熊本熊的日常

日常生活についての雑記

マイソールへの日帰りツアー

1985年02月27日 | Weblog
朝5時起床。マイソールへの日帰りツアーに参加する。昼間の暑さが嘘のように肌寒い。市内の観光局前には多くの観光客が集まっていたが、日本人は私一人であった。バスの隣の席には学生と称する私と同年代のインド人青年。マイソールへのバスの車内は私以外は全員インド人のようだった。私の隣の学生君は英語が得意ではないようだが、私の前の学者風夫婦と斜め前のホテルのオーナーと称するおじさんは流暢な英語を話していた。車内の雰囲気は、マドラスで参加したマハーバリプラムへのツアーより遥かに落ちついたものだった。

マイソールへ至る風景は田園そのものだった。緑が豊かで、心なごむものが感じられた。農家のおかみさんたちは手押しポンプで水を汲み、子供たちは何やら手伝いに忙しい。水溜まりでは牛が水浴びをし、おとっつぁんたちは野良へ出る。こんな風景が3時間ほど続くのである。やがて、緑は少しずつ茶色に変わり、殺伐とした感じになってくる。

最初の訪問地 SRIRANGAPANTA は、かつてこの地を拠点に王朝を築いたHYDER ALI とTIPPU SULTANのメモリアルである。広大な庭園のなかに彼等の生活や戦いの様子を再現した記念館がある。柱の1本1本から天井まで細工がなされ、豪華である。

次の訪問地 RANGANATHA SWAMY TEMPL あたりに来ると、観光客相手のうるさい連中が多くなる。ヒンズーの寺院というのは境内の至る所で賽銭を出さないといけないので、見学するのがおっくうになってしまう。バスで私の隣の席の学生君は信仰が厚いらしく、当然のようにして何度も賽銭を出し、僧侶からの祝福を受けていた。

このあと、キリスト教のPHILOMENA'S CHURCHを訪れた。さすがに教会では賽銭を出す必要はないが、入り口の前には喜捨を求める乞食の群があった。インドに着いた頃はこうした人々の存在の大きさにショックを受けたが、今はずいぶん醒めてしまった。

CHAMUNDI HILLからのマイソールの町の眺めは素晴らしい。ここから見るマイソールの町は土に埋もれかかった化石のようだ。どこまでも広がる赤茶けた大地にも人々の暮らしがあることに不思議さを感じる。個人は取るに足らない存在なのに、それが互いに関係を結ぶと、なかなかしぶとい存在に変容する。この丘のにもヒンズー寺院があるが、もうたくさんだ。それでも隣の学生君は生真面目に参拝に行ってしまった。ひとりでぼんやりと丘の下の風景を眺めていると、モノ売りが近づいてきた。珍しいことに白人だった。ミュージックテープを売っているのだが、いらないと断るとあっさり消えてしまった。いままでしつこい物売りに慣れてしまっていたので、たまにこのような諦めのよい物売りに出会うと妙な気分である。

再び、バスはマイソール市内へ戻る。Hotel Hysalaというところで昼食のターリーを食べる。かなり辛さを抑えた味付けで、私にとってはインドで初めて無理なく食べることができた食事であったが、インド人の間では評判が悪かった。

この後、Mysore Palaceへ行く。遠目には立派なのだが、夜間のライトアップ用に外壁に無数の裸電球が埋め込まれているのが少々痛々しい。屋内の装飾が豪華絢爛かつ繊細であることは言うまでもない。さらに、美術館、動物園を経てK.R.Sagarへ。

これはダム直下に広がる公園である。午後6時ごろになると陽はダムの向こう側へ沈んでしまう。ちょうどこの時分にイスラム教徒の祈りが始まった。人々が何列にも並び、同じ方向に向かってひれ伏すのである。その様はなんとも異様ですらある。何を祈っているのかは知らないが、いくら祈ったところで真の救済はなされないということは、祈りを捧げている彼等自身が一番よく知っていることであろう。人間というのもつくづく悲しい生き物である。祈りが終わる頃には辺りはすっかり暗くなっている。すると、至る所にある噴水が色とりどりにライトアップされ、軽快な音楽が聞こえてきた。こうして光と水と星空のショーが始まるのである。色とりどりの無数の噴水の美しさもさることながら、地上の光と好対照をなす満天の星空の美しさは言葉では尽くせない。それは、地獄の底から天国を見上げるような感じがした。

バスの出発時間が近づいてきたので、駐車場へ向かう。途中に公衆便所があり、そこで驚くべき光景を目撃した。なんと、小便用の便器の直下でしゃがんで小便をしているオッサンがいたのである。便器は立って用を足す構造なのだが、インドやスリランカでは、地域によっては、男性でも大小にかかわらずしゃがんで用を足すらしいのである。確かに、コロンボでもマドラスでもしゃがんで用を足している人々を何度も見かけた。それに、一部の人々が着用している巻きスカートのような衣服では立ったまま用を足すのは不可能である。それにしても便器という生活の基本に関わる部分での異文化の侵略に屈することなく、自分の生活習慣を押し通す彼の姿には胸を打つものがあった。

バスは予定より大幅に遅れて夜中の12時近くにバンガロールに着いた。こんな時間でも開いている店があったり、バナナ売りの屋台があったりする。生活必需品がなんでも揃っている小さな売店でバナナと洗濯用洗剤を買って宿へ戻った。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。