熊本熊的日常

日常生活についての雑記

余計なこと

2010年09月28日 | Weblog
以前にも何度か書いているように、陶芸は茶碗から皿へ、一個挽きへと、比較的短期間のうちに新しいことを始めている。それで、少しでも早く習熟しようと、轆轤を挽く機会を多く持つように心がけていた。気がつけば、素焼きの作品が溜まっていたので、今日はそれらの素焼きに施釉をした。

以前はどの釉薬をかけようかとか、どのような模様を付けようか、というようなことを考えたのだが、近頃はなるべくシンプルに仕上げることを心がけている。釉薬なら透明とか土灰といった地の風合いが活きるようなものにして、掛け分けだの化粧など余計なことはしない。2006年10月に陶芸を始めて、途中2007年10月から2009年3月までのブランクを経て、実質的には2年半しかやっていないのだが、そこで得たのは、私が余計なことをしないほうがよいのではないかという感触である。

土も釉薬も様々な種類があるのだが、どれもそれほど純度の高い性質のものではない上に、基本は手作業なので、成型から焼成に至るどの工程でも成り行きで作り手の個性が出てしまう。焼成の窯のなかはどうすることも出来ないが、土や釉薬の不純物とか窯の中の位置による温度変化の差異などで思いもよらぬ景色が現れたりもする。そうした勝手に出てしまう作品の個性をそのままにしたほうが、余計な手を加えるよりもよほど面白いものになるのではないかと思うのである。

これから先のことはわからないが、少なくとも今は一通りの技法を学習している最中なので、成型に集中することにして、絵付けや化粧はやるとしても、もう少し成型に習熟した後にしようかと考えている。

それで、今日の施釉だが、底に少し皹が入っている茶碗と皿には粘度の高い長石釉をかけ、他は土灰と卯の斑をかけた。焼成は酸化にするものもあれば、還元にするものもある。長石も土灰も主成分は長石のオーソドックスなものだ。釉薬のことも追い追い勉強するつもりではいる。

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