KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

過剰な期待をうらぎられたとき

2014-12-26 23:04:33 | 日記・エッセイ・コラム
1月のあの騒ぎは、いったいなんだったのか?

 万能細胞をより簡単な手法で生み出すという「STAP細胞」も、その正体がほぼ露見され、再現実験でもSTAPを生み出すことは出来なかった。つまり、研究はねつ造でしかない、こういう結果を示された。
主導していた若手女性研究者は退職。それでも世間では批判が止まない。

そもそも、STAPがあったとしても、実用化するのは、当初彼女の発表では100年近い先のことになろうというのに、何を期待してたのか?科学の無限の可能性を?再生医療の未来を?女性の社会進出の可能性を?

だけどそれらは本来、TVニュースや新聞雑誌、ネットなどのメディアが合同で作り出したものであり、それを見た人々が勝手に膨らませてきただけのこと。そのリーダーがたまたま若い女性だったことに注目が集まり、過剰に期待をかけられたことに、気づいてはいただろうか?

だから残念に思うのは、この女性研究者に、最終結論を報告させなかったこと。それがたとえ虚偽だったと報告する結果だったとしても。周囲がそれを完全に奪ってしまったように見える。もちろん、研究リーダー側も、そうした批判の矢を正面から受けられたかどうか。批判を浴びるのは、思う以上に、辛く、苦しいものだ。


結果として不正だったのならこれは犯罪だ、という人もいる。ならば、被害者はだれなのか?実害をこうむった人はいるのか?
もしあえていうなら、STAPに過剰な夢を持たせたメディアと、それを信じ切った人々の膨らみすぎた「期待」だろうと思う。

 先日の東京駅記念Suicaでの騒ぎも、同じようなものと思う。ちゃんとルールを守って前日からの徹夜もせず、行ってみたら列の体制もできてなくて混乱が起き、きちんとした説明もないまま販売中止。おまけに買えた人の一部が転売し破格の値段をつけていく。こんなことがまかり通っていいのかと、期待を裏切られたことへの怒りが鉄道会社に向けられたのはある程度仕方ない。過剰な期待が弾け飛んで今回の騒動を引き起こしてしまった結果となってしまった。

過剰な期待と、その期待を裏切られたことへの反動、バッシング。
社会的責任とか道義的責任などという罪をこれまた過剰に着せ、今や死刑宣告に近いレベルにまでなってしまったこと、ますます息苦しくなる未来の予感。


(参考)いま必要なのは失敗を認める社会 (Blogos)
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