木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

百花繚乱するエゴ

2008-01-30 00:16:39 | インポート
 スポーツが時に国際的な政治事情を醸し出す事があ
る典型的な場面が、ハンドボールの日本選手に対する
中東の審判の判断である。何が何でも中東の選手が勝
たなければならないという思いが政治へと化し、審判
を政治的に活用して自国を勝たせたいという「中東の
笛」と揶揄される事例は、共通ルールに基づいて予選
をやり直すという日本と韓国に対して団体で圧力をか
けてくる等とどまるところを知らない。
 ここまで来るとスポーツではなく利権である。
 日本選手団は利権圧力に負けず頑張って欲しい。

 五輪に政治的な背景から参加をボイコットすること
もモスクワ五輪では日本も行い、その報復としてロサ
ンゼルス五輪では当時のソビエトが参加をボイコット
した。スポーツ本来の環境から国家の威信をかけた政
治的な緊張へと転じてしまう最たる例である。
 本来、スポーツは全世界共通のルールの下で行われ
るもので、ある意味では共通言語のようなものであり
交流であり、文化でもある。しかし国によればスポーツ
は国の威信を選手に背負わせ、是が非でも相手に勝利す
ることでその国の元首を満足させるという国策になって
いる国の選手団がいることも事実である。
 特に判断種目などはどうしても政治的な衝突や展開に
なっていくことが少なくない。

 欧州の論理で米国と日本で盛んな野球が北京五輪を
最後にロンドン五輪からは五輪種目でなくなる。これ
も政治的な動きである。又、冬季種目で日本選手が活
躍し上位に名を連ねると、欧州選手団から苦情が沸き
スキー板の長さがルール変更されたり、ルールそのも
のが強引に変更されていく事例も何度か見てきた。
 国際スポーツの現場は、まさにエゴの繚乱とする場
所でもある。

 ソウル五輪の男子柔道では観衆から日本選手に浴び
せられるブーイングが凄まじく、微妙な判定は皆、日
本人選手には不利に働き、ある世界選手権では完全に
日本選手が一本を取ったところを審判が「効果」と判
断し涙を呑んだ場面があった。
 ルールが共通な筈であるのに、ルールを曲げ、判断
に贔屓をにじませ、時にはルールすら変えていく現実
はまるで政治のようであり、政治以上に政治的である
のではないだろうか。

 行き着くところ人の為す行為は政治的になっていく。
 スポーツですら斯くの如し、まして国と国との領土
問題は想像に難くない。

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