KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

赤穂浪士の間違い

2012-07-10 23:27:37 | 日記・エッセイ・コラム

 福澤諭吉の「学問のすすめ」の中に、こんな話がある。

 福澤先生は、「忠臣蔵」でおなじみの赤穂浪士について、かれらを「赤穂の義士」と褒めたたえるのは大間違いだと断じている。

 

 江戸時代の日本政府は江戸幕府であり、その下での吉良上野介も浅野内匠頭も、日本の国民であるからには、「政府の法に従って、その保護を受ける」ことを約束したものである。そうした時に、吉良上野介の無礼に耐え兼ねた浅野内匠頭が取るべき行動は、上野介の無礼を政府(幕府)に訴えることだった、という。それを知らず、浅野は怒りにまかせて上野介に斬りかかったため、城内は大混乱。そして裁判の結果浅野は切腹、上野介はなんのお咎めもなかった。これは裁判としては不公平な結果だった。

 と、ここで赤穂浪士が登場するのだが、ここでも福澤は、本来この裁判の不公平さを、浪士のある一人が道理を通して訴えに出て、たとえ殺された(江戸の幕府をそこまでひどい政府、としているのもどうかと思うが・筆者注)としても、また同じように別の浪士が同じように訴え、47人もいるのだがら、最後まで道理を通して訴え続ければ、そのうち政府も訴訟をとりあげるようになり、吉良に何かしらの処分が降るかもしれない。それでこそ「義士」であるとしている。

 しかし現実は、いきなり吉良邸におしかけ、あげく上野介を殺してしまった。相手を裁く権限もない(それは国の仕事)のに、自分たちだけで他人を裁いてしまったことで、のちに政府(幕府)から刑を処せられた。

 

 いくら筆舌に尽くしがたい、いじめ事件がその学校であったとしても、学校や市の教育委員会の対応が杜撰だったとしても、そのことに腹立たしい気持ちになるのもわからなくはないが、学校名や加害者及び家族のプライバシーを勝手に晒し、あげく爆破を予告する脅迫電話をかけ、学校や組織の機能を妨害することは、そう言う意味では、筋違いも甚だしいのではないだろうか。爆破がたとえ虚偽だったとしても、学校休校という実害が及んだのだから、日本が法治国家である以上、法律によって罪に問われるのは間違いない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パラパラ漫画で泣いてしまっ... | トップ | 救命戦隊、AED(えいでぃー)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事