すでにコメント欄に書き込んでいただきましたが、みなさま方の好きな句を、ここにまとめさせていただきます。改めてのご感想などあれば、書き込んでください。
(九分九厘)
初孫と遊ぶ日々なり三ケ日 たろう
妻の声遠くにあるや寝正月 龍峰
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
注連飾最初の客は雀どち 四捨五入
お一人ずつから一番好きな句を頂戴いたしました。
龍峰さんの句の中では「初鴉一声落とすわが枕」が一番印象に残るのですが、詠み人の句解釈が欲しいです。寝ている枕元に初鴉の声が聞こえてきたことというだけでは面白く無いので、「鴉が正月の朝早々に、吾に向かって、叱咤激励の鳴き声をしやがった!」とでも理解してよろしいか?
四捨五入さんの句の中で「あらし去り心に穴の三日かな」という句があるのですが、これはいかに理解すべきでしょうか? 丁度、私は年末にインフルエンザに罹り、悪戦苦闘の嵐から漸く抜けて元旦を迎え、三日間何も考えない空白の時間を持ちました。まさに、私の心境を詠んで頂いたような気がしております。
(かつらたろう)
初富士の夢もあるかよそのうちに 九分九厘
初夢は色々な説がありますが、新年を迎え初めて
見る夢が初夢と言われ、吉祥の良い順番は一富士
二鷹、三茄子と古来から言われているようですね。
先年の歳晩に風邪を召された作者ならではの、強い
吉祥願望が読み取れ素敵です。
淑気満つノーベル賞の祝儀酒 九分九厘
ノーベル賞受章の祝賀パーティーに供されたと言う
日本酒の瓶のLED色とは後世の謂れともなり、縁起
ものですね?その後、家に飾って置くだけでも来客
との話題にもなり、まさに淑気満つのようです。
妻の声遠くにあるや寝正月 龍峰
寝たい時に寝、起きたい時に起き、食べたい時に、
食べたいものを、食べたいだけ食べる・・・な~んにも
制約されない事が、正月の良いところ・・・ほらほら
遠くで奥さんが呼んでいますよ・・・「お父さん、少しは
手伝って・・・お客さんが来るんだから」・・・。
中吉のみくじ引きたりおらが春 龍峰
良寛の句「めでたさもちうくらいなりをらがはる」を彷彿
させ、大吉でもなく兇でもない中吉と言うところが良い
ですね!!上記の御句もあわせて、すこしゆったりと
正月を楽しまれて居て、良い雰囲気です。
注連飾り最初の客は雀どち 四捨五入
なるほど!!。りっぱな注連飾りは裏白、橙、などと
一緒に実物の稲穂を飾り、垂らしますね。
我家でも家内は毎年奮発して豪華なものをドア扉
に飾っています。
あらし去り心に穴の三日かな 四捨五入
ふだんはひっそりとも思えるほどの家の中でも正月
は、孫嵐ですね。喧騒とも思える賑わいが正月の
特徴かも知れません。それも帰ってしまえば、喧騒
が懐かしいほどの寂寥感です。
とことはのふたり暮らしに初明かり ゆらぎ
ふたり暮らしの我家に今年もいつものように新年の明かりがさして来た。
何も変哲もない、このささやかとも思える幸せの
とことはなれと思う作者の心情にとても共感致します。
これからは、一年一年をかみしめながら大切にと小生
もつくづく思います。
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
時の流れるような、随分りっぱな書ですね。
「ただひたすらに前進あるのみ」・・・との正月の決意
のようですね!!。「つまづいたっていいじゃないか 人間だもの」との
相田みつをの言葉が急に想いだされました。
柊の花に乗せたるわが想ひ ゆらぎ
清楚で香しい柊の花も、不用意に手を伸ばせば思いがけず痛い目に遭います。
いや~、その心情には痛いほど?共感いたします。
自選句ですが・・・。
初孫とあそぶ日々なり三ヶ日 かつらたろう
(詳しい説明は、前回の記事のコメント欄をご覧ください。
(龍峰)
新雪の山肌なりし秋吉洞 たろう
淑気満つノーベル賞の祝儀酒 九分九厘
注連飾最初の客は雀どち 四捨五入
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
秋吉台の岩肌に新雪が載り、わずかな緑との対比がきれいだろうなと感じます。岩肌の冷たさも加わり、冬の厳しさを感じます。酒心館には小生も参りましたが、日本人のノーベル賞受賞の幟まで立てられPRされていました。そのゆかりの大吟醸で正月を祝う、特別の淑気を感じられたのではないでしょうか。
注連縄で飾られている我が家に最初に訪れたのは雀であったと。淑気満るの中に雀が来たという俳諧味と作者の雀に対する暖かいものを感じます。
き初めに進の一字とは、今年も突っ走る気持ちが強く表れています。筆者の躍動する姿が字にも溢れています。
九分九厘さんの小生の句へのご質問ですが、いつものことながらカラスは朝早くから屋根の上を飛んできます。まるで今朝も寝正月は許さない、早く起きろと言っているような感じです。九分九厘さんの解釈通りです
(四捨五入)
初孫と遊ぶ日々なり三ケ日 たろう
正月には孫と遊べるのが大きな楽しみですが、初孫ともなればうれしさ百倍でしょう。わが家にも孫が押し寄せましたが、高校2年生ともなると、さっと来てさっと帰ってしまい、遊ぶ時間もありませんでした
初富士の夢もあるかよそのうちに 九分九厘
「そのうちに」に惹かれました。「果報は寝て待て」に通じるところがあります。あくせくせず悠々と人生を送られるところが素敵です。
おさな手にあふるる七枚花かるた 龍峰
花かるたとは花札のことですね。花札と聴けば賭博を連想するので、幼子と花札の取り合わせはどきりとさせられます。しかし、小さな手で分厚い花札を7枚も持っているさまはとてもかわいらしいですね
とことはのふたり暮らしに初明り ゆらぎ
もう何年も二人だけの生活が続いてきたが、また平和な正月が巡ってきた。これからもずっと続くだろう、続いてほしいものだ。という感慨が伝わってきます。思いは同じですね
(ゆらぎ)
みなさまの新春気分が横溢した楽しい句から、厳選して下記の句を選ばせていただきました。
風雪の荒ぶや家族初詣 たろう
この風雪は初詣の折の天候のことでしょうが、同時にこれまで家族が辿って来た人生、さらにはこれからも厳しさもあろう人生の旅、そのことも同時に織り込まれているようで、そんな中で家族が揃って初詣する。家族の結束のことをも詠まれているや、に感じ取れ、興趣あふれる句かと拝察いたしました。注)下五が、”初詣り”となっていましたが、”詣り”を”まいり”と読ませるのは初耳なので、はつもうで、とさせていただきました。
初富士や今年裏から見て候 九分九厘
本当に新年に裏富士を見られたのかどうかは分かりませんが、いずれにしろ河口湖あるいは三つ峠あたりから見た富士山の眺めは壮観です。秋に見たことがあります。それが頂上に雪を頂いた富士とあればなおのことの眺めかと。そういう作者の感慨が深々と読み取れて、気持ちのよい、新年にふさわしい句となりました。
おさな手にあふるる七枚花かるた 龍峰
お孫さんの遊びの風景であろう。多分、”七短”の手を得て喜んでいるのであろう。しかし、七枚ともなると小さな手に余る。それでも一生懸命、それを見せる。そのひたむきさ、いじらしさが堪らないのである。楽しさ溢れる佳句かと。
注連飾り最初の客は雀どち 四捨五入
微笑しい光景である。すこし気張って立派な注連縄を戸口に飾った。もちろん年賀客に見せるためである。また己の気分高揚のためでもある。ところが、そこへ来た初めての客が可愛い雀たち。微笑ましい雰囲気がよく現れていて、好きな句です。
(九分九厘)
初孫と遊ぶ日々なり三ケ日 たろう
妻の声遠くにあるや寝正月 龍峰
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
注連飾最初の客は雀どち 四捨五入
お一人ずつから一番好きな句を頂戴いたしました。
龍峰さんの句の中では「初鴉一声落とすわが枕」が一番印象に残るのですが、詠み人の句解釈が欲しいです。寝ている枕元に初鴉の声が聞こえてきたことというだけでは面白く無いので、「鴉が正月の朝早々に、吾に向かって、叱咤激励の鳴き声をしやがった!」とでも理解してよろしいか?
四捨五入さんの句の中で「あらし去り心に穴の三日かな」という句があるのですが、これはいかに理解すべきでしょうか? 丁度、私は年末にインフルエンザに罹り、悪戦苦闘の嵐から漸く抜けて元旦を迎え、三日間何も考えない空白の時間を持ちました。まさに、私の心境を詠んで頂いたような気がしております。
(かつらたろう)
初富士の夢もあるかよそのうちに 九分九厘
初夢は色々な説がありますが、新年を迎え初めて
見る夢が初夢と言われ、吉祥の良い順番は一富士
二鷹、三茄子と古来から言われているようですね。
先年の歳晩に風邪を召された作者ならではの、強い
吉祥願望が読み取れ素敵です。
淑気満つノーベル賞の祝儀酒 九分九厘
ノーベル賞受章の祝賀パーティーに供されたと言う
日本酒の瓶のLED色とは後世の謂れともなり、縁起
ものですね?その後、家に飾って置くだけでも来客
との話題にもなり、まさに淑気満つのようです。
妻の声遠くにあるや寝正月 龍峰
寝たい時に寝、起きたい時に起き、食べたい時に、
食べたいものを、食べたいだけ食べる・・・な~んにも
制約されない事が、正月の良いところ・・・ほらほら
遠くで奥さんが呼んでいますよ・・・「お父さん、少しは
手伝って・・・お客さんが来るんだから」・・・。
中吉のみくじ引きたりおらが春 龍峰
良寛の句「めでたさもちうくらいなりをらがはる」を彷彿
させ、大吉でもなく兇でもない中吉と言うところが良い
ですね!!上記の御句もあわせて、すこしゆったりと
正月を楽しまれて居て、良い雰囲気です。
注連飾り最初の客は雀どち 四捨五入
なるほど!!。りっぱな注連飾りは裏白、橙、などと
一緒に実物の稲穂を飾り、垂らしますね。
我家でも家内は毎年奮発して豪華なものをドア扉
に飾っています。
あらし去り心に穴の三日かな 四捨五入
ふだんはひっそりとも思えるほどの家の中でも正月
は、孫嵐ですね。喧騒とも思える賑わいが正月の
特徴かも知れません。それも帰ってしまえば、喧騒
が懐かしいほどの寂寥感です。
とことはのふたり暮らしに初明かり ゆらぎ
ふたり暮らしの我家に今年もいつものように新年の明かりがさして来た。
何も変哲もない、このささやかとも思える幸せの
とことはなれと思う作者の心情にとても共感致します。
これからは、一年一年をかみしめながら大切にと小生
もつくづく思います。
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
時の流れるような、随分りっぱな書ですね。
「ただひたすらに前進あるのみ」・・・との正月の決意
のようですね!!。「つまづいたっていいじゃないか 人間だもの」との
相田みつをの言葉が急に想いだされました。
柊の花に乗せたるわが想ひ ゆらぎ
清楚で香しい柊の花も、不用意に手を伸ばせば思いがけず痛い目に遭います。
いや~、その心情には痛いほど?共感いたします。
自選句ですが・・・。
初孫とあそぶ日々なり三ヶ日 かつらたろう
(詳しい説明は、前回の記事のコメント欄をご覧ください。
(龍峰)
新雪の山肌なりし秋吉洞 たろう
淑気満つノーベル賞の祝儀酒 九分九厘
注連飾最初の客は雀どち 四捨五入
書初めは進の一字と筆走る ゆらぎ
秋吉台の岩肌に新雪が載り、わずかな緑との対比がきれいだろうなと感じます。岩肌の冷たさも加わり、冬の厳しさを感じます。酒心館には小生も参りましたが、日本人のノーベル賞受賞の幟まで立てられPRされていました。そのゆかりの大吟醸で正月を祝う、特別の淑気を感じられたのではないでしょうか。
注連縄で飾られている我が家に最初に訪れたのは雀であったと。淑気満るの中に雀が来たという俳諧味と作者の雀に対する暖かいものを感じます。
き初めに進の一字とは、今年も突っ走る気持ちが強く表れています。筆者の躍動する姿が字にも溢れています。
九分九厘さんの小生の句へのご質問ですが、いつものことながらカラスは朝早くから屋根の上を飛んできます。まるで今朝も寝正月は許さない、早く起きろと言っているような感じです。九分九厘さんの解釈通りです
(四捨五入)
初孫と遊ぶ日々なり三ケ日 たろう
正月には孫と遊べるのが大きな楽しみですが、初孫ともなればうれしさ百倍でしょう。わが家にも孫が押し寄せましたが、高校2年生ともなると、さっと来てさっと帰ってしまい、遊ぶ時間もありませんでした
初富士の夢もあるかよそのうちに 九分九厘
「そのうちに」に惹かれました。「果報は寝て待て」に通じるところがあります。あくせくせず悠々と人生を送られるところが素敵です。
おさな手にあふるる七枚花かるた 龍峰
花かるたとは花札のことですね。花札と聴けば賭博を連想するので、幼子と花札の取り合わせはどきりとさせられます。しかし、小さな手で分厚い花札を7枚も持っているさまはとてもかわいらしいですね
とことはのふたり暮らしに初明り ゆらぎ
もう何年も二人だけの生活が続いてきたが、また平和な正月が巡ってきた。これからもずっと続くだろう、続いてほしいものだ。という感慨が伝わってきます。思いは同じですね
(ゆらぎ)
みなさまの新春気分が横溢した楽しい句から、厳選して下記の句を選ばせていただきました。
風雪の荒ぶや家族初詣 たろう
この風雪は初詣の折の天候のことでしょうが、同時にこれまで家族が辿って来た人生、さらにはこれからも厳しさもあろう人生の旅、そのことも同時に織り込まれているようで、そんな中で家族が揃って初詣する。家族の結束のことをも詠まれているや、に感じ取れ、興趣あふれる句かと拝察いたしました。注)下五が、”初詣り”となっていましたが、”詣り”を”まいり”と読ませるのは初耳なので、はつもうで、とさせていただきました。
初富士や今年裏から見て候 九分九厘
本当に新年に裏富士を見られたのかどうかは分かりませんが、いずれにしろ河口湖あるいは三つ峠あたりから見た富士山の眺めは壮観です。秋に見たことがあります。それが頂上に雪を頂いた富士とあればなおのことの眺めかと。そういう作者の感慨が深々と読み取れて、気持ちのよい、新年にふさわしい句となりました。
おさな手にあふるる七枚花かるた 龍峰
お孫さんの遊びの風景であろう。多分、”七短”の手を得て喜んでいるのであろう。しかし、七枚ともなると小さな手に余る。それでも一生懸命、それを見せる。そのひたむきさ、いじらしさが堪らないのである。楽しさ溢れる佳句かと。
注連飾り最初の客は雀どち 四捨五入
微笑しい光景である。すこし気張って立派な注連縄を戸口に飾った。もちろん年賀客に見せるためである。また己の気分高揚のためでもある。ところが、そこへ来た初めての客が可愛い雀たち。微笑ましい雰囲気がよく現れていて、好きな句です。
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