もう師走やちゅうのに10月の旅行のブログに逆戻りしてすんまへん。
前回は屋島のお話で終わってましたな。
(四国のお土産)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり讃岐うどんは買わんとあきまへんでっしゃろ~♪
JR高松駅のホームにこんなパネルがおましたで。
(アンパンマン列車 写真撮影用パネル)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
JR四国さんは高知生まれの、やなせたかしさんにあやかって
列車にアンパンマンのキャラクターをラッピング塗装してますんや。
岡山駅から高知へ向かう2000系の気動車や、同じく松山へ向かう
しおかぜや・いしづち JR四国さんの名物列車だっせ。
(2000系 アンパンマン列車) (松山行き いしづち)
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(2000系 アンパンマン列車) (高知行 南風)
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最近は子供さんにも大人気で特別指定席まで設けて座席や天井や壁面にも
アンパンマンのキャラを描いた新型車両まで走らせているんだって。
それいけ~ アンパンマン
私が高松に宿泊した日に残念ながら、やなせたかしさんは亡くなられたとか。
(JR四国 高松駅)
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(快速 マリンライナー 岡山行き)
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この電車に乗れば高松駅から、ほぼ1時間で岡山駅に到着でんな。
瀬戸大橋では時速130kmで走行しますんで特急電車顔負けの
スピードでっせ、高松よりの1両だけはグリーン車と指定席車でっけど
岡山よりの4両は普通乗車券だけで乗れますんや。
ほな~ 出発進行!
(坂出駅に停車中の 車窓から撮影)
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讃岐富士ともお別れですよ~♪
快速マリンライナーは瀬戸大橋に入りましたで。
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(快速 マリンライナーから 西側の備讃瀬戸を撮影)
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(高松行き 快速マリンライナーとすれ違い)
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一寸だけシャッターを押すのが早すぎた失敗作でっけど。
この辺りが岡山駅と高松駅の中間点になるんかもしれまへんで。
(与島を通過中)
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ここは一般の車両やトラックが瀬戸大橋から降りれる唯一の場所だっせ。
この島は香川県の坂出市与島ちゅうことになりま。
(反対側の車窓には 大槌島)
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屋島のブログで紹介した大槌島(おおづちじま)が見えてまっせ。
その右側はおそらく、男木島(おぎじま)で霞んでいるのは
小豆島でっしゃろな。
そろそろ瀬戸大橋も岡山県に近づいてきましたで。
(岡山県の下津井港でしょうな)
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(JR西日本 児島駅)
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岡山県に入りましたで、最初に停車した駅は児島駅ですわ
ここは倉敷市になりまんねん。
ここで乗務員さんはJR四国さんとJR西日本さんに交代でっせ。
(JR岡山駅 東口の駅舎)
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岡山市は中国地方では広島市に次ぐ人口43万人の大都市でっせ。
ここJR岡山駅は伯備線経由で山陰の米子や松江へ、通ってきた
瀬戸大橋線を経由して四国の4県へと重要な連絡駅になりますんや。
(JR岡山駅前 桃太郎の銅像)
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四国の香川県にも桃太郎伝説はおましたけど
桃太郎と言えばやはり岡山でっしゃろ。
岡山のお土産も「きび団子」が一番有名とちがいまっか?
(岡山の銘菓 吉備団子) (1箱 680円)
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ホテルへ荷物を預けて夕方までローカル線で一寸だけ足を延ばしたんですわ。
備前の一之宮になる吉備津彦神社を訪ねてみまひょかな。
(JR吉備線 キハ47 気動車)
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高松駅から乗ってきた快速マリンライナーと比べたら可愛そうな気もしますな。
のんびりと吉備路の田園地帯を走る姿は鉄ちゃん爺やにはお似合いかも。
(JR吉備線 備前一宮駅)
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ご存知かもしれまへんが、日本全国には
一宮という市や町が多く見られまっしゃろ。
これは平安時代に成立した「くにつかみ系」の神社で諸国に設けられた
地元に一番の崇敬を施している神社を
一宮もしくは一の宮とか一之宮と呼びましたんや。
平安時代中期までは国司が都から赴任したら、まずは一番に
一宮と呼ばれる神社に参詣することが義務つけられてたそうです。
だから現在でも一宮の地名が有れば近くに一宮の神社があるはずですわ。
(備前の国 一宮 吉備津彦神社) (岡山市北区一宮)
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鳥居の奥に見える山は吉備の中山(標高175m)と呼ばれ吉備津彦神社の
ご神体と成っています、この山の手前側は備前の国で反対に向こう側は
昔の備中の国とされてますんや。
山の右手2kmぐらいの山麓に備中の一宮・吉備津神社が鎮座してはりまっせ。
一字違いの吉備津神社ですが祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)で
同じですが神社の造りは随分と違いがあるように感じま。
今回は立ち寄れなかったけど、吉備津神社は「鳴釜の神事」などが残り
「温羅」(うら)と呼ぶ退治された鬼も祟りを鎮めるために合わせて
お祀りしてあるような気も、わてはしますんやけど。
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吉備の国は大化の改新(645年)の後に備前・備中・備後と
三つに別れて、それぞれに吉備津神社が一宮とされてますんや。
本来は備中にある吉備津神社が本庁で、それぞれ分祀されたんでしょうな。
特に備前の国は平安時代初期までは「安仁神社」(あにじんじゃ)が
一宮でしたんやけど、藤原純友の乱が起こり安仁神社が逆賊とされた
藤原純友を支持したので一宮を剥奪されたとの記載がおますんや。
そんな訳で吉備津彦神社が平安時代中期以降は一宮とされたようでんな。
だからこの吉備津彦神社は朝廷の意向に従ったような
社殿の造りに成ったんだと思いまんねん。
(吉備津彦神社 奥から 本殿・渡殿・祭文殿)
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(吉備津彦神社 本殿)
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吉備津彦神社は桃太郎伝説にも例えられる「温羅」(うら)という鬼を
ここから北西へ約10kmほど行った「鬼の城」で退治したという伝説。
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)とその弟である
吉備津彦命(きびつひこのみこと)をお祀りしてあるそうです。
伝説では、吉備地方を平定したヤマト朝廷の将軍とされてますんや。
本殿は江戸時代の1697年(元禄10年)に岡山藩主・池田綱政によって
再建された建物で現在も当時の姿を残している貴重なお社だそうですわ。
その他の拝殿から祭文殿や渡殿は昭和5年の火災で焼失しているそうで
本殿を除く三つの社殿は昭和11年に新しく出来たようでんな。
備中高松城の水攻めをした羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は
ここ吉備津彦神社に戦勝を祈願したそうでっせ。
備中高松城跡はこの神社から北西へ約5kmぐらいになりますかな。
(吉備津彦神社境内 安政の大石灯篭の説明書き)
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石造りの灯篭では日本で一番大きいと書かれてますな?
わては、大阪市・住吉大社の石灯篭の方が大きいように思いまんねんけど。
(安政の大石灯篭)
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(吉備津彦神社 随身門 & 安政の大石灯篭)
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門の奥に見えるのは吉備津彦神社の社殿を囲む回廊ですな。
たしかに大きい石灯篭ではおますけど、日本一と言うのには?
(吉備津彦神社の ご神木 平安杉)
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この平安杉は樹齢が千年以上で昔から龍が宿ると言われ地元では
ご神木として大切にされてきましたんや。
処が、昭和5年に社殿の大火災に際し焼け焦げて立ち枯れの危機に陥り
関係者の努力でなんとか生き返ったという経緯がおますんや。
やはり生命力が強いのに感心して写してきましたわ。
現在は岡山市が保存樹として指定しているようでんな。
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(桃太郎伝説の 看板と自分撮り)
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お隣の総社市に「鬼の城」と呼ばれる朝鮮式の山城の跡が残ってるそうですわ。
「温羅」(うら)という鬼の名前も何となく朝鮮式の名前のように
感じるのは、わてだけでっしゃろか?
吉備津彦という人物はヤマト朝廷から派遣された将軍じゃなくて
吉備地方を平定した地元の豪族だったかもしれまへんな。
朝鮮半島と何らかの関係が有った「温羅」(うら)を征伐したのが
桃太郎伝説として残り、吉備一族はその後ヤマト朝廷に従属して
奈良時代までその名前が歴史上にも出てくるようでんな。
大阪府下に残る巨大古墳に次いで全国で四番目に大きな古墳が
総社市に「造山古墳」として今も残ってますんや。
おそらく4世紀頃にはヤマト朝廷に匹敵する有力な豪族が
ここ吉備地方に勢力を伸ばしていたんでしょうな。
今日はこれでお仕舞いにさせてもらいまっさ。
次回は岡山の後楽園と岡山城を紹介させてもらいまひょ。
それじゃ、さいなら~♪
前回は屋島のお話で終わってましたな。
(四国のお土産)
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やはり讃岐うどんは買わんとあきまへんでっしゃろ~♪
JR高松駅のホームにこんなパネルがおましたで。
(アンパンマン列車 写真撮影用パネル)
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JR四国さんは高知生まれの、やなせたかしさんにあやかって
列車にアンパンマンのキャラクターをラッピング塗装してますんや。
岡山駅から高知へ向かう2000系の気動車や、同じく松山へ向かう
しおかぜや・いしづち JR四国さんの名物列車だっせ。
(2000系 アンパンマン列車) (松山行き いしづち)
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(2000系 アンパンマン列車) (高知行 南風)
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最近は子供さんにも大人気で特別指定席まで設けて座席や天井や壁面にも
アンパンマンのキャラを描いた新型車両まで走らせているんだって。
それいけ~ アンパンマン
私が高松に宿泊した日に残念ながら、やなせたかしさんは亡くなられたとか。
(JR四国 高松駅)
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(快速 マリンライナー 岡山行き)
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この電車に乗れば高松駅から、ほぼ1時間で岡山駅に到着でんな。
瀬戸大橋では時速130kmで走行しますんで特急電車顔負けの
スピードでっせ、高松よりの1両だけはグリーン車と指定席車でっけど
岡山よりの4両は普通乗車券だけで乗れますんや。
ほな~ 出発進行!
(坂出駅に停車中の 車窓から撮影)
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讃岐富士ともお別れですよ~♪
快速マリンライナーは瀬戸大橋に入りましたで。
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(快速 マリンライナーから 西側の備讃瀬戸を撮影)
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(高松行き 快速マリンライナーとすれ違い)
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一寸だけシャッターを押すのが早すぎた失敗作でっけど。
この辺りが岡山駅と高松駅の中間点になるんかもしれまへんで。
(与島を通過中)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは一般の車両やトラックが瀬戸大橋から降りれる唯一の場所だっせ。
この島は香川県の坂出市与島ちゅうことになりま。
(反対側の車窓には 大槌島)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
屋島のブログで紹介した大槌島(おおづちじま)が見えてまっせ。
その右側はおそらく、男木島(おぎじま)で霞んでいるのは
小豆島でっしゃろな。
そろそろ瀬戸大橋も岡山県に近づいてきましたで。
(岡山県の下津井港でしょうな)
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(JR西日本 児島駅)
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岡山県に入りましたで、最初に停車した駅は児島駅ですわ
ここは倉敷市になりまんねん。
ここで乗務員さんはJR四国さんとJR西日本さんに交代でっせ。
(JR岡山駅 東口の駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
岡山市は中国地方では広島市に次ぐ人口43万人の大都市でっせ。
ここJR岡山駅は伯備線経由で山陰の米子や松江へ、通ってきた
瀬戸大橋線を経由して四国の4県へと重要な連絡駅になりますんや。
(JR岡山駅前 桃太郎の銅像)
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四国の香川県にも桃太郎伝説はおましたけど
桃太郎と言えばやはり岡山でっしゃろ。
岡山のお土産も「きび団子」が一番有名とちがいまっか?
(岡山の銘菓 吉備団子) (1箱 680円)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ホテルへ荷物を預けて夕方までローカル線で一寸だけ足を延ばしたんですわ。
備前の一之宮になる吉備津彦神社を訪ねてみまひょかな。
(JR吉備線 キハ47 気動車)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高松駅から乗ってきた快速マリンライナーと比べたら可愛そうな気もしますな。
のんびりと吉備路の田園地帯を走る姿は鉄ちゃん爺やにはお似合いかも。
(JR吉備線 備前一宮駅)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ご存知かもしれまへんが、日本全国には
一宮という市や町が多く見られまっしゃろ。
これは平安時代に成立した「くにつかみ系」の神社で諸国に設けられた
地元に一番の崇敬を施している神社を
一宮もしくは一の宮とか一之宮と呼びましたんや。
平安時代中期までは国司が都から赴任したら、まずは一番に
一宮と呼ばれる神社に参詣することが義務つけられてたそうです。
だから現在でも一宮の地名が有れば近くに一宮の神社があるはずですわ。
(備前の国 一宮 吉備津彦神社) (岡山市北区一宮)
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鳥居の奥に見える山は吉備の中山(標高175m)と呼ばれ吉備津彦神社の
ご神体と成っています、この山の手前側は備前の国で反対に向こう側は
昔の備中の国とされてますんや。
山の右手2kmぐらいの山麓に備中の一宮・吉備津神社が鎮座してはりまっせ。
一字違いの吉備津神社ですが祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)で
同じですが神社の造りは随分と違いがあるように感じま。
今回は立ち寄れなかったけど、吉備津神社は「鳴釜の神事」などが残り
「温羅」(うら)と呼ぶ退治された鬼も祟りを鎮めるために合わせて
お祀りしてあるような気も、わてはしますんやけど。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
吉備の国は大化の改新(645年)の後に備前・備中・備後と
三つに別れて、それぞれに吉備津神社が一宮とされてますんや。
本来は備中にある吉備津神社が本庁で、それぞれ分祀されたんでしょうな。
特に備前の国は平安時代初期までは「安仁神社」(あにじんじゃ)が
一宮でしたんやけど、藤原純友の乱が起こり安仁神社が逆賊とされた
藤原純友を支持したので一宮を剥奪されたとの記載がおますんや。
そんな訳で吉備津彦神社が平安時代中期以降は一宮とされたようでんな。
だからこの吉備津彦神社は朝廷の意向に従ったような
社殿の造りに成ったんだと思いまんねん。
(吉備津彦神社 奥から 本殿・渡殿・祭文殿)
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(吉備津彦神社 本殿)
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吉備津彦神社は桃太郎伝説にも例えられる「温羅」(うら)という鬼を
ここから北西へ約10kmほど行った「鬼の城」で退治したという伝説。
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)とその弟である
吉備津彦命(きびつひこのみこと)をお祀りしてあるそうです。
伝説では、吉備地方を平定したヤマト朝廷の将軍とされてますんや。
本殿は江戸時代の1697年(元禄10年)に岡山藩主・池田綱政によって
再建された建物で現在も当時の姿を残している貴重なお社だそうですわ。
その他の拝殿から祭文殿や渡殿は昭和5年の火災で焼失しているそうで
本殿を除く三つの社殿は昭和11年に新しく出来たようでんな。
備中高松城の水攻めをした羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は
ここ吉備津彦神社に戦勝を祈願したそうでっせ。
備中高松城跡はこの神社から北西へ約5kmぐらいになりますかな。
(吉備津彦神社境内 安政の大石灯篭の説明書き)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
石造りの灯篭では日本で一番大きいと書かれてますな?
わては、大阪市・住吉大社の石灯篭の方が大きいように思いまんねんけど。
(安政の大石灯篭)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(吉備津彦神社 随身門 & 安政の大石灯篭)
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門の奥に見えるのは吉備津彦神社の社殿を囲む回廊ですな。
たしかに大きい石灯篭ではおますけど、日本一と言うのには?
(吉備津彦神社の ご神木 平安杉)
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この平安杉は樹齢が千年以上で昔から龍が宿ると言われ地元では
ご神木として大切にされてきましたんや。
処が、昭和5年に社殿の大火災に際し焼け焦げて立ち枯れの危機に陥り
関係者の努力でなんとか生き返ったという経緯がおますんや。
やはり生命力が強いのに感心して写してきましたわ。
現在は岡山市が保存樹として指定しているようでんな。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(桃太郎伝説の 看板と自分撮り)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
お隣の総社市に「鬼の城」と呼ばれる朝鮮式の山城の跡が残ってるそうですわ。
「温羅」(うら)という鬼の名前も何となく朝鮮式の名前のように
感じるのは、わてだけでっしゃろか?
吉備津彦という人物はヤマト朝廷から派遣された将軍じゃなくて
吉備地方を平定した地元の豪族だったかもしれまへんな。
朝鮮半島と何らかの関係が有った「温羅」(うら)を征伐したのが
桃太郎伝説として残り、吉備一族はその後ヤマト朝廷に従属して
奈良時代までその名前が歴史上にも出てくるようでんな。
大阪府下に残る巨大古墳に次いで全国で四番目に大きな古墳が
総社市に「造山古墳」として今も残ってますんや。
おそらく4世紀頃にはヤマト朝廷に匹敵する有力な豪族が
ここ吉備地方に勢力を伸ばしていたんでしょうな。
今日はこれでお仕舞いにさせてもらいまっさ。
次回は岡山の後楽園と岡山城を紹介させてもらいまひょ。
それじゃ、さいなら~♪
鬼に温羅(うら)の名前があるとは知りませんでした。
それから寄付された「大きい石灯篭」高さ11mもあって、
随身門と高さが同じくらいですね。
やはり日本一かも。
寄付金が1億三千万円相当というと、
一人当たり8万円弱でしょうかね。
今年は何回入院したやら昨年の秋から、
病院のスタッフに覚えられる始末です。
時には人の人生が羨ましい時が有りますよ。
でも43歳で亡くなった母を思うと幸せだと思います。
還暦過ぎで3人の子供が家庭をそれぞれ持ったのですから。
いつも ありがとう御座いますヾ(*^▽^*)〃
初めての新幹線に乗って、鳥取、島根、岡山、広島方面へ行き、旅行も近づいていた台風との競争でした。
きびだんごは、お店で味が違いますね。
後楽園もなんども行きました。
この近く、毎年、出張があったのでね。
瀬戸大橋、いつも車で通過でした。
よく乗りました。
強風で電車が止まって帰れなくなったこともありました。
懐かしいです。
岡山は、大阪からは日帰り圏だったので、あまり宿泊したことがありませんでしたね。
駅前は、本当に安い居酒屋激戦区でした。
地方では地域の活性化はJRなしでは語れないでしようね。
渡しの隣宅の旧宅は二宮宅で、山形賢人会の一員
二宮にも何か訳がありそうですね。
一時性を辿ること、はやりましたが今では忘れられて…
吉備津神社の湯釜の下に埋められたとか
「鳴釜の神事」はその釜で湯を炊いて
その音で吉・凶を占うんだそうです。
あの石灯篭は日本一だとのネットで
書き込みも見られますね。
現在の医学からすれば女性は90歳を
超えるまで生きれるようですね。
貴女も病気に負けないで90歳超えを
目指して下さいよ。
お孫さんの結婚式が見れるように
そんな願望で如何かしら?
山陰地方ではまだSLが走っていたと思いますけど。
私が初めて山陰へ旅行したのは昭和41年の夏でしたね
その時は鈍行はSLで急行や特急は
気動車が走り始めていましたかな。
少し甘すぎる感じがしましたけど。
昔の方が素朴な味だったように記憶しますな。
後楽園は20年ぶりに訪れたように思います
昔は岡山に親戚が有りましたので学生時代には
毎年ながら夏に後楽園の側を歩いていましたよ。