10月7日連泊のリューデスハイムを出発、バスで二時間足らずでハイデルベルグに到着。今回の旅行で是非行ってみたいと思っていたところの一つです。私は大学の4年間を寮で過ごしましたが、寮歌に<ハイデルブルグの学び舎>というのがあり、酒を飲んでは大声で歌ったものです。特に文学部や医学部の先輩たちは、この地を聖地の如くあがめていましたので、一体全体どんな所か、それ以来一度行ってみたいと念願していたわけです。半世紀以上も前の話です。1386年に創設されたドイツでは最古の大学で、町全体が大学となっていて、人口13万人のうち学生が3万人といいます。第二次世界大戦では日本の京都や奈良の如く、連合軍の爆撃対象から外されたそうです。古い街並みの、期待に違わずのハイデルブルグでしたが、それはむしろ青春の回顧のなせる仕業だと思いました。
学び舎の古き伝えや色落葉
秋去るに哲学の道歩くべし
黄葉の照りに華やぐ古き城
青春に還る道筋秋惜しむ
ライン河の支流ネッカー川に架かっている、とても美しいアルテ橋から散策を始めたました。町の中央に70~80m四方くらいの小さな大学広場があります。その周りに創設期の建物群があって、その一つに創立の式典を行ったという校舎がありました。この建物が空中廊下で裏の建物につながっています。裏の建物は学生牢と称して、悪さをした学生を閉じ込める牢屋で、三日間水とパンだけの罰が与えられたそうです。反省がないと最長2週間閉じ込められるそうです。ただし授業だけは受けられたそうです。ドイツの大学は昔から牢屋を併設することが決まりとなっていたそうで、つい戦後になってから廃止されたそうです。この牢屋に入ると箔がつくというので、ひっきりなしに悪さが起こったという事で、どうやら日本の旧制高校の<ばんから>もここが発祥の地のようです。この広場の一角に創設の最初につくられた学科の建物があります。ガイドの説明によると、<音楽史学科>教室だそうです。一寸首をひねったものの、そうなんでしょう。別の通りには音楽家のシューマンの下宿がありました。2年間法律を勉強していたが、主任教授の助言によって音楽家への転向を決めたそうです。本当に弁護士なんかにならなくて良かった!
町の散策のあとは、岡の上にある今は廃城となっているハイデルベルグ城に登ったのですが、ここから眺める町の光景はまさに絶景でした。
冒頭の写真は、ハイデルベルグの城から街を見下ろしたものです。天気が良くていい写真が撮れました。小さく写っているのがカールテオドール橋(アルテ橋)で、川向うに理工系の建物があります。
終わりにある写真は、当日の晩に泊まった古城ホテルです。左手の真っ赤な小さな木は、マルバノキ(マンサク科)です。六甲山の森林公園や高山植物園でお馴染みの木です。こん場所で紅葉になっているのだ!と懐かしく思った次第です。
コメント有難うございます。ゲーテが見た、橋の上での世界一美しい夕日をみる機会がありませんでしたが、その情景を想像することが出来ます。この美しいアルト橋は第二次世界大戦の時、ドイツ軍が撤退する時に連合軍の侵攻を遅らせるために自分で爆破させたそうです。ドイツでは戦争であちらこちらの建物が爆撃でやられていますが、この半世紀の間殆どが修復されています。こうした繰り返しの歴史を人間世界は経験しているのですね。
詠み手の心情を深く読みほぐして頂き感謝です。こうして拙句の解を通して俳句の相互理解を深めさせていただくことに改めて、句作の良さを教えて頂いております。有難うございました。「青春に還る」とはこれからさらに長生きをするという宣言のつもりですので、今後とも長いおつきあいをお願いいたします。
あの哲学道を歩かれた由。私も時間があれば歩きたかったです。ネッカー河の対岸には豪勢な別荘が立ち並んでいました。20世紀の初めころにロシアの富豪たちが競って別荘を建てたそうです。その後、革命で人手に渡ったそうですが、今頃またロシア人が増えているのかも知れません。コメントを有難うございました。
憧れの地に立たれた感激がどの句からも伝わってきます。この中から敢えて一句を選べばこの句かと思いました。街の雰囲気と思いが一瞬に解け合っているように感じられます。
ネッカー川の架かるあの橋で思い出しましたが、かのゲーテは橋の上から見る夕日は世界一美しいと言ったとか。九分九厘様は如何でしたか。
当方のパソコンの調子が悪くなり、3日間通信不能になり失礼しました。
秋去るに哲学の道歩くべし
黄葉の照りに華やぐ古き城
青春に還る道筋秋惜しむ
四捨五入様同様、御句を全て選びましたが、これだけの内容を九分九厘様の思い入れも多々ある中、大変推敲されエッセンスの句に凝縮されていて佳吟ばかりと思います。日本の秋と違うとは言え、同じように歴史と季節があり自己の主観ばかりに流される事なく、淡々と詠まれていて、返ってそれが読者の胸に響くように感じました。特に「青春に還る道筋秋惜しむ」の御句は、今回の九分九厘様の旅行の目的でもあり、結果でもあってその事を象徴する、紀行俳句の秀吟ですね!
秋去るに哲学の道歩くべし
黄葉の照りに華やぐ古き城
青春に還る道筋秋惜しむ
いずれの句もドイツ紀行を飾るにふさわしい素敵な句と思います。固有名詞の入っていないのがかえってよいのでしょう。
私もハイデルベルクを訪れたことがありますが、ガイドなしの駆け足通過だったので、九分九厘さんの旅行記を読んで、「へー、そんなことあったの!」と驚いたり喜んだりしております。
哲学の道は上り坂が続くせいか、観光客はまばらで、静かでした。足下にネッカー河が流れ、対岸の旧市街と山の中腹の古城がよく見えました。当時は俳句のハの字も知らなかったのですが、ちょっと俳句には詠みにくいような気がします。
コメントありがとうございます。ハイデルベルグの街から山を登ると途中に「哲学の道」なるものがあるとガイドに聞きました。山麓の深い森の中の道で、城壁から下を覗いてみると下の方に見えました。京都とハイデルグのどちらがオリジナルな「哲学の道」なのか分かりません。ゲーテはハイデルベルグ大学は出てないそうですが、たびたびこの町を訪ねていたそうです。ネーッカ河の橋の傍に「河鱒亭」なるところがあるのですが、ゲーテがかつての宿であったこの店で満員で泊まりを断られたという話が残っております。この店の創立が1717年といいます。ゲーテがこの道を歩いたかどうか聞き損ねました。
我が青春の回顧の句にお褒めのコメントをありがとうございました。俳句は現在の生の喜びを詠むべしとどこかの本で読んだのですが、ついついこうゆう風になってしまいます。懐旧の念に浸るのも未来へのエネルギーの源泉になるものと思っております。
ノイシュバン・シュタイン城も訪れました。話に聞いていたのですが素晴らしいお城でした。今回のブログに投稿いたしますので、また御批評をください。
拙句に暖かいコメントありがとうございます。今回は予期せずの黄葉期に遭遇して大変ハッピーでした。ドイツでこんなに天気に恵まれるのも珍しいとは、ベテランの添乗員の言葉でした。一度黄葉期を狙ってぜひとも行かれることをお勧めします。やまももさんなら数え切れないほどの句が出来るでしょう。私は観光が終わってホテルのベッドでほろ酔い気分で句を考えていたのですが、知らぬ間に寝ていたというのが実情でした。
秋去るに哲学の道歩くべし
青春に還る道筋秋惜しむ
ー九分九厘さんの高揚した気持ちが伝わってきて、みんないい句ですね。ハイデルベルグは、行ったことがありませんが、なにか懐かしい気持ちになります。それは、映画「アルト・ハイデルベルク」、ミュージカル「学生王子」の影響かもしれません。マリオ・ランツアのあの絶唱”わが心に君深く”や学生「Gaudeamus」
を思わずくちずさみました。
それにしても、「哲学の道」がさらりと取り入れてあるのは、多感な青春の日々を京都で送られた大兄ならではのことです。
マルバノキが出てきたのには、驚きました。いい思い出になりましたね。旅日記、楽しませていただきました。
有名な戯曲「アルト・ハイデルベルク」の町を訪ねられたのですね。それもネッカー川の対岸から橋を渡って町へ入る散策をされるなど贅沢な旅ですね。お写真に美しい大学町の姿が偲ばれます。
”学び舎の古き伝えや色落葉”
”秋去るに哲学の道歩くべし”
”青春に還る道筋秋惜しむ”
学び舎には特別の郷愁を感じるものだと思いますが、九厘様はここで、御自分の学生時代を思い起こされたことと思います。殊に「哲学の道歩くべし」にそのお気持ちが感じられます。
”青春に還る道筋秋惜しむ”
これはハイデルベルクに一番相応しいお句だと思いました。
また、海外を旅していて、日本で見かける植物などに遇うと何か懐かしい気かします。マルバの紅葉とても綺麗ですね。黄色い葉の大きな樹木は何ですか?
因みに昔の私のドイツへの旅はは中世街道をバスで北上しながら、ミュンヘン、フランクフルト、ローテンブルクなどを訪れました。それに地理的にはどの位置か忘れてしまいましたが、かの有名なノイシュバン・シュタイン城も訪れました。夏でしたが、中世街道を走っている時、バスの窓から向こうに見えるシュバルツ・ワルトが印象的でした。
懐かしい昔の旅を思い出させていただき、有難うございます。
秋去るに哲学の道歩くべし
ご夫婦で素晴しいドイツの旅を終えられたこと、文章から写真から伝わってまいりました。
ハイデルブルグの名だけは知っていましたが、お写真を拝見して、その美しさに圧倒されました。
学生の町の、古い学舎に降る落葉の色にも、ゆかしいものを感じます。古くからの言い伝えが、今も生きていて、落葉となって、遠くからの旅人へと舞い下りてきたのだと思いました。
「秋去るに」という言葉に、ご自身の過ぎていった青春を重ねられたように思い、「歩くべし」に、今ただいまの生を思いました。哲学の道は、人間の根底をまさぐる道、生を確認する道とも、あれこれ感じた次第です。
前回の句から、好きな句をあげさせていただきます。
行く秋の雨に色落つライン城
めぐらしてラインに筋違う葡萄畑