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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

不法居住区の悲劇

2013-05-15 17:09:59 | アジア
「ブルドーザーがきて家をみんな壊していったよ。公衆トイレさえもさ。何も残らなかった」

ここに30年近く住んでいるというラム・ラタンは力なくそう言った。

インドの首都デリーに何百と存在する不法居住地のひとつ、ソニア・ガンジー・ナガール。4月中旬のある朝、ここにあったラタンの家を含めた50軒の家がすべてとり壊された。

デリーやムンバイなどの大都市には、毎年何万という人々が地方から仕事を求めてやってくる。ラジャスタン州からきたラタンもその一人だ。正規の部屋を借りるお金もない彼らはこのような不法居住区に住まざるをえないが、地域のインフラ開発が始まると、法的な住居権を持たない彼らはまっ先にその犠牲となる。ソニア・ガンジー・ナガールも、前を通る道路の拡張工事のために邪魔な存在となったのだった。

不思議なことは、ラムをはじめとしたここの住人達の身分証明書や選挙投票の登録カードには、はっきりとソニア・ガンジー・ナガールの名前が住所として記されていることだ。不法居住区なのに、市の発行する書類には登録されているというこんな事態は、悲しいかな矛盾だらけのインドでは珍しいことでもない。しかし、家を失った住人たちにしてみれば、笑い話ではすまないことだ。

僕がここを訪れたとき、赤ん坊がひとり簡易ベッドの上で眠っていた。まわりにはぶんぶんと羽音をたててハエが飛び回っている。同じくらいの歳ごろの娘をもつ父親として、さすがに辛くなる光景だけれど、僕に出来ることなど無駄にハエを追い払うことくらい。瓦礫のうえでは、女子供たちがレンガを拾い集めていた。次の家を建てる時のために使うためだ。しかしそれがいつのことか、どこになるのかなど誰にもわかりはしない。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/05/15/tragedy-of-illegal-settlement-delhi-india/ )

(同記事は、Yahoo Japan News にも掲載しています)

世界一多雨の地域で水不足?

2013-04-16 07:59:04 | アジア
インド北東部にある「世界でもっとも雨の多い土地」のひとつを訪れる機会があった。

メガラヤ州山々に囲まれた町チェラプンジ。集落が点在するこの土地は、ベンガル湾からの湿風の影響で雨が多く、1861年には22987ミリという世界最高の年間降水量を記録した。普段でも平均10000ミリ以上の降水量なので、東京の7―8倍は降っていることになる。

こんなに湿った場所であるのに関わらず、近年12月から3月にかけての乾季には、水不足に悩まされるようになった。僕がこの地を訪れたのはその乾季のまっただ中。村に点在する共有水道には、朝の9時にはポリタンクやバケツの長い列ができていた。この時期は一日に朝の2時間しか水の供給がないそうだ。

主な原因はやはり地球温暖化による気候の変化だ。ここ10年の降水量は2割程減ったうえ、乾季が長くなった。さらに、気温も平均2―3度上昇したという。人口増加の影響もある。この40年間で町の人口は15倍以上にも膨れ上がった。

それでもこれだけの雨が降る土地だから、貯水施設を整えれば水不足を乗り切れるはずだが、インドでも中央政府から無視され続け、経済発展から取り残された北東部の貧しい土地にそんな予算はない。

もう地球温暖化という言葉が聞かれるようになって久しいが、もうその影響から逃れられる場所など世界にはないのだろう。都市部でつくられる温暖化という「公害」は、辺境な田舎町をも汚染するのだ。

サンスクリット語で「雲の住処」という意味のチェラプンジ。僕は正直なところ、多雨が観光目的になることなどこれまで知らなかったのだが、その名のとおり山を覆う厚い雲、勢い良く流れるいくつもの滝を目当てにこの町を訪れていた多くの外国人観光客の数も減り続けているという。乾いたチェラプンジなど、誰も見に来ない、ということか。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/04/16/drought-in-the-worlds-wettest-place-cherrapunjee/ )

(同記事は、Yahoo Japane News にも掲載しています)

クンブ・メラ 世界最大のヒンドゥー教祭典

2013-03-01 22:24:17 | アジア
2週間ほど前、インド北部のアラハバードで行われている祭典クンブメラを撮る機会があった。

この世界最大のヒンドゥー教の行事には、1ヶ月半の期間中に1億人もの信者たちが訪れるといわれている。祭典中に聖なるガンジス川で沐浴をすることによって、これまでの罪は洗い流され、ご利益を得ることができる、と信じられているのだ。ヒンドゥー教の言い伝えで、神々と悪鬼たちが不老不死の液のはいった壷を奪い合った際に、その液がアラハバードをはじめとしたインドの4カ所にこぼれ落ちたというのがクンブメラの由来。この4カ所で3年ごとに行われるようになったが、ガンジス川とヤムナ川の合流するアラハバードにもっとも多く人が集まる。

主要日である2月10日が近づくにつれて訪れる人々も増え続け、路上や駐車場、川岸から橋の下に至るまで、空いた土地はみな人で埋め尽くされるようになった。これまで様々な行事を撮影してきたが、これほど人にまみれたのは初めてかも知れない。まるで渋谷の交差点が延々と続いたような混雑ぶりは、人口12億を超える人間大国インドの縮図を見た思いだった。

何百万という野宿者たちが、料理のためや暖をとるために毎朝毎晩牛の糞や薪を焼くので、あたり一面は煙につつまれ、夕方などは眼がひりひりとして咳き込むほどになる。おまけに沐浴する人たちを撮るために早朝から太腿まで水につかっていたので、仕事を終えて帰る頃には風邪をひく羽目になった。聖なるガンジスからご利益を得る信仰心が足りなかったか。。。

( もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/03/01/chaotic-kumbh-mela/ )

ミャンマー 「国なき民」ロヒンジャ問題

2013-02-18 13:54:59 | アジア
前回のブログアップから随分と時間が経ってしまった。12月終わりに娘が生まれたことで、生活パターンががらりと変わってしまい、しばらくプログどころか睡眠時間を確保するほうが重要だった次第。

しばらく前になるが、ミャンマー西部ラカイン州でニュースとなったロヒンジャ問題を撮影する機会があった。

ベンガル系ムスリムであるロヒンジャと、ラカイン仏教徒は不安定ながらも長年この地域で共存してきたが、昨年5月におこった、ロヒンジャ男性3人によるラカイン女性のレイプ殺人をきっかけに両者のあいだで大規模な武力衝突が続き、100万ともいわれる難民が発生した。その多くはロヒンジャの犠牲者だ。

港町シットウェの郊外にあるロヒンジャの避難キャンプを訪れた。衝突で家を失った数百家族が掘建て小屋に住み、最近来たばかりと思われる何家族かがテントをつくっている。一人の若者が不満を漏らした。

「仕事どころか生活に必要なものなど何もない。ここにはNGOも来ないから、テントをつくるプラスチックシートさえないんだ」

一方、町中の寺院には家を焼かれた12組のラカイン仏教徒の家族が身を寄せ合って暮らしていた。

「奴らは火のついた自転車の車輪を窓から投げ込んできたんだ」

ロヒンジャの群衆が彼の家を襲ってきたときのことは忘れない、一人の男性はこう語った。

長年ミャンマー政府から「不法移民」とみなされ、市民権さえ認められていないロヒンジャ。属する国のない民として、外国メディアは彼らに同情的になる傾向があるが、衝突の原因はそう単純ではない。ミャンマーには130以上の民族が存在するが、人口の8割以上を占める多数派のビルマ族が主体で、その他少数民族の権利を踏みにじってきた政府の体質は軍政時代から今も続いている。ラカイン仏教徒たちは、長年のビルマ族からの圧政に加え、近年のロヒンジャの人口増加に伴う地域のイスラム化も脅威となり、ビルマ族、そしてロヒンジャの双方から侵害されているという危機感を募らせていたのだ。昨年の暴動は、そんな長年蓄積された不満が爆発したともいえるだろう。

寺院に避難した前述の男性は、近所に住んでいたロヒンジャについてこう言い放った。

「以前は友達だったけどね。もうそんな関係には戻らないよ。二度と...」

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2013/02/18/rohingya-conflict-myanmar/ )

ゴミの山に埋もれて

2012-10-29 16:38:52 | アジア
2週間程前、ゴミ問題の撮影のため、 南部のバンガロールに行く機会があった。

インド、特にムンバイのような大都市では、路上に放置されたゴミの山などはありきたりの光景で、歩道や川の中、海辺、駐車場に遊び場…どこにいっても散乱したゴミから逃げることはできない。それに納得する訳ではないけれど、ゴミのある景色にはすっかり慣れてしまって、悲しいかな無意識のうちに、今ではほとんど気にかけなくなってしまった。

そんなときに、この仕事はゴミの問題にまた眼を向けるいいきっかけになった。

世界銀行は数ヶ月前、2025年までに世界のゴミ問題が危機的状態になるという報告を発表したが(実際に何をもって「危機的状態」というのかはわからないが)、見渡す限りのゴミの山となった投棄場や、町中至るところに放置された未回収のゴミのなかに身を置いてみて、2025年を待つまでもなく、もうすでに世界は危機的状態にあるんじゃないかと切実に感じることになった。

インドで一日に排出されるゴミの量はおよそ10万トン。これはオリンピック用の競泳プールの40個分だ。ともに12億以上という大量の人口を抱える中国とインドが、ゴミ排出量において世界1、2位を占めているが、勿論両国だけが責められるべき問題ではない。ゴミは人類の問題、いや、地球の問題なのだ。

地球上に生きる動物のうち、人間だけがゴミをだし続ける。ここでどうすべきかなどという説教を垂れるつもりは毛頭ないが、一人一人が責任ある行動というものを理解していることを願うばかりだ。このままの状態を続けていけば、結局ゴミの洪水に溺れ死ぬのは僕ら自身なのだから。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/10/29/garbage-crisis-in-india/ )

初めてのミャンマー(ビルマ)へ

2012-10-15 17:09:31 | アジア
先月、2週間ほどミャンマー(ビルマ)を訪れる機会があった。

この仕事がはいったとき、この国を20年近く撮り続けている友人が、 撮影の苦労をいつも語っていたことを思い出した。軍事政権時代には、路上に数知れない程の兵士、私服警官、密告者がひしめいていたのだ。

昨年、50年近く続いた軍事政権が昨年終焉を迎え、総選挙が開かれてミャンマーは民主化の道を歩むことになったが、これと同時に市民の生活は大きく変わりつつある。今回この国を初めて訪れる僕には、以前の状況と比較することはできないのだが、それでも予想していたより遥かに自由に写真が撮れたのは驚きだった。

市場、駅、バス停、映画館…どこへ行っても、文句を言われたり制止されることなく撮ることができた。会釈すれば笑顔が返ってくるという人の好さもタイやカンボジアと似たような感じだが、ミャンマーは国が開かれたばかりで観光客も少ないので、まだ外国人ずれしていない無垢さももっているようだ。

首都ヤンゴンでは、町が速いスピードで変化しているのを体感できる。古い建物はどんどん建て替えられ、インフラ関係の工事もあちこちでおこなわれている。西洋人の観光客グループも結構みかけたが 、外国からのビジネスや観光増加を受け、ホテルの宿泊代は昨年から2―3倍に暴騰したという。

この先数年ミャンマーの経済が伸びていくのは間違いないだろう。ただ、その利益を国民みなが享受できるようになるかどうかは別問題だ。都市部での階級格差に加え、国内には130以上の民族が存在している。国をひとつにまとめるのは新政府にとって大きなチャレンジになるはずだ。

ミャンマーの人々を好きになったので、また近いうち訪れることができればいいなと思う。そのときは、さらに多くのハッピーな面々と出会えることを願いたい。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/10/15/my-first-trip-to-myanmar/ )

チリングの将来 ~ ネパールのストリートチルドレン2

2012-09-07 07:38:36 | アジア
前回のブログで、路上生活から脱却し一年以上シェルターにいながら、そこを逃げ出して挙げ句に強盗で刑務所にはいってしまった男の子のことについて触れたが、これは非常に残念なニュースだった。彼は僕がここ2年以上追いかけているストリート・チルドレンのなかでは、うまく更生できるかも知れない、と期待をよせていた数少ないうちの一人だったのでなおさらだ。

とはいってもこれも彼の人生、僕がどうこうできる筋合いのものでもない。彼が刑務所からでてきたときに、また思い直してくれることを願うのみだ。

これで僕の撮影してきた子供達のなかで、路上生活から完全に抜け出しているのは一人だけになってしまった。彼の名はチリング。自分では14歳といっているが、小柄なこともあって12歳くらいにしか見えない。2009年に初めてカトマンドゥーを訪れた時に出会ったうちの一人だが、このときはまだ他の少年たちと同様、タバコやシンナーを吸い、野良犬のような生活を送っていた。2010年5月、3度目の滞在のあとから街で見かけなくなったが、その頃自ら進んで施設に入り、学校へも行くようになった。

「このままタバコ吸ったり、シンナーを吸ってたら自分の身体を壊すと思った。まともに寝られる場所が欲しかったし、学校にもいきたかった」

施設で再会した数週間前、チリングは僕にこう言った。多くのストリート・チルドレン達が、似たようなことを言って施設にやってくるが、ほとんどが数週間、時には数日で路上に戻ってしまう。そんななか、彼が路上生活から離れてすでに2年近くが経つ。

彼がこの先もストリートに戻ることのないことを願いたい。いうまでもなく、それは彼の意志次第ではあるが、同時に社会からのサポートも重要だ。しかし、世界最貧国のひとつとして、政治的、経済的に劣悪な状況にあるネパールでは、大卒の若者達さえ仕事にありつけない状態。ストリート・チルドレンたちが更生して自立するのには非常に難しいといわざるを得ない。

あまり楽観的にはなれないが、勿論人生どうなるかはわからない。チリング、そして施設の子供達がこの先なんとかうまくやっていくことを祈るしかない。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/09/07/hope-for-chhring-street-children-in-kathmandu-nepal-2/ )

ネパールのストリートチルドレン

2012-08-30 11:04:56 | アジア
ここ2年以上追いかけているストリート・チルドレンにまた会うために、ネパールの首都カトマンドゥーで1週間を過ごしてきた。

毎回ここを訪れるたび、誰かしら路上生活から抜け出してるんじゃないかと僅かな期待を抱いていくのだが、街にでてまた同じ面々をみつけてはそんな思いがかき消されていく。さらに今回はそれどころか、着いた途端悪いニュースさえ聞かされてしまった。路上生活から抜け出し、1年以上もシェルターで生活しながら学校へ通っていた子が一人、3ヶ月程前にそこを飛び出し、街で強盗を働いて刑務所に入ってしまったというのだ。

彼はもう17歳くらいだから子供とは言えないだろうが、今年1月にシェルターで会った時は笑顔で元気そうにしていたし、彼がうまく更生すれば他の子供たちにもいい見本になると内心期待していたのだ。残念なことになってしまった。

ストリート・チルドレンたちと時間を過ごしていると、彼らがなかなか路上生活から脱却できないのもなんとなくわかるような気がしてくる。幼い子は別にして、何年もこういう生活を続けている若者たちにとってそれはなおさらだ。彼らにはそれなりの自由がある。物乞いしたり、リサイクルのゴミ集めをしたり、また時にはスリや強盗をして、生き延びるための金なら工面できる。時には50ドルもの大金をもっている子を見かけることもあった。市内にいくつもあるNGOで食べ物にはありつけるし、観光客が食べさせてくれることも少なくはない。あとはぶらぶらしながら、グルー(接着剤)やマリワナを吸ってハイになる。贅沢な暮らしではないが、家やシェルターでの生活と違って、義務や仕事もなく、うるさく小言をいったり躾をする大人もいない。

これはある意味で楽な生き方ではあり、なにか強い動機やきっかけがないかぎり、ストリート・チルドレンたちがこの自由で気ままな生活を放棄して、あえて「規則的な社会」へと戻るのは難しいだろうなあと感じるのだ。

カトマンドゥー市内では、国内および外国からの多くのNGOがストリート・チルドレン救済の活動をしているが、所詮国の経済や福祉が改善されない限り、根本的な解決にはならないだろう。腐敗した政府は内戦後5年経つというのにまともに機能せず、福祉どころか雇用さえも生み出せないでいる。ストリート・チルドレンはこの国のそんな状況を反映した負の象徴ともいえるが、彼らのみならず多くの国民たちがぎりぎりの生活を強いられ続けている。

この町ではいつも、にわか通訳として助けてもらうタクシードライバーの友人がいるのだが、彼の4人の子供のうち2人はすでに大学卒業しているにも関わらず、全然仕事が見つからないという。

ストリート・チルドレンを訪ねているとき、半分冗談だろうが彼がふと漏らしたこんなぼやきがしばらく頭から離れなかった。

「こんな調子じゃあ将来俺の子供たちも路上でゴミ集めしてるんじゃないかって、心配になるよ」

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/08/30/street-children-in-kathmandu-nepal/ )

(過去のストリート・チルドレンの記事)

http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/25/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu-2/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/15/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/25/christmas-eve-street-kids-in-kathmandu/

http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/06/03/darbur-boys/

エアコンの普及と地球温暖化

2012-07-18 18:57:45 | アジア
少し前に、エアコンの普及と地球温暖化についての興味深い記事のための撮影をする機会があった。

ニューヨーク・タイムスに掲載された詳しい記事はこちらになるが、要約はこんなところだ。

大気中のオゾン層の破壊を食い止めるため、1987年に採択されたモントリオール議定書で、エアコンのガス規制がとり決められた。各国のこの努力は成功したが、皮肉なことに、規制されたガスの代わりに使用されてきた別のガスが、オゾン層には影響を及ぼさないにも関わらず、地球温暖化の要因になっている、というのだ。それも二酸化炭素の2千倍以上の悪影響だという。しかも、オゾン層保護と温暖化防止の両方に有用で、現在使用されているガスの代わりになるものは、いまのところないらしい。

さらに、先進国と途上国の利害対立もこの問題に拍車をかけている。欧米諸国は中国やインドなどの途上国に現存のエアコン生産を停止して、温暖化を防ぐ次のモデルへの移行を促しているが、当然のことながら反発にあっている。なんといっても中国・インドではエアコンの販売率が年間20パーセントの伸びなのだ。経済効果は大きい。

確かにこの記事に述べられているような問題の解決は易しくないと思う。しかし、この超過密都市ムンバイに住むようになってからというもの、環境問題は僕の頭から離れることがなくなってしまった。路上に積まれる大量の生ゴミの山、ポリ袋やプラゴミと人糞にまみれた小川、汚臭に新型のウィルスとか伝染病…。町中にはまともな寝床ももたない人間がいたるところに溢れかえっている。こんな環境で生活していると、環境保護主義者でもない僕でさえ、地球の未来、そして将来の人間生活というのものに不安を憶えずにはいられなくなってくるのだ。

結局のところ、唯一の解決策は、地球上のひとりひとりの人間、そして、各国政府が責任を持って環境改善の政策を推進していくことしかないのだろう。言うのは安し、だが、現実はそんなに単純ではない。だけど、やらなくてはならないでしょう。もう後がないんだから。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/07/18/ac-sales-and-global-warming/ )


プノンペンの慰霊碑

2012-06-20 11:16:05 | アジア
1週間カンボジアを満喫してきた。

アンコールワットやキリング・フィールドは長いこと行ってみたいと思っていたが、期待を裏切らない経験ができて、短いながらも有意義な旅になった。

これらの観光スポットに加えて、もうひとつ訪れるのを楽しみにしていた場所があった。先月プノンペンに建てられたばかりの慰霊碑だ。

この慰霊碑には37人の名前が刻まれている。1970年からの5年間、米国の後ろ盾をうけたロン・ノル政府と、北ベトナムが支援したクメール・ルージュの間でおこなわれた内戦中に命を落としたジャーナリストたちのものだ。

そこに刻まれた10人の日本人のなかに、僕にとってもっとも感慨深い名前がひとつある。「Kyoichi Sawada (沢田教一)」ベトナム戦争中に活躍し、ピューリッツアー賞も受賞した報道カメラマン。彼は1970年にカンボジア内戦の取材中、待ち伏せの銃撃を受け殺された。まだ34歳だった。

もう20年以上も前になるが、写真やジャーナリズムのことになど全く感心の無かった自分が、どういうわけか彼の伝記を読んで報道カメラマンになろうと決心したのだ。本の中の世界だったにせよ、彼との出会いは僕にとって人生の転換期となったわけだ。以来、彼は僕にとって憧れであり、目標となる人物になった。

そんな彼の名前が、このようなかたちで現代のカンボジアの人々の眼にふれるようになったことを嬉しく思う。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/06/04/memories-of-cambodia/ )

アフガニスタン初のボーリング場

2012-05-24 18:07:26 | アジア
カブルに滞在中、地元のカメラマンの友人からアフガニスタン初のボーリング場ができたとの話をきいたので覗きにいってきた。

アフガニスタンとボーリング、という二つがなんだか自分の中でしっくりと結びつかなかったのだが、これがなかなかの人気。「ストライカーズ」という名のこのボーリング場の室内は青や緑の派手なイルミネーションに照らされ、レーンでは子供からじいさんまでカラフルなボールを投げ一喜一憂している。ほとんどの客たちはボーリングなど初めての経験のようで、フォームもなんだかぎこちなく、それがまたコミカルでもあるのだが、そんなことはおかまいなし。みな初めてのゲームを楽しんでいる。

これだけでも面白い話だが、さらに興味深いことに、この施設のオーナーが若いアフガン女性だということだ。28歳のミーナさんは家族と共に避難民としてパキスタン、そしてカナダで育ったが、故郷のアフガニスタンに戻り昨年秋にこのボーリング場をひらいた。

彼女のようなチャレンジ精神に溢れる女性の存在は頼もしい。保守的で閉鎖的なこの国で、女性の地位向上を目指したり、ビジネスに興味をもっている女性たちのいいお手本になることだろう。こんな女性が増えていく事によって、アフガニスタンの将来もまた少しずつ変わっていくのだと思う。

(ニューヨークタイムスの掲載記事 http://www.nytimes.com/2012/05/15/world/asia/bowling-alleys-12-lanes-lead-to-another-afghanistan.html?_r=1&pagewanted=all )

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/05/24/afghan-bowling/ )

アフガニスタンの日常

2012-05-20 08:59:00 | アジア
3週間のアフガニスタン滞在を終えて昨夜ムンバイに戻ってきた。

昨年8月のラマダン中と違い、初夏の気候は心地よかったが、何より腹をへらしたドライバーや通訳たちと仕事をせずにすんだのは幸いだった。ラマダン中はみは日の出から日没まで飲まず食わずの絶食なので、地元の人間たちと仕事をするのに結構な気を使わなくてはならなくなるからだ。

ここにアップしたのは、仕事の合間に撮っていたストリート・ショット。深刻な問題などを扱ったものではなく、みな日常生活の断片だ。

今回も多くの人たちとの出会いがあった。これきりの出会いかもしれないし、また彼らと時間を共有することもあるかもしれない。いずれにしても、あまり長い月日の経つ前に、またアフガニスタンに戻って来る機会があるといいなと思う。この国の美しい山々と、フレンドリーな人々が僕は好きだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/05/20/daily-life-in-afghanistan/ )

カブルの新築スイミング・プール

2012-05-17 12:22:02 | アジア
昨日カブールの室内スイミングプールを訪ねてみた。

このプールは1週間前にオープンしたばかり。ジャクジやスチームサウナ、カフェテリアも設置され、オーナーによれば、アフガニスタン国内では最大のプール施設だという。新築だけあって、設備もきれいだ。

泳いでいた若者たちはほとんどが学生だったが、みな熱心にトレーナーの指導を受けていた。なぜ水泳?と尋ねると、なかなか面白い答えが返ってきた。

「他のスポーツより清潔だからね」

「水泳するとかっこいい体型になるし」

まあその動機はどうあれ、動乱のこの国で、若者たちがいろんなスポーツを経験できるのは素晴らしいことだと思う。

残念なのは、少なくとも現段階ではプールは男性専用なことだ。トレーナーがなんだか申し訳なさそうにこう答えた。

「この国の状況や習慣を踏まえると、男女共用のプールはまだまだ難しいんです」

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/05/17/new-swimming-pool-in-kabul/ )

カブル自爆テロ

2012-05-03 11:49:22 | アジア
昨日早朝、またカブルで自爆テロがおこった。ターゲットはグリーン・ビレッジとよばれる敷地で、コントラクターや政府、NGO関係など多くの外国人が利用していたゲストハウス施設だ。爆発の巻き添えをくった市民や子供など少なくとも8人が死亡、18人以上が怪我をしたと報じられた。

記者と数人の米国の役人たちと共に南部に飛ぶことになっていた僕は、ちょうどテロが起こった時に米国大使館で待機中だったが、事件直後に大使館のゲートはすべて閉められ、その後3時間以上外にでることができなくなった。ようやく解放されて爆破現場に着いた時にはすでに、テロリストたちはみな自爆したか撃たれて殺され、事態は沈静したあとだった。

一昨日突然アフガニスタンを訪れ、カルザイ大統領とあらたな長期戦略協定に署名したオバマ大統領だが、これに怒ったタリバンが、爆破テロはオバマに対するメッセージであり、外国の占領勢力や腐敗した役人たちに対し、さらにあらたなテロ攻撃をはじめるとの声明を発表した。

アフガニスタンを訪れるたび、いつもこんなナンセンスなバイオレンスに直面せざるを得なくなる。( http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/21/never-ending-tragedy-suicide-attack-in-afghanistan/ ) 多くの場合、実際に犠牲になるのはタリバンが狙う外国人よりも、たまたま現場に居合わせた罪のない一般市民だ。タリバンは、外国占領軍を追い出すためというが、果たしてNATO軍や米軍が撤退をする2014年のあとに、彼らはテロ攻撃をきっぱりと止めるのだろうか?イラクの抵抗勢力も同じ事を言っていたが、米軍が撤退した現在も、バクダッドでの爆弾テロは起こり続けている。

この不毛なバイオレンスが、美しいこの国で文字通り「終わりなき戦い」にならないことを、ただ願うばかりだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/05/03/bombing-in-kabul-again/ )

ヒマラヤ・トレッキング

2012-04-25 19:25:56 | アジア
1週間で3都市をまわるというせわしない撮影から戻り、なんとか写真の編集も終わり電送完了。そろそろご無沙汰になってるブログをアップしないと…

今月初め、1週間の休暇をとって連れ合いと共に北部のウッタラカンド州に出かけてきた。随分長いこと自然のなかに身を置いていなかったので、久しぶりに川でのラフティング(ゴムボートでの川下り)とヒマラヤ登山を楽しんできた。

ラフティングをしながらガンジス川の岸にあるキャンプ場で2泊したあと(残念ながら防水カメラを忘れてきたので川下りの写真は無し)さらに車で5時間程北上してチャンドラシーラ山への登山に向かう。2日半ほどの短いルートだが、それでも4130メートルの頂上への最後の登りは結構きつかった。

雲がかからない朝のうちに景色を楽しむため、最終日は午前5時前にキャンプを出発。途中からあたりが前夜に降った新雪に覆われてくる。頂上へはもう道らしきものもなくなってしまい、滑る急斜面を息を切らしながら一歩一歩少しずつ登っていくしかない。登山なんてもう数年ぶりなので、酸素の薄さも手伝ってかなりしんどい。それでもようやく到達した頂上からの眺めは、そんな苦しさも吹き飛ばしてしまうような見事なものだった。

インドの都会、特にムンバイのようなクレージーな超人口過密都市の喧噪のなかにいると、ときどきその混沌さに嫌気がさしてくることがある。ウッタラカンドでの数日間は、ムンバイでの日常とは全く違ったインドを経験させてくれた。下流のバラナシあたりでみるような汚染されたガンジスではなく、まだ澄んだ、そして肌を凍らせるような冷たいこの「聖なる川」で泳いだ僕は、すっかりリフレッシュし、心身の充電もできたような気分になったものだ。だけどヒンドゥー教徒が信じるように、これまで犯した罪がすべて洗い流されたかははなはだ疑問だが。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/04/25/trekking-to-himalayas/ )