熊本熊的日常

日常生活についての雑記

江戸の冬

2011年01月06日 | Weblog
銀行というところには普段は縁がないのだが、今日は野暮用があって閉店ぎりぎりに駆け込んだ。用が済んでしまうと午後3時という中途半端な時間だったので、出勤まで皇居を散策することにした。

皇居は東御苑が公開されているが、ここは旧江戸城本丸周辺で、大手門、平川門、北桔橋門の3箇所から出入りできる。東京駅周辺で用があるときなどに、時間潰しに近代美術館へ行くときは、大手門から入って平川門へ抜けることが多いのだが、今日は大手門から入り、本丸に至り、そこから大手門へ引き返すという道順だ。ずいぶん前に天守台に登った記憶があるのだが、その記憶に比べると、本丸はかなり広く感じられた。

本丸は中央に芝生の広場がある。青々とした芝生もよいが、周囲に常緑の松が配されているので、枯れて黄金色とまではいかないにしても、薄い黄色の背景が松を引き立てる様子も趣があって良いと思う。本丸の縁は様々な木々や植栽が施されていて、なかには雑木林のようなところもある。周囲を見渡せば、否応なく建設中の高層建築物が目に入るのだが、それでも都心とは思えぬ落着きがある。

天守台に登ってみても、街並は見えない。周囲の建築物に視界が遮られているからだ。かつて、ここから東京湾も江戸の街並も一望のもとにあったのだろう。だからこそ、天守閣は明暦の大火で、町屋から飛来した火の粉によって炎上してしまった。徳川幕府成立後の江戸城普請によって、その負担を強いられた諸大名は経済的に大きく疲弊したというが、今こうして残っている石垣を見るだけでも、たいした仕事だったと思う。

冬至を過ぎたとはいえ、午後4時近くなれば日はいまにも沈まんとするばかりの様子だ。その夕日に照らされた城内の木々は、冬の透き通るような空気のなかでひときわ美しく感じられる。冬の寒さには往生するが、冬の冷たく透き通った空気は好きだ。

ところで、「江戸」というのは入り江の入口という意味のやまとことばだそうだ。そう思って口にしてみれば、響きが心地よい。「東京」などという、どこまでも京の都という中央の権威への執着を感じさせるような、卑しさ溢れる合成語を作り出した維新政府の文化の程度は、日本人としては恥ずかしい限りだ。しかし、そんなことを嘆いていても埒が明かない。在るものは所与のものとして受け容れなければ生活は成り立たない。改善できるものはそのための努力を惜しまず、どうしようもないものは素直に受け容れる。たかだか50年かそこらの人生では、そうするよりほかにどうしょうもないだろう。

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