鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

小石川後楽園を訪ねて

2024-05-20 19:05:19 | 東京の街
東京ドーム球場の西隣りと言う方が分かりやすいかも。

江戸時代には水戸・徳川家の上屋敷の庭園だったそうで
現在の東京ドーム球場も水戸・徳川家の上屋敷の領域なんだって。

今回に紹介する小石川後楽園だけでも7万㎡(約2.1万坪以上)

鉄ちゃん爺やも、お隣の場外馬券売り場は何度か訪れましたが
小石川後楽園を散策するのは初めてでおます。

(小石川後楽園の入場券)(シニア割150円)



(小石川後楽園の 説明板)

水戸・徳川家初代藩主=徳川頼房が当時は中屋敷だった
小石川の屋敷内に造園を始めたのが1629年(寛永6年)
水戸黄門でお馴染みの2代目徳川光圀が後を受けて完成。

後楽園の名前を付けたのも徳川光圀で中国の「岳陽楼記」から

「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」

為政者の心得を説くものとして名付けたように記されています。

(初代水戸藩主 徳川頼房)

徳川家康公の11男で家康公61歳で最後のお子さん。

末っ子なので家康公が亡くなるまで側で育てたとの説。

名前にも清和源氏の通字である「頼」の字を与えている。

徳川3代将軍・家光公とは一つ違いの年長になります。
そんな年齢の近さから、兄弟のようなお付き合いだったとか。

「そなたの事はわけても 心安く思い 何事も相談したいと思う
 そなたの事を 兄弟同様に思っている そなたもそう心得て欲しい」

実際は叔父と甥の関係なのにこんな書状が残っているそうですわ。

2代将軍徳川秀忠公が異母弟の頼房を年齢が近いこともあって
実子・家光の相談相手として意識して仕向けたような感じ。

家光公も江戸城から船で小石川後楽園へお成りが6回を数えるらしい。

実の弟である忠長とは仲が悪く、叔父の頼房とは亡くなるまで
徳川家光は仲が良かったと記されてますんや。

(2代目水戸藩主 徳川光圀)
徳川光圀は三男で6つ年上の頼重が健在なのに家督を継ぐ?

これは当時の御三家には子供がまだ生まれてない事を憚って
京都に隠し、その後に生まれた光圀を2代藩主に命じたようです。

将軍にお目見えしないと家督を継げなかったとされています。

三男の光圀が先にお目見えしたので家督を継ぐことに成ったとか。

清和源氏の通字である「頼」の字を徳川光圀は名乗っていない。

晩年に兄の実子を水戸藩主に奉じ自分の実子頼常は逆に
高松藩主だった兄の後継者に命じる子供交換を実施している。

だが頼常は子供が生まれなくて、水戸黄門さんの血統は断絶に。

長幼の序を重んじて水戸藩の将来を託したとされています。

テレビや映画でお馴染みの水戸黄門のお話は小説の世界で
本人は西は熱海まで北は勿来までしか訪れておりません。

結局は兄の子供が水戸家を継いで幕末まで続く事になりまぁ。

(小石川後楽園の風景)



(小石川後楽園の 寝覚ノ床) 
(寝覚ノ床の 説明板)
木曽川の名勝である寝覚ノ床を模して造られているようですな。

六義園が明るい日本庭園に対して小石川後楽園は暗い感じがし
中国風を好んだ光圀の意図があちこちに感じられるんですわ。

(小石川後楽園の 大泉水)

(小石川後楽園の 九八屋)
(九八屋の 説明板)
(九八屋の内部)

(水戸偕楽園から 里帰りした梅の木)



(お隣は東京ドーム球場になります)

(小石川後楽園の 愛宕坂)
(愛宕坂の 説明板)
(小石川後楽園の 藤棚)
(円月橋の 説明板)
(円月橋)
(円月橋 水面と合わせて注目!)
この円月橋が小石川後楽園を代表する風景とみられますかな。
中国式の石橋で日本では最古のものと言われてますんや。

(小石川後楽園の 一つ松)
(一つ松の 説明板)
(5分咲きの枝垂れ桜)

(小石川後楽園 西門にて撮影)
傘を差してるご婦人方の背景ですが雨は降っておりません。

入り口の警備の方に写して頂きました。

(外堀通り 飯田橋交差点)
(JR中央・総武線  飯田駅)
(首都高速5号池袋線)
(JR中央・総武線 飯田橋駅に到着)

蛇足ながら岡山の「後楽園」は江戸時代には「御楽園」と呼ばれ
1891年(明治4年)に池田家の当主が「後楽園」と命名し
小石川後楽園にあやかって「岳陽楼記」から採用したとのこと。

今日はこれでお仕舞い、さいなら~♪

次回は上野動物園を再度訪問しパンダを撮影する事にしました。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは! (hide-san)
2024-05-21 15:15:13
もう少し足を延ばすと、細川藩の今では公園になっている中屋敷の江戸川公園に出られました。
興味深い説明を (くちかずこ)
2024-05-22 20:43:18
ありがとうございました。
いつもお詳しいですね。
庭園よりも、家の物語に興味が・・・
ご健脚振り、安堵致しました。
こんにちは (TAKAOSAN)
2024-05-24 16:45:09
都内には所々に閑静な場所がありますね。
大阪とはそこのところが違うかなと思います。
明治神宮の付近の再開発の話もありますが、
本当に多くの緑と、歴史的なものが、戦果を逃れて意外と残っているなぁという印象があります。
コメントありがとうございました~♪ (hide-san様へ)
2024-05-25 14:29:56
江戸川公園は入場料が無料なんですね。

旅行前に教えて貰っていたらその次に
立ち寄ったかもしれません。
コメントありがとうございました~♪ (くちかずこ様へ)
2024-05-25 14:35:33
名前は同じ後楽園でも岡山の方は
明るくて準日本庭園ですが
小石川の方は中国風のやや暗い庭園でした。

同じ回遊式庭園でも随分と感じが異なりますかな。

関西より西に住んでいる者には後楽園と
言えば岡山の方を選ぶんでしょうね。
コメントありがとうございました~♪ (TAKAOSAN様へ)
2024-05-25 14:41:04
確かに緑の森や庭園は大阪市内より
東京都内の方が多いのはその通りですね。

東京都内の庭園や寺社を数多く巡りましたが
それでも1割~2割ぐらいにしか思えません。

有名な所でも都内は広いのでとてもじやないが回り切れませんね。

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