忍耐による価値創造

2020年01月09日 | 忍耐論2(苦痛甘受の忍耐)
2-4-5-1. 忍耐による価値創造 
 自然的には苦痛からは逃げる。傷害などのマイナスがそれで回避できる。だが、忍耐は、苦痛を受け入れる。価値物獲得が、その苦痛・傷害を受け入れることで可能になると見て、これを手段として受け入れる。もちろん、単なる苦痛は、価値あるもの、快・楽を生むどころか反対であり、苦痛の状態を受け入れることが多いほど、生は傷害などの被害、反価値状態を大きくする。価値を生む苦は、価値あるもの、目的を描いて、これから遡源して見つけられるものであり、その展開が目的にまでしっかりつながった手元の苦痛である。それをもって目的実現が可能となる苦痛、いうなら創造的な苦痛、反価値の苦痛を価値にと転換する創造的な忍耐が選ばれねばならない。  
 労働は、欲求充足のための使用価値を生み出すが、それには、それを産み出す、心身を労しての苦痛甘受・忍耐が必要となる。楽園からの追放でアダムに課された罰が労働であったと言われて納得できるぐらいに、労働は、辛苦に耐える。どんな使用価値を産むにしても、いずれも同じ苦痛甘受がこれを可能にし、この苦痛甘受・忍耐が価値ある働きをする。苦痛という損害・有害の反価値を、忍耐は、ひとに有益で役立つものとしての価値へと転換する。自分の苦、忍耐は、その創造した物において価値として結晶する。自他の欲求を充たす使用価値となり、さらに生産財としては別の価値創造に役立つ価値ともなる。自分の別の欲求のために、それをどんなもの(商品)とでも交換できるのであれば、苦痛(忍耐)の価値は、あらゆる欲求を充たす普遍的な価値になる。
 苦労し忍耐して作り出した物同士を交換するとしたら、それの持つ価値に注目しての等価交換となろう。相互に相手の創造した物に、自分にとっての使用価値を見出し、自分の苦労の作り出した物は自分には使用価値はないのでそれを譲って交換しようとする。そこで交換は、相互が納得して損なしでということでは、同じ量の苦労が結晶した同じ価値を交換することになる。森の木から机一つを作るのに5日の苦労を費やしたとし、他方、うさぎ一羽の狩猟に1日かかった計算になるとすると、うさぎ5羽と机1つの交換が妥当となる。それは、それぞれに含まれている苦労の大きさが等しいということである。どんな異なった使用価値をもっているとしても、同じ辛苦の忍耐であり、それの大きさが等しいとの見積もりである。忍耐の大きさは、時間持続で測られる。ここでの交換は、苦痛の強度がほぼ同等とすれば、あとは、それに費やした苦労の時間の長さが等しいことで成立する。労働における苦痛、反価値、したがって忍耐をもってなる価値、その分量が両者において等しくなっているということである。