熊本熊的日常

日常生活についての雑記

悪態の芸

2010年05月16日 | Weblog
なんとなくの印象なのだが、落語会に来る客は滑稽噺を期待しているように思う。だから、特に観客の平均年齢が高い会場での怪談噺は受けが悪いような気がする。同じように、老化とか死をテーマにした噺も、聴いているこちらがはらはらしてしまうようなこともある。しかし、一方で、そうした際どい話題ほど当たれば強烈に受けるのも確かであるようだ。元来、落語は悪態の芸である。

今日の落語会、中入り前までは無難な演目が続いたのだが、中入り後は葬式の噺と老齢の任侠の噺である。談笑「片棒」は古典だが、単なる古典に終わらせるのではなく、今の時代の要素を盛り込んで、少しはしゃぎ気味に走っていた。「唐獅子牡丹」は創作。三枝の作なのか作家の作なのかは知らないが、よくできた噺だ。

笑いの背後には批判精神がある、ということはよく言われていることだ。笑いに関してはわからないことが多いし、文化によっても笑いの内容は異なるように思う。あくまで自分が属している文化のなかだけのことなのだが、落語にしても日常生活のなかにおいても、滑稽というのは権威が崩壊する様子を指すような気がする。例えば、大人がつまらない遊びの夢中になる様子は「大人」という権威が「遊び」という「大人」に対立するイメージに絡め摂られることによって崩壊するというふうに解釈ができる。笑いを作るという行為は、自分たちを取り巻く権力構造のようなものを読み解いて、そこを微妙に崩してみせることではないだろうか。その崩れがドミノ倒しのように、途中で止まってしまえば「くすっ」で終わり、カタストロフィックな崩壊を見せれば大爆笑ということになる、というのは今のところの私の理解だ。

「唐獅子牡丹」の面白いところは、高齢化ということを社会現象から個人の生活へ落とし込んでいるところにあると思う。このブログのなかで過去に何度も書いているが、人生は不確実だ。一寸先は闇、という言葉があるように、人の生活は不確実性の中にある。しかし、ひとつだけ絶対確実なことがある。それは、死だ。生まれたら遅かれ早かれ必ず死ぬ。ところが、自分の死というのは不思議と意識しないものである。

余命幾許も無いことがわかっている状況にでも無い限り、人は明日とか明後日といった近未来に想定される、しょうもない諸々のことに心を砕きながら生きているものだ。おそらく、自分の死を意識しないのは、精神の安定を維持するための自己防衛本能のようなことなのではないか。人は自分の知らないことを恐れることはできないので、よく巷で言われる「死の恐怖」というのはどこか作り物のような言葉であるように思われる。死を忌避するのは、わけのわからないものはうっちゃっておく、というだけのことに過ぎないのではなかろうか。その「わけのわからないもの」の集大成が宗教や世間の掟のようなものだろう。科学技術が発達して未知のものが既知に変われば「わけのわからないものの」の在庫は目減りしてくるだろうから、その目減りに従って宗教や世間の重みが軽くなるのは当然だ。

さて、「唐獅子牡丹」だが、題名となっているのはいわずと知れた刺青のデザインである。主人公のヤクザの親分は齢90歳。背中の唐獅子牡丹が皺皺だというのである。彼のシマがかつて対立関係にあった組の若い者に荒らされている。しかもその荒らされているという事態を新聞やテレビのニュースで初めて知るという状況だ。組の高齢化で若い組員がいないため、シマの監視ができないのである。若頭は63歳、あいつはどうした、こいつはどうだ、と幹部を数え上げてみたら、最盛期に200名を超えていたはずの組員はわずかに5人。頼りにしていた右腕の幹部は田舎で自給自足の隠居暮らし。今は自分の畑のほうが組のことより大事なので、昔世話をした渡世人に話をしてみたら、というので探し出してみたところ、その渡り鳥も今は老人ホーム暮らし。ホームに外泊届を出させて親分と旧渡世人が対立する組長を襲いに出かける。敵の組長は既に引退して、組は孫が切り盛りしている。その引退しているほうの元組長がこれから襲う相手なのだが、いざというところで相手が心臓発作を起こして急死してしまう。

所謂「任侠物」で、本来ならテンポよく展開するはずの話が、高齢化ということでリズムが崩れ、権威の象徴であるはずの刺青が皺皺、敵は自滅、という具合に、本来そこにあったはずのもの、そこにあって永遠に続くと信じていたものが、うたかたのように消え去ることの哀愁が、笑いに包まれて展開する。この話が何十年か後に古典の仲間入りをするかどうかは知らないが、あるとおもっていたものが幻だった、というのは当事者にしてみれば悲しむべきことでも、少し距離を置いて見れば滑稽でしかないということを巧みに語ってみせる正統派の落語である。悪態のなかに物事の真理のようなものがあるように思う。

本日の演目
月亭方正「猫の皿」
三遊亭王楽「牛ほめ」
桂三若「生まれかわり」
古今亭菊之丞「棒鱈」
(中入り)
立川談笑「片棒」
桂三枝「唐獅子牡丹」

開演 14:00
閉演 16:30