今月、アエラにハイチの写真記事が載ったので、編集部の人がこちらまでその掲載誌を送ってくださった。
久しぶりに手にしたアエラだったが、ページをめくってちょっと意外に感じてしまった。
「アエラってこんなに軽かったっけ?」
一人暮らしのコストとかフジテレビ女性社員達の話、はたまた男の尻のかたちがどうだとかといった記事が続いている。確か以前はもっと政治的な事や国際情勢の記事が多かったように思うが、勘違いだったかな?
これが僕の思い違いでなければ、アエラも軽くなっていく時代の波には逆らえない、ということだろうか。
こういう現実はトリビューンにしても同じ事だから身に染みて感じてしまうのだ。特にトリビューンのウェブサイトのほうはひどい。芸能関係とか、読者からの投稿写真とか、そういう軽いものがフロントで幅を利かせ、時間をかけて取材した特別記事やフォトストーリーなどはどこにあるのか探し出すのも大変なほどの奥のページに押し込められている。
以前にも書いたけれど、社会的に重要で、ジャーナリストとして発信したいと思う記事よりも、単に読者の好奇心をそそり、「クリック数」が多くなりそうなものが優先されてしまうわけだ。そんな風潮が現在の硬派ジャーナリズムの形態をどんどん変えていっている。
まあアエラに関しては新聞ではないし、内容はもっと多岐にわたっていて当然なのだけれど、やはり「朝日のアエラ」という看板にふさわしい、読んで勉強になる記事をもっと期待したい、と個人的には感じてしまう。
しかしこんな生意気書いてると、もうアエラに写真載せてもらえなくなるなあ。。。トホホ
久しぶりに手にしたアエラだったが、ページをめくってちょっと意外に感じてしまった。
「アエラってこんなに軽かったっけ?」
一人暮らしのコストとかフジテレビ女性社員達の話、はたまた男の尻のかたちがどうだとかといった記事が続いている。確か以前はもっと政治的な事や国際情勢の記事が多かったように思うが、勘違いだったかな?
これが僕の思い違いでなければ、アエラも軽くなっていく時代の波には逆らえない、ということだろうか。
こういう現実はトリビューンにしても同じ事だから身に染みて感じてしまうのだ。特にトリビューンのウェブサイトのほうはひどい。芸能関係とか、読者からの投稿写真とか、そういう軽いものがフロントで幅を利かせ、時間をかけて取材した特別記事やフォトストーリーなどはどこにあるのか探し出すのも大変なほどの奥のページに押し込められている。
以前にも書いたけれど、社会的に重要で、ジャーナリストとして発信したいと思う記事よりも、単に読者の好奇心をそそり、「クリック数」が多くなりそうなものが優先されてしまうわけだ。そんな風潮が現在の硬派ジャーナリズムの形態をどんどん変えていっている。
まあアエラに関しては新聞ではないし、内容はもっと多岐にわたっていて当然なのだけれど、やはり「朝日のアエラ」という看板にふさわしい、読んで勉強になる記事をもっと期待したい、と個人的には感じてしまう。
しかしこんな生意気書いてると、もうアエラに写真載せてもらえなくなるなあ。。。トホホ
政治・経済、社会情勢よりも、ちょっとキャリア系の女性が知りたいこと、悩むことを読みやすくということらしいです。
私も少し読みやすい政治・経済、社会情勢を書いてくれる雑誌として愛読していたのですが、
近頃買ってもちょっと残念・・・ということが多いです。