忍耐は、苦痛に耐えて頼もしいが、賢明さを持つわけではない

2017年12月08日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-4-6-3. 忍耐は、苦痛に耐えて頼もしいが、賢明さを持つわけではない
 忍耐は、苦痛をあえて受け入れる超自然の人間的尊厳をもった営為だが、苦痛以外のことに目を向ける余裕のない場合が多い。忍耐の基本姿勢は、苦痛に無抵抗になってひたすらこれを受け入れるだけのもので、受動的消極的である。忍耐を引き受けるに至るには深慮遠謀がありうるとしても、忍耐自体は、能動的積極的に働くものではなく、あまり周囲のことを配慮するような姿勢にもない。我慢することに集中してくると、苦痛以外の事柄への配慮は手薄になりかねない。
 忍耐は、苦痛甘受では頼もしく自然を超越しているのだが、賢明さには欠けるところがある。悪事に関わる忍耐、無駄な愚かしい忍耐もあり、犠牲のみが顕著なものもある。苦痛にとらわれてしまい結果をしっかり見渡していないことがある。うちに生じた苦痛を耐えようと懸命になるのが忍耐であり、その懸命さをそとの方にむけて深慮遠謀のような賢明さにまわすものではない。
 忍耐力の大きい者は、忍耐に関しては巧みで苦痛を小分けして耐えやすくしたり、忍耐の前進の一歩一歩を目的への確かな高まりと捉えて、結果・目的も多様多彩に大きく描きこれを励みとしていく。だが、苦痛が耐えがたくなるほどに、苦痛自体に集中し、広い大きな展望は視野のそとに消えてしまう。そとのことは見えなくなり、臨機応変に対応するような余裕も失い、賢明さに欠けがちとなる。