KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

遅い!

2005-11-09 22:32:52 | デジタル・インターネット

 何が遅いって、このBlog書いているときの送信の遅さ。ここ何回か、送信しようとして途中で切断されてしまう。しかも接続し直して、後で確認すると、同じ内容を2度送信していた、なんてこともある。もっとも、その原因はこちらにもあるのだが。

 というのも、今使っているネットの速度は、PHSを使った64kbps。具体的には1MBの写真落とすのに1分近くかかる遅さ。今住んでいる建物(会社の単身寮)の都合でやむなくそうしているのだが、最近の光ネットによる高速ブロードバンドが本当に羨ましい。出来ることなら引きたいものだ。

 愚痴を言っても仕方ないので、あとは比較的すいている時間をねらってネットやBlog作成にあてるしかない。前は深夜0:00以降がそうだったが、最近はこの時間帯でも途中で切られる。しかもそれ以降になると、翌日の仕事に影響するのでそれもできない(遅くともAM1:00に就寝)。今は、途中で切られないかどうか非常にドキドキしながら毎回送信をする。でも、あんまり心臓によくないね、これ。

どうかこのBlog送信時に回線を切られませんよーに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人情報をどう保護するか?

2005-11-08 23:25:49 | デジタル・インターネット

 むかし、恐いものの代表として「地震・雷・火事・おやじ」と言う言葉があったが、今は「地震・台風・強盗」(だったかな?)なのだそうだ。ランキング形式で紹介されていて、その中には、「個人情報流出」というのもあり、ネット社会の現代らしい「恐ろしい」モノだ。

 少し前に書いたBlogの続きみたいになるが、今の時代ほど「個人情報」に関してピリピリしている時代はないだろうと思う。家でも会社でもPCを使う現代、一歩使い道を間違えると、たちまち情報流出し、会社では顧客情報や社員の情報が、病院では入院患者の病歴や住所などが、あっというまに漏れてしまう時代。最近ニュースで流れる、企業の不祥事のひとつにもあげられているだけに、対岸の火事ではいられない。

 今ちょうどいいタイミングというか、法律の施行にともない、この個人情報保護に関する通信教育を受けている。その中で、個人情報流出のもっとも危険なのはメール送信時だとのこと。宛先のTo、Cc、Bccの使い方が非常に重要で、これを一歩間違うだけで取り返しのつかないことにもなりかねない、とその教育の中では警告していた。また、情報の入ったファイルにパスワードを入力し保護する方法があるが、これも数字の羅列や好きな言葉にしていてはすぐに読みとられる可能性があるという。ではどうするか。できるだけ長いパスワードにするのは当然のこと、言葉の頭文字をパスワードにするのも有効らしい。

 たとえば、「鳴くよウグイス平安京」ならば、→「UGISU・・・・」→「NKYUGIS」と、こんな感じに。むっ、あんまり良い例ではなかったかな?ともかく、相手(侵入者)に容易に推測されないパスワードにすることが大切だという。

 ここでこの方法を紹介しても、ひょっとしたら少し経つとそれも役に立たなくなるかもしれない。そうならないような時代が早く来てほしい、とちょっとだけ現実逃避・・・。

(一部加筆修正しました)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻婆納豆と豆腐かけごはん

2005-11-06 23:47:51 | 食・レシピ

 中学生の時、国語の授業中にこんなことを聞いた。

「納豆と豆腐、どちらも中国から入ってきたものだけど、向こうでは当時、納豆のことを豆腐、豆腐のことを納豆と言った」さらに、両者は同時に伝えられたそうだが、その中で名前が逆転してしまったらしい、とのこと。

 歴史的なところはあやふやで、正しいかどうかもわからないけど、漢字を見るとなるほどとわかる。納豆は、大豆を発酵、つまり腐らせるので「豆を腐らせる→豆腐」であるし、逆に豆腐は潰した大豆を型に入れて固める。つまり「豆を型に納める→納豆」になるわけだ。

でも中華料理店とかで、いくら意味的に正しいとはいえ、麻婆納豆と書いてあったら食べる気はしないし、逆に豆腐かけご飯なんて言ったら文字通り味気ない。ぼくはやってみようとも思いませんが、どなたかやってみます?。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンコル道をゆくもの当然なり!

2005-11-04 23:37:25 | 日記・エッセイ・コラム

 「コンコルド」のCMシリーズが面白い。だいたい3ヶ月周期で新しいCMになるが、この間昔のCMもやっていた。こんな感じのCMだ。

 援助交際をしようとするおっさんと、ついていこうとする女子高生。すると学者らしき「先生」が登場し、携帯電話を「没収!」そして「こういうこと(援交)はイカン」と一喝する。そして「コンコル道を往くもの、当然なり」と言う声と「やってはいけないことをしてはいけない」というテロップが出てきて終わり。

あと、最近流れているバージョンは、野菜を残してコンコルドへ行こうとする夫。「あなた野菜も食べなさい!」と怒る妻。玄関を出るとまたあの先生が現れ「野菜を食べなさい!」と一喝(「野菜を食べるべし」編)。

・・・CMを文章で表現しようとするとどこまでも長くなりそうなので短くまとめたが、うまく伝えられたか疑問。百聞は一件にしかず、ということわざにもあるとおり、見た方がずっと早い。思わずウンウンと頷いてしまうはずだ。ただし首都圏では見られないかも。

ちなみにコンコルドとは、静岡にあるパチンコ店のことです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなた、AED持ってきて下さい!

2005-11-02 22:49:07 | 健康・病気

 社内教育の一環として、救急救命訓練というものに参加した。場所は近所の消防署。業務が忙しいというのに・・・。

 訓練という名の通り、人形(上半身だけのやや気持ちワルイ西洋人っぽい顔をしている)を使って心肺蘇生法を体感する。最初はビデオを見ながら実際にそのとおりに気道確保→人工呼吸→心臓マッサージを行う。2~3回のサイクルで繰り返しやるとホントに疲れる。じつはぼくはこれら一連の訓練を昔1回だけ体験したことがある。自動車教習所でだ。

 その後で、AED(自動体外式除細動装置)と呼ばれる耳慣れない機械を使うことになった。よく「救命医療24時」とか「ER」などで、医師が心停止した患者の胸に大きな電極を当て、電気ショックを与えると患者が大きくのけぞるという、あの大きな機械を想像出来れば早いだろう。今回使用したのはそれよりもずっと小さく、また医師や救命士の資格がなくても使用できるタイプで、空港やスポーツセンター、近所の公民館などにも設置されているという。使い方は、電源を投入したあと、音声案内に従いながら、心臓を挟む感じでパッド(電極)を貼り付ける。そのあとは自動的に心室の動きをチェックし、必要あればショックを与える。今日は訓練用のAEDなのでボタンを押しても何も起きなかったが、実際では患者は一瞬「のびた」状態になるそうだ。TVドラマで見られる、患者がのけぞるところまではないらしい。

 最後にひととおりの動きを確認するテストをするのだが、動作の順番と何を言うべきかが、いざやってみるとまったく解らない。「119番に電話して下さい!」と指示を出すところを「110番に電話して下さい!」と言ってしまったり・・・。でもその当座は、その間違いさえわからない、まさにパニック状態。

 普段なかなか体験できないことを体験できたことは自分にとってプラスになったと思う。が、もし目の前に心停止し、意識を失った人が倒れていたとき、はたして自分にその人を救えるだろうか・・・?、という不安もある。

AEDについての詳細はこちら→http://www.aedjapan.com/ (NPO法人 AED普及協会)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あらためて戦時下の極限を知る

2005-11-02 01:32:53 | テレビ番組

 松嶋菜々子主演の「火垂るの墓」を、途中からだけど見た。野坂昭如氏の原作も少し読んだし、ジブリ制作のアニメーションは何回も見ているので、ストーリーはほぼ知っている。と思っていたが、主人公を兄妹ではなく、西宮のおばさんを主人公にしている点が逆に新鮮だった。アニメではこのおばさん、結構キツく描かれていたけど、夫の戦死を契機に、少しずつ兄妹に辛く当たるようになっていく。そして、戦争が終わり、清太や節子も死に、生きる希望を見いだせないと嘆く長女に対し、「戦争はまだ終わっていない、死んだら負けなのよ」と諭す。生きるため、家族を食べさせるために、結果的には親戚を死なせてしまったが、おそらく、松嶋演じたこのおばさんは、当時としては当たり前、むしろまだ人の良かったほうかもしれない。

 話変わって、先日の朝食を、時間がなくて玉子かけご飯にしたところ、腹具合を悪くしてしまい、午前中は殆ど仕事にならなかった。こんな話をしてもし、今回のドラマに登場する人がこの話を聞いたら十中八九、「贅沢なこと言いやがって」といわれるにちがいない。主人公の兄妹は海軍士官の子どもで、わりと裕福な環境に育ち、さらにプライドも高いこともあって、まるで戦争時代にタイムスリップした現代の子どもの様に描かれている。(記憶では、アニメ版のパンフにそう書いてあったと思う)。ぼくはこの物語に感情移入出来ない部分はあるけれど、清太少年の気持ちは良くわかる。ただ、むざむざと餓死を選ぶことはしないけれど。

 戦争という極限状態の中で戦い、食べて、生き抜いてきたからこそ、今日の繁栄があるように思う。しかし、その気持ちを忘れたのだろうか、今は自分で働かなくとも人に頼って食べて行ける時代になってしまった。当時に戻れなどとは決して言わないが、もう少し「生きる」こと、「食べる」ことの意味を考えなければならない。そんな気にさえなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする