我家の狭庭に、令和の5月の初めに最初に咲いたのが、名も知らない野草であった。花壇の中央に堂々と咲いていたので、図鑑で調べると「十二単衣」という高さ20センチほどの草花であった。薄紫色の花で、写真に見られるように十二単衣を被った多くの人形が重なったような姿をしている。一週間ほどで花は落ちてしまった。続いて咲き出したのが「紫蘭」である。この花は数年前から我が家に入り込み次第に増えてきている。どちらの花も、近所からか或いは直ぐ傍の裏山から種子が飛んできたのであろう。柿若葉・百日紅・躑躅・金木犀などの庭木の緑が鮮やかで素敵な五月である。
雅子皇后十二単衣の令和五月
狭庭にも雅もたらす十二単衣
平安の古しは野にあり十二単衣
七曜を咲きて過ぎゆく十二単衣
誘惑と禁忌のあはひ紫蘭咲く
草に咲く媚のいたはりしらん紫蘭
数え切れぬ躑躅の花に雨滴無量
目に痛い躑躅の赤と補色の叢
紫蘭の花はよく見かけますが、十二単は初めてです。なるほど! 女官の正装を思い起こさせるような趣がありますね。
いろんな句があって詠み手の頭の柔らかさを感じます。その中で次の三句がとくに印象に残りました。
○狭庭にも雅もたらす十二単衣
~まったくそのとおりの感じがあります。
○平安の古しは野にあり十二単衣
~「古し」は、”遠い昔のこと”との解釈があります。十二単の花とよく響き合ってい ます。この句は、私的には一等賞です!
○誘惑と禁忌のあはひ紫蘭咲く
~誘惑あり、禁忌つまり”してはいけないこと”の間ですから、不倫寸前のこと指しておられるのでしょうか? 歳を重ねても、それに憧れのようなものを感じておられるのかも。意味深の句ですね。ちなみに紫蘭の花言葉は”あなたを忘れない”です。
三句を選んで頂き有難うございます。「十二単衣」とは思いもよらない名前でした。我が家には六甲山から持ってきた「紫式部」という低木があります。秋に小さな紫の実をつけます。もっと古典を勉強しなさいと言われているようです。紫蘭の花言葉は知りませんでした。尚更にこの句を、我ながらうまく詠めたと思います。歳を重ねると、妄想と過去の記憶との区別が判然としなくなります。ゆらぎさんの想像におまかせします。
写真を拝見しますと、見たことがありそうな花ですが、十二単衣とは何とも雅な名前を貰ったものですね。紫蘭も躑躅も鮮やかな色合いですね。
いずれの句もフレッシュな句の感じします。
その中から厳選して次の句を頂きました。
平安の古しは野にあり十二単衣
吾庭に平安の雅な姫君がいつの間にか忍びいている。なかなかどうして、公達でないところが、余計にロマンチックに想像されていきます。
草に咲く媚のいたはりしらん紫蘭
あの紫はいたわりを求めているのでしょうか。なかなか想像豊かですね。しらん紫蘭とリフレインも面白いです。
目に痛い躑躅の赤と補色の叢
写真の躑躅は濃い紅色ですが、さぞかしたくさん群生していたのでしょうか。葉の淡い緑により一層引き立っているのがよく見えてきます。
「公達」という言葉でのコメントをいただきましたが、まこと上手な表現で私の小細工を品の良い句にしてもらいました。
「しらん紫蘭」の下は「知らん紫蘭」と遊んでみました。
緑と赤は補色対比になり、絵を描く上では決められた寸法の画紙のなかでのバランス取りが難しいものです。水彩画では特に色を調整するのが難しいとの体験があります。しかし、自然の風景の中にこの補色対比が多く観察されます。おそらく虫や鳥などに都合の良い生息環境を与えるものだと思っています。こうした生の自然をうまく絵画に切り取るすべを、まだ見出していません。銅版画でモノクロの世界で結構楽しんでいるのですが、これも一種の逃避かもしれません。銅版画で彩色するのは一段と難しくなります。目下の私の悩んでいる課題です。
今晩は!!。
この一週間は連日の猛暑日となり、京都も34,2℃まで上がりました。
その間、北海道では盛夏でも無いような39,5℃の所もあり、宇宙船地球号は大丈夫かいな?と心配になる程です。
今日は久し振りに雨の一日となり、やや涼しくなってほっとしています。
さて遅くなり、前置きが長くなってしまいましたが、以下の御句を選ばせて頂きました。
☆雅子皇后十二単衣の令和五月
新帝陛下も5月に即位され、健康が心配されて居ました雅子皇后も行事を笑顔でこなされ、国民は一安心であります。上皇陛下、上皇后陛下のお二人も安堵されている事と想います。皇后陛下の十二単衣も似合っていましたね!!。
☆狭庭にも雅もたらす十二単衣
自宅に庭がある方は、謙遜されて狭庭と言うようです。十二単衣の花と、は小生も初めて知りました。如何にも雅この上ない事です。
☆七曜を咲きて過ぎゆく十二単衣
七曜とは、五星に加え月と日があり天体の星の運行ですね?十二単の咲き継ぐ庭が想われ、悠久の生命が想われます。
☆誘惑と禁忌のあはひ紫蘭咲く
人間の営みは誘惑と禁忌(忌み嫌うこと)の間を迷いながら、足掻き生きているような所がありますね?紫の花は、何故かその人の心中を表わしているようです。
☆目に痛い躑躅の赤と補色の叢
真っ赤な躑躅の色が、みどりに映えて、目が痛い程です。そして山法師などの真っ白な花も、匂い立つほどの五月ですね!!。
さて、例によって最近の拙句をご披露させて頂きます。
☆透けて見ゆこの世疎ましサングラス
☆恥ずかしき匂ひ来たりぬ栗の花
☆桑の実やおもひで遠き母の胸
☆ゆまりせる野辺の畦なり小判草
☆弁慶の頭巾も斯くや山法師
<保津川下りの舟を上流亀岡へ>
☆トラックの舟載せ走り夏兆す
☆緑蔭の葉影踏みつつ散歩かな
五句も選んでいただき有難うございます。
「真っ赤な躑躅の色が、みどりに映えて、目が痛い程です。そして山法師などの真っ白な花も、匂い立つほどの五月ですね」。このコメントに鮮やかな初夏の自然の美しさが凝縮されているようです。コメントをありがとうございます。
たろうさんの句を頂戴します。
桑の実やおもひで遠き母の胸
弁慶の頭巾も斯くや山法師
緑蔭の葉影踏みつつ散歩かな
ホトトギス調の心安らぐ俳句を選びました。詠んでいて気持ちの良い句です。
恥ずかしき匂ひ来たりぬ栗の花
この句が一寸理解できません。栗の花の匂いは知ってはいますが恥ずかしきとは? はて如何なものかと思います。詳しいご御説明は要りません!!