![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/24/c038a35e65aac674aed299b68de10de1.jpg)
しばらくのご無沙汰をお許し下さい。京都のあちこちの冬紅葉、湖東三山の散り紅葉を訪ね歩いておりました。小春日和が続いていると思っていましたら、八坂神社の舞台での京舞の寒修行奉納舞のおりは、初雪が舞ってきました。寒おまんなあ! 下手な鉄砲数打ち当たるで詠んだ駄句ばかりです。きびしきご批判をお待ちしています。
流るるは蜘蛛の糸かや雪迎え
→遙かなる記憶に残りし雪迎え (”蜘蛛の糸”は、夏の季語でした。ここに修正いたします)
楽の音は耳に残りて月冴ゆる
八坂から小径抜けおり雪肩に
冬銀河つなぎをる掌のあたたかし
還らざるものかと思ふ冬銀河
冬灯しお帰りなさいのちさき声
夜話(やわ)果つる微笑み交わし酒を酌む
はじめての雪の舞台や女人舞う
冬紅葉光をおさめここに散る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/4e/bb4d7ff75be9f88642a149ba4568617c.jpg)
初雪のひとひらおみなの肩のうえ
冬紅葉さはさりながらまだ紅し
冬紅葉とわに寄り添ふごとくなり
紅葉散る中ゆく君の背に肩に
しばらくお会いしないうちに、辺りはすっかり真冬の
景となりましたね!!。
彼方此方から初雪だよりも聞かれ、庭にわずかに
残る冬紅葉も、上部は散り終り下枝のみがわずかに
寒風にさらされ、しがみ付いています。
ゆらぎ様に措かれましては、京都のどんぐりを集
終わり?すでに冬眠のご準備は終わりましたで
しょうか?
どの御句からも、移りゆく初冬から仲冬の光景を
惜しみながら詠まれ素敵ですが、敢えて下記の句を
選びました。
☆楽の音は耳に残りて月冴ゆる
美しい音楽を聞いた後は、冬の月も冴え冴えと見
えるようですね!!ここでは和琴の音であれば、
尚更趣きを覚えるのですが、実際の音楽はどうで
しょう?
☆八坂から小径抜けおり雪肩に
確かに、八坂神社の奥から横の小径をたどり、鳥居
の前に出れば意外なる森の中を通ります。
奉納舞いを鑑賞し散策しながら戻れば、初雪が
肩口を濡らし始めたようですね。
雪の頃の八坂さんの光景が情緒豊かに詠まれ
素敵です。
「雪肩に」を「肩に雪」とされても名詞の体言止めと
なり、下五の座りが良くなりそうです。
☆還らざるものかと思ふ冬銀河
冬空のお月様、銀河を寒さに震えながら眺めてい
ますと、自身の拠って来たる人生、出会いと別れ
など色々な事が想い出されます。
あの頃は良くも悪くも「若かったな~」との感慨には
とても共感する所です。
☆はじめての雪の舞台や女人舞う
初雪の中を寒修行の奉納舞いとは、如何にも幻想
的な風情ですね?
京都ならではの素晴らしい情緒が想われ、大変素敵
です。
☆冬紅葉光をおさめここに散る
☆冬紅葉とわに寄り添ふごとくなり
あれほど楽しませてくれた冬紅葉も終に、終わりの
時季を迎えた・・・。
もみじのような手と表現されるいろは紅葉の、美しく
小さな綾錦を惜しまれている心情にはとても共感
します。
さて・・・・
☆流るるは蜘蛛の糸かや雪迎え
の御句ですが、「雪迎え」との季語は晩秋から冬の
暖かい小春日和の日に、子蜘蛛が糸を曳きあちこち
に離れて行き、その後に初雪を迎えるとの東北の
言い伝えからの季語ですね?
ところが「蜘蛛の糸」は角川の季寄せには夏の季語
となっており、少し工夫が必要かとも思うのでが・・?
大変僭越ながら如何でしょう?
いつものように相聞句を!!
☆しぐるるや眩しき空を見上げをり
☆彩尽くし時をつくすや散紅葉
☆初雪や女人の舞いの凜とせる
☆天よりの命綱とも雪迎え
☆冬紅葉地獄の彩と散りにけり
冬銀河つなぎをる掌のあたたかし
還らざるものかと思ふ冬銀河
前者は明解に意味を理解出来ます。勿論、奥方の暖かい手ですね。後者は、解釈が複数考えられます。前の句の続きからすると、愛する人と掌をつなぐ幸福なときはいずれかの時に、過去のものとなるのだという晩年の作者の心が見えてきます。前の句と切り離してしまうと、何かの本歌取りかも知れませんが、解釈が難しい。太郎さんの解釈も成立。或いは、永久に変わらない銀河を前にして、己の一生はこのただ一回のみなのかという悲嘆を詠んでいるのかもしれない。
冬紅葉光をおさめここに散る
冬紅葉とわに寄り添ふごとくなり
この句も深読みすると、作者の死生観が見えてきます。特に後者に関しては、例えが良くありませんが、「死後夫婦の遺骨を一緒に混ぜて埋葬する」という言い換えにつながってくる直感を私は持ちました。
いつまでも冬紅葉が続いているかと思えば白いものが降り出し慌ててしまう。今年は暖冬ではなかったのかと。思わぬ四国なんぞに大雪とは、地球が変化を早めている。これまでの常識は通じ無くなっている。しかし、ゆらぎさんの句にはどちらも愛でる心が溢れている。いつでも京都はいいですね。
次の句を頂きました。
楽の音は耳に残りて月冴ゆる
還らざるものかと思ふ冬銀河
冬紅葉光おさめここに散る
六句もおとりいただき、そのうえ的確なコメントとアドバイスを頂戴しありがとうございました。また「冬銀河」の句に共感をいただき、嬉しく思いました。初雪ですが、過ぐる日八坂神社で京舞の奉納寒修行の舞があり、若い友人たちが踊りましたので、写真撮影かたがた見にゆきました。戸外の舞台で舞い始めたときに、雪が一瞬ですが舞いました。寒かったです! ご披露いただいた相聞句では、「天よりの命綱・・・」にことのほか惹かれました。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が頭に浮かんできました。
拙いブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。あまりむつかしい句は詠みませんので何かを感じていただければ幸いです。
四句もおとりいただき、ありがとうございました。さして深くも考えず、ただ詠み散らしたような句に真剣に向かい合っていただき、恐縮の極みです。「冬銀河」ですが、今見ている銀河は明日は、また来年は過ぎ去り違う姿になってしまうという、詠嘆です。そして銀河とは、じつは過ごしてきた人生を重ね合わせたものであります。
「冬紅葉」も、深く読み解いいていただき感謝申し上げます。たしかに、そのような思いかと。
三句も採っていただき、そのうえ心あたたまるコメントをありがとうございました。いろいろ思い入れのある句を並べましたが、わたし自身にとっては、”冬紅葉光をおさめここに散る”が、九分九厘さんご指摘のごとく一種の死生観を内包していて、気に入っております。ただし、”ここに散る”のは、お互いまだまだ先のことでしょうが・・・。
コメントが大変遅くなり申し訳ありませんでした。
なかなか解釈がむずかしいのですが次の3句を頂きました。
還らざるものかと思ふ冬銀河
冬銀河という永遠なるものに対峙するとき、一瞬とも言える人生の様々な場面が次々と現れては消えていき、二度とは巡ってこないだろうという感慨を詠まれたものと解釈しました。
たろうさん、九分九厘さんの解釈と同じですね。
冬紅葉光をおさめここに散る
カットの写真の情景を詠まれたものと思います。一方、栄光の人生を詠まれたものとも解釈できますが、そうであればまだだいぶ早すぎますね。
冬灯しお帰りなさいのちさき声
「ちさき声」がいいです。厳寒の中、暖かい家庭が彷彿としてきます。
三句も採っていただきありがとうございました。「還らざる・・」の句ですが、句意はご指摘のとおりです。今年は、たまたま星や月など天文に詳しい友人とお互いに感興を語り合ったことがありました。何者にも代えがたい時間でした。それが来年はどうなる分かりません。そのことを思いを込めて詠みました。 「冬紅葉」の句は、それほどシリアスなものではありません。友人と冬紅葉を見て、とくに散り紅葉をみて”味わいがあるなあ”と話し合ったことでした。そのことを詠んでみました。