Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

「あの日」から一年 Vol.1

2012-03-24 10:17:33 | 日本
前回のアップから随分間があいてしまった。津波の一周年の取材撮影のためにおよそ1ヶ月半日本に滞在し、先週ムンバイに戻ってきた。

昨年の地震直後、僕は津波を生き延びた50人以上の家族に写真を撮らせてもらい、話を聞いた。今年また東北に戻ったのは、彼らと再会するのが主な目的だった。20家族以上をまた訪ね、彼らがこの一年どんな思いでくらしてきたかを聞かせてもらうことができた。そのいくつかをここで紹介したい。

MSNBCのフォトブログのサイトにも数家族掲載。英語のみ)


高橋義弘さん(65)宮城県女川町

女川町大原二区の区長だった高橋さん。仏さまを思わせるような温和な顔をした彼は、時折笑みさえも浮かべながら体験を語ってくれるが、そんなやわらかな表情の影には、深い悲しみが隠れている。

地震直後、区長としての義務を果たすべく、一人暮らしの老人たちの安否確認のために区内をまわった。そのあと、近所の崩れていた瓦を片付けねばと、寄り道をしたときに津波が襲ってきた。自分は津波に追われながらなんとか丘の上に逃げたが、家の中で倒れた家具の片付けをしていた妻の寿子さんが家とともに流されてしまった。

「そんな片付けはいいから、津波くっから早く逃げれよ」

家をでるときに、そう声をかけたのが最後だった。外にいた高橋さんの母親のさと子さんも流された。

辛かったのが息子や娘に責められたことだった。

「なんで(妻と)一緒に逃げねかったのや」

母親の遺体は見つかったが、寿子さんはいまだに行方不明だ。

「まだ、すっきりとはしないね。なんとなくねえ。そう言う話になったら、ダメだね。おいは。。。」

話していた言葉がとまり、高橋さんが手のひらで顔を覆った。仮設住宅の彼の部屋が一瞬静寂に包まれる。

「津波前は(母と妻の)3人でいたっちゃ。だけどひとりになって、何するにも大変だな、って思うな。ああでもねえ、こうでもねえって、毎日喧嘩はしてたんだけっさ、いねくなればいねえでね。いままで朝、昼、晩と女房にだされたもの食べて、いまはみな一人でやらなきゃならないっさ。おかず買って、米研いでさ。でもまだうまくいかねえのね。硬くなったりやっこくなったり 」

現在は仮設住宅の自治会長として、忙しく過ごす。もともと世話好きな性格だから、区長といい自治会長といい、性に合っているという。

「(妻の遺体が)みつかればね、まだあきらめもつくんだかもしんねえんだっけさ。なんていうのか、まだまだ。。。だからこうやって自治会の会長でもやって、小間使いみたいなもんなんだけどさ、それで少しは気を紛らわせていんだけども。ひとりでぽつんとしてると、妻のことばかり考えてしまうからさ」

「いまはここにいて、自治会の住民のことを思ってるのが一番さな。この人たちのために一生懸命やるっても、おいのひとつの人生かなあ、とも思ってるの。前は区長だったし、そんときの気持ちはいまでも変わんねえ」

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/03/24/tsunami-survivors-a-year-later-vol-1/ )

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