吉野なる山の辺の道余花求め
余花一枝鐘声至る吉野山
きざはしを上がれば飛騨は柿若葉
青楓(かえで)心の窓に投げ入れむ
~~~~~~~~~~~~~~~
つたない句はさておき、たまには俳句鑑賞といきましょう。今日は、プロフェッショナルの俳人ではなく作家の江国滋の句をいくつかご紹介します。江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家にしてエッセイスト、そして俳人でもある。俳号は滋酔郎。
”おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 ”
”ものの芽やひとにやさしくしたくなり”
俳句についての、楽しいエッセイの中のひとつに『俳句旅行とあそぶ法』(朝日文庫)という本がある。鷹羽狩行もおすすめの本である。その中の一文を。
”まず作ることである。句のよしあしなぞ気にすることはない。だいいち、あなた、よしあしを言えた身分ですか。はじめて作るというのに、よしあしなぞを口にするのは僭越というんものである。結果なんぞは考えないで、やみくもにとりかかることが先決である。なに簡単なものよ。旅先で目についたものを一つ、季語を一つ、あとは「かな」でも「けり」でも好きな結びをひとつ。原材料としては、それだけで十分なんだから・・・・”
ということで江国先生は、飛騨高山に足を伸ばした。『俳句旅行のすすめ』の中の
「飛騨を詠みに」というエッセイが楽しい。
”飛騨高山は、何度でもいきたい数少ない土地の一つである。とくに初夏の高山がいい。重畳たる山々にかこまれた高山は、冬が長いかわりに、春と初夏がいっぺんにやってくる。むせ返るような新緑のあいだには、梅と桜と桃と李と辛夷が思い思いに咲き誇って、百花斉放とはこのことか、と思う。長い冬に耐えた人間に対する天のご褒美が、こ美しい自然となって一気に現出するのだろうか。・・・
繚乱の飛騨路すみずみまでの初夏
贅沢をきわめる百花百草に呼応して、街をつらぬく宮川の水が、ひときわ澄み渡るのもこの季節である。京都の加茂川に擬せられるこの川の、おだやかな表情が素晴らしい。そうして、その宮川の東を流れる江名古(えなご)川にかかるたくさんの橋の名前がまた忘れがたい。
桔梗、小桜、千鳥、小柳、錦、宝・・・・。
これがみんな橋の名前なのである。なんだか大昔の吉原の花魁の源氏名を連想させるような色っぽいネーミングぞろいだが、ほかに助六、愛宕、東などという橋もある。”
花魁てふキャリアウーマンしゃがの花
ギャル闊歩みたらしだんご春の昼
朝曇りたるべし河畔の朝市は
朝市もぴんからきりや紫蘇五束
風薫る温故知新をいふことば
こんな肩のこらない、軽妙洒脱な句もいいものですね。高山は私にとっても好きなスポットです。定宿のような小さい宿があって気が向くと訪れる。そんなこともあって、ここに載せた滋酔郎の句をことのほか気に入っています。
余花一枝鐘声至る吉野山
きざはしを上がれば飛騨は柿若葉
青楓(かえで)心の窓に投げ入れむ
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つたない句はさておき、たまには俳句鑑賞といきましょう。今日は、プロフェッショナルの俳人ではなく作家の江国滋の句をいくつかご紹介します。江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家にしてエッセイスト、そして俳人でもある。俳号は滋酔郎。
”おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 ”
”ものの芽やひとにやさしくしたくなり”
俳句についての、楽しいエッセイの中のひとつに『俳句旅行とあそぶ法』(朝日文庫)という本がある。鷹羽狩行もおすすめの本である。その中の一文を。
”まず作ることである。句のよしあしなぞ気にすることはない。だいいち、あなた、よしあしを言えた身分ですか。はじめて作るというのに、よしあしなぞを口にするのは僭越というんものである。結果なんぞは考えないで、やみくもにとりかかることが先決である。なに簡単なものよ。旅先で目についたものを一つ、季語を一つ、あとは「かな」でも「けり」でも好きな結びをひとつ。原材料としては、それだけで十分なんだから・・・・”
ということで江国先生は、飛騨高山に足を伸ばした。『俳句旅行のすすめ』の中の
「飛騨を詠みに」というエッセイが楽しい。
”飛騨高山は、何度でもいきたい数少ない土地の一つである。とくに初夏の高山がいい。重畳たる山々にかこまれた高山は、冬が長いかわりに、春と初夏がいっぺんにやってくる。むせ返るような新緑のあいだには、梅と桜と桃と李と辛夷が思い思いに咲き誇って、百花斉放とはこのことか、と思う。長い冬に耐えた人間に対する天のご褒美が、こ美しい自然となって一気に現出するのだろうか。・・・
繚乱の飛騨路すみずみまでの初夏
贅沢をきわめる百花百草に呼応して、街をつらぬく宮川の水が、ひときわ澄み渡るのもこの季節である。京都の加茂川に擬せられるこの川の、おだやかな表情が素晴らしい。そうして、その宮川の東を流れる江名古(えなご)川にかかるたくさんの橋の名前がまた忘れがたい。
桔梗、小桜、千鳥、小柳、錦、宝・・・・。
これがみんな橋の名前なのである。なんだか大昔の吉原の花魁の源氏名を連想させるような色っぽいネーミングぞろいだが、ほかに助六、愛宕、東などという橋もある。”
花魁てふキャリアウーマンしゃがの花
ギャル闊歩みたらしだんご春の昼
朝曇りたるべし河畔の朝市は
朝市もぴんからきりや紫蘇五束
風薫る温故知新をいふことば
こんな肩のこらない、軽妙洒脱な句もいいものですね。高山は私にとっても好きなスポットです。定宿のような小さい宿があって気が向くと訪れる。そんなこともあって、ここに載せた滋酔郎の句をことのほか気に入っています。
江国滋は癌で亡くなった。しかし、自分の病気と最後まで冷静に対峙し、俳句に詠んで付き合った。心の中は兎も角なかなか出来ないこと。
高山はこの2月に奥飛騨の途中に寄った。ゆらぎさんと同じく日本の古さが残る数少ない街である。何日もほっつき歩きたい所です。
いい本をご紹介有り難う御座いました。
桜の名所なる吉野山に余花を求めて出会ったときの作者の感動が伝わってくるように思います。
きざはしを上がれば飛騨は柿若葉
飛騨高山のどこかのお寺に寄られたのでしょうか。石段を登ればそこにきらきらと輝く柿若葉に出会った作者の清々しい気持ちが読み取れます。
「滋酔郎」の肩の凝らない素敵な句をご紹介下さって有難うございました。学ぶべきことが、書かれておりました。
吉野なる山の辺の道余花求め
余花一枝鐘声至る吉野山
きざはしを上がれば飛騨は柿若葉
青楓(かえで)心の窓に投げ入れむ
4句ともお世辞ではなく、旅吟としてとてもいいお句だと思います。
前の2句は吉野の桜を盛りを過ぎた今求めて歩いておられる静かな雰囲気が感じられます。この鐘は夕刻の鐘でしょうか?それとも朝の鐘でしょうか?
後の2句は場所を変えて飛騨高山の今を詠まれているお句ですね。まだ経験したことがありませんが、雪国の春こそ輝きが素晴らしいと思います。柿若葉のあの柔らかいさ緑、そして、青楓のあの瑞々しさを「心の窓に投げ入れむ」と詠まれて、その感動の様子がよく伝わります。
これだけでも充分でしたが、江国慈の俳句についてご紹介頂き、こちらも大変楽しませて頂きましたが、書き出すと長くなりそうなので、今夜はここで失礼致します。明日また続きを御送りします。
「余花」なる季題はとても、難しいですね。今頃にはここら辺りでは見当たりません。やはり吉野に行ってはこその句になりますね。この句、なんとなく硬い感じの句ですが、厳かで、身を正すような雰囲気です。
きざはしを上がれば飛騨は柿若葉
柿若葉の初々しさは見事なものです。飛騨高山は考えてみると、信州旅行の要所で、真ん中にあるような気がします。いままで都合三回行っていますがそのたびに、傍に好きなほとがいるものですから、みたらし団子を食べています。質素な素朴な食べ物です。
早速お目通しいただき、ありがとうございました。ユーモアと時にはペーソスのあふれる江国滋の句はいいですね。そのエッセイともども気に入っています。最近のプロフェショナルな俳人のものより親近感を感じます。
つたない句を2句もとりあげていただき、ありがとうございました。
吉野山は、桜のときだけでなく、新緑の候も素晴らしいものがあります。でも余花には、なかなかであえません。江国滋の句を気に入っていただいたようで、嬉しく思います。
江国滋と言えば、俳句を始めてしばらくした頃に、タイトルの本を手にして大笑いして読んだ覚えがあります。日々衰える記憶を辿れば、確か東京柳句会という句会の20周年記念吟行で、バリ島に行った時の話を皮切りに、その他色々面白い海外の吟行記録がありましたが、最後に俳人沢木欣一団長の率いるアメリカはサンフランシスコでの日米俳句シンポジウムに参加するのが主な目的の、アメリカ西海岸の8日間の旅の話が印象に残っています。
江国氏は俳句とHAIKUとは全然違うし、俳句の英訳などできっこないという考えを頑固なまでに持っていたのですが、その後色々な人と出会い、英語を母国語とする熱心なHAIKU poetのHAIKUに接したり、参加したシンポジウムの重要な働き手で、俳句の国際化に尽力している佐藤和夫という大学関係の人との交流などを経て次第にその考えを変えていくようになります。その心理過程がなかなか面白く語られていたように思います。
私自身は俳句とHAIKU は違ってもそれぞれのよさを味わえばいいと思います。翻訳もする人によって違うのは他の文学作品にも言えることですから、俳句だけの翻訳を問題にするのはおかしいと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、ゆらぎ様がご紹介の彼の俳句は彼らしい人柄の出た俳句ですね。彼自身言っているように彼は俳諧の「諧」を基調とした人事句や挨拶句が得意だそうです。 次の2句に特にそれを感じます。
☆花魁てふキャリアウーマンしゃがの花
花魁も今風に言えばキャリアウーマンだったのですね。地味な「しゃがの花」で結んでいるのが何か意味深いですね。
☆ギャル闊歩みたらしだんご春の昼
現代の若い女性の風俗と「みたらしだんご」がいい取り合わせだと思います。
☆朝市もぴんからきりや紫蘇五束
俳諧味の感じられる句だと思います。
" おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 ”
”ものの芽やひとにやさしくしたくなり
しんみりさせる句だと思います。
最後に、花鳥諷詠の次の句が飛騨高山の初夏を鮮やかに伝えている句だと思いました。「すみずみまでの初夏」に痺れました。
☆繚乱の飛騨路すみずみまでの初夏
以上、長いコメントにお付き合い下さいまして有難うございます。俳句について色々考える機会を与えていただいたことに感謝です。
つたない句に嬉しくも過分なコメントをいただき、ありがとうございました。
吉野山は、桜の季節以外でも素敵なとことろです。新緑の頃、紅葉の頃。ことに一泊位してゆっくり過ごすにもいいところです。芭蕉も「笈の小文」で云っています。”よしのの花に三日とどまりて・・・”
「余花」と「柿若葉」の2句を選んでいただき、ありがとうございます。すこし生真面目な句になってしまいました。
余花は、本当に探すのが一苦労ですね。山にでかけないと見当たりません。高山は、3回も行かれましたか。私たちも気に入っていて、まだ飽きたということがありません。上三乃町などそぞろ歩きにいいところがあちこちにありますね。みたらし団子、うまそうですね!
江国滋のことについて、書いていただきありがとうございました。「HAIKU]のことなど興味深く読ませていただきました。最近『虚子百句』の英訳を手にしましたが、俳句を国際的なものにしようとの努力が関係者によって続けられているようですね。しかし海外の人たちに分からせるのは、至難の業でしょう。英訳された句に注釈文がなければことにむつかしいと思います。ショート・ポエムとして別な形で理解されるように思います。いちど外国の方に直接聞いてみたいですね。
おえらびいただいた滋酔郎の句では、「繚乱の飛騨路・・・」が私も気に入っております。同感です。丁寧なコメントを書いていただきありがとうございました。重ねてお礼申し上げます。