熊本熊的日常

日常生活についての雑記

美術館で考えた

2009年11月06日 | Weblog
根津美術館を訪れた。約3年半におよぶ建て替え工事が終わり、この10月に晴れてお披露目となった。

建物は変わったが、庭は以前とほぼ変わらず、起伏に富んで趣深い様子を楽しむことができる。園路を飛び石から石畳に変えたり、建物の建て替えに伴って経路にも手が加えられているが、全体の雰囲気は変わらない。なにより、苔がすばらしい。

美術館の展示は再開記念で当面は収蔵品の展示を行うのだそうだ。これからの1年間を8部に分け、各部にテーマを持たせた展示になる。現在は第1部「自然の造形」で11月8日まで。18日からは第2部の茶道具という具合。都心にある比較的小規模な私立美術館でありながら、その収蔵品には国宝7件、重要文化財87件が含まれている。これほど濃密な美術館というのは世界でも稀なのではないか。

今回の展示の目玉は5年ぶりの公開となる国宝「那智瀧図」。鎌倉時代の作品なので、それ相応の年季が入っているのだが、構図の美しさや技法の確かさは今の姿からも十分に感じ取ることができる。完成当時の姿はさぞかし観る者を圧倒する凄みのようなものがあったのではないかと思う。

絵はよいのだが、いつも軸装された墨跡を見ると不思議に思う。手紙や写本の一部を切り取り、それを掛け軸に仕立てるという神経がどうにも理解に苦しむ。文字が美しいのでそれを飾りたいという気持ちはわからないでもない。しかし、もともとひとつのまとまりがあるものを切り刻んでしまうことはないだろうと思うのである。絵でも巻絵は同じような災難に遭っているものが多い。持ち主が金策に迫られて、そのような形にして手放さざるを得なかったというような事情もあるようだが、それにしてもむごいことだと思う。今回の展示でも展示室2に並ぶ墨跡はそうしたものばかりである。

手紙であるとか、絵巻物であるとかを製作者の意図など考えもせず、自分の都合だけで切り刻むことが、権力や財力の誇示ならば、権力とか財力というものはろくなものじゃない。尤も、西洋の絵画でもその時々の保有者の都合に合わせて分割されたり周辺部分を切り落とされたものは少なくないようなので、権力者の横暴というのは人間の性向なのかもしれない。悩ましいのは、そうした権力者の庇護なしには、芸術というものが成り立たないのも事実であることだ。芸術は権力に認められてこその芸術であり、権力の認知がない自称「芸術」は単なる物好きの世界だ。確かに、日常使いの道具類が持つ美しさや使い尽くされることで輝くものもあり、そうしたものに注目する見方もある。とはいえ、そういうものは権力の対極に位置するものであり、その意味においてやはり権力に依存して存在しているといえなくもない。

結局、権力との関係を抜きに文明のなかで生きるということは不可能、ということなのかもしれない。

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