苦痛の想像と実際

2022年12月13日 | 苦痛の価値論
3-2-4. 苦痛の想像と実際  
 生は、自己保護を根幹の営為とするが、それには、苦痛が大きな働きをする。まず、苦痛発生の前からして苦痛は役立ちをする。損傷に感じる苦痛を予期すると、この損傷と苦痛を回避する動きにでる。その予期的な動きによって、苦痛が避けられることになり、したがって損傷を免れることとなる。苦痛という大きな反価値は感情的に回避の衝動をもたらし、出来るだけ少ない苦痛でと火急の対応へと向かわせるので、予期できるなら、苦痛発生以前に苦痛(したがって損傷)回避の対応に出る。苦痛という嫌な反価値の感情の予期・想像がしばしば損傷回避の主役となる。
 苦痛の予期は、損傷回避に効果的で価値ある対応をとらせるが、ときには、逆のマイナスの作用をする場合もある。いやな苦痛が予想・予期されると、ことの実行をためらうようになる。苦痛がひとをおびえさせ、現実には苦痛が生じているわけではないのに、その苦痛をともなうことになりそうな営為を人は回避しようとする。いわゆる「恐れ」とか「脅し」は、この苦痛の予期を過度なものにと感じさせて、苦痛になる有意の営為の実行を躊躇させる。
 苦痛は、現に感じる段になると、なんといっても不快の代表で、抑鬱・嫌悪・焦燥等をもたらし消耗・疲労困憊になってもいくことで、なんとしても排除したい反価値となる。同時に、強い回避衝動を生じる苦痛は、その苦痛と損傷をなくするようにと向かわせるから、苦痛は、生保護への切迫的行動をもたらす価値ある感情ということになる。その度合いは、苦痛を予期していた段階の比ではなく、強力な力となって、大きな価値ある営為となっていく。しかも、苦痛を感じる限り、これに集中して、損傷からの回復へと力を注ぐ姿勢を持続させていくから、苦痛は頼もしい生保護の感情となる。