痛みは、しばしば損傷の手前で働き始める

2022年10月18日 | 苦痛の価値論
3-2-1-3. 痛みは、しばしば損傷の手前で働き始める 
 痛みは、損傷を知らせる緊急情報である。それが痛みの本源的な働きであるが、損傷を阻止することが一番であるから、それがよりよく叶うようにと苦痛の在り方は、より敏速・過敏になっていったはずである。それに、よりふさわしい在り方は、痛みが、損傷と同時に生じるのではなく、可能ならば、損傷の始まる前に生じることであったろう。損傷がはじまってから痛むのでは、逃げられるとしても損傷を少し受けてしまう。だが、その直前に痛めば、損傷をゼロにできる。皮膚に、損傷するような圧力が加わるとすると、損傷発生の直前の圧力に痛みを生じるなら、これを回避するように動けて、損傷をゼロにできる。生の淘汰は、損傷の発生の手前で、過敏に敏速に苦痛が発生して、この苦痛の事態(損傷直前の否定的事態)を回避するようにと進んでいったことであろう。
 生保護をうまくするには、漸次的に損傷が生じる場合は、苦痛だけが生じている損傷直前の段階で、苦痛(発生の事態の)回避にと動くことである。それには、苦痛(感覚)に過敏になり、苦痛に、大きな感情的な不快を、大きな嫌悪感・焦燥感(感情)を持たせることである。回避・排除の感情的反応を痛みにもたせることで、苦痛発生とともにその回避への火急の動きが生じ得ることになる。1)損傷の手前の小さな痛み感覚の発生、2)もうすこし大きな痛みになって、損傷が生じそうな直前の段階に至っての、痛み回避の衝動(苦痛感情)発生、3)さらに進んで、ついに損傷発生という展開である。日頃の漸次的に損傷の発生していく事態においては、この2)の苦痛(苦痛感情=反価値)の段階で、その危機的な事態を回避しこれから逃げるという反応をもって、損傷をゼロに出来ていることが多いのではないか。1)の苦痛感覚は、損傷への情報をもたらすもので価値、2)の苦痛感情は、主観的には回避衝動となって嫌なもの・反価値で、かつ、損傷になることを回避、防止する点では、価値ということになろう。
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