ことのほか暑かった今年の夏も、列島に野分が近付き、涼しさをもたらした。万物は一息ついた。気がつけば9月になっている。そして今年も風の盆がやってきた。数年前に行った八尾の小さな町角の夜通し踊る女踊り、男踊り。今も胡弓の音が闇から甦る。
風の盆闇に引き込む胡弓の音
影のごと男踊りや風の盆
たおやかに手の振りそろふ風の盆
野分めく庭の草木の葉裏かな
少年の心浮かせる野分前
夢中なる渚遊びや雲の峰
天空に秋蝉叫ぶ岬かな
城砦を出れば風の真葛原
七夕の短冊壁に影いくつ
遠花火真闇くぐりぬ音を待つ
ひぐらしの山門抜けて届きをり
ひぐらしの結界こえて消えゆけり
あれこれ「貯金」がありますなあ! リクエストするとすぐに句が湧いて出てくる。
心憎いです。さて熱情を隠し持った踊りの町、八尾、よろしなあ。さぞ楽しまれたことでしょう。あの高橋治の名作『風の盆恋歌』を彷彿とさせいます。
影のごと男踊りや風の盆
ー男が影のごと寄り添うという描写が素敵です。記念としていただきました。
ひぐらしの結界こえて消えゆけり
ーこの場合、ひぐらしが俗世界から神聖な世界へと移ってゆく、と理解したらいいのでしょうか? ひぐらしに、おのれの魂をオーバーラップさせて。
あれほど厳しかった残暑の日々も、日本列島を
襲ったゲリラの総攻撃により、うそのように涼しくなって来ました。
越中富山の「おわら風の盆」は、又の名を風鎮の祈りを込めた後の盆とも聞いています。年々人気が上がり、大変な人出と賑わいと聞いています。今年こそと思いながら、今年も行けておりません。
☆影のごと男踊りや風の盆
☆たおやかに手の振りそろふ風の盆
男は黒い股引装束、女は艶やかな着物に、いずれも菅笠を顔が見えないほど深く被ります。そして三味線と太鼓と胡弓の音にあわせ、鄙びた歌に合わせて影絵の如く踊る優雅な風の盆の踊りは、派手さは全くないのに大変哀愁を感じて心魅かれます。季節が夏から秋へと代わる
節目の哀切が漲っていますね!!、映像を何度も観ましたが、風の盆の踊りをあまねく情緒豊かに詠われました。
☆城砦を出でれば風の真葛原
この御句は海外吟でしょうか?日本以外海外では殆どの都市は城砦の中にあり、周りは広い野原のようです。風の吹き荒れる草原の真葛原が思われ、如何にも壮大なる光景が眼の前に広がり素敵です。
☆ひぐらしの山門抜けて届きをり
☆ひぐらしの結界こえて消えゆけり
夕日が西の嶺に沈むころカナ、カナ、カナ・・・と間を置いて鳴く声は、哀愁が漂い、いつも何をしていても手を置き、聞き入ってしまいます。蝉の鳴き声の中で、これほど風情のある鳴き声はしりません。そして、一瞬にして自己の拠って来る過去を思い出してしまいますね!!、ですから何時も胸きゅんの思いで一杯になります。思い起こせば、18歳の時真っ黒な小さい旅行かばんひとつで故郷を後にし、上京して始まった小生の50年を想い出すのです。
御句の二句により、気張って生きて来た人生がとろけるようです。しかし、誰も過去には戻れず、そこには結界があるのですね?大変共感する所です。
小生の近くには京都から山陰へと続く旧山陰街道があり、それに因んで相聞句を!!
☆かなかなやこの道たどれば故郷へ
☆ひぐらしの夕日哀しく沈みけり
☆峰奥へつづく街道葛の谷
早々にコメントを頂き有難うございます。又2句に感銘を頂き併せて感謝します。風の盆は情調が溢れていますね。派手さはなく、おはら節のテンポもゆるやかで、唄も踊もどこか日本人の魂を撫で回すような哀愁をもっています。小生も一人になるとこのおはら節を口ずさんで見ますが、なかなか難しい。いつまでも残って欲しい文化です。
ひぐらしは蝉の鳴き声としては格別です。夕闇迫る頃あの声を聞いていると己が魂も一緒に連れていかれるような感じがします。つい我が人生を柄にもなく考えてしまう訴えるものがありますね。
早々に5句も取って頂き有難うございます。
八尾の風の盆は本当に情調があります。本来の日本人の魂に染み込んでいる物が呼び起こされるような感じです。派手さはないが、遠い祖先が天の闇のなかから呼びかけてきているような繊細なものを感じます。あのおはら節をマスターしたいものだとかねがね思ってはいますが、これがまた難しい。真葛原は近くの川原へ出かけるとあります。この春のイタリアの古市とオーバラップさせて詠みました。
蜩はいいですね。仰せの通り蝉でないような切々と魂を呼び寄せられるような声です。山中で聞くと、あの世へそのまま魂がついて行くような感じがしてきます。
得意の相聞句3くも添えて頂きありがとうございます。それぞれの人生を振り返りつつある今日この頃ですね。
有難うございました。
影のごと男踊りや風の盆
手許に風の盆の絵はがきがあります。宇奈月温泉に行った時に買い求めたものです。女性の踊り手に影のように寄り添う男の姿が写っています。まさにこの句の通りのものです。
野分めく庭の草木の葉裏かな
自然の驚異と不安を感じます。「葉裏」という言葉が効いているようです。
天空に秋蝉叫ぶ岬かな
天空・秋蝉・岬のいずれの言葉も強い印象を受けます。句全体として峻厳として堂々たる句です。
遠花火真闇くぐりぬ音を待つ
花火と闇の色彩感覚と、時間差攻撃の「音を待つ」という一瞬の時間の流れが、この句を動きのあるものしていると思います。
早々に病後を押してのコメントを頂き有難うございます。4句もとって頂き恐縮です。
それぞれの句に簡にして要を得た、しかも小生も気づかぬ所まで深掘りした鑑賞の言葉を頂き感激です。
どうもありがとうございました。
一刻も早いご回復と安寧をお祈りします。
たおやかに手の振りそろふ風の盆
風の盆の2句をいただきます。
音に聞く風の盆ですが、まだ八尾を訪れたことがありません。YouTubeで片鱗を見ることはできますが現地で見聞きするのとは全く違うのでしょうね。
御句の「闇に引き込む」「手の振りそろふ」の言葉が現地の雰囲気を伝えてくれているように感じます。
おわらぶしの歌詞もつやっぽくてなかなか趣がありますね。一度は訪ねてみたいものです。
一つ前のコメントの署名が「捨」とありますが正しくは「四捨五入」です。失礼しました。
2句をとって頂き有難うございます。八尾の風の盆はやはり実際に見るのが一番です。独特の情調と雰囲気は遠い日本人の祖先の魂の漂っているのが感じられます。ぜひ来年はでかられては如何でしょうか。