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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

元東大教授の懲戒解雇適法のニュースに思うこと

2009-01-30 15:22:16 | 学問・教育・研究
昨日(1月29日)、私の以前のブログ記事画期的な多比良和誠東大教授の懲戒解雇処分理由へのアクセスが急増した。もしやと思ったら、やはり裁判で争われていたこの問題に対して、東京地裁の判決が出たのであった。時事ドットコムは次のように伝えている。

《元東大教授の懲戒解雇適法=論文不正「信頼性に最終責任」-東京地裁

 リボ核酸(RNA)研究論文の不正疑惑で、東京大を懲戒解雇された多比良和誠元教授が、同大を相手取り、教授としての地位確認を求めた訴訟の判決で、東京地裁は29日、「不正が疑われる元助手の実験で確認を怠ったのは、研究者として考えられない態度だ」として請求を棄却した。
 中西茂裁判長は「責任著者は論文全体の信頼性について最終的な責任を負う」と指摘。多比良氏は実験や執筆を担当しておらず、解雇権の乱用だと訴えたが、「責任は著しく重く、懲戒解雇とした判断は相当」とした。》(2009/01/29-20:45)

東大が発表した懲戒解雇の理由は公開文書にあるが、次のように締めくくられている。

《責任著者としての同人の論文の作成・発表に関する行為と、研究室の最高責任者としての同人の助手等の指導監督や研究室の運営を巡る種々の怠慢は、直接・間接に本学における研究活動と科学の健全な発展をその本質において脅かす深刻な結果を招いた。》

私は上記のブログで次のように述べた。

《責任著者が、論文の科学的な信頼性について最も重い責任を負い、論文の発表に関する最大の権限を有する立場にある、との判断は実はまったく当たり前のことなのである。しかしこの正論が大学では通用してこなかった。》

そして

《このたびの東京大学の処分理由は、その正論を正義のよりどころとした点で画期的であると私は思う。ようやく当たり前のことが当たり前として通用するようになったのである。》と。

この当たり前のことが裁判所でも妥当と認められたことの意義はきわめて大きいと思う。大学の良識が世間の常識でもあったのである。しかしすべての大学でこの世間の常識が通用するかと言えば私はお寒い現状ではないかと推測する。たとえば大阪大学医学部論文捏造事件をご覧じろである。げすの勘ぐりをすれば、多比良氏が東大出身者ではなくいわばよそ者であることが東大の正論を勢いづかせたのに対して、阪大の場合は多比良氏と同じ立場の責任著者が阪大出身者であったことが、停職14日の軽い処分になったのではなかろうか。

東京地裁の請求棄却の判決に対して、朝日新聞は《多比良氏の弁護団は「科学研究の実態と大きく異なる判決で、到底納得できない。控訴を検討している」との談話を出した。》(asahi.com 2009年1月29日21時26分)と伝えている。「科学研究の実態と大きく異なる判決」が何を意味するのか確かめようがないが、これが私には「教授である以上、何をしようとしようまいと、研究室から出る論文に責任著者として名を連ねるのは誰でもやっていることではないか。そんな程度のことで責任だけを取らされてはたまったものではない」との居直りの弁のように聞こえてくる。もし居直ったのであれば、控訴審で弁護団が知り得た限りのこのような実例を明らかにするのも、「悪しき慣習」を一掃する切っ掛けになっていいかなと思ったりもする。

いずれにせよこの機会に「責任著者」の重みを研究者一同噛みしめていただきたいものである。


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