熊本熊的日常

日常生活についての雑記

備忘録 Paris 2日目

2008年07月27日 | Weblog
9時過ぎに宿をチェックアウト。昨日ルーブルの監視員に教えてもらった教会に向かう。ルーブルを突っ切り、Pont des Artsを渡り、川沿いにオルセー方面へ歩く。日曜の朝なので、開いている店はないが、骨董の店が目立つ。瀟酒な家具や調度品がウインドウを飾っている。Rue du Bacを左に折れ、そのまま道沿いに進む。昨日、宿の周りを歩いたときにも感じたのだが、カフェやレストランがやたらに多い。こんなに集まってしまって商売になるのだろうかと心配になってしまうほどである。どの店も昨日今日開店したという様子ではないので、それなりに商売は成り立っているのだろう。ということは、このあたりに暮らす人たちは頻繁に外食を楽しんでいるにちがいない。

日曜の朝の所為なのだろう。人影が殆どない。それでも、所々に路上生活者が座っている。その前を通り過ぎる時、「ボンジュール、ムッシュー」と声をかけてくる。やがて、人の流れが見えてくる。一列に疎らに人が吸い込まれていくところがある。人の流れがなければ、そのまま通り過ぎてしまいそうな佇まいである。ここが140 Rue du Bacだ。

その入口を抜けると、中にいる人たちが私の頭上を見上げている。振り返って見上げると入り口の上に白い聖母像がある。石であることはわかるが、石とは思えない滑らかな肌に見える。なるほどこれはすごいと思う。その聖母像のある入口を背に正面に伸びる通路の左側が壁になっており、そこに表札のようなものがびっしりと貼付けられている。この教会に関係のあった人たちの名前が刻まれているらしい。右側は事務所になっていて、その一画に売店がある。ここで販売されているメダルが有名らしく、それを買い求める年配の婦人が大勢いる。この教会の由来を漫画を使って説明した冊子があり、日本語版もあったので、それをざっと読んでメダルのことを認識した次第である。このメダルに関して、Sante Catherine Laboureという人が重要であるらしい。その人の姿を描いた絵や写真のカード類も商品として並んでいる。この教会はもともと修道院の一部であったようだが、現在の地図にはChapelle de la Medaille Miraculeuseと書いてある。日曜日なので教会ではミサが行われていて、賛美歌が外にも聞こえてくる。教会のほうへ行くと、扉は開放されていて出入り自由のようだったので、中に入り、最後尾のベンチに腰掛けてミサを聴講させて頂いた。前方の祭壇にも大きな聖母像が並んでいる。ミサの最中なので近づいて見るわけにはいかないのだが、外の入口にあった像のほうが出来はよさそうである。いずれの像も、まるでミルクを流し固めたかのような柔らかそうな肌合いであり、大理石をそのように彫り磨くというのは、単なる技巧だけの問題ではないだろう。そこには、強い意志とか情熱といったものが感じられる。その意志が、石像を通じてそれぞれの時代の人々に伝えられるのだろう。

9時半から10時頃までミサに参列した後、オルセーに向かう。歩いていってもよかったのだが、せっかく乗り放題券を持っているので、最寄のSevres-Babyloneから12号線に乗ってSolferinoで下車。駅からオルセーまで人の列が続いている。10時半頃に美術館に着き、入口のセキュリティでその時背負っていた着替え一式の入ったリュックを全部開けられる。問題があるはずがないのだが、気分が悪い。気を取り直して、館内案内図を手に取り、エスカレーターで最上階のカフェに向かう。腹がへっていては落ちついて美術の鑑賞などできるはずがない。

カフェを出て最初の区画がルノワールの裸婦像である(区画番号39)。昨日、ルーブルでさんざんルーベンスを観た後なので、その肌色がルーベンスのそれにぼかしを入れたもののように見える。人物の肉付きも同じような感じである。自分の理解では、ルノワールは苦労人で、売り絵を描く人だと思っている。陶磁器の絵付職人がどのようないきさつで画家になったのか知らないが、官立美術学校で学んでいるので、当然、美術史や先人の作品も研究しているのだろう。果たして、ルーベンスの影響があるのかないのか、私は門外漢なのでわからない。影響があったとすれば、育った文化の違いを超えて共鳴するものがあるということで興味深いし、なかったとすれば、違う道を辿りながら似たような表現に行き着くというところが、やはり興味深い。

ルノワールの区画の隣に照明を落とした区画がある(区画番号40)。ここには主にドガのパステル画が展示されている。パステルの退色を防ぐために照明を暗くしてあるのだ。パステルというと子供の頃の図画の時間を思い出すが、水彩画や油絵に比べて手軽に描くことができるのは確かなようだ。ドガは経済的に恵まれた家庭の出身なのだが、父親が事業に失敗したかなにかで、その負債を負うことになり、手早く描くことのできるパステル画を数多く手がけるようになったと聞いたことがある。どの世界でも生活をしていくというのは容易なことではないらしい。

再び通常の照明の区画になる(区画番号41)。ここにもモネの花の絵がある。ロンドンのコートールドにある似たモチーフの作品よりも一回り小さいが、これもまたグッとくる絵である。

モネの花をみて、やはりこういう作品は作家の縁の地にこないとみることができないのかと思いながら隣の区画42に移ると、もっとグッときた。アンリ・ルソーである。大好きな作家の一人である。まず目に飛び込んでくるのが「La guerre」。背景は夕暮れのような深い青と夕日がまさに沈もうとするような黄金色なのだが、全体の印象としては黒である。中央を飛ぶように疾走している馬のような動物と木々の表現の所為だろう。馬と並んで白い服の少女も疾走しているのだが、ルソーの作品らしく、人の表情がいいし、なにより画家本人が楽しんで絵筆をふるっているかのような印象を受けるのである。絵に限らず、仕事というのは、傍からみていて楽しそうでなければ、良い仕事とは言えないと思う。

区画43と44にはゴーガンが並ぶ。「Les lavandieres a Pont-Aven」のような日本ではおそらく見ることのできない作品もあるが、総じては、どこでどう見てもゴーガンという作品ばかりである。

区画45と46は点画の作品である。多くの作家が点画を手がけており、その技法がある時期において流行であったかのような印象もある。しかし、今、点画といえば、シニャックとスーラくらいしか思い浮かばない。点画の理屈はわかるのだが、いかにも生産性が低そうな技法であり、よほど高額で売ることができないと、画家にとっては商売にならないだろう。それでも、スーラの「Cirque」は面白い作品だと思う。構図は、客席の並びと馬の運動方向、画面の右端に立つ人物が持つ鞭の流れる方向が水平に並び、客席の観客、ピエロのバク転、馬の背に乗った曲乗師の身体の伸びなどが垂直方向に流れる。そうしたざっくりとした升目のような画面の中央に曲乗のダイナミズムが描かれて全体に安定感のあるなかに躍動感が与えられている。そうした動きの表現の一方で、空席の目立つ客席が微妙なリアリティも醸し出す。図録にはこの絵に静謐感が見られると書いてあるが、私には全く逆に見えた。静謐感があるとすれば、点画によって、それが夢の中のできごとのように見えるからだろう。

区画47は再び照明が落とされた部屋である。ここにはロートレックのパステル画が並ぶ。区画48は通常照明で、ナビ派と呼ばれる作家の作品が展示されている。ヴュイヤールの作品はベタっと平らに色を塗った感じで、どこか守一のようにも見える。

ここから一旦エスカレーターで下の階に下がると照明を落とした区画49がある。ここにはモネのパステル画がある。画家なのだから、デッサンや習作も当然あるので、パステル画があっても当然なのだが、なぜかモネが描いたとなると驚いてしまう。区画50は普通の部屋で、ゴッホの「I’hopital Saint-Paul a Saint-Remy」がある。予備知識なしにこの作品を見てもゴッホだと思うだろうが、たぶんこの絵を見るのは今日が初めてのような気がする。

また上の階に登り、今度は区画36から番号の若いほうへと移動する。区画36はセザンヌである。つい最近、ロンドンのコートールドでセザンヌ展を見たばかりなのだが、この作家も予備知識なしに見て、それとわかる作品が多い。確か、六本木の国立新美術館が開館したとき、開館記念の展示会の入口を入って最初の作品がセザンヌの静物画だったと記憶している。ブリヂストン美術館や国立西洋美術館の常設にも印象深い作品がある。それくらい、セザンヌは日本人にとっても身近な作家ということなのだと思う。

区画35はゴッホ。今更何も言うことはない。どこでどのような作品を見ても驚きがないところに、その画家の偉大さがあると思わせる、そんな作家のひとりである。

区画34-32はモネの作品を中心に、ピサロ、ルノワール、シスレーが並ぶ。31-29はマネ、ドガ、カイユボット、ファンタン=ラトゥール、ホイッスラーである。去年の冬、東京都美術館で開催されていた「オルセー美術館展」で観た覚えのある作品も少なくない。なかでもマネの「月光」「逃亡」「ベルト・モリゾ」やホイッスラーの「母の肖像」は、けっこう鮮明に記憶している。やはり去年の春から初夏にかけて国立新美術館で開催された「モネ大回顧展」で観たものもある。どちらの展覧会にも何度か足を運んだので、比較的記憶に新しい作品が目についた。たまたま去年は国立新美術館の開館という大きなイベントがあった所為かもしれないが、わずか半年ほどの間にオルセーの作品が東京の二つの展覧会に供されているのである。改めて東京という都市の存在感を認識する。

階段で中階まで降りる。この階はロダンやマイヨールの彫刻、アールヌーボーの家具などが展示されている。絵画はまとまった展示としてはナビ派だけである。単品ではハンマースホイとかジェームズ・アンソールがあるが、あまり興味を引くものはなかった。ナビ派は面白い(区画番号70-72)。日常生活のなかの無防備な風景が持つ艶かしさのようなものを気付かせてくれる。ピエール・ボナールの「La toilette on la toilette rose」と「La table de toilette」は鏡に映った女性の裸体を描いているのだが、これは裸体だから艶かしく見えるのかと思ったらエドアール・ヴュイヤールの「Janne Lanvin」はオフィスで仕事をしている中年女性を描いているのだが、これも生々しさがある。なんて思うのは私だけなのだろうか。

地上階には好きな作品がたくさんある。区画14にマネの「Le dejeuner sur I’herbe」があり、隣の区画18にモネの同名の作品がある。描かれたのはマネの作品のほうが先で、1863年、モネのほうは1865-66年である。このマネのほうの「草上の昼食」は発表当初、スキャンダルとなったというのは有名だが、この作品に刺激を受けたモネは、マネの作品へのオマージュとして同名の作品を描いたのだそうだ。この作品の製作を契機に、モネは光の作用に魅せられ、戸外で描くようになったというのである。つまり、後の「睡蓮」につながっていくというのである。物事というのは、いつどこでなにがなにとつながるものなのか、本当にわからないものである。

マネの作品は、発表当初、スキャンダルとか酷評を受けるというのが他にもあるのだが、「Olympia」もそのひとつだ。同じ階の少し離れたところに、この作品と同じ年に発表されたアレクサンドル・カバネルの「Naissance de Venus」という似たような構図の裸婦像がある。似て非なる、とはこういうことを指すのかもしれないが、カバネルのほうの裸婦はヴィーナスという神話のなかの登場人物で背後にキューピッドたちが舞っている。キューピッドはヴィーナスの息子なのだが、ヴィーナス誕生と同時に息子も誕生というのはあり得ないではないか、と今なら誰でも思うだろう。しかし、これはヴィーナスとキューピッドの関係を強調しているのだそうだ。この作品はサロンで高い評価を得、ナポレオン3世が購入を即決したという。一方、マネのほうも若い裸婦像だが、こちらは売春婦で、背後に控えているのは客から贈られたと思しき花束を手にした世話係。カバネルの作品の2年後にサロンに出品され、スキャンダルを巻き起こした。同じようなものでも、そこに表現された記号をいくつか入れ替えると、全く違ったものになってしまうのである。我々の日常生活にも同じようなことがあるのではないだろうか。すぐには思いつかないのだが、妙に不安になってしまう。

国立新美術館のモネ展にも出品されていた「かささぎ」は上層階ではなく、こちらの地上階にある。これは私の好きな作品のひとつだ。雪に覆われた農村の朝の風景だと思っていたのだが、夕方なのだそうだ。雪の風景というのが良い。雪に覆われた風景は静謐だが、その下でしっかりと命が活動を続けている。見えないものの息吹が想像できる。見えないものが見えるというのが面白い。

クールベも見逃すわけにはいかない。「Un enterrement a Ornans」は巨大な作品だ。これも発表当初、スキャンダルとなったものだが、要するに、人間は世の中に定着している習慣を変えることに、とりあえず反対するものだということなのだろう。今となっては、この絵のどこがスキャンダルなのかわからないが、市井の人々をこのように大きく描くことが「あり得ない」ことなのだという。つまり、現実は醜いもので、それをそのまま絵画にするなど言語道断だというのである。美しくあるべきものを冒涜したということだ。この話を聞いて、ビートルズの来日公演のことを思い出した。演奏会場に武道館を使うことに強烈な反対があったのである。曰く、大和魂の神聖な場所を長髪の若造たちが騒々しい音楽を演奏するのに使うとは言語道断。洋の東西や時代を問わず、人の習慣を変えるというのは容易なことではないらしい。

ルーブルにも展示されているミレー、コロー、アングルの作品がここにもある。どの作家も好きな作家だ。ゴッホがミレーの影響を受けている、という話を聞いて驚いた。ゴッホの作品にミレーの何が影響しているのか、全くわからないのだが、そういうことらしい。ミレーの「晩鐘」と「落穂拾い」がよりによって東京の国立西洋美術館に貸出中で見ることができなかった。これには少しがっかりである。ミレーのあるべき場所にはコローが代替作品として展示されていた。コローも好きだ。

午後3時10分過ぎにオルセーを出る。歩いてセーヌの対岸にあるオランジュリーへ移動。3時半頃から鑑賞開始。睡蓮の前に、地下のヴァルター&ギョーム・コレクションを観る。最初はルノワール。ルノワールの裸婦像はどれも豊満だが、当時の人たちが平均的に豊満であったのかというと、そういうわけではなく、単に画家の好みということらしい。セザンヌの作品もあるが、特に語ることはない。次の区画がアンリ・ルソーとモディリアーニである。ルソーの何がいいのかよくわからないのだが、ルソーの作品を観ると幸せな気分になる。モディリアーニも何がいいのかわからないが、存在感がすごいと思う。その奥の区画にはローランサンが数点並ぶ。

隣の区画に移動すると長く続く壁にピカソの作品が並ぶ。その向側がマティスだ。マティスはデッサンと出来上がった作品との差が大きいのが、いつも不思議に思う。出来上がった作品は、ひどくおざなりのように見えるが、そのデッサンを観ると、それなりに計算されていることがわかる。それにしても、デッサンから完成に至る経路がよくわからない。でも、好きな作家の1人である。ピカソは他の画家とは一線を画したところにいる人だと思う。ここにある「L’Etreinte」「Femme au peigne」「Grande Baigneuse」どれもすごいと思う。

アンドレ・ドランはあまり自分には馴染みがないが、これから少し気をつけておきたいと思った。ユトリロの作品を観て、そういえばオルセーには彼の作品が無かったことに気がついた。これはどうしてなのだろう? スーティンは以前観たモディリアーニの映画のなかで「肉屋のスーティン」と呼ばれていたような記憶があるのだが、どうだったろう? 肉片を描くのにアトリエに本物の肉を持ち込んで描いていたというような描写のされ方が映画のなかであったような気がする。肉片の絵を観ているとよくわからないが、他のモチーフの絵を観ると、奇妙な歪み方をしている。それが不自然に見えないのは何故だろう? 楽茶碗の歪みは、人間の心の歪みを表現したものだという。その所為なのか、楽茶碗というものの存在が我々のなかに定着している所為なのか、楽茶碗の歪みに違和感を抱く人は少ないと思う。スーティンの絵も、我々の本来的な歪みとシンクロしているから、それを受け容れることができるのだろうか?

さていよいよ「睡蓮」との対面である。モネの睡蓮の絵はいろいろなところで目にするが、最終形はこれなのかと腑に落ちる。朝から夕方までを描いたパネルとそれを照らす自然光との組み合わせ。これを丸一日かけて鑑賞すれば、作品としては完成なのだろう。

時刻は午後4時半。ロンドンへの列車の出発時刻は午後7時13分なので、チェックインは6時40分頃までに済ませばよい。とすると、まだ時間はたっぷりあるので、ルーブルへ行って昨日観そびれてしまったところを観ておこうと考えた。オランジュリーからルーブルまではチュイルリー公園を突っ切るだけである。10分ほどでルーブルに着き、まずはエアコンのきいたリシュリユウの中庭で一休み。今日も外は暑い。

昨日は絵画の展示はほぼ全てまわることができたのだが、ただ一箇所、イギリス絵画の部屋だけは観そびれてしまった。今日はこの部屋から見学を始める。リシュリュウの中庭から2階にあがり、ルネッサンスの陶器やガラス器などがならぶところを抜け、シュリーの2階を通り抜けてその角の部屋がイギリス絵画の展示コーナーである。ターナーにゲインズバラ、カンスタブルといった自分にとってはすっかり馴染みになった作品に混じってジョージ・スタッブスの馬がいる。イギリス代表でルーブルに収まるとはすごいことだと、何故か我が事のように嬉しくなった。

同じ階にあるギリシア時代の陶器を観た後、再びイギリス絵画の部屋に戻り、そこを通り抜けて階段ホールに出て、「サモトラケのニケ」の前を通って階段を降り、「ミロのヴィーナス」を観る。昨日も観たが、やはり失われた腕が気になる。もともとどようような姿に作られていたのだろうか。あるいは腕が無いから、なおさら美しいのかもしれない。その身体の傾き加減が観る者に何事かを語りかけるのだろう。

ここからシュリーの地上階を見学する。古代エジプトのものがずっと並んでいる。スフィンクスの石像はよくよく見ると何か機械のようなもので彫られているように見える。そんなことはあるはずがないのだが、そう見える。なんとなく線が硬く、妙に直線的なのである。それほど当時の石工たちの技量が優れていたということなのだろうが、何か妙なものを感じないわけにはいかない。そんな不思議を抱えながら歩いて行くと、棺ばかりを集めたところがある。木製の棺はガラスのケースの中に立てて並べられているのだが、その様子が、まるで棺のショールームだ。これでいいのだろうかと不安を感じる。この棺コーナーのある部屋に、「ひとりよがりのものさし」に載っていたイヌイットのお守りに似たものがある。木切れのような舟の上にちょこんと人形のようなものが乗っている。これもお守りなのだろうか?

さらに進むとまたもや棺。今度は石でできたものばかりである。こちらはバビロニアのもの。古代文明というのは、大規模な石製品が欠かせないらしい。今のように機械類があるわけではなかったのだから、人海戦術で宮殿から調度品まで製作したのだろう。その時は未来永劫繁栄が続くと見えたと思う。しかし、歴史の現実はどうであっただろう。このようにバラバラになって、ルーブルだ、大英博物館だと、栄華の断片が散逸するのである。権威などという幻想を具現化しようという試みが繰り返されるから、我々後代の人間はそうしたものの名残りをこうして楽しむことができ、有り難いことではある。しかし、当事者はどうだったのだろう? それでみんな幸せだったのだろうか? 栄華を誇り、己の力を誇示し、それでもいつかは寿命を終えて死んで行く。生前、いくら財貨に恵まれていても、死ぬ時はそうした全てが無に帰すのである。人の営みというのは、こうして見るといかにも滑稽だ。

今日も閉館時間近くまでルーブルで過ごしてしまった。昨日、せっかく帰り道を下見したのだけれど、急に気が変わって、Les Hallesまで歩き、そこから地下鉄4号線に乗ってGare du Nordへ行った。ユーロスター乗り場へ行き、午後6時15分にはフランスの出国手続きとイギリスの入国手続きを終え、駅中のPaulで菓子パンを買って、それを食べながら列車の出発を待った。