葉桜の木漏れ日の中友と行く
濃き薄き山の緑の深かりし
老鶯の声谺する摩耶の渓
摩耶ケーブル青葉若葉をわけ登る
リフトから見下ろす木々や山法師
更衣終え羊むしゃむしゃ草を食む
摩耶の夜街きらめきて若葉風
初夏の夜眼下きらめく港街
紫陽花の小粒の蕾雨近し
年に一回学生時代の仲の良かった友人達と一緒に一泊旅行をすることにしている。今年は5月10日、11日で、神戸の摩耶山(六甲山地の一峰、標高702メートル)で一泊、
、次の日は六甲山牧場でゆっくり遊んだ。山頂までは、ケーブルカーに乗り、それからリフトで上がる。下から登山する人も多い。山は若葉で覆われ牧場の羊達は、すでに毛を刈られまるまる太り草を食べていた。写真はケーブルから撮ったものだ。すごい急勾配だった。
目に入るものは、湧き立つような青葉と若葉の輝く世界。摩耶山のケーブルが分け行くさ緑の空気が弾むように伝わってきました。親しいお友達との楽しい一泊の旅。六甲牧場での羊たちとの出会い。初夏の旅を存分に楽しまれたと思いました。
今頃の山は青葉若葉で燃え上がるような感じですが、率直に詠われた作者の感動が伝わってきます。濃き薄きに山の情景が見えてきます。佳句です。
紫陽花の小粒の蕾雨近し
紫陽花と言えば雨ですが、小粒の蕾で既に雨が近い。少し俳諧味の感じられる面白い句です。作者の鋭い観察の目が感じられます。いい句です。
人間の眼にとって、緑の色は心を落ち着かせ和やかにしてくれる色。嘗て人類も森の中で生活していた所以ですとか・・。麻耶山の急勾配をケーブルカーでゆったりとどこまでも登れば、新緑の光景が続き、頂上に着いた頃にはすっかり胸の奥まで洗われるます!。「青葉若葉をわけ登る」との語句に、情景と作者の緑に溶け込む心情がとても良く伝わり素敵な一句です。
☆リフトから見下ろす木々や山法師
摩耶山の新緑をリフトから見下ろせば、普段は見ることが出来ない光景が展開されます。低い所から高い所に昇り、違う視線で見る事も「非日常」を経験すると言う、旅の目的でもあります。山法師の真っ白で笠を広げたような花と、周囲の緑が思われ、爽やかで素敵です。
☆初夏の夜眼下きらめく港街
摩耶山の山頂にあるホテルからの眺めのようですね!。100万ドルの港神戸の夜景を眺め、何を友と語られましたか?暑くも寒くも無い爽やかな初夏の夜、しかも神戸の夜景を眼の前とくれば、一瞬にしてロマンチックな女学生のこころに変身ですね!。インフルエンザ騒ぎも早く沈静化し、元気な港街に戻って欲しいものです。
真に親しい友人との一泊旅行。みずみずしい青葉若葉の山中を分け入る時、まさに心躍る時ですね。白い洒落たホテルで微か下界の街明かりを見下ろしながらのとめどないおしゃべりタイムもまた心やすまるひと時ですね。
さゆり様の喜びの様がひしひしと伝わってきます。
それぞれの人生、この歳になるともうなんのてらいもなく、自慢話も愚痴話もなんとなく共有でき、心から打ち解けられる学生時代の友人ってエエーもんですね。
「青葉若葉」の句に嬉しいコメントを頂きまして、有難うございました。まわり,目に入るもの全てが若葉で、ケーブルで登ッて行くのも、若葉の中をどんどん上がっていきました。オゾンがいっぱいって、感じでした。
「みどり」と「紫陽花」の二句に嬉しいコメントをお書き入れ下さって有難うございました。山の木々の緑も濃い薄いがありますね。それらを見ておりますと、山の深まりを感じてまいりました。
「紫陽花」は今頃葉に包まれた小さな粒々の蕾が、雨つまり梅雨を待っているように思われ、「雨近し」としました。拙句にお誉め頂いて嬉しく思います。
「青葉若葉」「山法師」「初夏の夜」の三句に嬉しいコメントをお書き入れ下さって有難うございました。ケーブルで、若葉の中をどんどん昇って行ったのには、御言葉通り、身も心も洗われるようでした。
高い所から下を見ますと、緑の中に、今は桜も終わり、目立つのは、山法師でした。
摩耶山頂からは、神戸の街、港が一望できます。夜景は、今はもう1000万ドルといわれています。
おばさん達7人集まって夜遅くまで喋るの、すごいですよ。でもお酒は入りません。孫自慢、政治、経済,株に詳しい人もいますよ。俳句をする人も私以外にもいますよ。
「葉桜」の句をお取り下さって、嬉しいコメントを頂きまして、有難うございました。みんなに会うと、50年前にタイムスリップした感じ、関西弁も、地方訛りも丸出し、いろいろ夜遅くまで語り合うのは、本当に楽しいものです。
沸き立つような新緑を感じながら、摩耶山を登ってゆく詠み手の感動が伝わってくるようです。好天と良き仲間に恵まれ、楽しい時間を過ごされましたね。きっと百花斉放で、夜のふけるのも忘れての夕べだったことと拝察いたします。
「青葉若葉」の句を好きな句にお選び頂き、嬉しいコメントを頂きまして有難うございました。青葉若菜の中をどんどん登て行きますと、身も心も洗われるように感じました。