いつも駄句を並べてコメントをお願いしておりますが、それもいささか恐縮と思い今回は俳文をご紹介させていただきます。題して、『みんな俳句が好きだった』著者は内藤好之。朝日新聞学芸部で「朝日俳壇」を担当。ホトトギスの同人。
取り上げた俳句は、その道のプロにして、俳句はアマチュア。そのせいか新鮮に映るものも少なくありません。
”川端康成は、月を詠もうと、中学の寄宿舎の窓側に布団をしいて空を眺め、三島由紀夫は向島百花園の吟行に加わった。フランス留学中、画家仲間と一番鶏が鳴くまで句会にふけったのは浅井忠や和田英作。松本清張は小説に自作の句を織り込んでいる。鈴木真砂女は、自宅が全焼した夜にも俳句を詠み、与謝野晶子や吉川英治は泥棒に入られたことを句にしている。”
”俳句は業余の遊びと割り切る文人がいた半面、芥川龍之介は俳句の他に趣味なし。横光利一は小説に資すると真剣だった。渥美清や夏目雅子は句会を心待ちにした。武原はんは、句会で振るわないと、悔し泣きした。”
そんな愛すべきアマチュア俳人たちの俳句と内藤好之の解説文(多少、手を加えてあります)をご紹介します。
①(我為の五月晴とぞなりにける)~徳川慶喜。
”実に清々しい。この青空は自分のためにあるような気がする。五月晴れの題詠で、虚子の添削の筆が入っている。長い定年後を趣味に生きた。日本画、油絵、写真、書、乗馬、ドライブなどなど。それに俳句が加わったのは最晩年の一、二年のこと。五男の鳥取藩主・池田仲博候の縁で、彼の本邸での句会に招待され、そこに虚子がいた。ところが老公の句は月並み。失礼ながらと、虚子が手直ししたのが掲句だった。老公は、目をつぶったまま、「容易に首肯しなかった」”、と。
注)ゆらぎ思うに。いささか古めかしい。もう少し現代的でからりとした軽妙な句になりませんかね?どなたか一句を!
②(願はくば朧月夜の落椿)~坪内逍遥
”仕事人間だった坪内逍遥の願いは、ぽとっと落ちる椿のように働いている最中に命を終えること。この句の詞書に「六十一になりし時落椿を愛で、”あざやかに咲き誇りたるさながらに落ちて散りたる花椿あはれ”、と詠みしを思ひいでで」とある。折にふれ、時に従っての感懐を、短い詩の形式に盛り、託そうというに過ぎなかったであろう。 逍遥は早稲田大学に文学科を開設。「早稲田文学」を創刊した。1928年には、シェークスピア全集40巻の翻訳を成し遂げた。”
注)ゆらぎ思うに、味わい深い句と感じ入る。
③(山いくつ越えて行くらむ春の雲)~島崎藤村
”おうい雲よ・・・どこまでゆくんだ。」と雲に問いかけた山村暮鳥の名詩を彷彿させる句。藤村には、雲を詠み込んだ詩が多く、「雲の詩人」とも。また散文詩風の長い作品「雲」も残している。「西は入日の上に輝く層雲の黄色、金色なる、南に浮かべる淡黄色を帯びたる、さらには東なる雲ぐもの灰色の薄き紫色とを混じえたる、色彩の変化、発想の豊富、・・・」
若菜集の詩の一つ、「初恋」はあまりにも有名である。
”まだあげ初そめし前髪まへがみの 林檎りんごのもとに見えしとき 前にさしたる花櫛はなぐしの 花ある君と思ひけり・・・”
注)ゆらぎ思うに、雲の行方には作者の憧れの人でもいるのだろうか、とも思わせるロマン溢れる句だ。
④(麦の秋何かうれしきこと待たれ)~平塚らいてう
”らいてうは、女性解放運動家で敗戦後は平和運動シンボル的存在だった。「青鞜」に、らいてうの書いた発刊の辞は、女性の覚醒を促す歴史的文章として有名だ。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。・・・」 新しい女への非難の声は凄まじく、らいてうの家には石が投げ込まれた・・・・ 70歳を過ぎたら、野の花を愛でながら句作をして過ごしたい、月一回の句会にもでたいと、句作三昧の日々を夢見ていた。
注)ゆらぎ思うに、掲句は、そんな日々を夢見たらいてうの心を表しているようだ。
⑤(白粉の残りていたる寒さかな)~中村吉右衛門
”化粧をすっかり落としたつもりだったが、まだ顎のあたりに残っていた。すっきりしないはずだ。役から抜けきれない、中途半端な気分、寒さが身にしみる。初代吉右衛門は名家名門の出ではなかったが、六代目尾上菊五郎とともに市村座で活躍。昭和に入ると円熟味を加え、吉右衛門一座を組織した。「科白(せりふ)まわしで、天下を取った」といわれた活殺自在の名調子。
行きつけの修善寺の宿の大女将が高浜虚子の夫人いとさんの同級生だったことから、宿にきた虚子と知り合い、門下になった。「破れ蓮の動くを見てもせりふかな」と普段の生活の中にも役者根性がはみ出ているのがわかって面白い。虚子は、「どの句もわかりやすく、情景がくっきり浮かぶと。
”京が好きこの秋雨の音も好き”
句会で自分の句が採られて披講されると、「きちえもん」と嬉しそうに名乗ったという。
注)ゆらぎ思うに。この人の句は、素直でいいなあと思う。ちなみに二代目吉右衛門は大好きな俳優の一人。
⑥(飯うつすにほひに秋を好みけり」~岸田劉生
”劉生は、娘の麗子や村娘お松の肖像画で知られる洋画家。・・・羽釜で炊いたご飯をお櫃に移す、湯気の中で粒だった米が輝き、えもいわれぬ匂いが立ち込める。新米ならなおのこと。作者は嗅覚から秋を感じている。
神奈川県鵠沼で関東大震災にあい、京都に引っ越した。なぜか人が変わったように酒を痛飲、茶屋遊びに明け暮れる。それから二年半して鎌倉に転居後は、遊蕩を反省している。「来年からは、遊ぶまいと思う。そしてサビを楽しもう。いろいろ勉強したい。書、南画、詩、俳諧など。その翌年のホトトギスの雑詠欄には、いくつもの句が入選した。
”春風やいくともなしに長谷の寺”
注)ゆらぎ思うに。匂いに秋を感じる、というのは出色の表現だ。作者の繊細な感覚には恐れ入る。
⑦(露しげき嵯峨に住み侘ぶ一比丘尼」~高岡智照尼
”作務衣に身を包み、竹箒で草庵の庭を掃く。剃髪前のあれこれが浮かぶ。はたしてあれは現実か。露みたいなもんではないのか。作者は大徳寺塔頭の祇王寺庵主を長く務めた。大阪に生まれ、38歳の時に出家。私生児として生まれ、起伏の激しい人生だった。「舞妓・芸者にも、妾にも、映画女優にも。人妻にも、酒場のマダムになりきれず、若い燕との愛の巣にも敗れ、ついには頭をまるめる」
33歳の時、生まれて初めて俳句を詠んだ。「羽子板の大一番やふきざらし」が、ホトトギスの虚子選に入った。出家後は俳句から、遠ざかったが、祇王寺の庵の復興がなった頃から句作を再開した。
”身の秋や仏に甘えたき心”
90歳を過ぎての実感を日記に書きつけた。 ”短夜は人生たった九十年” ”奔放に生きし過去はも遠花火”
注)ゆらぎ思うに。祇王寺は、苔と緑の木立の美しいところである。再三、足を運んだ。でも、男には坊主になって、籠もるような小ぶりの寺があるのだろうか。似合わぬことか、と。(笑)
⑧(囚われの幾日そばだつ雲の峰」~秋山牧車
今回10名のアマチュアの句を取り上げたが、みんななにかしら馴染みのある人ではある。しかし、この秋山牧車という人の名前は知らなかった。しかも陸軍軍人である。ではあるが、その考えるところには深い共感を覚えたので、あえて取りり上げることにした。 加藤楸邨の「寒雷」の俳人。
”ここはフィリピン・ルソン島のカルバン収容所。敗戦の昭和20年秋。丈高き入道雲が地を圧する。いつまでここにいるのか。我が身はどうなるのか。収容所には、山下奉文大将も入っていた。牧車は、加藤楸邨の「寒雷」の俳人。終戦に一年前に軍の報道部長を命じられ、マニラに飛んだ。だが、敗色濃厚。ゲリラや米軍の攻撃に苦しめられ、兵士のみならず従軍記者、従軍作家も次々に倒れる。そんな中でも句会を開き、幾千の蛍の集まる木を愛でる。
”密林の句座黙すとき燭ゆらぐ”
デング熱や血便にも悩まされたがついに停戦。悔し泣き。停戦後もガリ版の新聞を出し続ける。「自決するな、切込みをやめよ、我らは祖国再興のちからなり」、と。 句集「山岳州」の後書きには次の言葉があった。「あの惨憺たる境涯を生き抜くことができたのは、・・・部下の力によること勿論であるが、物を見、事を思い、自らを省みるという俳句の心を忘れなかったことが、不十分ながら精神の平静を保ち得た強い原動力であったと考え、俳句は命の親であったと信じている」
注)この句の背景を思う時、秋山牧車の思いは、深々と心に染み入って来る。俳句に、こんな力があったのか、と思うと、徒や疎かに戯れ句は詠めない
注)ゆらぎ思うに。余談であるが、山下奉文(ともゆき)が死刑になる直前に遺言として残した4か条には胸を打たれる。
⑨(つくばひに水の溢るる端居かな)~小津安二郎
”坪庭の手水鉢には、掛樋から水が注ぎ、溢れ出していく。座敷の縁近くに座を占めて眺めていると、身の内を涼風の吹き渡る思いがする。作者は、「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋刀魚の味」などを残した、世界的な映画監督。日記によれば、掲句は、昭和9年7月、東京・田端の料亭に招かれた時の作。静謐感に満ちた小津映画そのままの世界である。
小津映画といえば、何よりローポジション。「畳の上で暮らす日本人の視線にふさわしい」と、床からわずか数十センチのところにカメラを据えて仰ぐように撮影する。その結果、静かな画面とゆったりしたテンポの、独特の小津調が生まれた。小津映画は、定形の枷の中で表現する俳句にも似ているといえる。小津語録・・・「七分目か八分目を見せておいて、その見えないところがもののあわれにならないだろうか」
色彩豊かな蕪村の句を好んだ。茅ヶ崎や蓼科にこもり、盟友の野田高悟氏と脚本を練るのに疲れると、蕪村の句の「暗誦合戦」をした。映画人から初の芸術院会員に選ばれた。
”春の雪石の仏にさはりきゆ”
注)ゆらぎ思うに。句は端正にして、しかも情感が感じられる。
⑩(あじさいや涙もろきは母に似て)~中西龍
”かつて、毎夜9時45分。NHKラジオから、「赤とんぼ」の調べに乗って、次のようなナレーションが流れた。「うたに思い出が寄り添い、思い出にうたは語りかけ、そのようにして歳月はしずかに流れてゆきます。こんばんは・・・」 詠うような哀調を帯びた独特の節回し、「中西節」だ。毎日待ちかねるフアンが全国に大勢いた。「楷書」でしゃべるNHKのアナウンサーの中では異色、というより異端だった。原稿は自分で書き、放送作家任せにしなかった。番組の内容が聴取者の心の襞に静かにはいり、心に漣が立つようにするには、どうしたらいいか。そこで考えたのが、「美しい夢を、詩心を」盛り込むことだった。そこで最短詩形の俳句を活用するのが、一番いいとなった。時には自作の句も披露した。
”おじぎ草微燻の友となりにけり”
”山茶花のくれない散るや遠き恋”
伝説的な逸話がある。初任地の熊本には、白絣の着流しで着任した。鹿児島局での高校野球の実況では、試合の進行中、事前に調べた選手の生い立ちを延々と喋った。そして、「そうこう申しておりますうちに、金子君はいつ間にやら一塁に」といった調子。
注)ゆらぎ思うに。こんな人間的なアナウンサーは、今はいないだろうなあ。飾り気のない句には魅力を感ずる。
~~~~~~~~~~~~~~
と、いうような訳で、全100句より精選した10句をお届けしました。みなさんは、いかが感じられたでしょうか。いわゆる花鳥諷詠的な句はありませんが、その時々の思いをこめて詠まれた句には惹きつけられました。その道のプロによるアマチュアの句は、いいですね。
お早う御座います!!。
中国地方から近畿地方にかけ、梅雨入りが未だ足踏み状態となって居ますが、如何お過ごしでしょう?
先ず、「みんな俳句が好きだった」と題して、各界著名人のエピソードも採り入れ大変な力作に敬意を表します。コメントが遅くなり、失礼致しました。
世の中に、「一芸に秀でることは多芸に秀でることにつながる」とも云われ、専門俳句作家では無くてもその道に通じている人は、俳句の要諦をしっかり把握しているようです。
万葉の古より、日本人は日常生活の中に詩歌をとり入れ、情感豊かに過ごして来ました。その為、著名な人ばかりではなく古歌にも「詠み人知らず」の大変優れた作品も多くあったようです。
又明治以降の小説家の中にも多く居て、夏目漱石などは余りにも有名ですね?
さて、力作によりご紹介頂きました中での好みの作品と作者をあげてみたいと存じます。
③山いくつ越えて行くらむ春の雪/島崎藤村
島崎藤村は有名な「椰子の実」、等の歌も多く、日本人に中に広く名前が膾炙して居り情緒溢れる句が良いですね?
⑤白粉の残りていたる寒さかな/中村吉右衛門
俳句の題材は何処にでもあり、身近な題材も積極的に取り上げるべきであるとの典型的な見本のようです。そこが良いですね?舞台が終わって、化粧落としの間の安堵による一抹の寒さを感じています。
⑥飯うつすにほひに秋を好みけり/岸田劉生
炊きあがった飯を、お櫃に移し変えています。仄かに香るご飯の匂いに秋を感じています。画家らしい繊細な観察が素晴らしいですね?
⑧囚われの幾日そばだつ雲の峰/秋山牧車
嘗て観た映画、「南の島に雪が降る」を一瞬想起しました。劣悪な環境の南方の島に収容されながら、それでも冷静に周囲を見渡し詩歌も残す日本軍人の知性を強く感じます。
⑨つくばひに水の溢るる端居かな
春の雪石の仏にさはりきゆ/小津安二郎
やはり、ホトトギス作家にも劣らないこの小津安二郎の作品に惹かれます。すべてを述べず、読む人に想像力を喚起させる手法は小津映画の手法にも通じていて、奥深さと余韻にあふれています。
さて、例によって最近の小生の拙句を少しご披露!!。
☆梅雨冷やしきりに見たる父の夢
☆放蕩の甘く誘ふ太宰の忌
☆胡瓜生る夕日に花をつけながら
☆君逝きて早やも十年枇杷熟るる
☆白鷺の舞ひ翔つ夕の田道かな
拙文に丁寧なコメントを頂き恐縮です。ありがとうございました。いわゆるプロの俳人の句よりも、私自身は、かえってアマチュアの句に親しみを感じております。いたずらに技巧に走らず、かえってのびやかに情感をそれとはなく感じさせるものが少なくないですね。
たろうさんも選ばれた小津安二郎の”つくばひに水の溢るる端居かな”、はその最たるもので気に入っています。
たろうさんの御句からは、次の二句を頂戴いたします。
”胡瓜生まる夕日に花をつけながら”
”君逝きてはやも十年枇杷熟るる”
~びわの花言葉に「愛の記憶」というのがあります。そこに思いが至る時 、この句の深みを感じました。
コメントが大変遅れてしまい失礼しました。
今回はなかなか面白い試みです。さすが守備範囲の広いゆらぎさんの投稿です。感心しました。
いずれのプロの俳句も味わいがありますね。敢えてその中から厳選しました。以下の通りです。
願はくば朧月夜の落椿 坪内逍遥
人生を透徹した深い思いが感じられ、逍遥の端正な生き様が想像されます。
白粉の残りていたる寒さかな 中村吉右衛門
白粉の「白」と「寒さ」響き合い、作者が言わんとするところが際立っています。今日の演目が終わり、白粉を取って楽屋から外に出たところ、「おっと」寒いなと思わず首に手をやれば、まだ白粉が少し残っていた。いかにも手慣れた旨い俳句ですね。
春風やいくともなしに長谷の寺 岸田劉生
春になって少し心が浮き立つ微妙な瞬間がとらえられている、感性鋭い一句です。
囚われの幾日そばだつ雲の峰 秋山牧車
先が分からない不安な気持ちと、窓から見える入道雲、日本で見たものと同じだが、あの雲の峰を越えれば祖国なのに、いつ帰れるのだろうかと不安と願望がないまぜになった身につまされる一句です。
密林の句座黙すとき燭ゆらぐ 秋山牧車
ミステリと緊張感が伝わってきます。
つくばひに水の溢るる端居かな 津安二郎
静かな日本情緒満点です。
あじさいや涙もろきは母に似て 中西龍
母に似なくとも近頃は涙腺が随分緩くなりました。
ブログ(中国について)の引き続いて、長文の俳文をお読み頂き恐縮です。丁寧なコメントありがとうございました。
このところ句作の意欲もなかなか盛り上がらず、己自身にとっての刺激にもなればと、とりあげた次第です。じつは、この本は6年以上まえの春に、長山あやさんから頂戴したものです。俳句の専門家の詠んだ句よりも、アマチュアの句の方に、かえって詠み手の人間性が顕れて興味深く、また心惹かれるものがありました。
龍峰さんが、取り上げられた句は、小生も同様な感想をいだきました。とくに秋山牧車の句に目を向けていただき、嬉しく想いました。
のでしょう。次の二句を頂戴します。
願はくば朧月夜の落椿 坪内逍遥
麦の秋何かうれしきこと待たれ 平塚らいてう
すぐそばにある自分の思いに手を伸ばしている。そうした作者の気持ちにそっと寄り添ってあげたくなるような気持ちにさせる、そのような句です。
いつもと違う俳文を書いて失礼しました。少しは、俳句を詠んでみようかという気になられたら嬉しいです。私自身、いわゆるプロの俳人の句は手練れとは感じても、親しみを感じるものが少ないので、かえってこの本に紹介されている句には親しみを覚えました。
これは、何年もまえのことになりますが、あやあんから頂きました。必ずしも、ホトトギス調ではない句を紹介することを退けない、ホトトギスの懐の深さのようなものを感じたしだいです。