熊本熊的日常

日常生活についての雑記

非社交派宣言

2008年05月24日 | Weblog
宴会が大嫌いである。酒を飲んで、どうでもいいことで盛り上がって、何が楽しいのかと思う。酒が飲めないわけではないが、普段は滅多に口にしない。最後に酒を飲んだのは去年の忘年会まで遡る。

昨日は東京から上司が出張して来ていたので、終業後にパブで立ち飲みに付き合った。但し、私はコーラだ。ロンドン・ブリッジ駅の近くにパブが比較的集積している地域がある。金曜の夜ともなると、天気が良い所為もあるのだろうが、どのパブも人が溢れかえっている。ビール片手に、お気楽におしゃべりに興じる、というのがパブの楽しみ方のようだ。

職場の隣の席の同僚が幹事役で、彼はパブの場所を決めたり、パブの後の食事の場所を予約したり、社内外の知り合いに連絡をしたりと、なかなかの活躍ぶりだった。私は、不参加ということにしてあった。純粋に億劫なのである。ただ、当日、普段は在宅で仕事をしている人たちがオフィスに来て仕事をし、終業後、なんとなく流れで、その人たちと一緒に職場を出て、話をしながら歩いているうちに、東京から上司が来て、在宅の人もロンドンまで出てきているのに、自分だけ帰ってしまうのも大人気無いと思い、パブだけ付き合うことにした。

酒を飲みながらの会話というのは、洋の東西を問わず、似たような、どうでもよい話題である。話題を振られれば、それに応えるが、原則として私は聞き役に徹するようにしている。不器用なので、何人も同時に相手にして話をすることができないのである。現実にはそのようなことをせざるを得ない状況というのはいくらでもある。ただ、それは自分にとってはとても居心地が悪いということだ。社会学の小集団研究でも、人数が15人を超えると集団がふたつに分裂することが経験則としてあきらかになっているのだそうだ。昨日の参加者は私を含めて8人。それでも常時3つの小集団に分裂して会話が進行していた。人が多くて声が通らない所為もあったが、職場が同じという以外に接点の無い人々の集団が同じ話題で語り合い続けるというのは無理がある。

酒は飲まないが、自分のなかでは食の重要度は高い。こちらに来てからは毎食が個食だが、それでも一緒にいて楽しくない相手と食卓を囲むよりはマシである。何を食べるかということは大事なのだが、年齢を重ねる毎に誰と食べるかということの重要度が増しているように感じられる。一緒にいて楽しい相手というのは、話題が豊富な相手でもなければ、話が面白い相手でもない。「楽しい相手」というのは、相手の言うことをきちんと聞いてくれる人、会話が成り立つ人、食事をおいしそうにする人、といった意味である。こういう人は、実はなかなかいないものなのだ。

昨日の飲み会は、参加して良かったと思っている。しかし、自分のなかでは、あくまで仕事の一環である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。