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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ゲイ・レズビアンの行進 in ムンバイ

2012-01-30 11:27:05 | アジア
一昨日、ムンバイでゲイ・レズビアンのマーチを撮影した。「クウィアー・アザーディ」と名付けられたこのイベントは、同性愛者、バイセクシャルやトランスジェンダーを含めたコミュニティーに対する差別偏見と闘うために2008年から毎年続けられている。

2009年7月2日、首都デリーの高等裁判所は、 150年前から続いていた「自然の摂理に反した快楽的性交(要するに同性間性行為)」を犯罪と見なしていたインド刑法377項を違憲とする画期的判決を下した。これ以前は、同性間の性行為によって逮捕されることもあったわけだ。

近年、高度経済成長により国際舞台でも頭角をあらわしてきたインドだが、社会的、文化的にはまだまだ保守的な面が多い。言うまでもなく、勇気を持って公にでる同性愛者たちは極少数だ。

イベントでは、多くの通行人たちが沿道で足を止め、興味深そうに行進を眺めたり写真を撮ったりしていたが、妨害や嫌がらせの類いは一切なく、参加者たちはドラム演奏に合わせ行進を楽しんだ。保守的とはいえ、こういう懐の深さも持つインド人の一面を見た思いだ。(これがさらに保守的な農村部だったらどうなるかは疑問だが。。。)

90年代半ば、ボストンで撮影したセント・パトリックス・デー・パレードでの場面を、僕はいまでもはっきりと憶えている。それは、パレードに初めて参加した同性愛者のグループに対して罵声が飛び交い、子供たちまでもが彼らに向かって唾を吐きかけるという醜悪なものだった。

少数派が社会で理解され、受け入れてもらうためには、自ら権利を主張しそれを勝ち取っていくしか無い。インドの同性愛者の権利獲得への闘いはまだ始まったばかりだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/30/queer-azaadi-gay-and-lesbian-in-mumbai/ )

カトマンドゥーのストリート・チルドレン その2

2012-01-25 13:12:35 | アジア
前回のブログに書いたこと以外に、ストリート・チルドレンたちについてひとついいニュースもあった。

追っている子供のうち2人がすでに路上生活から抜け出して、1年以上シェルターで生活していたのだ。カトマンドゥー郊外にある一軒家で、12人の元ストリート・チルドレンたちが共同生活をしながら学校へ通っていた。2年程前にこのシェルターを開設したサムラットという男性が、寝食を共にしながら彼らの面倒をみている。

ベットや机といった家具類は何も無く、子供たちは床で雑魚寝。割れた窓から冬風が吹き込んでくるような、とても恵まれた環境ではないのだが、 炊事の手伝いや洗濯、庭を耕して野菜の種まき、そして勉強と、子供たちはそれなりに共同生活を楽しんでいるようだった。数人と話をしたが、誰一人としてまた路上生活に戻りたいという者はいない。学習し、将来に目を向けることの大切さを根気よく彼らに説き続けてきた、サムラットの教育の成果なのだろう。

こんな子供たちのポジティブな変化をみられたことは幸いだったが、将来バラ色という訳では全くない。政治的コネもなく、NGOなどの支援団体とのつながりもないサムラットは、シェルターを維持していくための慢性的な資金不足に陥っていた。これまで少数の個人支援者たちに頼ってきた彼だが、それも滞りがちになり、3ヶ月後にはシェルターの家賃が払えなくなりそうだという。

これまで幾つか見てきたような、営利目的のいかがわしい組織とは違って、サムラットの誠実さと子供たちに対する愛情は本物だと感じたが、悲しいかな僕はこの問題の根本的解決になるような資金など持ち合わせてはいない。子供たちの服を購入し、些細なことでお茶を濁すことしかできなかった。

残念ながら、これはよくある話でもある。ネパールに限らず多くの国々で、善意と熱意を持って行動に移すが、金が無くて続けられない、というサムラットのような人間に出会うことが少なくないのだ。

軍事紛争に何十億ドルもの金が費やされる現在、そのうちほんの僅かな額だけでもサムラットのような人たちの手にまわることになれば、計り知れない可能性を子供たちに与えることができるだろうに。。。

追伸 ― サムラットに何らかの援助をお考えの方はお知らせください。最良の方法を考えたいと思います。Ktakahashi9@gmail.com

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/25/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu-2/ )

Durbar Boys - カトマンドゥーのストリート・チルドレン

2012-01-15 18:40:45 | アジア
ネパールのカトマンドゥーで一週間程過ごしてきた。他の仕事もはいったのだが、この町に戻った一番の理由はここ2年程追いかけているストリート・キッズたちにまた会うためだった。

http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/06/03/darbur-boys/

短い滞在だったが、彼らを撮影するのがけっこう難しくなってきたのをひしひしと実感させられた。彼らがまだ幼い頃は、そんなに動き回ってはいなかったので見つけるのも簡単だったのだが、今では行動範囲も広まり、昼夜問わず動き回る。

追いかけているメインの少年の一人はもう17歳。とはいってもそんなに歳をとっているようにはみえないのだが、本人曰く、だ。すでに小遣い稼ぎのための段ボール拾いや空きボトル拾いからは「卒業」し、仲間とスリや空き屋泥棒などの犯罪を収入源とするようになってきた。主に夜間にこういうことをおこなうのだが、さすがにこういう現場には同行させてもらうことができなくなった。(まあ、もしそういう場面に一緒にいたとすると、それはそれで自分の倫理的立場に問題がでてくるのだが、そこは今は置いておくことにしよう)

そんなわけで、グルー(接着剤)を吸ったり、寄り集まって寝たりという、これまでとあまり変わりばえのない写真ばかりになってしまい、彼らの成長をビジュアルに記録することはできなかった。

そういった面での不満は残るが、十分に彼らと時間を過ごして信頼を得ない限り、これ以上は望めないだろう。次回はもっとじっくりと時間をとってかからないといけないな。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2012/01/15/durbar-boys-streetkids-in-kathmandu/ )

不可触民の百万長者

2011-12-28 19:56:00 | アジア
先月仕事をとおして興味深い人と会う事ができた。

彼の名はアショク・カーデ。ダス・オフショア・エンジニアリングという、海底石油採掘のためのパイプ加工をおこなう技術会社の創始者だ。彼もインドの経済発展を機に成功した多くのビジネスマンの一人であるが、アショクの珍しいところは、彼がダリット(不可触民)の出身であるということだ。

インドは50年以上も前にカースト制度を廃止したが、今でもそれは生活のなかにある程度根付いている。

アショクは、ムンバイから400キロほど南にある村で、この最底辺階層の家庭に生まれついた。彼が子供の頃、階級差別のため村の井戸の水さえ飲む事を許されなかったそうだ。この極貧だった家族には、食べ物が全くなかった日々さえあったという。

この境遇から彼と家族を救ったのは、彼の聡明さだった。学校をクラスの上位で卒業した後、兄と一緒に働き始めるが、そこでも機転がきくことと熱心な勤労態度が買われてすぐに頭角をあらわした。数年後には自ら会社を立ち上げ、現在ではこの企業は資産1億ドル、従業員が4500人に成長した。

詳しい彼のサクセス・ストーリーはニューヨーク・タイムスの記事を参照してもらいたいが、僕にとって印象深かったのは彼の性格だ。典型的な嫌みな金持ちとは正反対に、アショクは友好的で親切、僕らを暖かくもてなしてくれた。こちらの金持ちや権力者には鼻持ちならない輩も多いので、アショクのような人間に出会うと新鮮さを感じるものだ。しかし、彼のこういった好意的な性格の背景を察する事は難しくはないだろう。

「苦しみを知る者ほど他人に優しくできる」

アショクとの出会いは、僕にこんな言葉を思い出させてくれた。


(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/12/28/dalit-millionare/ )

インドにウォールマート?

2011-12-24 17:31:46 | アジア
インドの小売業活性化のため、マンモハン・シン首相は先月、ウォールマートやテスコのようなスーパーマーケットチェーン店の進出を認める方針を示したが、それが大きな反発をよぶ事になり、ここ数週間インド各地でデモや小売店のストライキなどが相次いだ。

大型チェーンが参入すると、ローカルの小店舗が客をとられて危機に晒されると反対派は懸念。また、作物を卸す農家や、流通業の形態も崩れて悪影響を与えるともいう。対する推進派は、消費者にとって便が良くなるのは勿論、農家とっても、チェーンから今よりも高く、かつ大量に買い取ってもらえるので、多くの中間業者が入って安く買いたたかれている今より利益があがる、と主張している。

正直なところ、ローカル小店舗はそれほど心配する事はないのでは、というのが僕の私見。ムンバイのような都市ではすべてが密集しすぎていて、ウォールマートのような大店舗を市内につくるのは難しい。そうなると郊外までショッピングに行けるのは車をもつミドルクラス以上に限られる。だいたいインドの都市ではどこの近所にもローカルショップはひしめいており、日常生活に必要な大方のものは家から歩いていけるところで調達できるシステムが出来上がっている。車社会のアメリカとは根本的に背景が異なるのだ。

いずれにしても、僕らのような、週に一度買い物に行って全部いっぺんに買い込んで来る生活に慣れてる外国人にとっては、スーパーマーケットが近くにできてくれると非常に便利にはなるんだけれどね。。。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/12/24/walmart-in-india/ )

アフガニスタン by iphone

2011-09-18 14:01:57 | アジア
みてのとおりiphoneで撮った写真。

最近はもうプロも含め、猫もしゃくしもiphoneを使ってるようで、そんな理由から僕はしばらくこれで撮るのを避けていたのだが、アフガニスタンで友人のカメラマンに感化されてついに使いだすようになってしまった。

しかしこれがなかなか便利。なんといっても携帯カメラなのでポケットからさっとだして手軽に撮れる。さらにいろいろなレンズとフィルム(勿論これは便宜上のもので、要はデジタルフィルターなのだが)の組み合わせでなかなか味のある画像になる。

こういったかなりフィルターのかかった画像が、フォトジャーナリズムやドキュメンタリーとして使えるのか、ということにはまだ疑問が残るが、まあとりあえずは余興程度に。ポストカードなどにはいいのでは、などと思っている。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/09/18/afghanistan-by-iphone/ )


9/11同時多発テロ10周年

2011-09-11 11:23:42 | アジア
ニューヨークでの9―11同時多発テロから10年がたった。このテロを発端に、オサマ・ビン・ラデンとアル・カイダ掃討のため米軍がアフガニスタンに侵攻。それから10年経った現在、ビン・ラデン殺害のあとも、まだ「敵」との戦いは続いている。

先月あたまにアフガニスタンに来てから、50人程のポートレートを撮りながらインタビューを重ねて来た。2日前、その一部がニューヨーク・タイムスに掲載されたので、英語のみだが興味のある方は参照してほしい。

HTTP://WWW.NYTIMES.COM/INTERACTIVE/2011/09/08/US/SEPT-11-RECKONING/WAR-SS.HTML#1


「9―11テロのとき、あなたは何処で何をしていたか?」「アフガニスタンに米兵がやってきたとき、何を感じたか?」「米軍が10年経ったいまでもアフガニスタンで戦っていることについてどう思うか?」「この10年間で、生活はどんな風に変わったか?」。。。こんな質問を投げかけながら、アフガン市民、そしてこの国に派兵されている米兵たち両者の私見をとおして、この10年というものを探ってみようと考えたのだ。

インタビューに応じてくれた、アフガニスタンに直接関わってきた人々のそんな言葉の数々をまとめ、近いうちにこの場でも発表したいと思っている。

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ニュースの無い従軍取材・アフガニスタン

2011-09-06 12:20:41 | アジア
パキスタンとの国境近くで米軍との1週間の短期従軍を終え、2日前にカブルに戻ってきた。

タイミング悪く、ラマダンの終わりを祝うイードと重なってしまったため、アフガン兵や警察官の多くが休暇中であまり動きがみられなかった。現在、多くの米軍のパトロールもアフガン兵か警察と合同でおこなわれることが多いので、こういった土地の慣習には従わざるを得ない。よって自然と米軍の方もスローペースになる。唯一良かったのは、イードのご馳走を食べられたこと。アフガン警察官たちが3匹の羊をバーベキューにして振る舞ってくれた。さすが羊や鳥を主食とする彼ら、バーベキューの腕はいい。

写真的にはあまり意味のあるものは撮れなかったが、まあ平和で静かな日々は兵士たちにとっては望ましい事だろう。戦争や地震、台風、貧困など、僕らの職業というのは「他人の不幸」で飯を食うようなものでもある。だから、何も起こらなければ商売あがったり、というわけで、悲しいかなそんなジレンマにいつも向き合う事になる。

9―11同時多発テロの10周年が近づいてきた。何か起こるか、はたまた何も起こらずに終わるか、今はただ待つだけだ。

(もっと写真をみる http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/09/06/no-news-is-good-news-quiet-embed-in-afghanistan/ )

終わりなき自爆テロの悲劇

2011-08-21 21:34:52 | アジア
ここ1週間のうちに、2度大きな自爆テロがあった。

ひとつめはここから50キロほど北のパルワン州知事の事務所が、そして一昨日はカブールのブリティッシュ・カウンシルが標的になったが、両事件とも5、6人のテロリストがチームになっての複数の自爆攻撃で、パルワン州では20人、カブールでは10人が犠牲になった。

吹き飛んだ手足が転がり、地面に血の染み渡ったテロの現場は凄惨なものだ。ブリティッシュ・カウンシルでは、ゲートを突破した犯人の一人がその後数時間に渡って建物内に立てこもり、兵士たちとのあいだで激しい撃ち合いが続けられた。多量の出血で息も絶えだえになっているような怪我人たちが運び出されて来るたびに、僕はその姿に非情なレンズを向けざるを得なくなる。

こんなテロの現場の撮影をするたびに、どうにもやり場の無い怒りを感じてしまう。それは、自爆テロリストたちを「製造」する裏の人間たちに対するものだ。

多くの自爆テロリストたちは、もともと教育も受けることのできない貧困層の人間たちだ。無教養の彼らは簡単に洗脳され、「崇高な使命」を果たすテロリストへと仕立て上げられていく。

もし政府がもっと機能していて、彼らに仕事や教育の機会が与えられていたら?テロリストのリクルート率はぐっと低くなっているはずだろう。

これが、テロとの戦い、というものが、 単に「悪者を殺す」だけの単純なものではない理由のひとつでもある。社会の底辺に生活する多くの人々に、ある程度の仕事や教育の機会を与えられるような政策がとられない限り、テロリストは「製造」され続けていくのだ。

(もっと写真を見る http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/21/never-ending-tragedy-suicide-attack-in-afghanistan/ )

カシミール・3年ぶりの「平和な夏」

2011-08-13 16:54:43 | アジア
アフガニスタンにきて10日が経ち、今日ちょうど米軍との短期の従軍を終えるところだ。今回は新聞社のアサインメントで来ているので、ストーリーが完結するまではブログには写真が掲載できない。そんなわけで少し前に撮ったカシミールの首都スリナガールでの写真をいくつかアップしようと思う。

スリナガールでは、過去3年間連続でインド軍とカシミール分離勢力の間で激しい武力衝突が起こってきた。町は閉鎖状態となり、100人以上の市民が犠牲になった。

そんな暗黒のような3年間から抜け出したかの如く、今年は平和な状態が続いている。

目抜き通りの商店や露天商は客で賑わい、スリナガールの名物的な宿泊施設とも言えるハウスボートは観光客でいっぱいだ。今年の夏、町は活気に溢れている。

しかし、インド政府と分離主義勢力とのあいだの問題は根本的には何も解決したわけではなく、残念ながら、この平和がいつまで続くかは疑問の残るところだ。それでも、人々は久しぶりの「平和な夏」を十分に満喫しているようだった。

カシミールは美しい土地だ。僕もここを訪れる度に澄んだ空気と壮大な山々の景色を満喫し、ここで出会った心暖かい人々たちは思い出に残り続けている。

カシミールに本当の平和が訪れるまでにはまだ年月がかかるかも知れない。それでも、その日が一日も早く来ることを願わずにはいられない。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2011/08/13/violence-free-summer-in-kashmir/ )

ストリート・チルドレンのクリスマスイブ

2010-12-25 22:23:37 | アジア
クリスマス・イヴなど、ここのストリート・チルドレンにはほとんど縁はない。

小銭稼ぎのための段ボール拾い、物乞い、タバコのとりあいで喧嘩になったり。。。普段と変わらない夜。

気温は零度近くまで下がるなか、まともに外で寝るためにはボンドを吸ってハイになるしかない。感覚を麻痺させるのだ。

普段と変わらず、カトマンドゥーのクリスマス・イブの夜は更けていく。

(もっと写真を見る: http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/25/christmas-eve-street-kids-in-kathmandu/ )


忘れられた人々 - パキスタン洪水避難民たち

2010-12-15 22:08:36 | アジア
先週、撮影の仕事でパキスタンのカラチに数日間滞在して来た。ムンバイと似たこの港町を訪れたのは5ヶ月ぶりだ。

仕事の合間に町の郊外にある避難民キャンプへいってみた。今年8月にパキスタンを襲った大洪水で家を失った人たちのための避難所だ。

洪水からすでに4ヶ月以上経つのに、まだキャンプに人が住んでいると聞いたときはさすがに驚いたが、そこには250以上の家族たちがテントや学校の校舎で身を寄せ合って暮らしていた。

故郷の田畑はまだ腰まで浸かる程の水中下にあり、とても帰れる状態ではないと言う。土地なくしては農夫の彼らが生きていく術はない。カラチで細々と日雇い仕事をしながら、故郷の田畑から水が引くのを待っているのだ。

キャンプには、以前は水や食料、毛布などの救援物資がNGOや救援組織によって届けられていたが、一月程前からそれがとまってしまった。水の配給車もここ3日ほど来ていないという。

「俺たちはもう忘れられたようだ。。。」バシールという名の男がこう漏らした。

ほとんど所持品など持たない彼らだが、訪問者をもてなす心は忘れていないようで、テントを訪れるたびにチャイ(ミルクティー)を飲め、と勧められる。チャイは好物だが、そんなにがばがばと飲めるものでもない。さすがに4軒目以降は遠慮せざるを得なくなった。

こういう避難民キャンプを訪れるときにはいつも感じるのが、人々の「期待心」だ。僕のような外国人が訪れることによって、彼らは何かいいことがあるに違いない、と過剰な期待をもつことが多い。

NGOの職員や医者などのように、直接的に彼らを援助するわけではないジャーナリストとしては、記事や写真を発表する以外には何も約束することなどできないし、さらに写真が発表されたからといって、より多くの援助物資が届くという保証があるわけでもない。

だから、被写体となる人たちからのそんな「期待心」を感じる度に僕は少々とまどうことになるし、人々にきちんとそこのところを説明する必要のある場合もでてくる。

このキャンプの住人たちとも、何の約束もできませんよと話しはしてきたが、やはり心情としては、発表した写真が「忘れられた」彼らの生活改善に繋がることになれば、と願わずにはいられない。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/15/forgotten-people-idps-of-pakistan-floods/ )

映画用の撮影

2010-12-03 23:15:16 | アジア
数日前、先月おこなわれた友人の結婚式で出会ったばかりの若い映画監督から電話がかかってきた。

新たに創りたい映画の資金集めのためのプレゼンテーション用に使う写真を撮ってほしいという。資金が無いので、撮影料は払えないとのこと。

ここの所ずっと忙しく(とはいっても撮影の仕事ではなく、来年始めに出版される予定の本の執筆に追われている)ボランティアの仕事にかける時間などないんだけどなあ、というのが正直な思いだったのだが、それでも結局引き受けることにした。

映画のため(とはいえ単なるプレゼン用だが)の撮影などこれまでやったことはなかったし、面白い経験にはなるかな、と思ったからだ。さらに、この誠実そうな若い監督と話してみて、彼の映画づくりに対する情熱にも好感がもてたということもある。

撮影は深夜から始まり、なんと朝6時までかかる長丁場になったが、実はその大部分は俳優のメークアップや衣装費やされたようなものだった。

ここでは詳しく述べないが、この映画の概要はこんなところだ。ある若い男がずっと持ち続けてきた彼の欲望を満たすために、女装をして通勤電車の「女性専用車両」に乗り込む。そしてそこで一人の女性と出会う。。。

この映画の主役は、アカデミー賞を受賞したあの「スラムドッグ・ミリオネアー」にも出演しており、なかなかの有名どころ。実はこのことは撮影当日まで知らなかったので、ちょっとびっくり。

ともあれ撮影は無事に終わり、僕は監督やこの俳優をはじめとしたプロ精神に満ちた人たちとのひとときを楽しんだ。

やはりこうして自分も関わったからには、是非この映画が撮影され、封切りになることを祈りたい。僕のボランティア仕事もそのための資金集めに役立ってくれれば嬉しいことだ。

(もっと写真を見る:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/12/03/shooting-for-a-flim/ )

最貧州ビハールの選挙

2010-11-24 23:48:43 | アジア
6週間にわたったインドのビハール州での議会選挙が終わり、州知事の座が決定した。
仏教徒には馴染みの深いブッダガヤが位置し、日本からの参拝者も少なくないビハール州だが、インドのなかでも最も貧しい州だ。州都のパトナをいったんでると、まともに電気もとおっておらず、夜は闇に包まれる。

(僕は3月にやはり選挙関係の取材でここを訪れた HTTP://BLOG.GOO.NE.JP/KUNIPHOTO/E/A0D9396325CA9F08385F3400D35F1E5E

急激な経済成長を遂げるインドのなかでも、「後進州」などと揶揄されるビハールだが、2005年に知事に選ばれたニティーシュ・クーマが経済発展を主目標に手腕を発揮し、徐々にその成果が現れていた。彼の前任者だったラルー・プラサドとその妻による15年の支配の間は、自分たちと同じカーストや支持者たちのみに利権を与える腐敗ぶりで、ビハールを「暗黒の時代」に陥れたと批判される。今度の選挙では、その彼がクーマの対立候補として再び名乗りをあげたのだ。

僕自身がビハールに住んでいるわけでもないし、自分で体感できるほど長い日数を過ごしたわけではないので断言はできないが、端から見ればどう考えてもクーマの方が順当な候補だと思われた。それでもプラサドが以前のように自分と同じカーストを中心に支持者を集め再選に自信をみせていたし、何がおこるかわからないのがインドの選挙なので、僕もこの選挙には少なからず興味があった。

結果はクーマが当選。順当な勝利だと思う。

先週撮影した選挙集会での印象でも、(少なくとも表向きは)誠実に有権者に話しかけ、僕ら報道陣にもきちんと挨拶をしていたクーマに比べて、プラサドは礼儀も糞もない高圧的な態度。自分が一番偉いのだ、といわんげな傲慢さがやたら鼻についた。よく言えばカリスマ性があるといえなくもないが、これでは州を下から引っぱりあげていくことは難しいなと感じていたのだ。

クーマの続投は、ビハールだけでなく、インドにとって正しい選択だったと思うが、数年後この州がどれだけ前に進んでいるか期待してみよう。


シンガポールの戦争博物館

2010-11-10 13:09:40 | アジア
数日前シンガポールから戻って来た。

かなり長文の執筆の仕事があったため、美味しい食べ物を満喫する以外にはあまりあちこち町をみてまわることはできなかったのだが、ひとつだけ是非見ておきたいものがあった。

シンガポール一の観光地、セントサ島にある戦争博物館だった。

1941年の日本軍によるマレー、シンガポール侵攻から、1945年に占領が終わるまで、そしてその後のイギリスによる占領統治の様子が詳しく展示されている。実物大のマネキンをつかった再現展示も精巧で、その生々しさには感心するほどだ。

日本人として、ここに展示されているような日本に関わりのある歴史を学ぶことは重要だと思う。現代になっても似非右翼のような偏狭な国粋主義者たちが、南京虐殺はなかっただの、従軍慰安婦は自発的な売春だったなどといって歴史をねじ曲げ、国外に住む僕もたびたび恥ずかしい思いをさせられるが、過去の過ちにきちんと向き合うことなしに被災国とあらたな関係を構築することなど無理がある。

この博物館の展示はかなり勉強になったし、行って良かったと思うのだが、ひとつだけ気にかかることがあった。

来館者がほとんどいなかったことだ。

セントサ島には年間500万人もの観光客が訪れると言われているが、一体そのうちどれだけの人がこの博物館を訪れるのだろう?この日もショッピングセンターやビーチなど、島のあちこちは家族連れや若いカップルで賑わっていたにも関わらず、僕が博物館で見かけたのはせいぜい6、7人といったところだ。

島の観光パンフレットをみて驚いた。博物館のあるシロソ砦の位置は地図にのっているが、博物館についてはなにも言及されていない。大体この場所は島の西端にあってそれほど便利な場所ではないので、観光客が偶然にみつける、という可能性は低いだろう。

この日はたまたま来館者が少なかった、と願いたいものだ。特に若い世代の人たちにとって、こういう歴史から学ぶべきことは多いはずだ。毎年100万人を超える日本人がシンガポールを訪れるというが、そのほとんどはショッピングが目的だ。彼らの幾ばくかでも、たったの数時間でもいいから時間を割いてこの戦争博物館を訪れてみてほしい。入館料もたかだか500円ほど。ブランドものを漁ることに比べればたいした額ではないだろう。

(もっと写真をみる:http://www.kunitakahashi.com/blog/2010/11/10/war-museum-in-singapore/