忍耐力は、「氏より、育ち」 

2018年06月01日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-5-8-1. 忍耐力は、「氏より、育ち」 
 頭のよさとか身体の能力は、生来的なものが大きい。だが、忍耐は、経験的に、必要に迫られてだんだんと身につけていくものになる。かりにその忍耐が遺伝子に関わるものであっても、それが忍耐力としての根性とかになるには(たとえば、心身に元々備わっているやる気ホルモンの分泌が顕著になるなど)、ふつうの者では眠っている遺伝子のその部分が苦痛体験をもって覚醒する必要があるのはないか。
 忍耐は、苦痛を甘受する。苦痛は、できれば避けたいもので、恵まれた環境であれば、より多く苦痛回避は可能となる。生来の能力として同じように忍耐する力はあったとしても、恵まれているものは、それを回避することができれば、その力を発揮する機会がない。だが、苦痛回避のできない境遇のものは忍耐を経験することで、その能力は発揮されて身につくことになる。おなじ遺伝子の「氏」(生まれ)であっても、その育つ環境によって忍耐力は身につくものとつかないままのものが生じる。
 一卵性双生児でも、別の環境に育てられ、一方は貧困家庭で新聞配達をすることが強いられるような場合、かれは、もうひとりの自分とちがい、眠いのを我慢し辛苦に耐える日々となり強い忍耐力を培うこととなろう(ただし、同じ高い音楽的才能をもっていても、かれは、その能力をのばすことは断念させられるだろう)。苦痛回避の衝動を抑制する意志の命令の神経回路が太くなり、アドレナリンなどのホルモンの分泌も忍耐力を高めるように適応して、欲求や衝動への意志の制御は熟達し強い自制心が形成されてくる。忍耐力に関しては、生来的に「氏(うじ)」のもっている能力も、辛苦に耐える経験を重ねなくては発現しない。忍耐力は、氏より育ちである。