草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 梅 (九分九厘)

2008-02-19 | Weblog

 梅でのむ茶屋も有るべし死出の山   子葉

赤穂浪士の一人、大高源吾は「子葉」と号した俳人でもあった。食録二十五人扶持。武芸をよくした傍ら、風流を好み其角らとも交際があった。趣味を生かして吉良邸の動静をさぐり、元禄十五年(1702)十二月十四日に茶会があることを突き止め、討ち入りの日を決める働きをした。翌年二月、幕府は四十七士に切腹を命じ、陰暦二月四日に源吾は江戸の松山藩邸で自刃する。上記の句は自刃の際の辞世の句である。梅で飲むとは、梅を見ながら酒を飲むとの意で、子葉は酒豪で知られていた。死出の山とは、仏説に冥土にある山とされている。他に三句、

 灸(やいと)にて侘言申す夏断かな  子葉
 爐開や鼻をならべて雨を聞く     〃
 山をぬく力もをれて松の雪      〃

最後の「松の雪」の句は討ち入りして本懐を遂げたあと、俳諧の師匠沾徳に届けられたものとされている。(近世俳句俳文集:岩波書店より)

切腹後の彼らに対する追善供養は、幕府の厳命によってすべてを禁じられたが、かえって世間の人々は黄舌をひるがえして、ことの良し悪しを論じ始めることになった。泉岳寺の参詣は許されず、外から見ると義士たちの墓の周りは草ぼうぼうであったいう。

宝井其角は、こうした状況に憤慨しつつ、義士、大高源吾、富森助右衛門(春帆)神崎与五郎(竹平)等と付き合いがあり、彼らの句を自分の選集に入れていることを、ことわりがきに書いて、次の句を詠んでいる。

 うぐひすに此芥子酢はなみだかな   其角

この句は大高源吾の次の句を受けて、俳友を偲んだものとされている。(其角俳句と江戸の春;半藤一利 より)

 初鰹江戸のからしは四季の汁     子葉

なお、春帆の自刃の際の辞世の句は次の句である。

 寒鳥の身はむしらるる行衛哉     春帆

こちらの句は寒々とする不憫な句であるが、子葉の句は本懐を遂げたあとの、悠々たる男らしい句である。義士祭は四月の初めに泉岳寺で行われるが、子葉の梅の辞世の句に惹かれて、この時期に取り上げてみた。

                                   以上
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする