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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

伊藤ハム「シアン問題」は幽霊事件?

2009-01-12 23:34:21 | 学問・教育・研究
「人の噂も七十五日」とはよく言ったもので、伊藤ハムが東京工場で使用していた一部の地下水に水道水の水質基準を超えるシアンが検出されたこと、その地下水を製造工程で使った可能性のある製品の自主回収を行うことを公表したのが昨年10月25日であるが、それから80日近くになってもう誰も気にしなくなったようである。それはそれでよいのであるが、私は暮れのブログ謎は謎を生む伊藤ハム「シアン問題」に《最大の謎はシアンの異常値が果たして水質検査に伴う人為的な混入であると断言してよいのかどうなのかである。次に触れてみたいと思う。》と書いてしまったので、今更知らぬ顔も出来かねて私なりの結末をつけることにした。

幽霊会社とは実際には存在しないのにあるかのように見せかける会社のことで、詐欺事件などによく登場するが、伊藤ハム「シアン問題」も実体のないものに踊らされたと言う点では幽霊事件ではなかったのか、というのが私の今の感想である。

物事の発端になったのは井戸水である。私が子供の頃は都会でも井戸はいたるところにあった。釣瓶であろうと手押しポンプであろうと、くみ上げた水はそのままごくごくと美味しく飲んだ。夏には西瓜を井戸につり下げて冷やしたものである。深さは10メートルもなかったのではないか。伊藤ハムでは50メートルから200メートルの深さからくみ上げた地下水を使っていた。私の感覚で言えば井戸を掘って水が汲めるようになったら一度ぐらいは水質検査をして飲用に支障ののないことを確かめればもうそれでよいのである。あとは毎朝井戸水をくみ上げてまず無色透明であることを目で確かめ、変な臭いがなければ一口口に含み変な味がしないことを確かめる。そこで気持ちよくぶがぶと飲んで変わったことがなければそのまま使えばいいのである。地下水とはもともとそのようなものである。伊藤ハムが五感判断で井戸水を使っておれば今回の事件なんて起こりうるはずもなかった。と言うのも今回の出来事に限って言えば、井戸水の水質検査をすること自体が事件を作り上げたようなのであるからだ。一つの鍵が「伊藤ハム(株)東京工場における専用水道の水質調査検討結果」(平成20年12月5日)が文献調査結果として取り上げている次の論文にある。速報のせいか記述が必ずしも十分でないので、反応に要した時間とかその時の温度、pHなどいろいろと確認したいことがあるが、私はこの論文の骨子を次のように理解した。





「国の定めた検査法でシアンを定量する際に、もともと試料水に含まれていないシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されることがあるが、それは検査法で使うように指定された酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液のせいで作られたものであろう」というのである(注1)。なぜなら酒石酸緩衝液の代わりに酢酸緩衝液、リン酸緩衝液、フタール酸緩衝液などを用いると、シアン化物イオンは出来ないし塩化シアン量も無視できるほど低いレベルしか検出出来なかったからである(注2)。

伊藤ハムの調査対策委員会報告書(平成20年12月25日)においても、酒石酸緩衝液存在下で塩化シアンの生成が実験により確認されているので、この論文の指摘は正しいことになる。以前にも述べたように《酒石酸緩衝液の成分が、原水処理に使う次亜塩素酸ナトリウム由来の結合塩素(クロロアミン?)と反応してシアン化物イオン及び塩化シアンが出来るという》反応の詳細が解明されたわけではないが、もし国の定めた検査法が酒石酸緩衝液ではなくて酢酸緩衝液を使うように指定していたら、塩化シアンが検査中に作られることもなく、今回の事件はもともと起こることもなかったと言える。その意味で幽霊事件なのである。

もし、誰でもよい、この分析化学論文に目を通していて、異常値が出たのは酒石酸緩衝液のせいではなかろうかと疑い、念のために他の緩衝液を使って再検査をしておれば、たとえ次亜塩素酸ナトリウム溶液の使い方にいかなる問題があろうとも、井戸水原水、処理水とも実際は異常のなかったことを確認出来たのではなかろうか。誰かが一人でも気づいて迅速に対処しておれば、国定の検査法に問題のあることの指摘だけで終わった問題なのではなかろうか。つくずく関係者の不勉強が惜しまれる。食品加工に井戸水処理水を使っているのは全国で伊藤ハムのみではあるまい。ただ不勉強の恥をあのような形で馬鹿正直に世間にさらしたのが伊藤ハムだけだったのではと私は想像する。

それにしてもこのような問題のある検定法を定めた政府にも「世間を騒がせた罪」の一端がある。伊藤ハムにしたら損害賠償を訴えたいところかも知れない。しかしそういう法律問題はさておき、多少のアンモニアが溶け込んでいても五感がOKとする地下水を水質検査なんて余計なことをせずにそのまま使っておれば何の問題もなかっただろうにと思う。わざわざ次亜塩素酸ナトリウムを投げ込んだばかりにいろいろな副産物を作り、その検査に振り回される。検査にかかる高額費用を負担しているのは結局消費者であるのに・・・。

なんせ日本は水洗便所に飲料水を惜しげもなく使う国柄なのである。排泄物を洗い流す水なのに五十一項目にわたる水質基準を満たさないといけないとは、と、ちょっと見方を変えてみると、政府は大金を水に流すような壮大な無駄を国民に強いている隠された側面が浮かび上がってくるのである。それに疑問を抱かない国民に伊藤ハムをとやかく言う資格は無いように思う。

注1 《3 試料の採取及び保存
試料は、精製水で洗浄したガラス瓶又はポリエチレン瓶に採取し、試料100mlにつき次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌し、更に酒石酸緩衝液(1mol/L)1ml及び酒石酸ナトリウム緩衝液(1mol/L)1mlを加えた後、満水にして直ちに密栓し、冷蔵して速やかに試験する。
なお、試料に結合残留塩素が含まれていない場合には、次亜塩素酸ナトリウム溶液(有効塩素0.05%)1mlを加えてゆっくりかく拌する操作は省略することができる。》

注2 水質基準に関する省令の規定一部改正(平成17年3月30日)では次のような改正がなされた。
《(8) 別表第12
・ 検水に結合残留塩素が含まれるときは、試料採取時に次亜塩素酸ナトリウムを添加し、遊離残留塩素に変化させてから分析すること等とした。》

注1にあるように試料に結合残留塩素が含まれていないという前提(塩素処理が十分であるとの前提)で次亜塩素酸ナトリウム溶液の添加を省略する場合に比べて、塩素処理が不十分で検水に結合残留塩素が含まれる場合に次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加すると、その操作でさらに塩化シアンの生成量が増えることも分析化学論文は報告している。


追記(1月13日) 平成20年10月7日に採水した2号井戸原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された事実には依然として謎が残る。 


論文が引用される喜び

2009-01-09 18:30:32 | 学問・教育・研究
ブログ検索で面白いことが時々ある。最近も二つほどあった。

その一つ、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」でドン・ジョヴァンニとツェルリーナの歌う二重唱「手をとり合って うちへ行こう」を歌の先生とお稽古に歌ったものだから、面白がってそれをインターネットで公開したところ、新しい訪問客が絶えないのである。もしやと思い、歌い出しの歌詞「la ci darem la mano」をGoogleで検索したところ、次のような結果が現れた。



約11万件のうち上位二位がYouTubeのサイトで、三番目に私の歌が出てくる。イタリア語だから外国人が見ている可能性が高い。日本語部分が文字化けしているだろうが逆に何だろうとアクセスしてくれたのかも知れない。歌を聴いて目をパチクリしている様子を想像すると愉快になる。これこそ「嬉しがり」の喜びである。「嬉しがり」とは漢語で重々しく表現すると軽佻浮薄となる。嬉しがりついでに芸術好みの英国の友人にこのURLを知らせることにした。

もう一つは「"豆まきデータ"」の検索結果である。実際に表示されるのは11件で、この全ては私の筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてで使った《「豆まき」データ》が大本になっている。きわめてユニークな例でこれは「豆まきデータ」が私の創作語であるせいなのだろうか。これも愉快である。自分のブログ記事が第三者にどのように映っているのか、それを見て愉快がる感覚が何かに似ているなと思ったら、ある記憶が甦ってきた。現役時代の論文書きにまつわる話である。



研究者は論文を書き上げるとやれやれと肩の荷を下ろした気分になる。しかし実際はそれをしかるべきジャーナルに投稿して査読者とやりとりを繰り返し、ようやく受理の知らせを受けて始めて一仕事が終わるのである。名だたるジャーナルに掲載が決まると躍り上がって喜んだり、祝杯をあげる話などよく耳にしたものである。しかし本当の楽しみはその後に待っている。その論文に世界の研究者がどのように反応するのか、その手応えが楽しみなのである。

論文を出したからと言って他の研究者が読んでくれるとは限らない。皆さん、お忙しいのである。日本でも会員数の多い学会では学会誌を毎月出版して論文発表の場としているところがある。ところが場所ふさぎになるからと、送られて来てもそのままゴミ箱行きの運命を辿ることも珍しくない。たとえ国際誌に英語で発表した論文でも誰かに読まれたかどうか直接確認するすべはない。ある程度親しい研究仲間ではお互いに論文別刷を交換したものであるが、私とてその全てに目を通したわけではない。直接に意見が寄せられたり、試料の提供や共同研究の申し込みがあったりすれば御の字なのである。

一番はっきりした手応えは自分の論文が他の研究者の論文に引用されることではないかと思う。自分の研究に何らかの関わりがあり影響を及ぼした論文を引用文献としてリストに載せるのが研究者の習わしになっているからだ。そう言うこともあって他の論文に引用される回数、「被引用回数」が多い論文ほどその知的貢献度が高いと一応見なされている。このように論文の価値を数値で表すような解析システムがあって、それにもとづく情報を有料で提供するようなビジネスもすでに存在するが、「被引用回数」程度ならGoogle Scholarで誰でも簡単に調べることが出来る。

私が1977年に国内で発行される欧文誌に発表した論文は生命科学者にはお馴染みの緩衝液のあるユニークな性質を報告したものがある。この論文をGoogle Scholarで見ると「引用元36」と言う表示が出てくる。「引用元36」をさらにクリックするとその論文を引用した論文・出版物がずらりと現れて、それを見ると、32年前に発表した論文にもかかわらず21世紀に入ってからも16回引用されており、一番最近は2008年の米国特許申請書に引用されていることが分かる。

この論文のことを以前ブログに書いたと思うが、この仕事は私の本来の研究テーマから外れたものだった。現象のユニークさに興味を持ったものだから、四年生に卒業実験のテーマとして与え、その成果を論文にまとめて連名で発表したものである。主だった仕事の論文の多くがが過去のものとなって見向きもされなくなったのに、このような仕事が生き残っているとは皮肉なものであるが、それが研究の面白みでもあろう。ちなみに2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士が緑色蛍光たんぱく質の発見を報じた1962年の論文は「引用元411」とさすがに多い。しかし1970年のNature論文は「引用元52」で、発表年を考慮に入れると私の片手間仕事論文とどっこいどっこいである。m(__)m

Google Scholarがどのように引用元数を計算したのかその仕組みは分からないが、日本語論文からの引用は含まれていないようである。それに研究人口の多い分野では「被引用回数」も必然的に多くなるだろうから、絶対数だけが論文の価値を決めることにはならないだろう。また自分で自分の論文を引用して「被引用回数」を増やす手があるのかも知れないが、そのようなケースを計数に入れない仕組みになっているのかも知れない。上の私の論文の場合は全部が他者による引用になっている。

実は私も若い頃は新しい論文を書く時に、意識してそれまでに自分の発表した論文を何らかの形で引用した。少しでも人目に触れるようにとの思いからである。現在でも私がブログを書く時に過去ログをよく引用するのはその名残なのかも知れない。まあそのような形の引用もお愛嬌ではあるが、やはり第三者に引用されてこそ喜びも大きくなる。客観的な評価だからである。それも自分が尊敬する研究者に引用されるともなると喜びも一入である。私にもそのような経験があった。

生化学を習い始めて酵素化学の章にさしかかると、まず酵素反応の基本概念にぶつかる。基質が酵素と可逆的に素早く反応していったん酵素・基質複合体が出来上がり、これが比較的ゆっくりと分解して酵素反応の産物と元の酵素が出来るという内容である。この概念がMichaelisとMentenにより出されたのは1913年であるが、30年後の1943年になってようやく酵素・基質複合体の実在が証明された。ストップド・フロー法なる実験装置を使ってそれを成し遂げたのがBC先生で、私よりほぼ20歳年長になる。必要な実験装置を自分で組み立てて研究を推し進めていく手法に憧れたのである。このBC先生が私が先鞭をつけた研究分野に入って最初の論文をJ.Biol.Chem.のCommunicationとして1984年に発表された時は、35件の引用文献の内私の論文が6報を占めていたのを見て心の中で喝采を送ったものである。もういい加減の年にはなっていたけれど、幾つになっても人に認められるというのは嬉しいものである。

「豆まきデータ」から昔話になってしまったが、いろいろ不平不満はあっても日々研究生活を送っている現役の方々は幸せである。愛情を持って論文を送り出し、それが認められる喜びを大いに味わって頂きたいと思う。




大学人、とくに生命科学研究者は特許申請に超然たれ

2009-01-06 13:06:36 | 学問・教育・研究
1月4日朝日朝刊の第一面トップの記事に「バイエル出願内容判明」、「iPS細胞 複数特許も」、「山中教授と別製法」という大きな見出しが出ていた。エッセンスは次のようである。



iPS細胞についてバイエル社が特許出願したことはかねてから知られていたが、《元になる細胞は、ヒトの新生児の臍帯や皮膚などから取り出した、いろいろな組織の細胞に分化していない状態の幹細胞。分化した細胞を使う山中教授らの方法とは違う。》とその内容が明らかになったと言うである。

世間の人の目を科学研究に向けさせる意味では新聞がこのように大きく取り上げることは元大学人としては有難いが、科学者として見ると、なぜこのようなことが第一面トップに出るのか理解しにくい。「特許争い」で誰が勝ち馬になるか、傍からそのレースを煽り立てているだけのものであるからだ。

私は大学人が特許、特許と駆り立てられるのには元々大反対なのである。大学人にとって百害あって一利なしとまで思っている。「学問の自由」が破壊されてしまうからである。その思いを以下の過去ログに書き連ねている。

万能細胞(iPS細胞)研究 マンハッタン計画 キュリー夫人
iPS細胞の特許問題に思うこと
大学は特許料収入でいくら稼ぐのか 知的財産管理・活用ビジネスのまやかし
角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」 そして大学での特許問題へ
学問の自由は今や死語?
マイケル・クライトン(Michael Crichton)の死去を悼む

最初のブログで私は《京都大学(山中教授)が万能細胞研究の人類全体の医療に及ぼす影響の普遍性にかんがみ、すべての研究者が特許出願を抛棄するべく全世界に率先して働きかけて欲しいものである。研究者が自らの研究の社会的意義を考え、特許を念頭に置かずに研究成果をすべて公表する、これは一人一人の研究者の判断で出来ることであろう。科学者の社会的責任を今原点に戻ってじっくり考えていただきたいと思う。》と述べた。

冒頭の朝日新聞の記事に「特許は使われないと意味がない」と書かれているがまさにその通りである。私はこの問題を③でも論じたが、稼ぎになるような特許なんてめったにあるものでない。あんな特許こんな特許と持っているだけの人が世の中にどれだけ多いことか。現実の役にも立たないいろんな資格を取って楽しんでいる社会人のようなものである。趣味ならそれでもよい。しかし大学人は自らその自覚があれば特許を取ることで貴重な時間とエネルギーを浪費すべきではない。

暮れに朝日新聞が《山中教授「日本は1勝10敗」 iPS細胞研究で遅れ》と報じた。《新型万能細胞(iPS細胞)の開発者の山中伸弥・京都大教授は25日、文部科学省ライフサイエンス委員会の部会に出席し、今年1本しか論文を出せなかったことに触れ、「1勝10敗で負けた」と振り返った。》(2008年12月26日17時32分)とのことである。これだけでは山中教授の真意は分からないが、私なりに想像すると山中教授は今や特許合戦の重圧下にあると思う。研究の全てが特許がらみとなったのであろう。特許申請が優先するとその帰趨を見極めた上でないと論文発表に踏み切れない。私が知り得る範囲のお人柄から想像するに、山中教授はまともな研究の推進に妨げとなるこのような制約を最も毛嫌いされるお方であると思う。お気の毒としか言いようがない。一方、今やiPS細研究のわが国の顔である山中教授が年一報の論文発表でも研究費が途絶えることはなかろうが、並み居る大勢の研究者にとっては、論文発表が特許出願で制約を受けるようになると「Publish or perish」の運命が待ち受けているのではないだろうか。

いかなる形であれ「ヒトの細胞」を材料にする研究を特許の対象にすべきではないと私は思う。あえて神を冒涜する行為と断じよう。全世界でそのような協定が結ばれるとよいのであるが、それよりも大学人一人ひとりが自分の研究成果を特許申請に心動かされることなく直ちに論文として世界に公開すればよいのである。論文の結語にそのような趣旨で発表したと書き添えれば世界にその動きが拡大することも考えられる。私はそのような大学人の叡智を信じたいのである。


謎は謎を生む伊藤ハム「シアン問題」

2008-12-30 14:07:34 | 学問・教育・研究
伊藤ハム東京工場で発生した「シアン問題」とは何だったのだろう。

井戸原水と製品製造に用いた井戸処理水のシアンが基準値を最大で3.7倍上回る4件への対応がまずかったばかりに、世間を騒がせ自らの評判を落とし、おまけに安全性に問題のない製品を自己回収する羽目になり、かき入れ時の歳末商戦に参加すら出来ず、業績は一挙に落ちて赤字となり、社長をはじめとする関係者がそれなりの責任を取った形でひとまず落ち着いた。

今となっては後知恵のたぐいになるが、もしシアンの異常値が報告された段階で直ちに行動を起こして、これが水質検査に伴う人為的な混入であることを突き止め、同時にその時点での製品の安全性を確認しておれば、シアン異常値をわざわざ世間に公表することもなければ製品の自主回収もせずに済んだことであろう。

それにしてもなぜ自主回収したのだろう。

12月25日の調査対策委員会報告書が明らかにした新事実の一つが、伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会報告書のあれこれに引用したことであるが、今年の6月から9月にかけて、1,2,3号井戸処理水の全てで基準値(0.6mg-CL03/L)を上回る塩素酸(0.62~0.91mg-CL03/L)を検出していた。それにもかかわらず製造ラインを止めたとか製品の自主回収をした形跡はない。私に言わせると製品の安全性さえ確認されておればこれで何の問題もないのである。そう言う伏線のあったことを先ず念頭に置いておこう。

同じく報告書13~14ページには2号井戸原水に基準値を超える0.037 ㎎/L のシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されてからの対応として次の記述がある。

《東京工場長は、かかる報告を受け、基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されている2号井戸及び3号井戸の処理水を、製品の製造において直接製品に混入する用途には使用しない方がよいと考える一方で、製品に直接混入しなければ、使用しても健康への影響がないとも考えた。
 また、東京工場長は、2号井戸処理水をすでに使用してしまった製品については、検出されたシアン化物イオン及び塩化シアンの数値が、WHOの水質基準7では問題のない範囲であり、その水を直接飲んでも人体への影響が考えられない値であること、当該処理水が東京工場内で生産された製品に混入する割合は原材料重量の10~20%程度であることから、健康被害は無いとして、出荷停止までは考えなかった。》(10月15日)

東京工場長のこの判断はきわめてまともであると私は思う。それがなぜ製品の自主回収までエスカレートしたのだろう。

10月22日になって社長は東京工場長からの報告、提案を受けて、《2号井戸の原水から、法令の基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことは、伊藤ハム内部の問題に留まらず、柏市全体の環境の問題でもあると考え、柏市保健所に報告することを承認した。》(強調は引用者、以下同じ)

10月23日、《東京工場長は、柏市保健所との相談の結果を生産事業本部に報告し、この報告を受け、社長及び生産事業本部長は、製品の自主回収を実施することを決めた。

なぜ社長及び生産事業本部長がこの段階で自主回収の実施を決めたのか、私には不可解である。仮に柏市保健所から何らかの示唆があったにせよ、判断するのは伊藤ハムである。製造に用いた水が水質基準を満たしていなかったというのがその理由なら、なぜ塩素酸が基準値を超えた時にも自主回収をしなかったのか。塩素酸のことはこの時点で社長の耳に入っていなかったのかも知れない。とすると上の強調部分が一つの答えなのだろうか。ところが10月21日には再検査で2号井戸の原水から基準値を超えるシアン化物イオン及び塩化シアンは検出されず、その他の異常もなかったことが明らかにされたのである。これでは何のための再検査なのか、と言うことになる。この辺りの状況を公表することを躊躇う何らかの理由が調査対策委員会にあったのだろうか。

さらにこの報告書に私にはわからない記述がある。5ページ脚注の次の部分である。

《なお、本報告書では、伊藤ハムに、少なくとも、水道法20 条、4 条1 項2 号、2 項、水質基準に関する省令、食品衛生法50条2項、柏市食品衛生法施行条例別表1(7)ウの違反があったことを前提とする。》

食品の安全性に関して問題になるのはあくまでも食品衛生法である。では50条とはどのようなものか。

《第50条 厚生労働大臣は、食品又は添加物の製造又は加工の過程において有毒な又は有害な物質が当該食品又は添加物に混入することを防止するための措置に関し必要な基準を定めることができる。
2 都道府県は、営業(食鳥処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律第2条第5号に規定する食鳥処理の事業を除く。)の施設の内外の清潔保持、ねずみ、昆虫等の駆除その他公衆衛生上講ずべき措置に関し、条例で、必要な基準を定めることができる。
3 営業者(食烏処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律第6条第1項に規定する食鳥処理業者を除く。)は、前2項の基準が定められたときは、これを遵守しなければならない。》

上の強調部分が食品衛生法50条2項であるが、このどこにもシアンをはじめとする化学物質についての記述はない。これを見てさては伊藤ハムの工場ではねずみやゴキブリが走り回っていたのかとは想像しても、水のことなど頭の片隅をもかすめない。まさかねずみやゴキブリが自主回収の隠された理由ではあるまい。私が参照した食品衛生法はhttp://www.houko.com/00/01/S22/233.HTMであるが、私が何かを見間違えているのだろうか。もしそうでなければ何をもって食品衛生法50条2項の違反というのか説明が欲しいところである。

柏市食品衛生法施行条例別表1(7)ウは《ウ イの水質検査の結果, 飲用に適さないこととなったときは, 直ちに適切な措置を講じること。》は確かに水のことである。検査値を疑いまずは再検査を決定するというのも適切な措置になるであろう。

このように報告書はミステリー愛好者にはいろんな疑念を起こさせる格好の材料であるが、やはり最大の謎はシアンの異常値が果たして水質検査に伴う人為的な混入であると断言してよいのかどうなのかである。次に触れてみたいと思う。


伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会報告書のあれこれ

2008-12-28 23:09:00 | 学問・教育・研究
伊藤ハム「シアン問題」の関係者から12月26日の夜メールが届いた。伊藤ハムの調査対策委員会報告書が伊藤ハムHPからダウンロード出来るとの知らせであったが、その報告書が60ページの」PDFファイルとして添付されていたので、なにはともあれ目を通すことにした。なるほどと思う結果も含まれているが、またそれなりに新しい疑問も生じてきた。しかしそれはかなり専門的な話にもなるので、井戸水そのものは大丈夫であったということで得心されれば、これ以上読み進んで頂くこともないかと思う。あえて、と仰る方のみお付き合いいただければ幸いである。

私が伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会の報告書は出たものの伊藤ハム「シアン問題」の謎についてで取り上げた問題は、井戸水処理水と原水で検出された4件のシアン異常値が分析過程での産物で、井戸水そのものは原水、処理水とも水質基準を満たしていたのではないかと言うことであった。したがって《異常値が出た時の状況を先ず徹底的に調べ上げるべきである》とも《異常値の出てきた状況を完璧に調べ上げなければならない》とも強調したのである。この調査結果が最終報告書で明らかにされることを期待したが、残念ながらこのような調査はなされていなかったようである。しかし最初の報告で不明であったことのいくつかは明らかになった。

水質分析はやはり外注であった。

9月18日に2号井戸処理水(3ヶ月定期点検)、1号ならびに3号井戸処理水(1ヶ月定期点検)を採水、登録水質検査機関Aは24日に2号井戸処理水に0.022 mg-CN/Lのシアンの含まれていることを報告。東京工場ES課担当者は自らの判断で2号井戸処理水の再検査を行うことを決め、登録水質検査機関Aは翌25日に再検査用の採水を行った。そして10月2日に再検査で2号井戸処理水に0.034 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された旨を報告している。

2号井戸処理水で検出された0.022 mg-CN/Lのシアン濃度が異常値であるとの認識が東京工場ES課担当者にあり、その結果が判明した時点で再検査に踏み切ったのはよい。しかし登録水質検査機関Aが異常値を検出した際に、これまでになかったことだけに検査値を疑わなかったのかどうか、さらに独自の判断で9月18日採水の残りで再検査を行うことを考えなかったのかどうか、その状況が不明のままである。さらに9月25日採水分の検査結果が異常事態にもかかわらずのんびりと7日後の10月2日に届けられた事情も分からないのが不満として残る。

10月3日に採水した3号井戸処理水(3ヶ月定期点検)、ならびに1号と2号井戸処理水(1ヶ月定期点検)についても、登録水質検査機関Aは6日後の10月9日に3号井戸処理水に0.014 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことを報告している。

依然としてのんびりムードである。それに加えて1号井戸ではっきりしているが、1ヶ月定期点検といいながら9月は18日に採水、10月は3日に採水している。これでは定期点検の意味をなさないのではないか。

さらに不可思議なことが報告書に記されている。

これまで基準値以上のシアンが検出されたのは井戸原水ではなく処理水であった。原水のシアンが基準値以下なら処理の過程でのシアンの混入が考えられるが、原水がすでに基準値以上のシアンを含んでおればこれは重大な事態である。そしてその事態が以下に記すようにまさに発生したのであるが、その後の伊藤ハムの対応が実に不可解なのである。

1年に1度の定期点検を請け負っている第2の登録水質検査機関Bが、10月7日に2号井戸原水を採水し、7日後の14日、その原水に0.037 mg-CN/Lのシアン化物イオン及び塩化シアンが検出されたことを報告した。この事実は報告書の13ページに記載されているが、この記述からかなり後になる46ページに次の記述がある。

《本件(10月7日採水の2号井戸原水から基準値以上のシアンが検出されたこと。引用者注)において、原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された際の対応の問題点として、下記のことが考えられる。

① 登録水質検査機関Bから再検査の申し出を伊藤ハムが断った。
② 原水としてはあり得ない結果、すなわち、基準値以上の値を示すシアン化物イオン及び塩化シアンが原水に存在するという結果を、再検査を行わずに、登録水質検査機関Bが報告した。

 原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された当時、速やかに再検査を実施することが、伊藤ハム及び登録水質検査機関Bの適切な対応であったが、両者ともに再検査を実施していないことが、今回の問題を分かりにくくした理由といえる。》(強調は引用者)

この引用部分は調査対策委員会の見解で、強調部分は確かに的を射ている。それなら委員会は①について、再検査の申し出をなぜ伊藤ハムが断ったのか、その事情を調査の上公表してほしかった。また②についても異常値を得た登録水質検査機関Bが直ちに再検査を行わなかったことまでは把握しているのだから、なぜ再検査に踏み切らなかったのかその事情をも詳らかにしてほしかった。

結局調査対策委員会は実際に検査を担当した登録水質検査機関A、Bで、異常値の出た時の状況を徹底的に調べるどころが、それをブラックボックスとして封じてしまった。これは後で述べるが2号井戸原水で異常値の検出された原因解明を放棄したことにも繋がる。その点が残念であるが、その背景に調査対策委員会が再現実験(私はモデル実験と呼んでいる)などを通して到達した以下の結論があるように思う。

《[発生原因]
これまで述べたように、今回、東京工場の井戸水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された原因は、塩素酸の基準値オーバーを気にする余りに、塩素の注入量を絞って不十分な塩素処理となり、分析時の前処理操作として加えられる次亜塩素酸ナトリウム(0.05%)の添加によって有機物とシアン化物イオン及び塩化シアンが反応しやすい塩素添加量が起こり、水由来の有機物や分析時の緩衝液としての酒石酸と反応して、基準値を越えるシアン化物イオン及び塩化シアンが生成したものと思われる。》(報告書43ページ)

理解しにくい箇所があるが、今は不問とする。餅は餅屋というか水質分析専門家の指摘であろうか、井戸水由来の有機物や、さらには分析手順として添加する酒石酸緩衝液の成分が、原水処理に使う次亜塩素酸ナトリウム由来の結合塩素(クロロアミン?)と反応してシアン化物イオン及び塩化シアンが出来るというのである。しかもその生成量が酒石酸緩衝液の添加から分析完了までの時間が長いと増加する傾向がある。まさにシアン化物イオン及び塩化シアンが思っても見なかった分析過程での副産物であったのである。

しかし水由来の有機物や酒石酸緩衝液成分と反応する結合塩素の実体は分かっているのだろうか。次亜塩素酸ナトリウムとアンモニアの反応で生じるクロロアミンのことかな、と私は推測したが、クロロアミンは水溶液では容易に塩化アンモン、塩酸、窒素ガスに分解し、さらに塩酸により分解が促進されるとのことであるので、このクロロアミンが水由来の有機物や酒石酸緩衝液成分と反応して塩化シアンがどのように生じるのか、なんとも考えにくい。専門家のご意見を伺いたいところである。さらに酒石酸緩衝液成分が確かにシアン化物イオン及び塩化シアンにどのように変化していくのか、質量分析計などを用いた分析で全容が明らかにされているのだろうか、その辺りを知りたいものである。

さらに塩化シアンの定量法に関して専門家のご意見を伺いたいことがある。塩化シアン標準液(0.1mgCN/L) の調製は100mLメスフラスコに冷却した酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液 40mL、次亜塩素酸ナトリウム溶液 (有効塩素0.05%) 0.2mL、シアン化物イオン標準液 (0.2mg/L) 50mLを加えて酒石酸-酒石酸ナトリウム混合緩衝液でメスアップすることになっているが、この標準液の取り扱いになにか定めがあるのだろうか。標準液を作成してから実際に標準列を作るまでにもしかなりの時間がかかっていたら、その間に次亜塩素酸ナトリウムと酒石酸緩衝液成分と反応して塩化シアンが生じることがないのか、また酒石酸緩衝液の存在そのものが塩化シアンを生じると考えられるシアン化物イオンと次亜塩素酸ナトリウムの反応を阻害することはないのだろうか。前者だと試料の実際の塩化シアンより低めの値が、また後者だと高めの値が出てくることになる。酒石酸緩衝液を用いる代わりにたとえばリン酸緩衝液を用いた実験で、この辺りのモヤモヤを払拭していただきたいものである。

ついでに、試料調製の際に次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加すると現実に存在していたシアン化物イオンが塩化シアンに変化することが予想されるが、もしそうだとすると次亜塩素酸ナトリウム溶液を添加しなければシアン化物イオンの塩化シアンに対する量比が増加する筈である。実際はどうだったのだろう。存在するのがシアン化物イオンなのか塩化シアンなのか、そして量比がどうなのか、それにより起源に対する見方が変わるのではなかろうか。

ここで本筋に戻るが、異常値が分析法そのものにも原因があるのなら、これまでにもシアンの異常値が出てきてもおかしくない。それが40年間も現れずに(報道を信じるとして)なぜ今回初めて表沙汰になったのだろう。

今回の報告書は驚くべき事実を新たに報じている。

平成20年度から塩素酸の基準値が0.6mg-CL03/Lとなり、伊藤ハムで塩素酸量をモニターしていたところ、6月から9月にかけて1号、2号、3号井戸処理水で基準値を超える塩素酸が検出されるようになり、《このため、9 月以降の定期的な水質検査日には、前塩素処理としての次亜塩素酸ナトリウム注入量を、塩素酸の上昇を抑えるために、従前の半分低度まで減少させた。特に2 号井戸では、採水当日の2 時間(9 時から11 時)のみ減少させている。》(報告書39ページ)

なんとなんと、塩素酸の基準値をクリアーするために、定期検査に備えて次亜塩素酸ナトリウム注入量を通常の半分、もしくはそれ以下に減らしていたと言うのである。塩素酸量を減らさんがための小細工がシアン化物イオン及び塩化シアンの増加をもたらすという実に皮肉な結果になった可能性が大きくクローズアップされたのである。やはり異常値が出た時には変なことをやっていたのである。調査対策委員会がこの事実を見出したことはきわめて大きい。

しかし私は上記の「発生原因」はあくまでも一つの推論に止めておきたい。このメカニズムでは2号井戸原水の基準値を上回るシアン化物イオン及び塩化シアンを説明できないからである。繰り返しになるが2号井戸原水からシアン化物イオン及び塩化シアンが検出された当時、なぜ速やかに再検査を実施しなかったのか、私には不可解である。

ここでいったんペンを置くが、私がこの件でもっと声を大にしたいのは自主回収のことなのである。また折りがあれば触れたいと思う。


「豆まきデータ」と揶揄した債務者とは私のこと?

2008-12-20 00:16:08 | 学問・教育・研究
一昨日これでは核融合研究より農業再生をを投稿してから、この記事を書くきっかけとなったコメント主リバモアのロレンスさんのURLが判明した。コメント欄に公開した段階でURLが浮かび上がったのである。この中に「科学的事項説明、反論」という20ページのPDF文書があり、一読したところ思いがけない文章に遭遇した。その19ページを引用するが、その文章の中ほどにある《特に、左図は、「豆まきデータ」と債務者が揶揄するデータそのものであり》との行である。



確かに私は3月13日の記事筑波大プラズマ研 不適切なデータ解析についてで、問題のショット番号196941とあるデータを《点の広がりは私の目には節分の豆まきのように見えるが》とも、《上の「豆まき」データを下の「曲線」に仕上げるとはこの専門家集団はよほど楽天的なんであろう。》とも書いた。

私以外にも「豆まきデータ」なる言葉を使った人がいるのかと思い、筑波大学が公表した「本学教員が発表した論文における不適切なデータ解析について」の資料を検索したが「豆まきデータ」なる言葉は出てこなかった。

上記「科学的事項説明、反論」がいつ作成されたのかは明記されていないが、文章中に「Physics of Plasmas 15, 056120(2008)」なる文献が引用されており、調べてみるとこの論文のタイトルは「Active control of internal transport barrier formation due to off-axis electron-cyclotron heating in GAMMA 10 experiments」で、その履歴は「Received 13 November 2007; accepted 17 March 2008; published 7 May 2008」となっている。その発行日から見るとこの文章が今年の5月以降に作成された可能性が考えられる。となるとこの著者は私の3月13日の記事を目にしているのかも知れない。さらにコメントの中には「債務者」という私には理解しにくい言葉が出ているが、同じ言葉が「科学的事項説明、反論」にも出ている。となるとこの「債務者」とは私のことか?と思わざるを得ない。

もしこの一文がリバモアのロレンスさんのお目にとまれば、この「債務者」というのが私のことなのかどうなのか、もし私のことならなぜ「債務者」と呼ばれているのか、その辺りの事情を説明していただけないだろうか。「債務」とは「借金を返さなければならない義務」と辞書にも出てくる。このままでは気持ちよく正月を迎えられないではないか。もし私のことでなければ忘れることにする。

そこで再び「科学的事項説明、反論」に戻るが、私が「豆まきデータ」と呼んだいわゆる生データが本当の生データなのかどうか、実は私には納得できていないのである。3月13日の記事で私は《一番上の図を見ると時刻:85.0-98.48msと記されている。想像するにプラズマが発生している間に横軸となっている電圧を掃引して縦軸の電流値を測定していくのだろうか、それが20msもかかっていないとすると、測定回数を増やしても苦にはならないのではないか。》と想像を述べた。生データということから私が描いたイメージでは、2チャンネルのデジタルレコーダーの一方(横軸として)に電圧を、もう一方(縦軸として)に電流を入れるとして、ある時間間隔でデータ取り込みトリガーのパルスを発生させる、そのような測定法なのであるが、果たして実際にはどうなのであろう。この仕組みが公表された文書からは読み取れない。私が問題にしているのはデータの解析方法ではなくて、あくまでもデータ収集の手段なのである。同じ測定を繰り返し積算してデータの精度を上げる、これが実験科学者の鉄則であるからだ。


追記(12月21日) 上記参考図 C の説明で《左図は、「豆まきデータ」と債務者が揶揄するデータそのものであり》とされているデータに「#196941(rc=11.9cm) 135.00-148.48ms」との書き込みがある。ところが私が「豆まき」データと最初に評したデータを12月18日の記事の中に再掲したが、そのデータには「ショット番号:196941、時刻:85.0-98.48ms、動径距離:rc=11.9cm」と記されている。両者はまったく同じデータの筈なのになぜか時刻が異なっている。どういうことだろう。

伊藤ハム「シアン問題」の謎について

2008-12-11 20:24:36 | 学問・教育・研究
伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会の報告書は出たもののの続きである。

伊藤ハムが公開した「シアン問題」調査対策委員会の報告書の第一ページに《調査対策委員会の最終的な報告書は、別途作成し後日報告する》とあるので、一昨日(12月9日)私がこの報告書に目を通して感じたいくつかの問題点が最終報告書で解き明かされることを期待している。従ってこれから述べるように、シアンの異常値が検出されてからの状況にあれこれと想像を巡らすのは、私の頭の体操のようなものだとお心得頂きたい。ここで伊藤ハムの公表したシアン異常値の全てを再掲する。

  9月18日 2号井戸処理水  0.022 mg-CN/L
  9月25日 2号井戸処理水  0.034 mg-CN/L
  10月3日 3号井戸処理水  0.014 mg-CN/L
  10月7日 2号井戸原水   0.037 mg-CN/L

分析は一昨日も述べたように外部の分析機関に外注したもとして話を進めるが、この日時は採水時のものだろうから結果が判明するのは早くても数日後であろう。かって私どもの教室が医学部構内排水の水質検査を全面的に引き受けていたが、その日の内に結果を出していたものである。

9月18日の異常値が伊藤ハムに通知された時に、伊藤ハムの担当者はまずどのように反応したのだろう。この時点で分析機関、伊藤ハムともどもこれが異常値であると認識していたのだろうか。もし異常値と認識したのであれば、40年この方初めてのことなので、慌てふためいたのではなかろうか。分析機関に「絶対に間違いはないのか?」と念を押したであろうし、当然再検査を考えるであろう。しかし異常との認識がなかったのかも知れないし、また異常ではあるけれど何かの間違いかも知れない、もう少し様子を見ようと静観したかも知れない。最終報告書はこの辺の事情も報じるべきであろう。

9月25日にも異常値が出た。おかしいけれど原水は大丈夫である。とすると原水の処理過程に問題があったのかもしれないとは思いつつも、「治にいて乱を忘れ」、なかなか迅速な対応に移れない。しかし10月7日には、9月18日時点では問題のなかった2号井戸の原水にこれまで最高の異常値が検出されたのだから、いくら腰が重くとも何らかの動きが欲しいところである。現実には2号井戸を原水とした水道施設の運転を停止したのは報告書では10月下旬となっている。最初に異常が観測されてからほぼ1ヶ月もの間、異常値に対応する積極的な処置が取られていなかったことになる。しかしまったく何もしなかったとは私には思われない。現場の技術者の技術者魂を信頼するからである。いずれかの段階で必ずや再検査を行ったとのではないかと私は思いたい。

ここで私は想像を逞しくするのであるが、再検査でちぐはぐの結果が出て新たな混乱が生じたのではなかろうか。極端な場合として再検査では異常値が再現されずにすべてが正常であった可能性もありうる。そうだとすると伊藤ハム側でも対応に苦慮することになる。再検査の結果では井戸水原水、処理水ともに正常なんだから、以前の異常値の方がおかしいのであって、わざわざその疑わしい異常値を公表することもないのではないか、との意見が当然出てくるだろう。一方、結果的には異常ではなかったものの、異常値が報告されたのは事実であるし、なぜ異常値が出たのかその原因がはっきりしない限り、それを押し隠して万が一バレた時は、世間に実害を及ぼさなくても報告を怠ったと言うだけでも直ぐに袋叩きされるご時世だから、やはり公表すべきだとの意見がせめぎ合ったのではなかろうか。最終報告がこのような微妙な問題にまで触れるとは考えにくいので、あえて私の想像力を働かせたまでのことである。

では私がなぜ極端な場合として再検査では異常値が再現されずにすべてが正常であった可能性もありうると想像したかというと、私のある個人的な経験があったからで、そのお話をしなければならなくなる。やや専門めいた事柄なのであるが、できるだけかみ砕いて話を進めることにするが、ややこしいのはまっぴらご免と仰る方は、下の両手に花の写真だけをご覧あれ。

この問題では「シアン」と世間に報道されているので私もそれに倣ったが、化学的には「シアン化物」とか「シアンイオン」と言うのが正しい。また「シアンイオン」を含む物質の総称として「シアン化合物」も使われる。「シアン化物」の代表的なものが劇薬として知られるシアン化カリウムで、世間によく知られている青酸カリはその俗称である。致死量は0.15gで数秒間で死ぬと言われている。なお青酸とはシアン化水素のことである。Yahoo百科事典は「青酸中毒」を《青酸および青酸塩は体内吸収が速く、皮膚からの侵入については汗で吸収が助長され、傷口があればいっそう危険性が高まる。生体内での作用は、シアンイオンが細胞呼吸酵素のチトクロムオキシダーゼを抑制して組織呼吸を阻害するため、組織は動脈血から酸素を摂取できなくなり窒息状態に陥る。》(強調は引用者)と説明している(ちなみに、私の手元にある平凡社発行「世界百科大事典」(初版)の「青酸中毒」についての説明は正しくない)。

推理小説などに出てくる青酸中毒死の死体は皮膚が紅潮しているようだが、私は実見したことがない。思うにオキシヘモグロビンと言って、酸素を結合したヘモグロビンのなせる技なのであろうか。オキシヘモグロビンは鮮紅色なのである。ふつうなら心臓から出て動脈を通り身体の隅々まで運ばれたオキシヘモグロビンは、毛細血管を通っている間に酸素を離して同時に淡い赤色になり、静脈を通って心臓に戻る。この遊離された酸素が呼吸酵素に使われて水になる間に、私どもが生きていく上に欠かせないATPと言うエネルギーの源が作られるのである。ところが青酸中毒ではシアンイオンがこの呼吸酵素と強く結合するものだからこの酵素がもはや酸素を利用できなくなり、オキシヘモグロビンが酸素を離す必要がなくなる。そうすると身体中で鮮紅色のオキシヘモグロビンが充満するものだから、当然外見の色合いが変わって見えることになる。このように青酸は呼吸酵素を失活させてしまう猛毒なのである。

実を申せばこの呼吸酵素は私にはお馴染みの酵素なのであって、青酸がどのようにこの酵素と結合してその働きを止めてしまうのかについて先駆的な説を出したと思っている。多分今でも生き残っている筈である。そのような仕事をしている時に、米国の研究仲間の一人である女性教授から面白い話を聞いたのである。この分野では私より遙かに先輩である彼女が、もう半世紀も前のことになるが、この酵素の基質濃度と活性の関係が酵素反応一般に知られている関係に従わない新しいタイプであることを発見して、そのプロットを論文に発表したことがる。その頃は名前を知るだけであったが、私が自分の論文でそのユニークなプロットを彼女とその共同研究者の名前を取りS-C Plotと名づけて紹介したことがきっかけとなり、その後顔を合わせるとあれやこれや気楽に話し合う間柄になっていたのである。下の写真の向かって右が米国Dartmouth Medical School生化学教授(当時)の彼女で、左がそのお弟子さんで件の共同研究者、これはおよそ30年前の写真である。



閑話休題、その彼女がある内輪話をしてくれたのである。研究室で何人かのポスドクが呼吸酵素の活性を日常的に測定しているのだが、あるポスドクが活性を測定すると他のポスドクにくらべてその値がいつもかなり低い。同じ酵素標品を使っているにもかかわらず、である。どうも解せないので彼女が原因を調べたところ、思いがけないことが分かった、何だと思う?と聞く。私は首を横に振った。そのポスドクがヘビースモーカーで、ところかまわず煙をふかす。その煙に青酸が含まれていて、どういう経緯かこの青酸が反応溶液に溶け込み、酵素活性を阻害していたと言うのである。今でこそたばこの煙に青酸ガスが含まれていることを、たとえばカナダ政府などは大々的に宣伝に努めている。しかしその当時は私にとっても新知識であった。

われわれが消費する酸素の90%以上が呼吸酵素に使われる。口から体内に入った食物は消化されてだんだんと小さな分子になり、最後には二酸化炭素と水になってしまうが、その水を作るのが呼吸酵素なのである。酸素が水に還元されるのには電子が必要であるが、その電子を供給するのが食物由来の小分子である。細胞内では還元型のチトクロムCが呼吸酵素に直接電子を渡す。

かっての生化学者は酵素を精製するのが得意で、私も牛心臓の筋肉から呼吸酵素やチトクロムCを自分で精製していた。それぞれ単独の成分としてきれいにするのである。そうすると元来は生体内の反応を試験管の中で起こさせることが出来るようになる。チトクロムCを化学的還元剤で還元して余分の還元剤を除き、これにほんの微量の呼吸酵素を加えると還元型チトクロムCが酸化されて酸素が水になる。還元型チトクロムCはある特定の波長に強い吸収帯を持つが、それが酸化されるにつれて弱くなる。だからその吸収帯の強さの時間変化を分光光度計を使って自動測定してこの酵素の活性を決めるのである。

分光光度計には試料室と言って、反応を起こさせる容器をセットする狭い空間がある。容器とは普通石英ガラスで出来た底面が1センチ四方で高さが4センチほどのキュベットと呼ぶ柱状の容れ物である。これにあらかじめ還元型チトクロムCの溶液を入れておき、そのたとえば400分の1容量の酵素液を素早く加えて反応を開始させる。そのキュベットには吸収帯の強度変化をモニターする観測光が当たっており、測定の最中に外光が入らないよう試料室には蓋が付いている。必要な操作をする時だけ蓋を開閉するのである。青酸が酵素活性をどのように阻害するのかを知りたければ、濃度が分かるように青酸を反応溶液に加えて、吸収帯の強度変化がどの程度遅くなるのかを測定する。

青酸がきわめて扱いにくい物質であることはすでに知っていた。白色結晶の青酸カリは水に簡単に溶けて強いアルカリ性の溶液になる。時にはこれを塩酸で中和するが、この操作はかならず排気の良いドラフト内で行った。酸を少しでも過剰に加えると直ちに揮発性の高い青酸ガスが溶液から飛び出して、それを吸うと危険だからである。青酸ガスは揮発性が高いから空気中を飛び回る一方、また水にも、とくにpHが高いとよく溶け込む。「たばこの煙事件」の話を聞いた後では、青酸を用いる実験ではキュベットには必ず蓋をして青酸の予期せざる出入りを防ぐようになった。

ところで青酸がどの程度猛毒なのかは、ふつう酵素活性が半分になる時の青酸濃度で表す。私どもの測定ではそれがおおよそ0.026 mg-CN/Lであった。と言うことはたばこの煙が原因でこのレベルの青酸が活性測定の反応溶液に、キュベットに蓋をしていなければ、溶け込む可能性があり得ることになる。そしてこれは偶然にも上のシアン異常値と同じレベルなのである。ここまで来れば私が伊藤ハム「シアン問題」の一連の経緯から、どのようなことを想像したかはもうお分かり頂けるであろう。一番簡単に考えやすいのは分析機関でたまたま「ヘビースモーカー」が分析を行い異常値を得たのではないか、と言うことである。限られた空間で「ヘビースモーカー」と分析にかけられる直前のサンプルが共存する場合を想像すればよい。この場合、再実験したとしてその時はたばこの煙がもうもうということは先ずあるまい。いかに「ヘビースモーカー」であっても人の目を気にするだろうからである。またノンスモーカーの別人が分析したかも知れない。となると異常値はもう出てこない。

別に「ヘビースモーカー」でなくても良い。青酸ガスとの接触を疑わせるような状況に分析直前のサンプルが置かれた可能性があったのかなかったのか、それを明らかにすることが必要なのである。このたびの報告書は一昨日にも指摘したように《井戸水などの地下水は良質の水資源であるが、いったん汚染されるとなかなか水質が回復しないことを鑑みると、シアンが井戸水や水道施設から連続的に検出されていないことは不可解である。また、水道の水質基準を越えるシアンが検出された場合、ただちに給水を停止すべきであったことは自明のことであるが、前述のことを考えると単純なシアン汚染とは考えにくい。》ときわめて正しい結論に至っている。だからこそ異常値の出てきた状況を完璧に調べ上げなければならないのである。

最終報告書でこの調査がなおざりにされているようでは、科学的には無価値と言わないまでも評価はきわめて低いと言わざるを得ない。関係者の奮起を期待したい。


伊藤ハム「シアン問題」調査対策委員会の報告書は出たものの

2008-12-09 18:25:09 | 学問・教育・研究
伊藤ハム東京工場では専用水道施設で処理した井戸水を用いて製品を作っていたらしい。平成20年9月末から10月上旬にかけて、その井戸水原水と処理水で水道水の水質基準を超えるシアンが一時的に検出されたが、それが公表された時点でソーセージとピサ計13品目約267万パックがすでに製造されていたとのことである。伊藤ハム内部でシアン検出の情報が周知されるまでに時間がかかり、その事実の公表の遅れたことがマスメディアの取り上げることとなった。伊藤ハムは対象となった26製品にシアン化合物は検出されなかったものの自主回収を進めており、12月1日現在で167万個回収済みとのことである。もしこれを廃棄するのなら、なんとも勿体ない話である。健康障害が起こりうるはずはないのに無意味なことをすると言う気が私にはあったのでこのニュースには冷淡であったのだが、今回伊藤ハムが「シアン問題」調査対策委員会の報告書(12ページのPDF文書)を12月5日に公表したので目を通してみた。伊藤ハムが委員会を設けたのは11月4日だから1ヶ月で報告書が出たことになり、その迅速性を評価するが、私が見るところ中身は科学的にいくつか問題点があって、結論を急いだなとの印象が強く残った。一番の問題点は状況証拠的な実験結果はあるものの、どこからシアンがやって来たのか、それを説明できていないと言うことである。私が問題点と思うところを順次取り上げてみる。

ことの起こりはこうであった。報告書から引用する。

《伊藤ハム(株)東京工場専用水道施設(以下、水道施設と称す)では、1号井戸、2号井戸及び3号井戸を原水として使用している。平成20年9月末から10月上旬にかけて、水道水の水質基準を超えるシアン(0.010 mg-CN/L)が、2号井戸の原水で1例(0.037mg-CN/L 10/7)、2号井戸の処理水で2例(0.022 mg-CN/L 9/18, 0.034 mg-CN/L 9/25)、3号井戸の処理水で1例(0.014 mg-CN/L 10/3)検出された。しかし、水質検査を継続して実施しても、その後は、基準値を超えるシアンは井戸水の原水及び処理水からは、検出されていない。》(強調は引用者、以下同じ)

時系列に書き直すと次のようになる。

  9月18日 2号井戸処理水  0.022 mg-CN/L
  9月25日 2号井戸処理水  0.034 mg-CN/L
  10月3日 3号井戸処理水  0.014 mg-CN/L
  10月7日 2号井戸原水   0.037 mg-CN/L

報告書には記載されていないが、産経ニュースによると《工場内の3カ所の井戸のうち1カ所に最初の検査が行われたのは9月18日。3カ月に1回行われる定期検査だった。》(2008.10.26 00:39)とのことである。水道水の水質基準を超えるシアン(0.010 mg-CN/L)が検出されたのは、後にも先にもこの4例だけと言うのが注目に値する。従って報告書が述べている次の見解は私にもよく分かる。

《井戸水などの地下水は良質の水資源であるが、いったん汚染されるとなかなか水質が回復しないことを鑑みると、シアンが井戸水や水道施設から連続的に検出されていないことは不可解である。また、水道の水質基準を越えるシアンが検出された場合、ただちに給水を停止すべきであったことは自明のことであるが、前述のことを考えると単純なシアン汚染とは考えにくい。》

このように上記4例がきわめて特異であることが分かるが、それにしてはこれらの測定値がどのように得られたのか、報告書では何一つ触れていない。3カ月に1回行われる定期検査と言うから、外注したのだろうと想像されるが、果たしてどうなのだろう。検査方法も明記されておらず、またシアンイオンとしてなのか塩化シアンとしてなのかもはっきりとしない。検査の生データの欲しいところであるが、とにかくこの異常な数値が先ずありき、で話が始まるのが私には引っかかる。これも同じ産経ニュースが《山田専務は「工場を稼働してきた約40年の間、同様の異常が報告されたことはなかった」と強調。》と伝えている。40年に一度の異常値を検出して誰もなんとも思わなかったのか、それが私には理解できない。異常値だという認識があれば当然改めて井戸水原水および処理水の採取から始めて再検査を行うのが普通の感覚ではなかろうか。調査対策委員会の委員が一人でもこの点に疑問を持てば、このような異常値の提出だけでは終わらなかったはずである。ここに大きな問題点がある。

次に上記最初の3例で、井戸水がどのように塩素処理されたのかその具体的な手順・内容が報告書には出ていない。これは後で重要な意味を持つが、ここではこの事実の指摘だけに止めておく。いずれにせよその後の井戸水原水および処理水にシアンが検出されなかったことに安心してしまったのか、異常値がどのような経緯で出てきたのかの追求がまったく為されていないようなのが解せない。報告書の冒頭でちゃんといったん汚染されるとなかなか水質が回復しないことを鑑みると、シアンが井戸水や水道施設から連続的に検出されていないことは不可解であると述べているではないか。異常値が検出されたこと自体が不可解なのであれば、先ずその異常値の出てきた状況を詳らかに調べ上げることを思いつくべきであろう。誰かが測定値に0を一つ付け忘れたのではないのか、私ならそう言うことすら疑うだろう。

さらに問題点は続く。報告書はしかし、水質検査を継続して実施しても、その後は、基準値を超えるシアンは井戸水の原水及び処理水からは、検出されていないと述べている。上の最初の3例は井戸水原水にはシアンが検出されなかったのに、処理水にシアンが検出されたことになっている。そこで原水を次亜塩素酸ソーダで処理する過程でシアンが生じたのではないかとの推理を立てて、「シアン生成に関わる再現実験」を行ったとのことである。大事をとって公的な分析機関に実験を依頼する一方、委員の一人も再現実験を行った。この経緯は私にもよく理解できる。

その試験方法とは報告書によると次のようである。先ずは公的機関での再現実験Aの場合。

《1号井戸水、2号井戸水及び3号井戸水に、塩素添加量を6段階に変えた試験を行い、シアン、アンモニア性窒素、残留塩素を測定した。まず、試験にあたっては、塩素要求量を測定し、塩素要求量の0倍、0.25 倍、0.50 倍、0.75 倍、1倍、2倍となるように塩素添加量を調整した。つまり、塩素要求量が15.4mg/Lであった場合、塩素要求量の0.25 倍及び0.50 倍となる塩素添加量は、3.85mg/L 及び7.70mg/L となる。所定量の塩素を添加・撹拌した後、20℃・暗所で2時間静置した後、水質分析を行った。》

その結果

《全ての試料について、塩素添加量/塩素要求量の比が0.75 である試験系列で、微量ながらシアンが生成されることが分かった。生成したシアンの内訳は、大部分が塩化シアンであった。》

次に委員の一人が再現実験Aと同様な方法で行った行った再現実験Bでは次のような結果が得られている。



この再現実験の何が問題なのかというと、再現とは厳密な意味では井戸水処理水で異常なシアン値が得られた時の状況をそっくり繰り返すことであるのに、報告書に目を通す限りこの状況が何一つ記されていない。と言うことは状況が把握されていないのであろう。それでその時の状況を再現できるはずがない。現に所定量の塩素を添加・撹拌した後、20℃・暗所で2時間静置が現場での原水処理のどの過程を再現していると言えるのだろう。行ったのは単なるモデル実験に過ぎないのである(報告書では後の方で一カ所「室内実験」という表現を用いている)。しかしモデル実験であれ、塩素処理の際に有効塩素濃度が低下すると、たとえ微量といえどもシアンが生成したのである。それは良い。しかしここで厳しく言うとそのシアンのレベルが問題なのである。上図で生成したシアンはせいぜい0.003 mg-CN/L程度にしか過ぎない。水道水の水質基準(0.010 mg-CN/L)の三分の一のレベルである。これでは基準値を上回るシアンの存在を説明したことにはまったくなり得ない。この事実を認めた上で報告書は次のように結論づけている。

《おそらく、再現試験で実証した現象が、伊藤ハム(株)東京工場の井戸水の水処理において発生し、悪い条件が重なって基準値を超えるシアンが検出されたものと推察される。》

この強調部分を詳らかにするのが科学なのではないのか。そのために悪い条件が重なったかも知れない異常値が出た時の状況を先ず徹底的に調べ上げるべきであるのに、その形跡が見られないことは、初動調査の段階で原因調査としては大きなミスを犯したと言わざるを得ない。しかもこの結論ではシアンの混入にこれ以外の可能性を排除してしまったことになり、それが私に言わせると危険なのである。なぜ私がこの異常な測定値が出た時の状況に徹底的にこだわるのか、私にひょっとして、と思い当たる一つの経験があるからである。次にそれを述べてみようと思う。


庭仕事から大学制度へ話が飛ぶ

2008-11-29 22:14:50 | 学問・教育・研究
古希を過ぎてどうしたことか庭仕事を始めた。庭木の植え替えこそ庭師さんにお願いしたが、花壇にテラスなどすべて私の手作りである。ようやく全体の形が見えてきたが本格的な完成は年を越えそうである。試行錯誤の繰り返しが多いせいである。そして草花に野菜も育て始めたが、そこで思い知らされたのは私が卒業した理学部生物学科で習ったことがわずかな例外を除いて何一つ役に立たないと言うことであった。

肥料の三要素が窒素、リン、カリであると言われてはじめてそれと認識したし、ましてや窒素が茎や葉を育て、花にはリンが根にはカリが大切だなんて頭の片隅にすらなかった。見覚えのあるのは窒素、リン、カリをそれぞれ表す元素記号のN、P、Kぐらいだった。

草花を育てるのに土が大切だと言われても、現実に瓦礫混ざりの粘土質の土壌をどのようにすればいいのか、これもさっぱり分からない。庭師さんに本格的に植物栽培に適した土にするには土をトラックで運んできて入れ替えないといけない、なんて言われてもそこまでする気は起こらなかった。そこで花壇の土だけは赤玉土や腐葉土に牛糞などをホームセンターで買ってきて適当に混ぜ合わせてそれらしきものにしたが、それ以外のところではその場その場で部分的な改良に止めている。

夏前に花一輪つけたヒマワリの苗を買ってきて地植えにしたが大きくならずに失敗、ブルーベリーも接ぎ木で丈夫だからと言われて買ってきたが、これもいつの間にか枯れてしまった。来年の結実を期待してジューンベリーに最近植え替えたところである。♪サルビヤは赤いぞ、と歌の文句に誘われて植えた苗は大きく育ち、何種類かのコリウスは美しい葉色で楽しませてくれた。しかしパンジーとかビオラがどうも大きくならない。手引き書を見ても花壇で育てるのなら最初水やりをしっかりしたら後はほっとけ、と言うのもあるし、液体肥料を一週間に一度はやりましょうと言うのもあるので、何を信じて良いのか分からない。そうこうしているうちに地元のCOOPが園芸の三回講座を催すことを知って参加を申し込み、一回二時間、計六時間のレッスンを受けることになった。

講師の話は昨今の園芸事情から始まり、用土、肥料、害虫退治に病気の予防などに及んだ。私の知りたいことを次から次へと話してくれるので、全てが頭の中にすーっと入っていく感じだった。疑問には的確な答えが返ってくる。自分でも園芸店を経営している人の話だから、何事も具体的でなかなか説得力に富んでいた。ホームセンターなどえ溢れかえっている肥料や農薬などについてもどのように選ぶのが良いのか、業界の裏話を交えた説明はきわめて実用性が高い。たとえばバラの肥料とか、ブルーベリーの肥料とか特化したものがいかに割高であるか、それを避けるためには特化肥料に似たN:P:K比の一般肥料を買えばよいとか、そういう実用的な知識を授けていただく。

世間にはたとえば液体肥料を1000倍に希釈すると言われてもどうすればよいのか分からないから、希釈済みですぐに使えるボトルを原液と同じ値段で買う人も結構多いなんて話を聞くと、この時はメスシリンダーを使って試薬作りをした化学の実験室実習が生きていることを実感した。希釈さえ出来れば原液を買うことで、単純計算であるが、1000分の1の費用で済むからである。

最後の30分は実習と言うことで寄せ植えをした。



この材料の一つがパンジーである。講師によると花を咲かせたパンジーの苗を買った時点で、すでにパンジーは瀕死の状態にあると言うのである。花は花を咲かせたらあとは種を作りそれで終わりだからだそうである。従って苗を地植えにする場合に、最初の1ヶ月は花が開けばそれを摘んで花を咲かせないようにする。そして花を咲かせようと思う時まで株を大きく育てるのだ大切だという。花咲じいさんでもあるまいし、自分でどうして花を咲かせる時を決められるんだろうと不思議に思ったが、話を聞いているうちに疑問が氷解した。その時期が来るまではとにかく花を摘む。そうすると株が大きく成長しつぼみがだんだんと増えていく。だから3月始めに咲かせようと思えばそれまではとにかく花を摘む。いよいよ咲かせる時が来たらそこで花を摘むのを止めればいいのである。ただそれだけ、なんとも分かりやすい話でまさに目から鱗であった。上手にすると一株がシーズンの間に400個以上もの花を咲かせるそうである。こういう調子なので全ての話に熱中したのである。

ここで私が園芸をするのに大学で習ったことはNPKと希釈のことを除いては何も役に立っていないということに話を戻す。この園芸セミナーで必要なことは、講師の喋る言葉そのものとその意味が理解できることなのである。配られた教材を読む能力も必要であるしまた簡単な計算が出来た方がよい。いわば古くから言われている「読み書きそろばん」の能力が備わっておれば講師の話にはちゃんとついていけるのである。「読み書きそろばん」の能力は小・中学校の義務教育で最低限必要なことは身につくであろう。もう少し高度な基本知識を身につけたいと思うものだけが高校に進むか、生計を立てる上で必要な実用的知識を授けてくれる専門学校などで学んでいけばよい。大学なんて無くて済む。そう考えると大学に進むのはよほどの変わり者で、学者になりたいと考えるのはその最たるものであろう。

一方、大学で教えなければならないものて何だろう。医者、農・工技術者のような実学者や教師を目指す学生に対しては最低限教えなければならないことが自ずと定まってくるだろうが、これはそれぞれの専門学校、師範・高等師範学校で十分教えられることである。弁護士や裁判官などももちろん実学系になる。戦前は医学専門学校、工業専門学校、農業・農林専門学校などからは有能な技術者が輩出していた。こういう実学系学校が戦後大学に統合されていったからここに大学教育制度の混乱が生じたのである。

実学系で何を学ぶべきか、目標がはっきりしている場合には教えなければならないことも焦点を絞りやすい。しかし理学部や文学部のようなアカデミックな分野では発展の可能性が無限にあるものだから、教える目標を定めること自体本来は無意味なのである。結局教師一人ひとりが自分が教えられることを喋っているだけのことであって、もともと実生活にすぐに役立つような知識を授けるわけではない。というより実用的なことを講義しておれば同僚・学生にバカにされるので、ことさら高踏的な話をしては自分で酔ったりする。戦後の大学乱立時代にその存在理由を深く考えること無しに(と私は思っている)各種専門学校を大学に統合・昇格させたばっかりに、実学教授の面が見せかけのアカデミズムに『毒されて』弱体化してアカデミックでもなければ実学教育でもない中途半端な名ばかり大学が蔓延ることになったのである。専門学校を形だけの大学にすべきではなかったのである。

大学は元来アカデミックなものでなければならない。その大学のなかに実学を目指すべき専門学校が取り込まれ、両者の境界が曖昧になるばかりではなく実学の影が薄くなるとともにアカデミック大学そのものの全般的な弱体化されてしまったと私は思う。大学が改めて実学とアカデミズムとに分かれるべき時期がすでに来ているのであり、昨今取り沙汰されている「大学の質の保証」はアカデミズムへの回帰を強調したものと受け取ればよい。そのためにはまず実学系を分離すべきなのである。以前にも私が教員にも通信簿というご時世? 自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆で《私は国立大学の大規模な統廃合が避けられない時期が必ずやってくると見ている。最終的には旧帝大を核としてその倍ぐらいは残るかも知れない。道州制の先行きとも密接に関連してくるだろう。》と述べたが、これはアカデミック大学を指しているのである。このアカデミック大学から脱落した大学は、名称はともかく、実体がかっての『専門学校』に戻るべきなのである。この問題はまたあらためて取り上げることにする。

園芸セミナーで実学とアカデミズムとの乖離を実感したことが、私の持論をさらに展開させることになった。


マイケル・クライトン(Michael Crichton)の死去を悼む

2008-11-07 23:21:11 | 学問・教育・研究
昨日(11月6日)日経夕刊にマイケル・クライトンの訃報が載せられていた。



つい四日前に「Amazon.co.jpのお客様へ、 Amazon.co.jpで、以前にMichael Crichtonの本をチェックされた方に、このご案内をお送りしています。『Michael Crichton Thriller Two』、現在好評発売中です。」とのメールが届き、どうしようかなと考えていたところだったので驚いた。まだ66歳だから若い。ガンで亡くなったとのこと、自分でも知識があり最新の情報にも通じていただろうに尽くす術がなかったのだろうか。新作をいつも心待ちにしていただけに残念である。

クライトンの小説は「Sphere」以降は全部ペーパーバックで読んだ。つい最近、買ったままにしていた「NEXT」を読み終えたところでもあった。



遺伝子ビジネスの近未来を描いた作品で、麻薬などへの依存症をひきおこす遺伝子を同定して新薬開発に走ったり、ヒトとチンパンジーの遺伝子操作で生まれた人間並みの知能のあるチンパンジーが活躍したり、人と何カ国語も使って会話の出来るおうむが登場するのはお愛嬌で、その実、米国における遺伝子にかかわる特許制度のあり方とか、人体組織の取り扱いなどを規定する法律への批判、そして提言などを作品の中に織り込んだ、なかなか社会性の高い作品だった。しかしこれまでの作品でもそうだったが、それにもまして話の展開のスピードが早く、また並行的に進む物語が多すぎて頭の混乱を来したりするものだから、やや散漫との印象を持った。今になって思えば、著者の病の進行が影響したのだろうか。

彼がこの著作のために遺伝子ビジネスについて、いろいろと調べて到達した結論を著者ノートにまとめている。

1. Stop patenting genes.
2. Establish clear guidelines for the use of human tissues.
3. Pass laws to ensure that data about gene testing is made public.
4. Avoid bans on research.
5. Rescind the Bayh-Dole Act.


私は今年初めのブログ万能細胞(iPS細胞)研究 マンハッタン計画 キュリー夫人で次のように述べた。

《京都大学(山中教授)が万能細胞研究の人類全体の医療に及ぼす影響の普遍性にかんがみ、すべての研究者が特許出願を抛棄するべく全世界に率先して働きかけて欲しいものである。研究者が自らの研究の社会的意義を考え、特許を念頭に置かずに研究成果をすべて公表する、これは一人一人の研究者の判断で出来ることであろう。科学者の社会的責任を今原点に戻ってじっくり考えていただきたいと思う。》

この特許についての私の考えはクライトンの考えと基本的には一致している。とくに大学における特許問題について最後の「Bayh-Dole法を破棄せよ」での指摘はまったく同感するところである。著者によるとBayh-Dole Actというのは大学の研究者が、たとえ税金で研究を行ったとしても、その発見を自分の利益のために売り渡すことを認めたものであるとのこと、1980年に議会を通ったそうである。その結果どういうことになったか。

《Academic institutions have changed in unexpected ways: The original Bayh-Dole legislation recognized that universities were not commercial entities, and encouraged them to make their research available to organizations that were. But today, universities attempt to maximize profits by conducting more and more commercial work themselves, thus making their products more valuable to them when they are finally licensec.・・・・・. Thus, Bayh-Dole has, paradoxically, increased the commercial focus of the university. Many observers judge the effect of this ligislation to be corrupting and destructive to universities as institutions of learning.》

さらに続く。

《Secrecy now pervades research, and hampers medical progress. Universities that once provided a scholarly haven from the world are now commercialized―the haven is gone. Scientists who once felt a humanitarian calling have become businessmen concerned with profit and loss.》

わが国の大学もすでにこのような商業化の道を辿りつつあるのだろうか。気になることである。このような確固たるバックボーンを根底に、SF小説でその時その時の科学問題を読者に伝えともに考えさせてきたマイケル・クライトン、その早世が惜しまれる。  

【追記】大学での特許問題についての私の考えは以下の通りである。

iPS細胞の特許問題に思うこと
大学は特許料収入でいくら稼ぐのか 知的財産管理・活用ビジネスのまやかし
角田房子著「碧素・日本ペニシリン物語」 そして大学での特許問題へ
学問の自由は今や死語?