中学生のころのはなし。
当時所属のクラスでは、特殊学級(いわゆる障碍児学級)の子たちと一緒に授業を受けることがあったり、教室掃除を手伝ったり、体育祭も(クラス対抗だったこともあるが)同じ組に入って一緒に汗を流したり応援したりしていた。
しかしある時、思い返すと修学旅行の前だったかもしれないが、その特殊学級組の担任が、同じ学年の生徒全員(自分も含む)を集めたことがあったが、その前で言った言葉が忘れられない。
「ウチのクラスには、いわゆる”知恵おくれの子”がいる事は知っているだろう。君たちは、彼らの行動や言動について笑ったり、バカにしたりしているようだが、彼らは彼らなりに一生懸命生きている、頑張っている、君たちと同じ一人の人間なんだ。だから彼らをからかったり、必要以上に彼らを手助けしようということはするな!」
・・・そんな気持ちはなかったつもりでいたものの、最後の言葉は衝撃的だった。頭や体では、それは当然だと思ってても、心の奥底、もしか無意識レベルでのどこかで軽蔑していた目を持っていたのでは、ということに。
その一方で、弱い立場の者たちだから助けてあげなくてはいけない、というこの「弱い人」と勝手に解釈していること自体がじつは「差別」なのだと、はじめて気づかされた瞬間でもあったからだ。
知識や能力などは、どうしても差がついてしまうことはあっても、今を一生懸命、生きていること自体に優劣などありえない。ましてや、差別の対象にもならない。
それだけに、今回のあの事件は、どうあっても許されるものではない。
当時所属のクラスでは、特殊学級(いわゆる障碍児学級)の子たちと一緒に授業を受けることがあったり、教室掃除を手伝ったり、体育祭も(クラス対抗だったこともあるが)同じ組に入って一緒に汗を流したり応援したりしていた。
しかしある時、思い返すと修学旅行の前だったかもしれないが、その特殊学級組の担任が、同じ学年の生徒全員(自分も含む)を集めたことがあったが、その前で言った言葉が忘れられない。
「ウチのクラスには、いわゆる”知恵おくれの子”がいる事は知っているだろう。君たちは、彼らの行動や言動について笑ったり、バカにしたりしているようだが、彼らは彼らなりに一生懸命生きている、頑張っている、君たちと同じ一人の人間なんだ。だから彼らをからかったり、必要以上に彼らを手助けしようということはするな!」
・・・そんな気持ちはなかったつもりでいたものの、最後の言葉は衝撃的だった。頭や体では、それは当然だと思ってても、心の奥底、もしか無意識レベルでのどこかで軽蔑していた目を持っていたのでは、ということに。
その一方で、弱い立場の者たちだから助けてあげなくてはいけない、というこの「弱い人」と勝手に解釈していること自体がじつは「差別」なのだと、はじめて気づかされた瞬間でもあったからだ。
知識や能力などは、どうしても差がついてしまうことはあっても、今を一生懸命、生きていること自体に優劣などありえない。ましてや、差別の対象にもならない。
それだけに、今回のあの事件は、どうあっても許されるものではない。
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