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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

行政刷新会議「事業仕分け」雑感 「次世代スーパーコンピューティング技術の推進」の場合

2009-11-16 14:32:27 | 学問・教育・研究
11月13日の金曜日は映画館に「沈まぬ太陽」を観に行ったので、文科省関係の事業仕分け作業の様子をニコニコ動画 行政刷新会議 事業仕分けにアップロードされた音声記録でいくつか聴いてみた。

私は行政刷新会議「事業仕分け」なんて鳩山内閣のマッチポンプのようなものと思っているので、予算を削る作業をセレモニー化するだけに終わるのではないかと想像したが、これまでのところ予想通りの展開のようである。私が関心を持った科学技術関連予算は文部科学省の管轄なので、まず文科省の担当者が事業の要点を説明し、引き続いてなぜか財務省主計官が意見を述べてから仕分け人と呼ばれる評価者がいろいろと質問したり議論をするかたちで作業が進む。そして最後に仕分け人が評決内容を評価シートに記入し、取りまとめ役がその結果を集計して評価を定める手順となっている。例年なら概算要求が出てから各省庁担当者と財務省主計官が折衝して削減案が練られていくのだろうが、この事業仕分けでは主計官が黒子役に退き仕分け人が表に出た形になっている。見方によれば仕分け人一同が主計官の仕事を分担したと言える。

マッチポンプという意識がつい頭にあるものだから、説明者と仕分け人のやりとりも聞き流すという感じであったが、噛み合わないやり取りが多すぎたように思った。お互いに話し方が下手なのである。その一つとして「次世代スーパーコンピューティング技術の推進((独)理化学研究所)」を取り上げると、多分説明者の一人だと思うが、仕分け人に何を聞かれても「世界一」、「世界最先端」、「最高性能」を繰り返すだけのように私は感じてしまった。世界一速いスーパーコンピューターがとにかく欲しいと強調すればするほど、子どもが玩具が欲しいと駄々をこねているのと同じように聞こえてくるのである。そして国民に夢を与えるなんて宣う。この説明者は研究者を自称していたようであるが、こういう説明者しかこの場に連れてこられない文科省・理研は相当の世間音痴だなと思った。これまでもおそらく中身が空疎な言葉を並べるたてるだけで大型予算を獲得してきたものだから、そのノリでこの仕分けに臨んだのであろう、とはげすの勘ぐりである。

下手すると予算を取り上げられてしまうかも知れないという事態の認識が説明する側にあったのか無かったのか、もう少し説得力のある説明を練ってくるべきであったのに、説明者は防戦一方であったように感じた。しかも世界一を目指して当初はNEC、日立、富士通とわが国のコンピューター製造大手三社が共同開発することになっていたのに、経営状況の悪化を理由にNECと日立がこの5月に脱落してしまったというのである。その結果、当初のベクトル・スカラー複合型からスカラー単独システムへの基本システムの変換を余儀なくされたので、脱落したNECには損害賠償の請求を準備中という。このような大きな状況の変化、なかんずく基本的枠組みが大きく変更されたのであれば、いったん立ち止まって計画全体を見直すべきではないかと素人(国民)はつい考えてしまう。しかしこれまで設計段階ですでに546億円を投入しており、完成までには更に700億円近くかかるが、いよいよ製造段階の契約に入るのでさしずめ来年度には268億円が必要だと強調するのみである。もう動き出したから止まれないだけでは八ッ場ダムに道路建設と同じである。

なぜ世界最高速のスーパーコンピューターが必要なのかについて、説明者の一人がスーパーコンピューターの能力を最大限引き出すソフトを開発するとして、ライフサイエンスでナノレベルのシミュレーションを挙げていたが、私には違和感があった。普通ならある実験をするためにこのような装置が必要であるからと装置開発を申請するのに、最高速コンピューターが出来たからその能力を最大限発揮するソフトを開発するというのだから、これは本末転倒ではないのかと思った。なにはともあれ世界最高速ありきなのである。

文科省が説明に科学者を連れてきて、これが科学にとって重要なのでこの事業をやりますと説明するのがお決まりの手法である、と仕分け人の一人が説明の矛盾を突いていた。それは大いに結構、このような意見がひいては科学技術研究への予算の出し方の基本理念に今後の民主党の科学技術政策立案の過程でまとまっていって欲しいものである。ところがその先行きが不透明な現状では、行政刷新会議が事業仕分け場に連れてきた科学者が説明者に意見を述べること自体、意識するしないにかかわらず財務省主計官の代弁者というか手先のように見えてきたのが奇妙であった。これでは文科相の連れてきた科学者と行政刷新会議の連れてきた科学者による両省庁の代理戦争ではないか。

科学者仕分け人が主計官の手先と言われたくないのであれば、この仕分け会議において予算の削減に手を貸すのではなく、立ち止まり考えるための時間を与えるべくまずは凍結の意思表示をすべきなのではなかろうか。結果的には、来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減となった。

科学研究費補助金制度についても同じ思いをしたが、機会があれば述べようと思う。



最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党

2009-10-26 17:32:55 | 学問・教育・研究
かずかずの物議を醸した最先端研究開発支援プログラムの補正予算額は当初2700億円であったが、最終的には1500億円に縮小され、このうち1000億円は麻生内閣によりすでに交付が決定された30人の先端研究の研究者に、500億円は新に公募する若手・女性研究者に振り分けられることなった。元々の先端研究への予算規模が三分の一強に減ってしまったことになる。そしてこの30人の研究者に対しては新しい運用方法が適用されることを10月23日の毎日新聞(東京朝刊)を次のように伝えている(一部抜粋、以下同じ)。

最先端研究開発支援プログラム:科学技術会議、新たな運用方法
 30人の研究者に大型の研究資金を配分する「最先端研究開発支援プログラム」について、総合科学技術会議有識者会合は22日、研究資金の上限を50億円とした新たな研究計画案の提出を30人に求めるなど、新しい運用方法をまとめた。30人については従来、他の研究資金を返上し、このプログラムに専念、海外在住者は帰国するという義務が課せられていた。今回、専念義務は解除し、帰国義務も「弾力的に運用する」と方針変更した。【奥野敦史】

私に言わせると最悪の決定である。同じ毎日新聞は9月5日に次のように伝えていた。

最先端研究開発支援:2700億円基金、対象に山中教授ら 民主「凍結も」
 ◇「拙速」に批判
 プログラムは、緊急経済対策を主眼とした09年度補正予算に盛り込まれた施策で、565件の応募があった。日本経団連の産業技術委員会が4月にまとめた提言がベースになったとされる。麻生太郎首相は当初から「(配分先は)自分が決める」と在任中の選定に意欲を見せ、約1カ月半の間に10回も会議が開かれるなど急ピッチで審査が進んだ。審査した委員からは「金額が大きいだけに、もっと時間をかけるべきだ」との意見も出たが、事務局の内閣府は「選定に時間をかければ、研究をする期間が短くなる」と押し切った。

 落選した基礎科学系のある研究者は「ヒアリングは説明10分、質疑10分。これで何が判断できるのか。今決める必要はなく、拙速に過ぎる」と疑問を呈した。

 一方、民主党は補正予算の執行を一部停止する方針を打ち出している。岡田克也幹事長は4日の記者会見で「この時期に決まることに違和感を覚えないわけではない。場合によっては凍結することは当然ある」と含みを持たせた。

そして9月28日の朝日朝刊社説も「拙速」を次のように取り上げている。

先端研究支援―視野を広げて見直しを

 鳩山新政権の発足を前にした今月初め、麻生前政権がまさに駆け込みで、対象の研究者30人を決めた。

 これに対し、当時、民主党幹事長だった岡田克也氏は「政権発足後に精査の対象にする」と述べた。新政権はいま補正予算見直しを進めており、文部科学省はその執行を止めている。

 独創的な科学技術は、日本の将来にとってきわめて重要だ。ましてや、巨額の予算を振り分けるのだから、公正で、かつ効果的でなくてはならない。

 だが、今回の選考はあまりに拙速ではなかったか、という声が学界などからわき上がっている。

 公募期間は3週間で、構想を練る時間は少なかった。600件近い応募に対して、選考期間はわずか1カ月しかなく、専門家の意見を十分に聞くだけの余裕も少なかった。

 この計画はもともと緊急経済対策の一環として提案されたが、法案審議のなかで、先端研究の推進は決して臨時の措置ではないとクギを刺したうえで民主党も賛成し、可決された。

民主党は「拙速」を問題視し、また先端研究が補正予算が第一に目指した緊急経済政策に埋没せずに、本来の科学技術政策の一環として推し進められることを主張したものと思われる。きわめて常識的な判断でその点では私も同感であった。そして民主党政権(三党連立であるが、思うところありなので民主党で通すことにする)になり、ここで抜本的な見直しが当然あるもとの思った。緊急経済対策の枠外とするなら、今の今、先端研究に慌てて予算を投入することはない。さらに採択課題の決定が拙速であるとするのなら、すべての計画を振り出しに戻すべきなのである。私はそうなることを期待したが、採択課題はすべて残し、研究費の金額のみを減額のうえ組み直させるという「拙速」を上回るまさに無原則の愚行をしでかそうというのだから、開いた口がふさがらない。

研究者のなかからも次のような問題点が指摘されたと、民主党科学技術政策ワーキングチームの一員である参議院議員藤末健三氏が次のように紹介している。

 採択プロジェクトが決定した後、本制度には直接関係がない私のところにも数多くの研究者や関係者から問題を指摘するメールが入りました。直接私の事務所まで来られた方も何人もいらっしゃいます。

 こうした話をまとめると、

(1)すでに十分な研究費をもった研究者に研究費が集中しすぎ。若手研究者に研究費を回すべき。著名な研究者に数十億円の研究費が集まると、その研究者に多くの若手研究者が集まらざるを得ず、若い研究者が新しいテーマに挑戦する機会を逆に奪ってしまう
(2)巨額の研究費の配分を決めるにしては審査手続きが不十分。実際、相当な労力を使い申請書を書いたのに数十分くらいの審査で終わった。審査委員が研究分野の専門家ではないことも問題
(3)研究費が大きすぎて、研究費がずさんな使われ方をするのではないか。例えば、研究評価は総合科学技術会議が実施することになっているが、これでいいのか疑問。プロジェクトを選択した組織が、自分自身が選択したプロジェクトを失敗だと評価するはずがない
の3点に問題点はまとめられるように思います。

私は「最先端研究助成」よりましな2700億円の使い方があるのでは  追記有りと、この研究プログラムに真っ向から反対意見を述べたが、民主党政権になって良識の復権を期待しただけに、バナナのたたき売りよろしく予算額だけを下げてよしとする事なかれ主義には恐れ入ってしまった。

自民党がひどすぎるあまりに民主党に投票しただけで、もともと民主党に魅力があっわけではないので、自業自得だと言われればそれまでだが、それでも平成ご一新は若い世代でと期待して投票したのである。民主党に人材不足は以前から囁かれていたが、やっぱりその通りだったようである。「バナナのたたき売り」を臆面もなく行った科学技術会議のメンバーは次の通りである。

内閣総理大臣が議長を務め、関係閣僚や有識者の14人の議員から構成されている。
議長 鳩山由紀夫 内閣総理大臣
議員 平野 博文 内閣官房長官
同 菅 直人 科学技術政策担当大臣
同 原口 一博 総務大臣
同 藤井 裕久 財務大臣
同 川端 達夫 文部科学大臣
同 直嶋 正行 経済産業大臣
同 金澤 一郎 日本学術会議会長(関係機関の長)
同 相澤 益男 前東京工業大学学長
同 本庶 佑 京都大学客員教授
同 奥村 直樹 前新日本製鐵株式会社代表取締役副社長
同 白石  前元政策研究大学院大学教授・副学長
同 榊原 定征 東レ株式会社代表取締役社長
同 今榮東洋子 名古屋大学名誉教授
同 青木 玲子 一橋大学経済研究所教授

首相・閣僚7人は入れ替わったが、残りのメンバーは麻生内閣時代からの生き残りで、先端研究を決定した当事者である。科学技術界の権威?に敬意を表したのか、本物の(学者)先生を前にして代議士先生がひるんでしまったのかは知らないが、これでは民主党にご一新などやれそうもない。その一方、共同通信が10月1日付けで伝えていることであるが、前政権下での科学技術予算方針を白紙撤回しているのである。

科学技術予算方針も白紙撤回 総合科学技術会議で決定
 国の科学技術政策の司令塔である総合科学技術会議(議長・鳩山由紀夫首相)の有識者議員による会合が1日開かれ、来年度の科学技術分野の予算配分方針を白紙撤回することを決めた。現在の方針は麻生前政権の6月に同会議で決まっていた。

 記者会見した津村啓介・内閣府政務官は「温室効果ガス削減の中期目標を達成する低炭素社会の実現、環境と経済成長の両立など、鳩山内閣が重視するテーマを優先させる新しい配分方針を、15日の概算要求提出までに作り直す」と述べた。

あちらでやれたことが何故こちらでやれないのか。白紙撤回を受け入れる代わりに先端研究は続行という取引がおこなわれたのでは、とげすは勘ぐる。民主党はこれからも自民党政権の残した総合科学技術会議を相手に独自の科学技術政策の立案・実施を行うつもりなのだろうか。何を考えているのやら分からないが、最先端研究開発支援プログラムを凍結出来なかった民主党に期待の持ちようがないではないか。


勝手に書き換えられた教科書の話

2009-10-13 22:31:08 | 学問・教育・研究
10月から韓国・朝鮮語の中級クラスに進むことになり教科書も新しくなった。その教科書を使っての初日今日、思いがけないハプニングがあった。ある言い回し方の例文の説明を先生がされたが、なんだか話が分からなくなった。話の流れでは教科書の例文の解説の筈だのに、先生が説明されている単語などが私の教科書には出ていない。先生はこれまでも教科書の例文に加えて、それに似た文章を自分で作り説明されることが多いので、そうなのかなとも思ったが、それにしてもおかしい。分からないまま次の例文に移ったが、ここでも教科書には出ていない単語の説明を始められた。いくらなんでもおかしいと思い、隣の人の教科書を覗き込んだところ、その教科書には先生が説明されている単語がちゃんと出ているので、狐につままれたような気分になった。同じ教科書で同じページなのに、例文の文章が私の教科書のとは違っているのである。本の表紙を比べてもまったく同じであったが、念のために奥付きを見ると、私のは第四刷になっているが隣のは第三刷である。内容が変わったのなら普通なら第何版と表紙の目につくところに表示し、奥付きもその旨が記されているはずである。そう言うことが一切なしに、第四刷では同じページにある五つの例文のうち、二番目と三番目だけが第三刷とは違っているのである。これは摩訶不思議とばかりに帰宅してから出版社に電話した。

担当者はこのような事実をすでに把握していた。新に増刷する際に、そんなことをして貰ったら困ると出版社が言うのに、著者が無理矢理内容を変えてきたと言うのである。そして出版社が押し切られる形で、変更したものを印刷したらしい。しかし、である。それはあくまでも出版社側の事情で、同じものだと信じて内容の違うものを買わされた利用者としては迷惑な話である。

私の韓国・朝鮮語クラスは13人でうち2人が新入生である。ここで少し説明をすると、入門・初級コースを終了してから希望者が中級クラスに進むが、この上のクラスはない。語学の習熟に終わりがあるわけではないので、六ヶ月間の中級クラスが終了してもまたこのコースを繰り返す人が多いのである。13人中の11人はそのような人たちで、中には5年も続けている人が居る。さらに先生は曜日を変えて同じ中級クラスをいくつか持っているので、全体としては長続きしている受講生が結構多いようである。以前から居る人たちは同じ教科書を繰り返して使っており、先生も任意にその日のテーマを決めてそれに関係のある教科書の例題を取り上げて解説する。いわば復習を繰り返しているようなものである。中級クラスに加わった二人の内、私の隣の一人は第三刷を買った。その後同じ本屋で私が買ったのが第四刷であった。他の人たちは第三刷かそれ以前のものを使っていることになる。

今回のような問題の解決策としてまず考えられるのは、出版社が第三刷か、それと同じ内容と出版社が言う第二刷を、私に無償で提供するか交換することである。しかしこの教科書を先生が使い続ける限り、今回のようなトラブルはこれからも必ず起こる。となるとやや手間ではあるがベストなのは、先生の中級クラスの全員に第四刷を出版社の負担で提供するなり交換することである。実は、驚いたことに、後の方の提案は出版社がしてきたのである。当面は私一人だけのことであるので古い教科書に換えて貰えばよく、現に出版社は第二冊なら手配できると言ってきたが、先のことを考えると、現在の中級クラス全員の教科書を第四刷に変えてもらった方がスッキリしてよい。先生にもこうした成り行きを伝えたところ、出版社の提案を受け入れた方がよいと言うことになり、後は先生と出版社との直接交渉にゆだねることにした。出版社から先生の所に第四刷を一括して送ってくることになりそうである。

非を認めた出版社の対応は極めて迅速かつ誠実であった。それにしてもこの教科書の著者の改定の意図が私には理解しがたい。例文が二つ変わったのは、言い回しの表現を「してもらえますか」→「していただけますか」と「してもらえませんか」→「していただくわけにはいきませんか」のように変えたせいなのである。著者にはそれなりにこだわる理由があったのだろうが、それにしても強引なルール破りのように思われる。増刷の際に誤植を訂正するのは当然のことなので許されるが、教科書の中身を、全体で何カ所あるのか私は知らないが、黙って書き換えるなどはたとえ善意によるものであれすべきことではない。教科書出版社の最低限心すべきことであろう。



「先端研究費:700億円減額 支給対象者数は大幅に増」は大岡裁きか

2009-10-07 14:52:01 | 学問・教育・研究
上の見出しで次ぎの毎日新聞の記事は始まっていた。

 政府・与党は今年度補正予算見直しの一環として、総額2700億円の研究費を30人の研究者に分配する「最先端研究開発支援プログラム」を700億円減額し、支給対象者も大幅に増やす方針を決めた。現在の支給対象者30人は、1人あたりの支給額が平均で3分の1程度に減る。

 方針によると、2700億円のうち700億円を執行停止▽1000億円を現在の支給対象者30人に配分▽残りの1000億円を若手研究者など、新たに決める支給対象者に振り分けるという。現在の支給対象者にはこれまで1人あたり30億~150億円、平均90億円を支給するとされていたが、平均30億円程度になる。
(毎日新聞 2009年10月7日 10時23分)

研究者が注目していた補正予算による最先端研究開発支援プログラムの2700億円の帰趨が定まったようである。700億円は差し出し、残りの2000億円は折半して、その一つはすでに選ばれた30人に減額支給し、残りは新に若手研究者に支給すると言う。あっちを立てこっちを立て、政治主導の今後の見本になるような決着のつけ方で、まるで大岡裁きである。しかしそれでは国民は納得しがたい。

先端研究費にしても、採択課題を減らしても各課題の予算規模を変えない選択もあっただろうに、採択課題数はそのままで軒並みに三分の一にも減額してそれでよしとするのは一体どういうことなんだろう。申請書類に物品費、旅費、会議開催費などの必要経費を億単位で記入させられるうちに気が大きくなって、否応なしに当初の計画が水ぶくれしていたとでも言うのだろうか。いずれにせよこの決定には大きな疑問が残る。一方、若手研究者への支援の規模、形態などは分からないが、このような基本計画の大幅な変更が一時の思いつきで為されるべきものではなく、また一時的な対策ではなくて継続性のある計画に繋げられてこそ税金が有効に使われることになる。この二点に留まらず、かずかずの疑問が渦巻く最先端研究開発支援プログラムの見直しに至った経緯は、情報透明化の一端として是非明らかにして欲しいものである。

政治主導も時にはよいが、科学行政の立案に至る過程に科学・技術専門家の関与が国民の目にもはっきりと映るようなものであって欲しいと思う。


鳩山首相の英語に感心 そしてブログ英語版の珍品英語

2009-09-24 18:55:40 | 学問・教育・研究
鳩山首相が国連気候変動サミットで、90年比で25%の温室効果ガス削減を20年までに達成すると宣言したことが国際的に評価されているらしい。何事であれある目的に向けて世界を相手にイニシアチブをとることは日本の存在感を示すのに結構なことである。演説の模様が一部テレビで流れたが、鳩山首相の英語を耳にした途端、アメリカで暮らしたことのある人の英語だなと感じた。発音はネイティブとはいかなくても、相手にちゃんと通じることを自分でも心得てペーパーを読み上げている。気負いがなく自然体なのである。英語の通じる世界各国の首脳とも、公の交渉ごとならともかく、個人的に十分話し合える方だなと思った。信頼関係の構築に大きな武器となることだろう。

私も中学校から英語を習い始めたが、高校、大学を通じてただ学校英語を学ぶだけだった。高校ではクラスでほんの数人ぐらい今で言う塾のような所で受験英語を勉強していたが、私にはそんな経済的な余裕もなく、せいぜい進駐軍の設けたアメリカ文化センターに出かけて、ネイティブの英語を耳にするぐらいであった。そして英語で書かれた歴史とか科学の本を借りだしてはよく目を通していたので、英語そのものに対する抵抗はなかった。アメリカに留学することになっても英語の勉強をとくにすることはなかった。習うより慣れよ、を実践しようと思っていたからである。

アメリカに渡って間もない頃、タクシーに乗っていろいろと話しかける運転手に受け答えしていた。アメリカに来てどれぐらいになると聞くので、一ヶ月と答えると運転手がそれにしては英語がうまいと褒めてくれる。有難うと言って車を降りたが、よく考えると運転手は私がそれまではまったく知らない英語を一ヶ月でマスターしたものと誤解したのだと思い当たった。それまでに20年近くも英語を勉強していたと言えば、どんな言葉が返ってきたことだろう。しかしアメリカで生活したお陰で仕事の話はもちろん、文学、絵画、音楽、政治にグルメ、あれやこれや自分で不自由を感じない程度に誰とでも英語で話できるようになった。だから自分の受けた英語教育で十分だと思っている。要は相手の言うことを理解し、自分の思っていることを表現するだけのことなのである。

ひるがえって学校英語のことであるが、最近は小学校から習わせているのだろうか。語学習得は必要とあれば努力をすれば済むことだから、将来必要があるかどうかも分からない小学生に、一律に英語を教えることはまったく不要であると思っている。日本人としてもっと大切な教えることが山ほどあるはずである。技術の進歩は早いから、そのうちに日本語で話すると、思いのままの外国語に翻訳して喋ってくれる、もちろんその逆も、装置も出来てくることだろう。こういう状況下で外国語教育の進め方に抜本的な検討が加えられるべきであろう。

ところが最近こういうことがあった。私のブログの英語版(IEではよいがFirefoxでは正常に表示されない)が私の知らない間に出来ているのである。ある記事へのアクセスがこの英語サイトから集中したことからこの存在が分かった。しかしこの英語がなんとも読みづらい、と言うより、チンプンカンプン、さっぱり分からない。私はハンドル名でブログを公開しているのでよいが、もし実名で公開している人なら事情を知らない外国人に実人格を疑われかねないほどである。

こういう余興がある。婚礼の披露宴などで相棒に中国人のような服装をさせ、全く出鱈目の中国語をペラペラと喋らせる。それを私が中国からはるばるお祝いに駆けつけてくれたのでそれを通訳します、とことわりながら、花婿の旧悪?を自分勝手な言葉で暴露するのである。ブログの翻訳機はこの逆を行っているようなもので、実用にはほど遠い。外国語教育のあり方はまだまだ議論の対象になりそうである。


「最先端研究開発支援プログラム」あれこれと民主党への注文

2009-09-06 09:57:12 | 学問・教育・研究
9月4日の夕刻、最先端研究開発支援プログラム「中心研究者及び研究課題」の決定を内閣府が発表した。その内容は「中心研究者及び研究課題」の選定結果で見ることが出来る。asahi.comは

 課題別では、ナノテク、環境、材料、情報通信など「出口を見据えた研究開発」が25件を占め、基礎科学研究は5件だった。11人は東京大学教授らで、東北大学、京都大、大阪大、慶応大から複数の研究者が選ばれた。富士通や日立製作所、東レなど企業の研究者も4人入った。
(2009年9月4日22時20分)

とも伝えた。やはり基礎科学研究の比重は軽く5件に留まった。かりにこのプロジェクトが動き出すにせよ、私が恐れた日本の科学研究基盤を崩壊が最小限に食い止められそうである。

生物系で私が何とかついて行けそうな領域で、審良静男氏の「免疫ダイナミズムの統合的理解と免疫制御法の確立」とか、山中伸弥氏の「iPS 細胞再生医療応用プロジェクト」などは、申請するのが当然、と期待されて申請した結果のように思う。また私は不案内であるが、岡野栄之氏の「心を生み出す神経基盤の遺伝学的解析の戦略的展開」とか、柳沢正史氏の「高次精神活動の分子基盤解明とその制御法の開発」なども、この領域では知る人ぞ知るの存在だったのではなかろうか。もしそうなら今回のような大仰なセレモニーをしなくても、「天の声」がどこかでつぶやけばそれで済んだことである。

ついでに感じたままを述べておくと、島津製作所の田中耕一氏が「次世代質量分析システム開発と創薬・診断への貢献」で選定されている。島津製作所とあろうものが、田中氏の研究を支援するのに税金を当てにしないといけないとは、そこまで会社が逼迫しているのだろうか。外村彰氏の日立も同じである。

何人がヒアリングを受けたのかはっきりしないが、公表された議事録では、『ヒアリング対象とする必要があると思われる提案80件を上限に選択し』とあるので、80人がヒアリングを受けたとしよう。応募総数は565件、そして選定手順に『(3)全件審査の原則 構成員は、原則として全ての提案を審査する。特別な事情があり全ての提案の審査が困難な場合には、構成員は事務局に連絡し、必要な調整を行う。』とあるから、ワーキンググループの構成員にとっては、565件を80件に絞るまでも大変な作業であっただろう。本庶座長代理の言葉が記録されている。

私も昨日、大分一生懸命やった。それでわかったことは、自分の専門分野はやれるということ。しかし、専門外のところは、読むのに物すごく時間がかかる。理解しながら、つまり、字面だけ読んでも意味がないわけで、したがって、このままこの時間で私がやるとすれば、私がやることは専門分野外でちょっとおもしろそうなものを何件かピックアップする。そのほかは、自分がわかるところからピックアップするという形にならざるを得ない。ほかはちょっと、ページをめくるだけで大分時間がかかるから、現実問題としてそういう形にならざるを得ない。(後略)

極めて率直、明快である。全件審査の原則というような「お役人的発想」ではなくて、構成員が自分の得意とする分野で名乗りをあげて、その分野での提案を集中的に精査することで、より申請の理解を深めるべきではなかったのか。そうすればヒアリングの質疑応答を通じて、提案の評価すべき要点がより浮き彫りされたことだろう。ヒアリングは『持ち時間:25分(発表10分(時間厳守)、質疑10分、(ヒアリング対象者退席後)採点時間5分)』であったようだ。提案の内容がすでに構成員によって精査されているのに、なぜその形式的な繰り返しに過ぎない口頭発表が必要なのだ。ヒアリングに入ったら直ちに質疑応答に入るべきなのである。質疑応答に入る前に、主要な質問予定者が構成員に質疑のポイントを説明しておけば、十分質疑の目的は達成されるはずである。ヒアリングを受けたにもかかわらず落選した申請者には、ヒアリングを含めてその審査方法に数々の不満があることだろう。その不満を何らかの形で集約し、研究費申請の審査のあり方を今後ともより合理的なものにすべく役立たせていただきたいものである。

「最先端研究開発支援プログラム」のぜひはともかく、選定に至る過程がかなり迅速に公表されているので、これはそれなりに評価されるべきであろう。「最先端研究開発支援ワーキングチームスケジュール」はあらかじめ公表されている。最終的には『8月下旬以降 総合科学技術会議本会議・中心研究者及び研究課題の決定』と定められていたので、9月4日の読売新聞の記事は

 同基金は、民主党も賛成して創設された。しかし、政権交代直前での選定について、民主党の岡田幹事長は同日、「この時期に決まることに違和感を覚える。駆け込み的なものは精査して、場合によっては凍結もありうる」と語った。
(2009年9月4日21時08分 読売新聞)

と伝えるが、岡田幹事長の違和感というのは、このことに関する限りいわれなき思い込みである。

予算の凍結はまったく政治的な判断である。私は凍結には賛成であるが、民主党はかりそめにも総合科学技術会議本会議が決定した中心研究者及び研究課題の個々に口を挟むべきではない。凍結するのなら「最先端研究開発支援プログラム」そのものの予算執行を停止すべきなのである。節度ある判断を期待したい。


「最先端研究開発支援プログラム」か補正予算原則全面停止か

2009-09-04 09:23:01 | 学問・教育・研究
NHKは最先端研究開発支援プログラムについて次のように報じた。

最先端研究支援 60研究候補

政府が、国内の最先端の研究を集中的に支援する新たな制度の対象として、京都大学の山中伸弥教授が進めている新型万能細胞=iPS細胞の研究など、60の研究が候補に残り、4日の総合科学技術会議で30程度を決定することにしています。
(9月3日 6時15分)

一方、YOMIURI ONLINEは次のように伝える。

民主、補正予算を原則全面停止…未執行分

民主党は3日、政権発足後の2009年度予算執行について、補正予算の一般会計総額13兆9256億円のうち、未執行分の予算の執行を原則として全面停止する方針を固めた。

 予算の内容を精査し、災害対策など緊急性の高い事業は継続する。来週以降、継続事業の絞り込みに入る方針だ。
(最終更新:9月3日12時29分)

私は現行の「最先端研究開発支援プログラム」への2700億円の支出には基本的に反対で、支援内容を見直すのは大いに結構との立場をとっている。したがって補正予算原則全面停止には大賛成である。予算の執行停止は閣僚の裁量でできるため、減額の補正予算を組む必要はないとのことである。となると現政権の関係閣僚と民主党が早急に話し合って、なにはともあれ麻生内閣における塩谷立文部科学大臣が、総合科学技術会議での決定事項を先送りするのが先決であろう。関係者の迅速な対応を期待したい。

「役に立たない科学」

2009-08-18 11:52:13 | 学問・教育・研究
あまりにも部屋の中が乱雑になったので片付ける。自慢じゃないが過去のこの状況の方がまだましなのである。


紙切れ一枚まで手にとって不要なものは捨て、必要なものはファイルにまとめる。冊子が出てくると中身をパラパラとめくり、捨てるか置いておくか決める。だからなかなか片付けがはかどらない。でもときどき面白いものが見つかる。たとえば今回目に止まったのは、岩波の出しているPR雑誌「図書」(2008年11月号)の次のような座談会記事である。


見出しがよい。科学の本質を言い当てた「役に立たない科学」を麗々しく喧伝しているのである。池内了、福岡伸一両氏のお名前は多くの著書を通じてよく存じているし、内田麻理香氏も東大工学部の広報活動を行っている方と聞き及んでいる。お三方とも科学のあれこれを世間に発信する現役パリパリの方で、そのような方々が「役に立たない科学」というきわめて重要なメッセージを世間に広める意義がきわめて大きいと思うからである。

いくつかの発言を拾い上げてみる

たとえば疑似科学の一例としてサプリメントについて。

(福岡)「体調が悪いのは重要な栄養素の一つが不足しているからで、それをサプリメントで補給すれば回復する」など、不足に対して人間が持つ一首の強迫観念に付け込む言い方です。(中略)
 このような、ある種の強迫観念に付け込んだシュードサイエンスの背景には、それを信じさせることで儲かる人がいるわけですね。そこには、非常に大きな一つの幻想、つまり「科学は何かの役に立つもの」という考え方があると思います。
 科学者が研究費を申請するときには、それが社会にもたらす成果を書かなければいけない。それで科学者は役に立つことをあれこれ言う癖がついているんですが、本当は内心忸怩たる思いなんです。
(強調は私。以下同じ)

私も以前にiPS細胞の特許問題に思うことで、次のように述べたことがある。

基礎研究の担い手として自分を自覚しているものにとって、科学研究費などの申請書類でその研究の社会的意義を述べる欄を埋めるのは苦痛であったことを思い出す。「風が吹けば桶屋が儲かる」流の屁理屈をひねり出しては、忸怩たる思いでもっともらしいことをボソボソと書き連ねたものである。ある時、私の属していた特定領域研究班の班長さんの教室の人からなるほどと思える話を聞いた。その班長が研究の社会的意義の欄にはただ一言、「この研究は社会的意義がきわめて大きい」といつも書いているというのである。心の中では大いに喝采をしたものの、自分では真似する勇気はなかった。

税金を使わしていただく以上、社会への還元を念頭に置かなければならないという発想からの設問と受け取ればそれまでかも知れないが、いかんせん科学の本質の理解からほど遠い文系お役人的思考に根ざしたもので、なくもがな的設問である。

(池内)日本では一言で「科学技術」と言ってしまうけれども、分けて考えれば科学というのは文化なんですね。役に立とうなんて、本来は思っていなかった。だから、役に立つことを強調しろと言われても、「役に立たないんですよ」と言わざるを得ない。

(福岡)そう。繰り返しになりますが、科学そのものは役に立たないんです。いくらやっても「お得」じゃない。

(池内)それは「やっている本人は面白いかもしれないけれども、私は面白くないんだ」と思うからでしょう。だけど、それを人に伝えられれば一緒に楽しめる。僕はそのためにいろいろな本を書いているし、科学者はそういう役割を果たさなければならない。科学者が自分の好奇心だけでやっていては、なかなか文化として定着しないし、広がらない

(内田)私は工学部出身で、今は工学部をPRする立場にいますが、広報室の特任教員になって伝えたいと思ったのは、「工学に夢とロマンを取り戻す」ということだったんです。「役に立つ」とは言わないようにしようと。

せめて技術畑の工学部では「役に立つ」を標榜していただいてもいいような気がするが、「夢とロマンを取り戻す」にはもちろん賛成である。

お三方が「役に立たない科学」と揃って意気軒昂なことに意を強くした科学者が多いことだろうが、科学が文化であることを納税者に理解していただくにも、地道で粘り強い伝道者の存在が欠かせない。才能のある定年研究者には税金を使わずにやれるうってつけの仕事のような気がするが。


Glynn Houseでの一夜

2009-08-10 14:22:05 | 学問・教育・研究
昨年の夏、たまたま六甲山ホテルを訪れたことから昔のことを思い出して一文をしたためたことがある。その一部分である。

この六甲山ホテルはちょうど30年前に日本学術振興会と米国国立科学財団の後援で私どもの研究領域の日米セミナーを開催したところである。恩師と私が日本側の代表者になった。50人ほどの参加者が全員4泊5日の日程でホテルに泊まり込み仕事の話を交わすのである。日米セミナーというものの、世界各国の代表的な研究者を招待するもので、イギリスからはP.ミッチェル博士が招待に応じて初来日された。会議が終わったこの1978年秋にミッチェル博士がノーベル化学賞を単独受賞されるなど、私どもの研究分野は活気を呈していた。この会議がきっかけとなり私は博士から個人的な交誼をかたじけなくする幸運に恵まれた。

ミッチェル博士との話から私の研究人生である悟りを開いたことはノーベル化学賞受賞者 P.ミッチェル先生に励まされ48歳にして立つでも述べたが、その意味では恩人なのである。どうしてこのような交流が始まったのか、私にしても不思議なのであるが、ひょっとして、と思うことがあるのでそれを述べることにする。

この会議の一つのセッションの司会をミッチェル博士にお願いしたのが事の起こりである。この会議では講演も討論もたっぷり時間をとって、参加者が心ゆくまで話し合えるようにプログラムを組んでいた。ところがこのセッションで米国からの講演者が予定の講演時間を過ぎて、タイムキーパーがベルで合図をしているのになかなか話を終えようとしない。私は全体の進行を仕切っていたので、ちょっと食い込み過ぎかなと思いかけた頃、司会のミッチェル博士と目が合い、博士がかすかなジェスチャーをされたのに私が頷いたものだから、メモ用紙に何かを書きそれを講演者に手渡された。講演者はちらっと目を向けたものの話はいっこうに止まらない。しばらく経ってまたメモ用紙を渡された。しかし無視である。全体の進行がかなり予定より遅れてきているが、全員泊まり込みの会議であるので慌てることはあるまいと思ってはいたが、講演時間が倍近くになってくるとさすがに開場もざわめいてくる。博士が私の方を見てお手上げのようなジェスチャーをされる。そこで私も意を決して×印のサインを送ったので博士が講演者に近づき、直接に話しかけて講演を止めさせたのである。講演者は若い研究者でなかなか野心的な仕事をしていて、だからこそ米国側から推薦されて参加したのであるが、アピールするチャンスとばかり客気に逸ったのであろう。大変でございましたと司会のお礼を申し上げようとしたところ、ミッチェル博士から先に不手際で申し訳なかったと言われて恐縮したのを覚えている。この時の何回かのアイコンタクトのお陰で博士が私をそれと認めてくださったような気がする。私にすれば「目は口以上に物を言う」であった。その意味では時間超過の講演者が縁結びの神であったのかも知れない。

その年の10月、ミッチェル博士がノーベル化学賞を受賞されたことにお祝いの手紙を差し上げると、自筆の丁重な礼状が届いた。こういうことが切っ掛けになって、その後も海外での学会や会議でお目にかかった時は立ち話をさせていただいた。

1987年にスエーデンのある会議に出た折りに、ミッチェル先生からお招きを受けてBodminにある研究所兼自宅を訪れることになった。ロンドンから汽車で4、5時間かかる小さな田舎駅に降り立つと、研究員のPR博士が床に穴の開いたボロボロのベンツで迎えに来てくれた。しかし辿り着いたのは堂々たるマンションであった。

日本でもすでに「科学朝日」などによって紹介されていたが、この建物はもともとマナーハウス(manor house)で、元来は一地方の領主の邸宅を意味する。博士から頂いたカードに1835年当時の姿が出ていた。



ミッチェル博士はケンブリッジ大学、エディンバラ大学で研究生活を送られたが、大学の風土が身に合わないということで大学を辞め、廃墟と化していたこのジョージア風(1714年から1811年にいたる時代の建築、家具、工芸品のデザイン様式を言う)マナーハウスを購入、1962年から2年がかりで内部を大改装して研究所と自宅に仕上げたのである。話は横にそれるが、たった今、5ヶ月前にamazonに注文していた本がようやく届いた。この本の副題が「THE MURDER AT ROAD HILL HOUSE」で、これがジョージア風の建物なのである。建物の写真や内部の見取り図などで詳細が説明されているので、これから読むのが楽しみであるがそれはさておき、私は凡人の浅ましさでミッチェル先生の資金の出所が気になったのである。大学が嫌になったからと私設の研究所をぼんと作ってしまうなんて、誰でも出来ることではない。そんなことが簡単にできるのなら、日本の大学なんて要らなくなってしまうではないか。実は博士のバックには英国でも名だたる大実業家で大金持ちの父方の叔父さんがおられたとのことである。この叔父さんの会社はロンドンだけでも何十万軒かの住宅を建てる一方、あのヒースロー空港を作ったというのだから中途半端の規模でない。その功績に対して女王から騎士に叙せられているのである。私が直接博士にお聞きしたわけではないが、そういう話は自然と伝わってくるものである。

閑話休題。研究所ではセミナーと称して私の仕事の話を聞いていただいた。私も含めて全員確か4、5人の、これまで経験した最小の、そして心から寛いで討論に熱中出来たセミナーだった。研究所内部を案内していただき、後はリビングで雑談を楽しんだ。Helen夫人が何か小物を持ってきてねじが緩んでいるから締めてとか博士に言われたら、博士がどこからか取り出した小さな刃の錆びたねじ回しが、わが家のシンガーミシンに付属していたねじ回しに似ているので、同じかも知れない、と思ったことを覚えている。

夕食にはPR博士とテクニシャンのRMさんともども招かれて、Helen夫人手作りのご馳走を頂いた。



この食堂は建物の向かって左端の窓のある部屋である。背後の棚にはこのマナーハウスを整備したときに敷地から出てきた陶器がところ狭しとばかりに並べられていた。この地方はよい土があったせいか陶芸が盛んであり、窯がたくさんあったそうである。ちなみにバーナード・リーチが濱田庄司とともに日本の伝統的な登り窯を開いたSt.IvesはBodminのさらに西、汽車で1時間ほどのところにある。出土した時代物のお皿は底が平らでないので、ナイフを入れると糸底がコトコトとテーブルを打った。美味しいワインに加えて食後のコニャックに陶然となり、よく喋ったのは覚えているが何を話していたのかさっぱり記憶に残っていない。

その夜、食堂の上の客間に泊めていただいた。よほどリラックスしていたと見えて、翌朝、ドアのノックで目覚めるまでぐっすりと寝込んでいた。なんと、朝食の時間を聞いていたのに1時間も寝過ごしている。それでわざわざミッチェル先生が起こしに来て下さったのである。この寝起きのなんと快かったこと。この時のことを思い出すと今でもひとりでに頬が緩んでくる。

Bodminにはもう一度訪れる機会があり、また先生ご夫妻が1990年に来日されたときも一夜ゆっくりとお話しすることが出来た。それから1年6ヶ月後の1992年4月に先生が亡くなられて、研究所は1996年に閉じられた。

税金を使うことに敏感な現役世代と鈍感な高齢者?

2009-08-04 13:21:42 | 学問・教育・研究
「税金は使えない」 ぼったくり被害の邦人、イタリア政府の招待を辞退

 ローマの有名レストランでこのほど日本人観光客2人が法外な値段を請求されるトラブルがあり、イタリア政府は30日までに、おわびのため政府の費用負担で再び同国を訪問してほしいと呼び掛けたが、2人は「イタリア国民の税金を使うことになる」として招待を辞退していたことが分かった。ANSA通信が伝えた。
(MSN産経ニュース 2009.7.31 09:14 )

このニュースに私の目頭が熱くなった。「イタリア国民の税金を使うことになる」とはよくぞ言ってくれた!と感動したのである。この心意気は当然イタリア国民の心を掴んだ。現地のテレビが次のように大きく伝えたとのことである。

日本人の節度見習おう ぼったくり被害で伊TV
 
 【ローマ共同】ローマの有名レストランで法外な値段を請求されるトラブルに遭った日本人観光客2人が、おわびとして提示されたイタリア政府による同国への無料招待を辞退した問題で、国営イタリア放送は31日、「日本人が示した節度を見習わなくてはならない」と伝えた。同放送は「ほかの人なら喜んで招待を受けた上に、友達まで一緒に(無料で)イタリアに連れて行ったかもしれない」とした上で「2人を模範とすべきだ」などと褒めちぎった。
(共同通信 2009/07/31 23:05)

観光客二人とは35歳の男性と同伴した女性であるが、その心打つ対応に国営イタリア放送が「日本人が示した節度を見習わなくてはならない」と述べた。その節度(もちろん翻訳語であろうが)という言葉に「あれあれ」と思った。私も最近使ったばかりであったのである。7月28日の「総理大臣終えた後は政界引退を」 versus 「教授終えた後は・・・」の中で

現役時代の研究システムを可能な限りそのまま定年後も維持したいというのは、考えようによれば節度なき人生態度である。定年は組織に属する人間にとっては避けられない運命である。いつかはその時が来るのが自明の理なのである。その間、全力投球して後に悔いを残さないようにする、それでいいではないか。

のように使ったのである。

大学を定年になっても研究を続けたいという「定年研究者のために研究費制度を」という提言に、批判的な立場で私の考えを述べたものである。研究とは要するに好奇心を満たすためのもので、所詮はお遊びであると私は思っている。それが基礎科学研究の本質でもあるからだ。だから定年研究者の研究もお遊びの続きなのである。私には定年までそのお遊びを税金でたっぷりさせていただいたとの思いがある。その個人的な楽しをいつまでも続けたいと思うのは人情ではあろうが、そうかと言ってそのためにさらに税金を使わしていただくというのはいかにもおこがましい。楽しみたけりゃ自分のお金ですればよいのである。

私の周辺には定年後も私設研究室を拵えて、好きなことを楽しんでいるいる先輩後輩が何人もいる。かっての研究室仲間で三人ほどそうしているのを知っているが、そのうちの二人は私設研究室の名称を名刺に刷り込んで悦に入っていた。また共同研究もしたある仲間は、現役時代から実験材料を集めに通っていた日本海のある港町で民家を借りて個人研究室を作り、定年後もそこで仕事を続けていた。また理学部物理出身のある先輩は定年後、自宅近くにわざわざマンションの一室を借りて勉強に毎日通っていた。直接確かめたわけではないが、おそらく皆さん退職金を使い込んだのであろう。これが節度ある行動というものである。私的な費用で何をしようとそれはまったく自由である。かく申す私もキッチンを実験室と化すべく涙ぐましい努力をし、その顛末を歳末大掃除でピッカピカで記したことがある。私の限られた交遊範囲ですらこうだから、世の中にはこのように節度をわきまえた高齢者も結構いるのだろうと思う。

ところで「最先端研究開発支援プログラム」である。応募者の年齢分布を見ると、今回の565人の応募者のうち60歳以上がなんと236名(70歳以上27人を含む)もいる。このプログラムの原資2700億円は自民・公明連立政権が景気浮揚対策として2009年度の補正予算に計上したもので、研究者にとって降って湧いたものであっても税金は税金なのである。60歳以上の応募者がお元気なのはご同慶の至りであるが、やや厳しい資格を満たす応募者である以上、一応その世界では著名な方々であろうから、これまでも多額の税金で結構いい思いをしてこられた筈である。それなのに、定年年齢を過ぎてもまだまだ税金を使いたいのだろうか。

もともと私は「2700億円の最先端研究助成は日本の科学研究基盤を崩壊させる」と恐れ、その大金ばらまき体質を批判的なのである。このプログラムの先行きは霧の中であるが、さしあたり目に見える成果を期待するのであれば、それは応用科学・技術の分野においてであろう。これなら定年研究者でも組織者としてリーダーとなり得るだろうが、万が一不慮の状況でリーダーシップを取れなくなっても必ず代わりのリーダーが現れて、動き出したプロジェクトは頓挫することなく進んで行くことは間違いない。おだてられて担ぎ出された人もなかにはいるだろうが、我こそはと思い込んでいるのはおそらくご本人だけなのである。無数の有為な人材を戦争で失いながらも敗戦後の日本の復興を支えてきたのがどのような人たちであったのか、それを目にしてきたわれわれ高齢世代はこの点きわめて楽観的なのである。だからこそなお一層高齢者の節度が気になる。

少し視点を変えると、応用科学・技術の分野で自他とも許す実績を残した人々として、私のような世間知らずでもすぐに思い出せる著名な企業家が何人かいる。独立・創業した年齢をみてみると、早川徳治(1893年生まれ)が31歳、松下幸之助(1894年生まれ)が24歳、本田宗一郎(1906年生まれ)が22歳、盛田昭夫(1921年生まれ)が25歳、稲森和夫(1932年年生まれ)が27歳と、当たり前のことながら還暦に達した方は一人もいない。「最先端研究開発支援プログラム」は元来このような将来性のある世代の人々に期待すべきであろうに、名乗りを挙げた4割が会社なら定年の60歳以上だから恐れ入ったのである。

「イタリア国民の税金を使うことになる」に感動したあまり、つい口が滑ってしまった。妄言多謝。