続した流れになっており、省略や改変は行っていない。




はじめの文章は、シアン化物イオン及び塩化シアンが検出(0.037 mg-CN/L H20 10/7)された2号井戸の原水において、シアン化物イオンとしてのCN存在率は3.6 %で、塩化シアンとしてのCNの存在率は96.4%であると読み取れる。またそれ以外の読み取り方は出来ない。

一方、次のグラフ(図7)および表であるが、《図7 2号井戸原水で検出されたシアン化物イオンおよび塩化シアン》と説明があるので、これが登録水質検査機関Bから提出されたクロマトグラム記録用紙なのであろう。しかし図の左上段に記された「081007C #38 [Administratorが変更しました」の意味は不明である。そしてグラフを数値化したのが下の表であろう。グラフに書き込まれている数字が表の保持時間の数値と一致していることが分かる。表に示された[含有量]はCNが0.00014でCNClが0.00347で単位はmg/L(小文字l(エル)を大文字Lに書き直した)であるが、その合計は単純計算では0.00361であるのになぜか表では「合計」が0.0036になっている。これでは0.00014/0.0036=0.03888、すなわち3.9%となり44ページの3.6%とは合わない。この表でCNとCNClの値を加算すると「高さ」、「面積」、「相対面積」のそれぞれで「合計」の値と一致するのに、「含有量」だけは一致しない。そこで「含有量」でも加算と「合計」が一致するものとしてCNの値を0.00014から0.00001減らして0.00013とする。そうするとCN及びCNClの百分比が0.00013/0.0036=0.0361と0.00347/0.0036=0.9638から44ページの3.6%および96.4%と一致する。この結果は表の0.00014という記載が何か手を加えられた結果であることを疑わせる。上記「081007C #38 [Administratorが変更しました」の書き込みが気になるところである。しかしこれにもまして重大な問題がこの表に存在する。「含有量」の「合計」である。

この表に従うと「含有量」の「合計」は0.00360mg/Lでこれが2号井戸原水のシアン化物及び塩化シアンの検出量と言うことになる。しかしこの数値はこれまで基準値を超える値として報告されている0.037 mg-CN/Lの十分の一で明らかに基準値以下である。これはどういうことなのだろう。私は伊藤ハム「シアン問題」を最初に取り上げた昨年12月9日のブログで《異常値が検出されたこと自体が不可解なのであれば、先ずその異常値の出てきた状況を詳らかに調べ上げることを思いつくべきであろう。誰かが測定値に0を一つ付け忘れたのではないのか、私ならそう言うことすら疑うだろう。》と述べたが、まさに0.00360とすべきところ0を一つ付け忘れて0.0360としたのかも知れない。もし数字の記載ミスが事実であったとすると2号井戸原水にはもともとシアンが含まれていなかったことになる。

それでも問題は残る。仮に0を付け忘れたとしてもその数値は0.036で、最初に報告された0.037よりは0.001小さい。なぜこの食い違いが起きたのか。また表の0.00360はまだ報告すべき最終値ではなくて、それにどこにも説明されていないがあるファクターを掛け合わせて最初の報告値である0.037という数値を導いた可能性はありうる。報告書には私がここに指摘したような疑問に答える説明が見あたらないので、その意味では不親切であり、その分科学的な報告書としては質が低いと言わざるを得ない。

「0の付け忘れ」なのかそれとも「説明のし忘れ」のどちらなのか、これぐらいは明らかに出来るのではなかろうか。(つづく)