「とんでもなく美味しいケーキ」に思うこと

2015年04月16日 | ドイツ・ヨーロッパの「食」

僕は酒飲みなので、普段は甘い物にはあまり手が伸びません。
ところがつい最近、とんでもなく美味しいケーキを食べました。



上品な甘さとベリーの軽やかな酸味、あっさりふわりとした生地、
春の朝の雪化粧のようなデコレーション。全てがぴったり一つに
なっていました。その日はイースターの日曜日と長男の誕生日が
重なりあった特別なお祝いの日だったのです。

一番下の娘が朝早く一人で起き出して、お兄さんとみんなのために
作ったケーキでした。



実に屈託のない、真っ直ぐな見事な出来でした。





もう一つのいろいろなフルーツの串刺しもなかなか愉快でした。

もう10日ほど前のことですが、今日になって、ふと、このことは
きちんと書き留めておかなければと思ったのです。


これは親バカの話ではなく、毎日の生活の中でとても大切で有難いこと
なのだと思います。イースターのうさぎさんも「その通り!!」と両手
を挙げているようです。



妻と末の娘と長男、三人の写真。
ドイツではイースターの日曜日は一年の中でも、本当に特別な
家族の日です。子供達のこういう様子を見ていると、
「うちの妻は本当に偉い!!」とつくづく思います。
そのことをついつい忘れてしまうのが、僕の日常の問題です。

 


「歪んだ国の歪んだ言葉」

2015年04月16日 | 社会

4月14日の覚え書き。



辺野古の作業停止指示の後、福井地裁の再稼動否の仮処分の後、
日本政府首脳の「 粛々と進めます」という言葉の奇怪さ、
無神経の不気味さ。過去何十年に亘り、日本本来の風景が
各所で破壊された後、その動きを支えてきた同じ人たちが今、
公の場での日本語から、そこに本来内包されるべき倫理感や人間性を
疎かにして、言葉自体を骨抜きにしていっている。

戦前と同じように、そのとき現れてくるのは、重々しいだけの
空疎な正体不明の漢語系の二字熟語や四字熟語だ。

この国の指導者達とそれを支える人達は、もう相当おかしいところに
来ている。
政治、行政だけでなく、テレビのニュースやワイドショーを
見ても、雑誌を開いても、大衆に向けられた言葉の歪みや同調性への
偏向は著しいものがある。


言葉の崩壊自体が今のこの国の在り方を如実に表している。