熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「ロスト・イン・トランスレーション」

2005年05月07日 | Weblog
 身の回りでは評判が悪いのだが、なかなか面白い作品だった。孤独が人と人とを引き付けるということを印象深い映像のなかでわかりやすく描いていたと思う。
 主人公の孤独を表現するのに東京の風景や日本での仕事の様子が効果的に使われている。夜の新宿とか渋谷駅前のスクランブル交差点はどのようにも使うことのできる優れた映像素材である。東京の風景も人々も、それだけで世界が自分の理解を超えた混沌であるということを雄弁に語ることができる。実にたくさんのことが見え、聞こえ、匂うのだが、それが意味することは殆どわからない。世の中とはそういうものなのである。たまに誰かがそうしたものの一部を解釈してくれるのだが、その解釈が正しいのか否かを確かめる術はない。主人公が仕事で出会う通訳が象徴しているのは、その混沌を理解することができないフラストレーションである。その混沌のなかにとても大事な真理が隠されているかもしれないのに、それが無造作に切り捨てられてしまう。本当のことは言葉にならない、と言ってしまえばそれまでだが、言葉を超えたところに他人と理解しあう鍵があるように思う。ホテルの部屋の静寂は、ささやかな秩序であり、自分の居場所の象徴である。それを街の雑踏と対比することで、世界の大きさと自分の存在の小ささ、あるいは孤独を際立たせている。ストーリーよりも映像が印象的な作品だった。
 この作品に関して、日本人を馬鹿にしているという意見も聞いたことがある。確かに、ここに登場する日本人は、見事なまでに馬鹿っぽいのを揃えている。しかし、それは混沌の一部である。たまたま東京を舞台にしたから、そうなっただけのことだと私は思う。

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