戦いでも、「頑張れ!」にとどまり、「勇気を!」とはならないことも。

2011年05月17日 | 勇気について
1-3.戦いでも、「頑張れ!」にとどまり、「勇気を!」とはならないことも。
 闘(たたか)いは、「たたきあい」である。たたかう相手=敵をたたき打撃を与えて勝敗を決するのであり、優勢になったり、劣勢になったりして、たたき攻撃し、たたかれダメージをうけあう。
 圧倒的に力あるものと、極端に劣勢なものの間のたたかいでは(たとえば、格闘技日本一のものと、モヤシのようにひ弱な青年の格闘)、「勇気」が必要なのは、前者ではないであろう。前者は、優勢で相手にひたすら打撃を与えうる闘いになるが、そこでは「勇気を出せ」とは言わない。応援するとしたら、「がんばれ」というにとどまる。優勢でも、やる気がない場合は、相手を攻撃することになっていかない。それを鼓舞するときには、「勇気を出せ」となるであろうか。攻撃へと奮い立たせようというのだが、戦う気になれば、なんら危惧することもなく圧倒的に攻撃できて勝利できるのだとしたら、やはり、「勇気を」とはいわないのではないか。せいぜい、「ファイト」「がんばれ」と尻をたたくぐらいであろう。
 闘いで「勇気を出せ」といわれるのは、むしろ、劣勢で、たたかれて攻撃されている方であろう。劣勢な方は、もう闘いをやめたい逃げたい、闘いの姿勢をとるとそこを攻撃されるので、戦う姿勢もとりたくないといった臆する状態になることであろう。このとき、攻撃されダメージを受けるのを我慢して耐え続けろという場合、励ますには、「勇気をもって耐えろ!」ということになろう。劣勢だが負けじ魂・闘魂を発揮して攻撃に出ることを求めるとき「勇気をだせ!」と鼓舞する。
 戦う気力がなくても圧倒的な強者には「勇気を」とはいわないが、劣勢の弱者については、かれが臆して戦う意欲を喪失し無気力状態に陥っている場合は、おそらく、鼓舞すべきならば、「勇気を出せ」と肩をたたくことであろう。「勇気」は、勇士のものだが、圧倒的に強い勇者がではなく、むしろ、劣勢で危険な場面に遭遇する戦士が抱くべきものになりそうである。危険に臆しつつもこれに挑戦する姿勢をもつ場面に勇気をいうのであろう。
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