冬の日のメモ - 「無理をしないこと」

2017年01月21日 | ドイツの暮らし

【1月17日】

色とりどりの花のような、小さな子供達。

昼御飯の後、午後の仕事の前に近くの広場に散歩に出たら、
たまたま出会った風景。

良いなぁ、僕も今日はなるべく早く仕事を終えて、村のプールに
泳ぎに行こう。その後はゆっくりと料理のノートを書き始めよう。

子供たちの笑い声。自分の足腰の動きのぎこちなさ。50代も半ばを過ぎて、
人の人生の長さ、短かさがだんだん分かるようになった。
この歳だからこその今。

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【1月19日】

今、ドイツはお昼の時間。

今日はもう朝から春のような青空、野に畑に輝くような光が拡がる。
僕の少し年老いた頭の皮にも、マフラーを巻いた首元にも陽光の
明るさ、暖かさ。

あぁ、本当に良い天気だ。
自宅から農園カフェへの道、僕の心も広がる土、緑、空、光。

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【1月21日】

今日は良い天気。
自宅から歩いて約5分、週に数回はこのプールに来る。

ひとりになって考える、運動をする。
頭と体がひとつになると、自分の中の見通しが良くなる。
以前書いた文章、『無理をしないこと』という文章を思い出す。
まだ、福島の東電原発事故の前のことだ。

事大主義と事なかれ主義、変な愛国主義、意味のない島国根性、
これら全て、本来全く「理の無い」話、理性に支えられた
ロジックでは一切無い。
福島の事故の後、この6年間でその傾向はいよいよ強まり、
日本の社会の硬直性は明らかに危険な領域に入り込んでいる。

「無理をしない」ということは、日頃の生活の中で、
気持ちの余裕と時間の余裕があること。そして、「理の無い」
ことをしないこと。 

日本の戦後70年は、個人の生活でも、社会・経済の活動でも
その「無理」を重ねてきた歴史、その帰結が今の時代相なのだろう。

日頃から「無理をしない」ということを肝に念じよう。

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2010年秋、
今日は本当に久し振りの「ひとり水泳部」
泳ぐよりもブールサイドに寝っ転がって、大きな伸びをしたり、
日向ぼっこをしたりホンワリしている。
秋の陽射しも心地よい。

僕のコーチは、「明日のジョー」より「バカボンのパパ」 
無理をしない。

そして、ここ最近読んだ2つのことを思い出す。

@minorikitahara「国益」って言葉を使って話す人に、
あんたは大臣か! と笑ったところ口論になる。 
バカにした訳じゃないよ、ほんとに冗談だと思ったんだよ! …
私にとって「国益」なんてものがあるとしたら、
ご近所どうし仲良くね! だけだな。一人一国益よん。
(まさにその通り)

@footballanalist ドルトムント戦を見る。ただゲームを殺す力が
まだないのは、チームが香川が全能の神として君臨するときを
待っているから。…
(これはドイツでは誰も考えなかったことだ!客観性も根拠も
全く無いが実にユニークな発想。)

上記双方、どちらも気軽に書いた言葉だろう。でも両者の間には大きな、
圧倒的な開きがある。一方は少し神がかり、変な愛国主義、意味の無い
島国根性。男性論理が転がって行く。

他方は実にすっきり自然体。
女性の、ひとの当たり前のこと。

事大主義と事なかれ主義、どちらも
あまり好きではありません。

無理をしない。
それは理の無いことをしないこと。

 

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