昨日は、パキスタンの元首相ブット氏暗殺のニュースで朝が始まり、おかげで一日中どうにも気の晴れない暗澹たる思いで過ごす羽目になった。
僕はパキスタンには行ったことはないし、ブット氏に特別な思いいれがあるわけでもない。歴史的に世界中で政治家の暗殺などは何度も起こってきたし、半ば予想されていた彼女の暗殺それ自体が僕にとってとりたててショックだったのではない。
この暗殺のやり方と、その後の民衆の反応をニュースで追っているうち、どうにもやりきれない気持ちになったのだ。
犯人は、まずブット氏の首と胸を銃で撃ち、そのあと自爆したという。その爆発の巻き添えを食ってまわりにいた20人ほどが殺された。ブット氏の暗殺が目的だったのなら、一体どうして周りにいる人間たちまで巻き込む必要があるのか?
昨日の暗殺に限らず、イラクやアフガニスタンなどで近年頻発している自爆テロすべてにいえることだが、明らかに教典コーランの教えに反するこの無差別殺人行為を、一体何をもって彼らイスラム原理主義者達は正当化するのか?犠牲者の中には当然子供さえも含まれてくるのだ。
さらに、ブット氏暗殺後の民衆の反応にも大きな疑問を感じる。怒ったブット氏支持者たちは、彼女の収容された救急病院のガラスをたたき割ったり、各地で車や商店に放火したり発砲するなどの暴動騒ぎを起こし、ムシャラフ大統領批判の声をあげているという。
人々が怒るのはもっともだが、その矛先が違うだろう。
怒りをぶつけるべき相手は、自爆テロという極めて非道な行為を繰り返すイスラム原理主義者たちであり、こういう洗脳された人間達をつくりだすテロ組織のはずだ。ムシャラフ大統領が、自分の首を絞めるようようなことになるブット氏の暗殺を企てるわけはないし、ましてや町の商店主たちや病院がどうして八つ当たりされなくてはならないのか?
コーランやモハメッドが西洋の雑誌記事などでわずかでも悪く言われたり、ジョークのネタになったりするだけで激怒して、世界中のイスラム教徒たちが激しいデモをおこすというのに、もっと非人道的な自爆テロをおこなう組織に対しては、彼らは悲しむだけで真っ向から立ち上がって闘おうとしない。
誤解を恐れずに言えば、彼らイスラム教徒自体が、そういうテロ組織の存在を、好きではないけれどもなんとなく許容してしまっている、そう思えてさえしまうのだ。
イスラム教徒の人口はクリスチャンに続き世界で2番目に多い。もし彼らが学校やモスク、コミュニティーという日常活動をとおして、テロリストの温床となる貧困問題や教育問題に取り組み、本気でテロ組織に対抗しその膿をだそうと決意するなら、ブッシュの反テロ政策などよりも遥かに有効な手立てがうてるはずだ。
さらに恐ろしいのが、イラクをはじめとして、近年あまりに自爆テロが頻発するために、イスラム社会、特にテロリスト予備軍ともいえる若者たちの間で、これがあたりまえの「作戦」として定着してしまっていることだ。
「自分の気に入らないものはみな殺しにしてしまえ」といった風潮が浸透し、自爆テロが当然のように遂行されてしまう。。。そういう社会になってしまった。
こんな環境では子供たちは自爆テロに免疫をつけられて育つわけで、テロ組織にとっては、「作戦遂行」に疑問を持たないテロリストの補充には事足りない都合の良い社会になっていくといえるのではないか。
現在、世界規模でイスラム原理主義者たちの影響は増加する一方で、この点に関してはまったく希望がもてないというのが正直な思いだ。(もちろんこの責任の大きな一端はブッシュにあるのだが。。。)
こんな考えが憂鬱な頭を堂々巡りして、結局やろうと思っていた写真の整理もはかどらずに一日が過ぎ去ってしまったのだった。
僕はパキスタンには行ったことはないし、ブット氏に特別な思いいれがあるわけでもない。歴史的に世界中で政治家の暗殺などは何度も起こってきたし、半ば予想されていた彼女の暗殺それ自体が僕にとってとりたててショックだったのではない。
この暗殺のやり方と、その後の民衆の反応をニュースで追っているうち、どうにもやりきれない気持ちになったのだ。
犯人は、まずブット氏の首と胸を銃で撃ち、そのあと自爆したという。その爆発の巻き添えを食ってまわりにいた20人ほどが殺された。ブット氏の暗殺が目的だったのなら、一体どうして周りにいる人間たちまで巻き込む必要があるのか?
昨日の暗殺に限らず、イラクやアフガニスタンなどで近年頻発している自爆テロすべてにいえることだが、明らかに教典コーランの教えに反するこの無差別殺人行為を、一体何をもって彼らイスラム原理主義者達は正当化するのか?犠牲者の中には当然子供さえも含まれてくるのだ。
さらに、ブット氏暗殺後の民衆の反応にも大きな疑問を感じる。怒ったブット氏支持者たちは、彼女の収容された救急病院のガラスをたたき割ったり、各地で車や商店に放火したり発砲するなどの暴動騒ぎを起こし、ムシャラフ大統領批判の声をあげているという。
人々が怒るのはもっともだが、その矛先が違うだろう。
怒りをぶつけるべき相手は、自爆テロという極めて非道な行為を繰り返すイスラム原理主義者たちであり、こういう洗脳された人間達をつくりだすテロ組織のはずだ。ムシャラフ大統領が、自分の首を絞めるようようなことになるブット氏の暗殺を企てるわけはないし、ましてや町の商店主たちや病院がどうして八つ当たりされなくてはならないのか?
コーランやモハメッドが西洋の雑誌記事などでわずかでも悪く言われたり、ジョークのネタになったりするだけで激怒して、世界中のイスラム教徒たちが激しいデモをおこすというのに、もっと非人道的な自爆テロをおこなう組織に対しては、彼らは悲しむだけで真っ向から立ち上がって闘おうとしない。
誤解を恐れずに言えば、彼らイスラム教徒自体が、そういうテロ組織の存在を、好きではないけれどもなんとなく許容してしまっている、そう思えてさえしまうのだ。
イスラム教徒の人口はクリスチャンに続き世界で2番目に多い。もし彼らが学校やモスク、コミュニティーという日常活動をとおして、テロリストの温床となる貧困問題や教育問題に取り組み、本気でテロ組織に対抗しその膿をだそうと決意するなら、ブッシュの反テロ政策などよりも遥かに有効な手立てがうてるはずだ。
さらに恐ろしいのが、イラクをはじめとして、近年あまりに自爆テロが頻発するために、イスラム社会、特にテロリスト予備軍ともいえる若者たちの間で、これがあたりまえの「作戦」として定着してしまっていることだ。
「自分の気に入らないものはみな殺しにしてしまえ」といった風潮が浸透し、自爆テロが当然のように遂行されてしまう。。。そういう社会になってしまった。
こんな環境では子供たちは自爆テロに免疫をつけられて育つわけで、テロ組織にとっては、「作戦遂行」に疑問を持たないテロリストの補充には事足りない都合の良い社会になっていくといえるのではないか。
現在、世界規模でイスラム原理主義者たちの影響は増加する一方で、この点に関してはまったく希望がもてないというのが正直な思いだ。(もちろんこの責任の大きな一端はブッシュにあるのだが。。。)
こんな考えが憂鬱な頭を堂々巡りして、結局やろうと思っていた写真の整理もはかどらずに一日が過ぎ去ってしまったのだった。
彼女から「愛国心」とコメントを得ているのなら、その内容を直接の言葉で教えてもらえないか、と極単純な要請です。
なぜ、ここまでして高橋氏が拒むのか、理解できない。
それと、この記事への質問ですが、「無差別殺人」に関する記述はコーランのどこに書かれているのでしょうか?
いみし。
コーランの件ありがとうございます。
チェックしてみます。
いみし。
世界中で、テロの作戦、やり方、そういうものがニュースによって広まっているのだと改めて考えた次第です。
方法としての自爆テロは、自暴自棄になったり、説明ができないフラストレーションや、権力に対し働きかけができない人間からすれば「理想」のやり方でもあるような気がします。関係ない人を無差別に自分側に引っぱりこんで、自分だけの理論で巻き込んでしまう。
その殆どは、自分が悪いのではなく、社会、相手が悪いと思い込んでしまっている。しかも、自分の中にある鬱屈とした思いを吐き出す場所として、テロを選択している可能性を考えることすらない。考えられない。それは日本でも同じで、他者を巻き込んだ事件を起こす時、他者の思いなどどうでもいいという犯人の姿があります。自爆する自分に付き合ってくれる人、一緒に死んでくれる人という思いさえある。
自爆テロが当たり前のやり方であると思い込んでいる、というところに、何とも言えない思いを持ちました。「刷り込み」や「観念」、「洗脳」から逃れられない。しかも、私たちもまたそれを映像で「刷り込まれている」とも言えるのかもしれない。つまり、文章の中にあるような「許容」の原因になっているのかもしれない。その許容の意味は、「慣れ」です。
考えがうまくまとまらないまま、書きました。興味深いお話をありがとうございました。この件について、何か自分が見てきた世界(日本での事件や精神疾患や障害)と重なる部分があるような気がしています。少し掘り下げて考えてみようと思ってます。
よくわかりました。
こういう正論をきちんというリーダーはイスラム教の内部にはいないのでしょうか。
ただ、一連の報道で疑問に思うのは、「ブット氏の支持者が暴動をおこしている」というのは本当なのでしょうか?ブット氏の支持者たちはそんなに狂信的で暴力的だったのでしょうか?
思うに、こういう事件があると、確かにそういう暴力行為を起こすものもいるかもしれませんが、その背景にはそういう行動を扇動する者、騒ぎに乗じてしまうものがいるわけです。その背景にはやはり「衣食足りて礼節を知る」ではないですが、貧困などによる生活苦からくる自暴自棄、教育の不足(この場合の教育とは必ずしも学校教育という意味でなくても)があり、
自爆テロに関しても、何かしらの形で「正当性」をたたきこまれて若者たちはその「正当性」を信じて命をおとしているのではないか、と思うのです。
でもそれを「教義として正当」として教えている人がいる限り(その人自身もそう信じている以上)延々と自爆テロの悲劇は繰り返されてしまうのでしょうか。
同じ宗教でも教典の解釈が違うことにより、いろいろ宗派が分かれていくのは、仏教でもキリスト教でも同じであると思います。
そう思うと、宗派や部族を超えた対話が始まったという高橋さんのイラク復興の記事などは、「これってすごいことなんだ」といまさら思いますし、miuraさんがおっしゃるようにイスラム教にも「ローマ法王」にあたるような指導者(もちろんローマ法王がトップという意味ではありませんが、その言動がやはり信者にとっては大きな影響力をもつということにおいては)どなたかいたかしら?と思うのです。宗教はいつの時代も為政者に都合のいいように解釈されてしまう運命にあるのでしょうか?
確かに今「イスラム教」が世界を震撼させているのは事実でありますが、その信者の多くがこのような戦争や自爆テロなどをを望んでいるとは思いません。
長谷川さんが書き込んでらした、「同じ痛みを共通項に分かり合おうとする」というのは、その痛みを受けたとこにとどまり続けるのではなく、さらに先にその痛みを与えたものを赦し、前進するということでは、とても大変で辛いことと想像できますが、それが憎しみの連鎖を断ち切ることにもなるのだろう、と思いました。
とりとめのない文章になってしまいましたが・・
> こういう正論をきちんというリーダーは
> イスラム教の内部にはいないのでしょうか
ごく稀に,自爆テロ批判のイスラム聖職者の談話が報道されるのが散見されるかと思われますが,如何でしょう。
それはいわずと知れた,当たり前の主張で,ただでさえ少ない日本の国際記事欄からは落とさざるを得ない部分かと思います。
例えば我々の3面記事には毎日殺人強盗詐欺汚職盗難などといった文字が舞い踊りますが,我々自身は毎日殺人(以下略)をしているわけではありません。
にもかかわらず,我々の新聞を見て,『なるほど日本人は毎日殺人(以下略)を嗜む無法な国民なのだ』と結論するなら,それは酷い誤解か,もしか侮辱になりかねません。
例えばこんな例:
http://blog.goo.ne.jp/teiresias/e/f4b5c8887567fa438ba69175844646f9
で殺された聖職者は,決して自爆テロを勧めはしなかったでしょう。ですが彼の主張はさておかれ,彼が「親政府」で,タリバンの気に喰わない主張をしたということしか,我々にはわかりません。つまり,為政者の犬と見做されたのだろう,というくらいしか。
注意して,注意してご覧ください―ニュースを。
ニュースになる「ムスリム」たちは余りに非道ですが,彼らと,ニュースにならないムスリムたちとは,まずは別のものと考えるべきです。
念のため、私のコメントはイスラム教の方々を非難したのではなくて、イスラム事情に無知なため、そういう方をご存じならおしえてください、ということです。
私は旅先でムスリムの方に親切を受けたこともありますし、以前、あるイベントで東京のモスクを見学する機会があったとき、暴力的な宗教ではないという説明を受けました。大きな人数の人々がすべて非道という発想は最初からありません。
先のコメントで質問をしたのは、ムスリムの子どもたちが憧れるような強い影響力のあるリーダー(ダライ・ラマとかガンジーのような)はいないのかな? ということです。