炎天を避け哲学の道歩む
京の夏橋本関雪記念館
竹林に羅漢そろひて涼しかり
借景といふに貴し大文字
池の面に映してみたき大文字
一枝の白あざやかや半夏生
刈らずともよし伸ぶままの木賊かな
過日、猛暑のなか、銀閣寺近く哲学の道に面している白沙村荘(日本画家橋本関雪の旧宅)を訪れた。
建設当時、一帯は水田であったが、土盛りをし、関雪自身が生涯にわたって作庭を続けたとのことである。
都市の中にあって、深山に住むかのごとくひっそりと暮らす、というのが作庭の思想である。
巨石、石塔、石燈籠、石像など関雪自身が選んで取り寄せ配置している。
大文字山が借景として使われている。送り火のとき見たいものである。
隅々まで手入れが行き届いているわけではないが、自然を感じることができる庭である。
京の夏橋本関雪記念館
竹林に羅漢そろひて涼しかり
借景といふに貴し大文字
池の面に映してみたき大文字
一枝の白あざやかや半夏生
刈らずともよし伸ぶままの木賊かな
過日、猛暑のなか、銀閣寺近く哲学の道に面している白沙村荘(日本画家橋本関雪の旧宅)を訪れた。
建設当時、一帯は水田であったが、土盛りをし、関雪自身が生涯にわたって作庭を続けたとのことである。
都市の中にあって、深山に住むかのごとくひっそりと暮らす、というのが作庭の思想である。
巨石、石塔、石燈籠、石像など関雪自身が選んで取り寄せ配置している。
大文字山が借景として使われている。送り火のとき見たいものである。
隅々まで手入れが行き届いているわけではないが、自然を感じることができる庭である。
白沙村荘を耳にするのは初めてです。京都はいろんな所があるのですね。写真の羅漢がとても涼しそうで共感いたしました。
池の面に映してみたき大文字
ぜひとも池に写った大文字を見たいものです。岩手に薪を燃やすのを大文字の関係者が断ったというニュースがありました。コメントしようのない話で悲しいです。
刈らずともよし伸ぶままの木賊かな
この俳句は考えれば考える程含蓄があります。とくさは枯れても砥石代わりに使えるという話を覚えております。要はあせらず役に立つときに役立てんばいいのだとの教訓と理解しました。
庭に竹林までつくり羅漢さんを沢山座らせている景は素晴らしいですね。「涼しかり」で納められたところが良いと思いました。
☆一枝の白あざやかや半夏生
一枝の葉が二三枚表だけ白くなるそうですね。緑の中にあっての白ですから、「あざやかや半夏生」がとても平明であって、その状態が良く表された句と思います。
拙句にコメント下さり有難うございます。
関雪の七歳年上の奥さんは彼をよく支えたのですが早く亡くなりました。彼女の供養のために、庭園の中に持仏堂を建て、その裏手の竹藪に多数の羅漢を持仏堂を見守るように配置してあります。それぞれの表情が異なっているのが興味深いです。
関雪の大きな画室の前に池があり、遠くに大文字山が見えるのですが角度が合わず映して見ることができません。画室の2階へ上れば見えるはずですが、残念ながら非公開となっていました。
木賊だけでは季語にならないので、「刈る」を付けたものです。深読みして下さって有難うございます。
これだけ暑いとどこに身を置くのか大問題です。ましてや京都で。しかし、作者は哲学の道を選ばれた。暑さも哲学すれば涼しくなるのでしょうか。作者の人柄が偲ばれます。
竹林に羅漢そろひて涼しかり
羅漢がうらやましくなる竹林の光景が浮かんできます。暑さにも負けない作者の句作の豊かさに喝采です。
拙句にコメント下さり有難うございます。
羅漢さんの謂れは九分九厘さんへのお礼の中で述べさせていただきました。徹底した愛妻家だったようです。
半夏生の白い部分は時間が経つと緑へ変わってしまうそうで、一枝にだけ、白い葉が残っていました。なぜ半分だけが白いのか不思議です。
拙句へコメント下さり有難うございます。
バスを「銀閣寺道」で降り、銀閣寺へ向かって歩き出すと、左手に琵琶湖疏水が流れています。土手の上には桜の老木の並木があり、その下が哲学の道になっています。この桜は関雪が植えたものです。疏水を眺めながら並木の下を歩くと、炎天下よりは多少涼しく感じられます。哲学を考えながら歩くと、暑くなると思います。多分。
竹林の中の羅漢さんは写真ではよく分かりませんが、笑っているものが多くありました。暑さを超越しているのでしょうか。